司馬井 太郎

フィリピンと日本に関係する小説を書いております。現在、長編になりますが、フィリピン百感執筆中です。

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時間待ちしているフェリーの乗客を後目に、私達のバンカは舳先を巡らして雲一つない空の下をミンドロとルソンの間の海峡に乗り出して行く。
格好は悪いが、至極快適である。
何しろ待ち時間が無いし貸し切りだから我が儘が許されるのだ。
サバン近くの入り江までの所用時間は、大体1時間位と私は記憶していた。
バンカは順調に穏やかな海を航海して行く。
速力は10ノット程度であろうか、私には早くも無く遅くも感じられない、バカンスには丁度良い船速である。
10分もすると、舳先が立てる波に驚いて飛魚が海面から飛び出して盛んに進行方向に向け扇状に海面を滑空し出した。
飛魚は50メートルも飛ぶと着水して海に潜り再び飛び上がって来るが、その様は恰もバンカと競争を楽しんでいる様でもある。
右側にマリカバン島を見ながらバンカは一路、サバンの入り江のビーチ目掛けて波を掻き分けて進んで行く。
マリカバン島の海岸には椰子林があり、その所々には小さな集落が見えている。
聞けば、この島の大半は個人が所有しているとの事であった。
目を前方に転ずれば、太陽は眩しく、海は真っ青く広がって吹く風が心地よい。
梶原君は、父親の手助けで乗り組んでいるリチャードの息子ともうサンミゲールビールのボトルを開けて飲みだしていた。
私も御相伴に預かろうと思って、二人の間に割って入ってボトルを一本取り上げると息子がつまみを差し出して来た。
ビヤと言うハゼの干物である。
これは唐辛子とカラマンシーを入れた醤油に付けて食べると非常に旨いもので、懐かしい味がする。
ビールで盛り上がりながらの30分は直ぐに過ぎてしまい、今度は左手にベルデ島が見えて来た。
このベルデ島を過ぎるとプエルト・ガレラはもう直ぐである。

ザーと云う音と共にバンカは、サバンの入り江の砂浜に乗り上げて行った。
「さあ、到着だ。行くぜ」と梶原君は云って、私より先に釣り竿とクーラーボックスだけを担いで渡り板を降りて行く。
私も彼の後に続き、自分の荷物だけを持って渡り板を降りたが、板は浜辺まで届いていなかった。
多分、引き潮でバンカの到着位置が下がってしまったのだろう。
見ると梶原君は足とGパンを濡らしながら上陸していた。
私も此処は少しワイルドに行こうと考え、梶原君の真似をして水の中に飛び降りたが、その慣れない仕草を見たリチャードの息子が笑っていた。
私は蹌踉けて、無様な程に衣服やバッグを濡らしてしまっていたのだ。
浜にはウィークディの為か余り人がいない。
手持ち無沙汰に観光客目当ての男女が、これも空きばかりのクボの長椅子に座ってこちらをずっと見ている。
今日の宿泊は、砂浜のすぐ後ろに立てられている3階建てのPと云うホテルである。
このPは外見の古いデザインに比較して部屋の内部は清潔でとても広く、設備も良く整っていた。
私達は、部屋に荷物を置くと直ぐにビーチに出掛ける事にした。

サバンの入り江のビーチの背後には直ぐに山並が立ち上がっている。
即ち此処は、山裾とビーチの間の狭い処に出来たリゾート地なのだ。
その風景が観光客の目には美しく映るのだが、そこに住む人々の暮らしは観光客の感嘆とは全く別物の様である。
到着したこの日は、私達は釣りに行かずビーチライフを楽しむ事にしていた。
着てきた服を乾いたTシャツと短パンに着替え、梶原君とボビーと連れ立って浜に出ると、直ぐに年重の女性が寄って来てマッサージは如何と聞く。
彼女達のマッサージは勿論ホテルでも可能なのだが、ここでは大体は浜辺で寝そべっている観光客相手に行うものなのである。
梶原君が「ママヤ、サ・ホテルナラン」と云うと、女性達は「シゲ・ママヤナラン・ハ」と確認して去って行った。
私が、「梶原君、あれでマッサージは大丈夫なのかな」と聞くと
「大丈夫、オバサン達はあれでしっかりしてるよ。ちゃんと俺達がホテルに帰る時を見ていて、後で絶対にやってくる。それも二人連れさ。こちらの人数を見ているからね。ホテルもPが一件しか無いから、迷う事もないんさ」と云う。
成る程と感心しながら、私は椰子の木陰に設えられたデッキチェアーに寝ころんで、サンミゲールと、肴にするBBQを注文した。
梶原君はと云うと、トロピカルジェースとブコパイを朝食代わりに注文していた。時に無節操とも思える甘辛両党使いで大人と子供の両面を何時も露わにしている梶原君は、心底私の理想とする日系フィリピン人になってしまった様に私には思えた。
私達の眼前にはどこまでも青い海と空が広がっていて、沖には漁をする小さなバンカが浮かび、遠くにバタンガス港と行き来するフェリーが見えている。
これは正しく観光客相手に良く売られている、これぞフィリピンと云う類の絵画そのものの構図である。

昼時になって、ちゃんとした食事をしようと云う事で、私達はボビーも連れて浜辺のバンブー造りのレストランに入った。
出て来た料理は、地元で取れた魚や甲殻類、烏賊等のシーフードがメインである。
バンブーのテーブルにバナナの葉っぱを広げて皿代わりにし、焼物、煮物、揚物が所狭しと並べられて来る。
スープは、魚のシニガンだ。
ご飯は、現地のボロボロ飯で他の料理と同様にバナナの葉の上に直に盛りつけられている。直ぐにどこからとも無く沢山の犬がやって来て、私達が料理をこぼすか恵んでくれるのをじっと待っている。
図々しい奴は、テーブルの下に潜り込んで来て私の足を掻き顔を見上げて催促する。
加えて、観光客が少ないせいか犬に混じって人間までもが私達の食事を廻りからじっと見詰めているではないか。
突然梶原君が彼等に手招きして云った。
「シゲ、カイン・ナ・タヨ」。
すると廻りで見学していた人の群が愛想笑いをしながら、ドヤドヤと私達のテーブルに座り出した。総勢で8、9人は居ただろうか。
最初は遠慮がちに、しかし次第に図々しく食べ捲りだす。
梶原君は彼等と顔見知りらしく、時折互いに話し掛け又返事をしている。
「梶原君、彼等を知っているの」と私が聞くと、
「ああ、この一年くらいの間にえらい仲良くなったんだ。この浜に来る度に、彼等の方から寄って来て何くれと無く、サービスして呉れる様になったんだ。その理由は、解るだろ」と云う。
「ああ、大体の想像は付くが。それにしても人数が多すぎ無いかい」と私が云うと、
「彼等は皆親類なんだ。去年の年末に、彼等から頼まれて男の子を一人マニラで就職の世話をしてやったんだが、その縁で今では押し掛けの親戚扱いさ」と笑って云う。
次々と平らげられた料理を乗せていたバナナの皿が片づけられた後は、再びサンミゲールである。
押し掛け親戚の皆さんにも一本づつが配給された。
梶原君が日本語で「カンパイ」と云うと彼等も日本語で「カンパイ」と唱和した。
食後のビールで急に和やかになったテーブルでは、明日の釣りの情報が彼等によってもたらされている。
本当かどうかは疑わしいが、それも彼等なりのささやかな御返しと梶原君は考えている様で、適当に驚いたり感心した顔をしていた。
彼等が満足して去った後、梶原君は私に教えた。
「彼等も仕事が欲しくて仕方が無いんだ。此処では、観光客相手以外には何も仕事が無いからね。老いも若きも仕事探しにやっきになっているんさ。ほら、あそこを見ろよ」と顎で別のバンブーレストランを指して云った。
そこには、観光客の代わりに地元の若者が群れていた。
若者と云うより少年少女である。年の頃は、16,7才だろうか。
大音量でカラオケのラップを掛けて全員がリズムに合わせて踊っているが、見事なチームワークだ。
中にはハッとする様な、美形の娘も居る。                                      
「彼等もする事が無いんだ。学校も金が無くて行けないし、かと云って仕事も無い。誰か手蔓になる様な観光客が来るのをああして自分達を目立たせながら待っているんだ。もっとも俺みたいに正体を知られた奴には、若いのは余り近づいてはこないけどね」と云う。
正面には豊かな海が広がりその背後には山があって傍目には農産物も豊富に見える。
その上にビーチでの収入があれば、楽に暮らして行けそうには思えるのだが実態は全く違う様であった。
私は今晩、マッサージのオバサン達が来たらその辺りを詳しく聞いてみる事にした。


続く・・・

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