|
その後、梶原君がフエフキ鯛の50センチくらいの物を2匹とラプラプの大物を1匹釣り上げ、ボビーがウツボの1メートル以上の物を1匹、フエフキ鯛の30センチを1匹とオジサンと言う髭がある25センチほどの赤い魚を2匹釣った。
私も、ラプラプ1匹とオジサン2匹を追加して、午前中一杯の釣りを終えた。 気が付くと、リチャードの息子が、釣りをしている全員のスナップ写真を撮っていて呉れていた。 このカメラは最新式ではないが、日本製のデジカメでその場で直ぐに見る事が出来た。 梶原君の悔しそうな顔、ボビーのひっくり返った姿、私の平鰺との格闘、上手く取れているものである。 それを見ながら皆で一頻り大声で笑った後、ボロボロ飯に焼魚のおかずで昼食を取る事となった。 水や汁の代わりに、またもやサンミゲールである。 いくら軽いビールでも、こうも立て続けに飲んでいたら酔っぱらうもので、食事の後は全員眠くなってしまっていた。 こうなるともう釣りはそっちのけで、リチャード船長も一緒に御昼寝タイムである。 波に振られるバンカの上、サンバイザーの日陰で寄り添いながら全員が寝入ってしまった。 私が目を覚ました時、船長や梶原君はもう起きていて帰り支度をしていた。 時計を見ると3時を過ぎているではないか。 「良く、寝てたな。全然起きないもんな」と梶原君が笑って言う。 「ああ、どうしてフィリピンに来るとこんなに良く寝られるんだろうな」 「プレッシャーが無いからさ」 リチャード船長が、エンジンを掛ける。 轟音と共に船尾から真っ黒い煙を出しながらジーゼル車から転用したエンジンが掛かって、バンカは動き出した。 復路も、往路と同様に潮の流れに逆らってバンカは進んで行く。 西北の空が曇って来ているが、風の関係でこの辺りにはスコールの心配なさそうである。15分進んだ処で船長が慌て出して船板を上げ、何かを取り出している。 「何だ、故障かね」と私がエンジンの轟音に負けない位の大声で聞くと、 「いや、イスダがいる」と船尾で仕掛けを用意しながら、チリャード船長がバンカの左手を指差している。 見れば水面が大きく乱れて魚の大群が船と同行して泳いでいるではないか。 「トリガン、鰹だよ。リチャードを見ていろよ」と梶原君が教えて呉れる。 リチャード船長はバンカの運転を息子に譲り、手製の木で造った擬餌を取りだして道糸に結び付けたと思ったら船尾から手早く海に放り込んだ。 鰹は、次々とチリャード船長の擬餌に食いついて来る。 その熟練した手返しの早さは驚異的で、見る見る内に5匹の鰹を釣り上げてしまった。 鰹独特の跳ね方のバタバタ言う音で、バンカの中が騒がしい。 息子が、その鰹を次々絞めて行くのを見ながら梶原君が 「今夜は、生きの良い鰹の刺身も食えるなぁ」と、期待を込めた言い方が可笑しくて私は又思わず笑ってしまった。 しかし笑った後で、日本ではこんなに笑う事はないものなあと思ってしまっていた。 バンカがサバンの入り江に到着する少し前、夕暮れが迫った空は一面、焼ける様な橙色に染まった雲と暮れ残った空の青のコントラストで息を飲む程の美しさを見せてくれた。 その空の下のバタンガス方向には薄黒い雲が掛かっていて、その部分だけスコールが降っている様だ。 私達三人は、バンカが砂浜に到着するまで後ろ向きになって、その光景に見取れていた。リチャード船長と息子は、そんな光景は珍しくも無い素振りで到着準備に余念が無い。 その夜は、リチャード船長ファミリーと例の押し掛け親戚を招待した盛大な宴会が浜辺で行われた。 そのパーティーには知らない内に、マッサージオバサン達も加わっていたが、梶原君は気にする風も無く、サンミゲールビールとランバノッグをみんなに勧めている。 見ると、昨夜の私達の相方もいるでは無いか。 私は、彼等の人間関係を考えるのを止めにして、そのまま一緒に飲み食いする事に専念した。 バーベキューの焚き火を皆で囲めば、身の上や仕事の中身や国籍の違いなどはもう関係無いのだ。 バーベキューはトリガンの丸焼きにキッコーマンの醤油をそのままぶっかけたもの、見た目は悪いが味は折り紙付きのセミ海老の塩焼き、烏賊の甘辛醤油付け焼き。 別のグリルでは、私が釣った平鰺の丸ごと焼きを料理していた。 そして梶原君の気遣いで、レストランの厨房で調理したラプラプの姿煮とオジサンの餡掛けと鰹の刺身が並んだ。大蒜がタップリ入った付け醤油の小皿もある。 ビーチレストランのボーイが、コードを引っ張って来てカラオケを用意してくれると食事をしながらの歌が始まった。 総勢40人ほどに膨れ上がったパーティーは、盛り上がって何時果てるとも知れなかった。パーティーに酔いしれる人々の頭上に、満月の光りが皎々と降り注いでいた。 続く・・・ |
全体表示
[ リスト ]




