司馬井 太郎

フィリピンと日本に関係する小説を書いております。現在、長編になりますが、フィリピン百感執筆中です。

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今年も甲子園の高校野球が始まります。
私の住む愛知県の代表は至学館が初出場です。県大会とそれに続く、報道各社のインタビューを聞いていて、幾ら鈍い私でも涙が出る思いが致しました。
しかし、その思いはただ単に若人のひたむきな野球に掛けた情熱と代表を勝ち取ったと言う努力の成果に対してだけではありませんでした。
こんな素晴らしく清々しい若人達に、私達は一体どんな国を手渡そうとしているかと言う思いが、彼等の優勝の瞬間に沸き上がって来たのです。
巷では「先人達の労苦によって我が国は云々」「長い伝統と歴史と子孫を思う祖先の意思を云々」との言葉が良く使われますが、確かに私達の世代は先祖から様々なものを受け継いで来た事は間違い無いし、私達の経験した繁栄もその基礎の上に築かれた事も間違いは無いものの、私達今に生きる世代は、そんな大切な先祖から引き継いだ有形無形の資産を一体どうしてしまったのでしょう。
受け継いだ資産を食いつぶした上に、更に膨大な負債を次の世代に渡そうとはしていないでしょうか。
加えて、精神の荒廃と襤褸の如き統治制度を残そうとしているのではないのでしょうか。
今の日本で良い訳は無いとの認識は大多数の国民は等しく持ってはいると思うのですが、その日本人の大半は自らに利がある無しを行動原理にしてしまって状況の改革を求めなくなる様に思えます。
別の言い方をすれば、私的な利益・不利益のみで生きてきた私達日本人全体に対して、今当然の結末が訪れようとしていると思うのです。しかし、強欲世代の私達が自業自得だけでは済まなくなってしまった事が大問題です。
子供や家族を愛さない人はまずいない訳ですが、その子供達の未来を私達は喰らい続けて来ました。
将来償還=返済すると言う約束で発行された国債は、既に返済不可能と思われる規模にまで膨れ上がり、最近の欧米諸国の国債発行枠上限を巡る政治的駆け引きも、我が国を悪例にして「日本病」に掛かっていると揶揄されてしまう始末です。その上、揶揄された欧米各国も急速に日本国と同様の状況に陥りつつあります。
戦前にも同様の事態が世界に訪れた事があり、その結果は世界規模での戦争でした。今の世で、戦争があるかどうかは判りませんが、一朝あれば1929年近辺の社会状態になってしまう事は間違い無い。
それのみならず、我が国では原発事故によって次第次第に被害は拡大して行き、人が住めない又生産活動も出来ない土地が拡がって行きます。
大借金や放射能汚染が拡大し続け、活力喪失してて無力感に覆われた国、創造性も発展性も阻害された国、そしてそんな状態を改革出来ない国民の代表者達が支配する国。こんな国が若人達が引き継ぐ国であるのならば、私達の世代は万死に値すると思うのです。
では私達に出来る事は何なのか。
せめて、私憤や私的利益のみを行動原理とした生き方から、公憤と公的利益を行動原理とする生き方に変るべきなのでは無いでしょうか。そして、次の世代に引き継いで恥じない日本国の未来像を示し、その実現に向かって古い政治も行政も特定産業偏重構造をも打破する行動を起こす事では無いでしょうか。

次の書き込みでは、日本国(被災地ではありません)復興計画私案の一部を皆さんに披露したいと思います。

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今回もまた、貴方は、素晴らしいメッセージを披瀝なされて、私はまた感嘆し、また感服致しているところです。今私は、貴方の考えに同調する、心の同士がもっともっと増える事を、願わずにはいられません。 どうぞ、ご健康には、くれぐれもご留意のうえ、今後共ご活躍下さる事を念願致しております。 MIXI メーム FBYYより

2011/8/3(水) 午後 4:42 [ - ]

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