司馬井 太郎

フィリピンと日本に関係する小説を書いております。現在、長編になりますが、フィリピン百感執筆中です。

フィリピン百感

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1時間と少しの時間で、バンカはバタンガス港に戻って来た。
曇り空の下のバタンガス港は、往路の印象と違って色褪せて見える。
矢張り、フィリピンには太陽が良く似合うのだ。
燦々と降り注ぐ太陽無しにはフィリピンと言う国の全ては色褪せて見え始め、印象が逆転してしまい、前の道を行く人達も疲れている様に思えて来るのだ。
降り始めた雨の中をボビーは私達をフェリー乗り場の庇下に待たせて、私営の駐車場に向かって走って行った。
私達の目の前を流れて行く人達は、大半が雨の中でも傘を差していない。
彼等のほとんどはスコールに慣れているか、それとも傘を買う金が無いのだろう。
竹で編んだ大きな駕篭を頭に乗せて子供の手を引いた母親が目の前を通り過ぎて行く。
青洟を垂らした子供が指をくわえながらずぶ濡れの顔を上げ、私達異形の者を行き過ぎるまで見上げていた。
ボビーが車を私達の目の前に止めて、急いで荷物を載せ始めている。私と梶原君は、先に車に乗ってボビーを待った。
「サー、済みません。直ぐに出発しますから」とボビーが濡れた顔を拭きながら梶原君に言った。
「雨だから、気を付けて運転してよ」と又私が注意すると、「大丈夫です。私は運転のプロフェッショナルです」と笑顔で答えたが、私は往路の神風運転で彼のドライビングには恐れをなしていたのだ。
帰り道はカラバルソン高速だけが順調で、カランバへの下道とサウスハイウェイは最悪であった。
カラバルソン高速を降りてからカランバまでずっと大渋滞である。この道は脇道が無いので、渋滞を避けようが無いのだ。
通常ならば25分程度の下道が2時間も掛かってしまった上に、やっと乗ったサウスハイウェイも冠水していると言う。
ハイウェイが冠水するなどとは普通考えられないが、此処フィリピンではあるのである。そのサウスハイウェイを、車はジリジリと進んだかと思うと10分程も止まってしまう。その車の流れの中で、我先にと運転手は車の先端を突っ込みあいそれが又多くの接触事故を起こし更なる渋滞を作り出している。
さすがの梶原君もいらいらが募って来ている様子で、仕切にマカティーのオフィスに電話を掛けて何かを指示している。
カランバエントランスから約3時間掛かって、車はようやくビクータンに差し掛かった。
私は少しでも梶原君の時間を節約してやろうと考え彼に申し出て見た。
「梶原君、私は自分で帰るから後でCー5の出口で降ろしてくれれば良いよ」
「何言っている。雨も降っているし変な遠慮をするなよ」
「でも、君は急ぐんだろ。私なら大丈夫だから心配無用だよ」
「だめだめ、Cー5なんてとんでもない。少なくともデュシットホテル辺り迄は送る必要があるよ。気を使ってくれるならそこからタクシーで頼む」と言う。
「じゃあ、デュシットまで頼むよ。デュシットでコーヒーでも飲んでから自分のホテルに帰るから」

続く・・・
翌日は、心配していた通りの二日酔いである。
痛む頭を抱えながら私は無理に起き上がってシャワー室に向かった。
暑いお湯で、体に残ったアルコールを抜く為である。
体を拭いてから、常時持ち歩いているEと言う鎮痛剤を2錠、部屋の冷蔵庫にあったミネラルウォーターと共に飲んでレストランに向かった。
レストランにはボビーはいたが。梶原君はまだ来ていなかった。
「彼はどうしたの」とボビーに聞くと、部屋で電話しているとの事である。
仕事が入ったのかなと思いながら、ボビーと昨日の釣りの話をしていると梶原君がレストランに入って来て、椅子にすとんと座った。
「何かあったの」と私が聞くと、
「緊急に帰社して欲しいってさ。明日の午後、本社から役員が来るらしい。その打ち合わせと資料点検をして呉れだって」と面白くなさそうに言う。
「仕事なら仕方がないじゃないか。じゃあ休みは今日で切り上げだね」と言うと、
「ごめん、この埋め合わせはマニラでするからさ」と済まなそうに言う。
「何言ってる、2日間付き合って貰っただけでも大感謝だよ。昨日は本当に楽しんだしね」「本当に済まないが、飯の後直ぐに出発したい。リチャードにはバンカを用意する様に連絡したから、君も準備してくれないか」
「準備と言ったって、ナップザック一つだ。何時でもOKだよ」と私は言いながら、急いで皿の上の料理を食べ終え様としていると、ボビーは私に挨拶して先に荷物の積み込みの為にレストランを出て行った。

外に出るとボビーが荷物をバンカに移している最中だった。
私は自分のザックをバンカに投げ入れて自分で先に乗り込んで彼等を待ったが、梶原君がまだホテルから出て来ない。
ボビーも荷物を全部移し終えて、バンカに乗り込んで来た。
梶原君がホテルから出て来るのが見えたが、何人かにまとわり付かれて何か話している。
梶原君は彼等を振りきる様にしてバンカに乗り込んで来た時、何を入れているのかプラスティックの袋を持っていた。
パレンケの買い物の時にサービスで使われる赤白の縞模様のあの袋である。
「どうしたの」と聞くと、
「どうしても、マニラで働いている息子に土産を持って行ってくれとさ。くどくて参ったよ。仕事があると言っても聞かないんだ」と自家製バゴオン等土産の入ったプラスティックを目の高さに上げて私に見せた。
「でも君は今日から急がしいんだろ」と聞くと、
「実はね、昨日言った押し掛け親戚の子供は俺の会社で雇ってやったんだ。それで、子供のボスなら何とでもなると考えているんさ」と言った。
私達が話している内にバンカは方向を変えて、海に向かっていた。岸辺では、親戚の人々が手を振っている。その中に、一昨夜の相方の顔が見えていた。
今日は、曇り空である。

続く・・・
その後、梶原君がフエフキ鯛の50センチくらいの物を2匹とラプラプの大物を1匹釣り上げ、ボビーがウツボの1メートル以上の物を1匹、フエフキ鯛の30センチを1匹とオジサンと言う髭がある25センチほどの赤い魚を2匹釣った。
私も、ラプラプ1匹とオジサン2匹を追加して、午前中一杯の釣りを終えた。
気が付くと、リチャードの息子が、釣りをしている全員のスナップ写真を撮っていて呉れていた。
このカメラは最新式ではないが、日本製のデジカメでその場で直ぐに見る事が出来た。
梶原君の悔しそうな顔、ボビーのひっくり返った姿、私の平鰺との格闘、上手く取れているものである。
それを見ながら皆で一頻り大声で笑った後、ボロボロ飯に焼魚のおかずで昼食を取る事となった。
水や汁の代わりに、またもやサンミゲールである。
いくら軽いビールでも、こうも立て続けに飲んでいたら酔っぱらうもので、食事の後は全員眠くなってしまっていた。
こうなるともう釣りはそっちのけで、リチャード船長も一緒に御昼寝タイムである。
波に振られるバンカの上、サンバイザーの日陰で寄り添いながら全員が寝入ってしまった。

私が目を覚ました時、船長や梶原君はもう起きていて帰り支度をしていた。
時計を見ると3時を過ぎているではないか。
「良く、寝てたな。全然起きないもんな」と梶原君が笑って言う。
「ああ、どうしてフィリピンに来るとこんなに良く寝られるんだろうな」
「プレッシャーが無いからさ」

リチャード船長が、エンジンを掛ける。
轟音と共に船尾から真っ黒い煙を出しながらジーゼル車から転用したエンジンが掛かって、バンカは動き出した。
復路も、往路と同様に潮の流れに逆らってバンカは進んで行く。
西北の空が曇って来ているが、風の関係でこの辺りにはスコールの心配なさそうである。15分進んだ処で船長が慌て出して船板を上げ、何かを取り出している。
「何だ、故障かね」と私がエンジンの轟音に負けない位の大声で聞くと、
「いや、イスダがいる」と船尾で仕掛けを用意しながら、チリャード船長がバンカの左手を指差している。
見れば水面が大きく乱れて魚の大群が船と同行して泳いでいるではないか。
「トリガン、鰹だよ。リチャードを見ていろよ」と梶原君が教えて呉れる。
リチャード船長はバンカの運転を息子に譲り、手製の木で造った擬餌を取りだして道糸に結び付けたと思ったら船尾から手早く海に放り込んだ。
 鰹は、次々とチリャード船長の擬餌に食いついて来る。
その熟練した手返しの早さは驚異的で、見る見る内に5匹の鰹を釣り上げてしまった。
鰹独特の跳ね方のバタバタ言う音で、バンカの中が騒がしい。
息子が、その鰹を次々絞めて行くのを見ながら梶原君が
「今夜は、生きの良い鰹の刺身も食えるなぁ」と、期待を込めた言い方が可笑しくて私は又思わず笑ってしまった。
しかし笑った後で、日本ではこんなに笑う事はないものなあと思ってしまっていた。

バンカがサバンの入り江に到着する少し前、夕暮れが迫った空は一面、焼ける様な橙色に染まった雲と暮れ残った空の青のコントラストで息を飲む程の美しさを見せてくれた。
その空の下のバタンガス方向には薄黒い雲が掛かっていて、その部分だけスコールが降っている様だ。
私達三人は、バンカが砂浜に到着するまで後ろ向きになって、その光景に見取れていた。リチャード船長と息子は、そんな光景は珍しくも無い素振りで到着準備に余念が無い。

その夜は、リチャード船長ファミリーと例の押し掛け親戚を招待した盛大な宴会が浜辺で行われた。
そのパーティーには知らない内に、マッサージオバサン達も加わっていたが、梶原君は気にする風も無く、サンミゲールビールとランバノッグをみんなに勧めている。
見ると、昨夜の私達の相方もいるでは無いか。
私は、彼等の人間関係を考えるのを止めにして、そのまま一緒に飲み食いする事に専念した。
バーベキューの焚き火を皆で囲めば、身の上や仕事の中身や国籍の違いなどはもう関係無いのだ。
バーベキューはトリガンの丸焼きにキッコーマンの醤油をそのままぶっかけたもの、見た目は悪いが味は折り紙付きのセミ海老の塩焼き、烏賊の甘辛醤油付け焼き。
別のグリルでは、私が釣った平鰺の丸ごと焼きを料理していた。
そして梶原君の気遣いで、レストランの厨房で調理したラプラプの姿煮とオジサンの餡掛けと鰹の刺身が並んだ。大蒜がタップリ入った付け醤油の小皿もある。
ビーチレストランのボーイが、コードを引っ張って来てカラオケを用意してくれると食事をしながらの歌が始まった。
総勢40人ほどに膨れ上がったパーティーは、盛り上がって何時果てるとも知れなかった。パーティーに酔いしれる人々の頭上に、満月の光りが皎々と降り注いでいた。

続く・・・
竿を袋から出したり仕掛けの支度をしたりしながら取り留めも無い話をしている内に、バンカは目的地に着いた様である。
陸地を眺めて見立てをしていた船長が、船首から錨を降ろし出している。
私達三人は釣りを開始する準備を始めた。
私は、借りた竿を繋ぎながら、チリャード船長に聞いた。
「キャプテン、この辺りの水深はどれくらいかな」
「サー、大体80フィートから100フィートです」
「獲物は何が掛かるの」
「ラプラプ、それにスナッパーが多いです」と言う。
 それを聞いていた梶原君が「フィリピンではハタ類はみんなラプラプなんだよ。スナッパーはタイの仲間だ。日本で言うフエフキ鯛が多いが、オジサンや時にはウツボ。いうなれば五目釣りだな。下は砂混じりの珊瑚礁だよ、根掛かりしない様に注意して」と教えて呉れた。
準備した道具立ては、胴付きの腰の強い竿に電動リール、道糸は10号にハリスは8号、20号の眠り針を使用して錘は50号と言う強力なものである。
チリャードが用意してくれた餌は中型エビと烏賊の切り身で、私はエビを選んで針に尻掛けした。
梶原君は、烏賊の切り身である。
彼によると、烏賊の方が大物が掛かるのだそうだが、私はそうは思わなかった。
ボビーは、梶原君を真似て烏賊を針に刺している。
「さあ、勝負、勝負」と、どこかで聞いた事のある台詞で、梶原君は第一投を投げ入れた。続いて、私もボビーも仕掛けを投入する。
強い潮の流れで、糸がどんどん出て行く。
相当に船尾方向に角度が付いて出て行った仕掛けがふいに軽くなった。リールの表示には65メートルと出ているので、45度くらいの角度で糸を張る事になる。
糸フケを取っている間も無く私の竿に当たりが出た。
竿先が絞め込まれて行く。
ドラッグを緩めて竿を立てるが、魚は横へ走らず下へ下へと潜って行く様だ。
「ラプラプだ。大きいぞ」と梶原君がバンカの反対側で叫んでいる。
手でリールを巻こうとするが、なかなか言う事を聞いてくれないので電動に切り替えた。ジーと言う音がして、リールが次第に魚を引き上げて行く。
リチャードがタモを用意して水面を覗きながら待機して呉れている。
5,6分すると濃赤色の魚影が青く澄んだ海の色を掻き分けながら、こちらに近づいて来た。
やはりラプラプである。
「マラキパ」と言いながら、チリャードがタモを入れて魚を素早く掬い上げて呉れた。
魚は体長60センチ近くもあるハタであった。
大きく開けた口は、大人の拳固が楽に入るサイズである。
「先にやられたな。こいつは刺身でも煮付けても何にしても旨いんだ」と梶原君が魚を覗き込みながら悔しそうに言った直後、ボビーの悲鳴が聞こえて来た。
何事と思って二人が振り返ると、ボビーの竿が水面に引きずり込まれようとしている。
チリャードが慌ててそちらに駆けて行く。
ボビーのリールが苦しげに逆転してジッジッと音を立てながら糸を吐き出している。竿はほとんど伸されてしまっている。
「おっ、大物だぞ」と梶原君もボビーの側に急いだ。
チリャードが「ドラッグを早く緩めて」と指示しているが、ボビーにはそんな余裕が無い様で、必死になって竿を立てようとしている。
魚は、私のラプラプの時と違って、縦横に走り廻っている。
「今度は、何かな」と梶原君は言いながら、隙を見て逆転しているボビーのリールのドラッグを緩めてやった。
するとリールはジジー、ジジーと弾みを付けながら糸を吐き出して行く様になり竿も立てる事が出来る様になった。
ボビーの額には、油汗が浮かび出している。
10分程もやり取りした後、魚の力が弱って来たのかリールの力が勝って次第に糸を巻き取り出した。
「頑張れ、ボビー」と梶原君が声援を送ると、「イエッサー」とボビーが絞り出す様な声で答える。
糸は50メートルほども巻き上げられたろうか、後残り30メートルだ。
フックしてから、15分も経過していたろうか、この間私も梶原君も自分の釣りを止めて見物に廻っていた。
その時突然、ボビーが大きな音と共に後ろにひっくり返った。
ボビーは倒れた勢いで椅子にしていた木箱を跳ね飛ばしていた。
「どうした」と私が言うと、ボビーの代わりにチリャードが残念そうに答えた。
「パタイ」。
ハリスが切れたのである。
ボビーは竿を持ったまま仰向けになって空を見ている。
全力を振り絞って格闘していた獲物に逃げられた事で、ボビーは茫然自失状態になっていた。
ノロノロと起きあがって汗を拭き、暫く俯いて座り込んでいたかと思ったら、仕掛けを作り直す事も無くクーラーから冷えたビールを取り出して黙って飲み出した。
その虚脱した様子がおかしいやら、気の毒やらで、ボビーには悪いと思ったが梶原君と私は腹を抱えて笑ってしまった。
梶原君と私は再度挑戦である。
梶原君は、自分だけがフック出来ないので少々焦っている様だ。
私は今度は烏賊の餌にした。
烏賊の短冊型の切り身である。今度は、なかなか餌を食ってくれない。
二度三度と仕掛けの投入位置を変えて見るが、食い付いて来ない。
私は、喉の乾きを覚えて竿をそのままにしてボビーが蹴飛ばしたクーラーからビールを取り出そうとした時、私の油断を見透かした様にガタンと言う音がして竿が海に引きずり込まれる処が見えた。
慌てて、竿に手を伸ばし辛うじて竿尻を掴むと前回と違った強烈な締め込みが来た。
竿先が海に向けて引き込まれて行く。
左手で竿を支えながら右手でドラッグを緩めるとボビーの時と同じ様に、弾みを付けて糸が引きずり出されて行く。
凄い力だ。
下腹に竿尻を当てて堪えるが魚は右へ右へと回り込み出して、梶原君の場所まで私を引きずって行く。
梶原君は急いで自分の仕掛けを巻き取ると、自分の位置を譲って呉れた。
船首の処に来て、やっと魚は横に泳ぐのを止め沖に向かって遁走を試みる様になった。
後は、私と魚の力比べである。
張りつめた糸が、キーンと言う悲鳴を上げ出している。
竿を持つ左手が痺れて来る。
魚と引っ張りっこしている私の中古の背中も痛んで来た。
汗が目に入る。草臥れた心臓が踊る。
しかし7〜8分もすると私と同様に次第に魚も弱ってきたのか、吐き出された糸を次第に巻き取る事が出来る様になり始めた。
10メートル巻いては5メートル引き出される事の繰り返しであったが、道糸は遂に後20メートルになっていた。
リチャードが側でタモを持って待機して呉れている。
ボビーと共に水面を覗き込んでいた梶原君が、大きな声で「平鰺だ」と言った。
平鰺は日本でも沖縄など南の地域で取れる鰺科の魚で、大きな物では1メートルを越える物もいる釣り師の憧れである。
「外すなよ、近くに来ると暴れるから慎重に」と梶原君がアドバイスをする。
平鰺は、魚体を見せてからも一頻り抵抗を試みたが、遂に船縁に引き寄せられてリチャードのタモに収まって呉れた。
船上に引き上げられてもバタバタしている平鰺は、体調1メートル近い大物である。
私はそれを見ても、腕の力が抜けてしまっていて持ち上げて見る気にならなかった。
リチャードと息子が計寸して見た処、97センチあるとの事である。
重量は17,8キロくらいだろうか。良くテグスが切れなかったものだ。
暫く休んで腕の力が回復して来るのを待ちながら、私は再び冷えたサンミゲールを開けて立て続けに2本飲むと、飲んだ側から水分が汗になって額を流れ落ちてくる。
梶原君とボービーの二人はと顔を上げて見ると、私の平鰺に刺激されたのか、それぞれの場所に戻って仕掛けを投入し黙って釣りに専念し出している。

続く・・・
浜ではチリャード船長が乗組員である息子を連れて私達を待っていた。
約束時間は、6時と言う事であったが、時間は既に6時半を廻っていた。
彼等は結構早くから来ていた様子だったので私は彼等を待たせた事が気に掛かっていたが、それを言うと又梶原君に笑われると思い黙って荷物をバンカの中に放り入れて、彼に続いて渡り板からバンカに乗船した。
バンカは息子が舳先で操る竿の力で向きを変えると直ぐにエンジンを吹かして沖に向かった。
行く先はサバンから約2時間弱の行程で、ルバン島の手前にあるタラオタオ島の近くのリチャード船長だけが知る秘密の場所と言う事であった。
今日も空は快晴である。
「ルバン島は、日本では英文綴りの最後のGを発音してルバング島と呼ばれているが小野田少尉が見つかって始めて有名になったんだよな」と聞くと、
梶原君は「ルバン島だけでは無いよ。日本人はルバン島どころか、フィリピンそのものの知識もゼロに近い。巷の自称フィリピン通程度の知識くらいは我が国にもあるとは思うがね」と言う。
「それを言うなら、日本人の外国に関する知識は全体にお粗末に過ぎる。一体何処の外国の事を解っていると言うのかね」と私。
「もう、そんな独善の日本流は全て終わりに近いよ。金とか技術力とか、そんなものだけを売り物に外交をしてきた国が、頼るべきを失ったらどうなるんかね。金も技術も実の処は、国にも拘束されない個々の企業にまずは帰属しているんだ。企業が日本から消えても、国と個人の大半は逃げられないし、既定の路線や日本流の物の捉え方を一朝にして変えるなんて事も出来る訳はないんだ。従って日本はだんだん空っぽになって行き付くところまで行くだろうね。勝負あっただよ」と梶原君。
「その後はどうなると思う」
「どうにかはなるんだよ。但し、日本と言う偽装先進国のあり方と恣意的に造り上げられた輸出依存型経済構造に全国民が依存していた時代が終わるのは間違いないと思うよ。流されて一緒に終わるのが嫌だとすると、俺達に要求されてくるのは今までと逆の個の価値観とそれに沿って生きる力かな。俺の会社も、生産効率や掛かる社会的リスクを勘案した上で、そう遅くない時期にフィリピンを撤退してタイか中国に力を入れる事になる。それに経済全体が縮小している事への対応として、フィリピンだけで無く日本の工場も閉鎖か縮小を避け得ないんだ。世界的な生産力過剰だからね。
最大効率を求めるのが資本主義であり又企業ならば、その思想の現実部分にある日本と言う国の空洞化、即ち国や国民生活の大前提となっている企業そのものや優秀な人材が脱日本を指向する事は、今の日本では避けられないんだ。一般市民レベルでその変化を受け容れざるを得ないなら、今後は自分自身のアイデンティティーをはっきりさせて来るべき新時代に整合性のある存在価値を造る自身の力が必要って事かな」
「すると日本は国としては必ず没落するって事か」
「ああ、その時期が早いか遅いか。又は急激かゆっくりか、だけの違いだろうね」と梶原君は話題を締めくくった。
もし、梶原君の会社がフィリピン撤退を決めた時には、梶原君は躊躇無く辞表を提出し、このフィリピンに定住するのだろうと私は想像した。
企業戦士として定年まで勤め上げた人物が、利益至上主義の企業社会や金融資本主義の国をも滅ぼす凶暴さに荷担して来た人生を、激しい悔恨と共に振り返っている様に私には感じられた。
しかしその悔悟は決して日本人全体のものにはならないのだろう。
豪放磊落であっても同時に繊細な神経をも持ち合わせている彼は、その心底にある理想と企業戦士と言う社会的立場から生ずる矛盾に相当に悩みもして来たのだろうと私は思った。
「ゴーギャンみたいになりたいんかな」と私が問うと、
「まぁ大げさに云えばそんなとこかな」と梶原君は真顔で答えた。

続く・・・

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