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昨夜の余震は私の住むこの地域では震度4だったようです。
就寝前だったのでそれほど慌てずに済みました。
停電は約9時間後の今朝8時20分ごろ解消されました。
夫は深夜1時30分ごろ帰宅して、今朝は6時30分ごろ出勤していきました。
直接の被災地ではなくても公務員は大変です。
夫の職場でも避難所の当番などにかなりの人員を要しており、
夫も避難所に1泊、日中の当番で休日出勤もしました。
これがご自身も被災者である現地の役所関係の方々のご苦労を思うと
本当に筆舌に尽くしがたいものがあります。
体の疲れもさることながらご心痛もいかばかりかと。
どうかご自愛なさっていただきたいと祈るばかりです・・・
そして一日も早く安心して暮らせる日がくるよう願っています。
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3月11日以来の大きな余震でした
今回は警報より揺れがくる方が早かったです。 また停電しています。 揺れが大きかったため、晩酌済の夫を災害対応出勤のため職場に送り届けて来たところです。 大きな被害がないことを祈るばかりです。 |
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大震災の日のことを綴っています。
17時半ころ市役所勤務の夫から
職場待機でいつ帰れるかわからないとのこと。
小さな灯りだけで室内は真っ暗同然、ラジオの音が響く室内で
5人でテーブルの灯りを囲んでいました。
大小の余震が頻繁に起こっていました。
18時40分ごろカギっ子ちゃんママが到着。
勤務する病院も停電で、病棟の食事の配ぜんを職員がバケツリレーの要領で済ませてきたとのこと。
パパは仙台出張中で、帰れなくなって泊まることになったそうです。
仙台はここからは高速バスで50分くらいで、通勤・通学する人も多いです。
距離は結構あるので、こうなると家族の方は心細いですね。
前日に生協の共同購入で箱買いしたカップラーメンをお土産に持たせました。
私たちもカップラーメンを食べ、冷凍チャーハン&熱湯で20分温める赤飯も少しプラスしてお食事終了。
停電でボイラーが動かないため給湯も
日ごろ子供たちは2段ベッドで寝ていますが、
大人と一緒のほうがいいと思い、長男は義母と、次男は私と寝ることになりました。
しかし・・・2階は地震発生時のまま
散乱したCDやら書類、置物などを片づけるのに1時間ほどかかりました。
21時過ぎ、仙台の長男から携帯に電話が。
アパートの部屋が揺れのため水浸しになったので、避難所に泊ることにしたそう。
眠れないんだろうな・・・
私の携帯からは通話は発信はできないけれど受信はできるのかも
携帯会社によっても違うのかな・・・長男はi-phoneだけど。
ドコモってこういう時どうなんだろう
室内がずいぶん冷えてきたのと、いつどうなるか分からないため
服を着て、カイロを持ち、懐中電灯を枕元において布団に入りました。
ラジオで伝えられる太平洋側の様子を聞きながら、不安でドキドキが止まりませんでした。
夫が帰宅したのは深夜1時過ぎ。
朝も早く出勤するというので、目覚ましをセットして寝ました
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大震災の日のことを記録しています。前回の続きです。
この日は雲が厚く雪模様でした。
部屋に入ると4時でも薄暗く、懐中電灯やキャンプ用のランタンを出しました。
単1の乾電池を入れ直し、使えることを確認。
いつも聞いているラジオは乾電池でも
停電していても、幸いなことにガスは個別プロパンなので
携帯電話は
通話はもちろん、災害伝言板にもつながりませんでした。
実家と京都の弟に無事の報告、
仙台に住む義理の息子の安否確認しました。
息子は24歳、夫の連れ子で長男、仙台で就職して暮らしています。
街の中心部に職場があって、無事とのことでしたから、まず安心しました
若干興奮気味の子供たちにおやつを食べさせて落ち着かせ、学校での様子を聞きました。
それから、物置から災害用に用意してあった反射式の石油ストーブを出してきました。
新品ですが、保証書を見ると、1996年に購入したもの。
灯油をタンクに入れるのにしばらくかかり(ポンプの使い方がいまいちわからず)、
点火するにもひと苦労。
乾電池が古くなっていたようで、新品に替えたらすぐ点きました。
ランタン、懐中電灯、ストーブの入れ替えで、単1だけでも十数個使いました。
たまたま家にありましたが、買い置きが大事と思いました。
その間も強い余震が続き、日没時間となり、部屋の中はストーブの灯りとランタンとろうそくのみ。
余震があるとろうそくは危険なので、台所のコンロの傍に置きました。
ラジオでは大惨事となっている様子が報じられ、心配でたまりませんでした。
ガスの無事を確認してからやかんでお湯をわかし、魔法瓶に入れたり、
ほうじ茶を水筒に入れたり・・・
この場所だからできることだと感謝しつつ、ラジオの情報を聞いていました。
隣家のカギっ子ちゃんのママから5時過ぎに
まだしばらく帰れないのでよろしくとのこと。
ママは総合病院勤務なので、すぐには出られないだろうけど、
必ず来るから、と言ってカギっ子ちゃんを落ち着かせました。
続きはまた後日
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震災当日のこと・・・思い出すまま時をおって記録します。
その日は朝からPTAの打ち合わせや買い物などで外出しました。
同居の義母も出かけたので家では
それでも15時からの小学校の下校時の安全パトロール当番でしたから
14時20分ころに帰宅して、買い物を片づけたりビッキーにお昼ご飯をあげて、
2階の部屋でラジオを聴きながら学校へ行く準備をしていました。
ビッキーはもう自分では階段の上り下りができないので、
10分くらいになる時は連れ歩いていて、その時も一緒に2階にいました。
ビッキーはハウスでお昼寝態勢
携帯電話のけたたましい音、ラジオの緊急警報と前後して
経験したことのない揺れが襲ってきました。
自分の寝床にいたビッキーを呼び、抱えました。
テレビの電源も自動で入って警報画面が出ましたが、すぐに停電となりました。
揺れはいつまでも続き、テレビが(ブラウン管式のアナログテレビ)揺れとともに
テレビ台から落ちそうになって、空いている方の手で押さえました。
テレビの上の置物やキャビネットに置いていたDVDボックスはドサドサ飛んできました。
そしてさっきまでビッキーがいたハウスのすぐ横にあるCDキャビネットから
おびただしいCDがその上に次々落ちました。
もし、そこにいたら、と思うとぞっとしました。
いつまでも激しい揺れが続いて、これはたいへんなことになったと思いました。
9日の地震の関連だと直感しましたが、
間もなく下校時刻になる小学校に行かねば、とまずそれだけを考えました。
大きな揺れは収まっても断続的に小さな揺れは続いていました。
ぶるぶる震えているビッキーを抱いて、1階におりました。
2階に比べるとほとんど変化はなく、ひとまず安心しました。
いつもはビッキーは留守番ですが、まだ揺れは来ると思い、
手提げバッグに入れて雪のなか学校へ向かいました。
築100年近い木造の本堂(我が家はお寺、夫は住職です)と位牌壇が気になりましたが
帰宅してからでも、と思い出かけました。
本堂の横を通ると、余震でガラス戸がガタガタいって、
倒壊したらどうしよう・・・と心配でした。
小学校は家から徒歩3分。目の前の県道を横断してすぐです。
着いてみると学校は異常なくらいの静けさ。
緊急車両のサイレンが聞こえていました。
事務の先生が外に出てきて、子供たちは体育館に全員避難していること、
全校一斉下校とし、通学班で教諭がついての下校となること、
人数の把握ができなくなるので、車で連れ帰らないで歩かせてもらいたいこと、
大きな余震が続いているので、もうしばらく様子をみることを教えてくれました。
下校まで30分ほどかかりそうとのことでしたが、
ほかの保護者の方とも「下校中の地震でなくてよかった」と話しながら
揺れが続くなか外で待っていました。
子供たちは15時40分ごろ外に出てきました。
5年生の長男は唇まで真っ白で血の気がありませんでした。
低学年や女の子は泣いている子も多く、みんな無事に家に帰って・・・と思いました。
私は自分の子供たちの班の最後尾を歩いて自宅へ帰りました(通学路を通ると10分かかります)。
停電のため信号が消えていて、教諭が横断旗で車を停めて子供を横断させていました。
となりの家の4年生のカギっ子ちゃんが心配で、その子もわが家に連れ帰り、ママにメールしました。
本堂ではご本尊で市の文化財にも指定されている阿弥陀様が台座から落下、
位牌壇では金レンゲ(高さ20センチくらい)が多数落下、
お厨子が一基高い段上から飛んだらしく、
向かい側のお厨子の前机を壊して落下していました。
落下は免れても動いていたものも多数ありました。
それでも、ぼろぼろで雨漏りだらけの本堂は崩れることもなく建っていてくれて
阿弥陀様が代わりになってくれたかと思いました
阿弥陀様は銅製で目立った破損はありませんでした。
続きは後日また
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