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豊臣家を滅ぼすために、徳川家がイチャモンをつけた、あの有名な方廣寺の鐘の絵葉書です。 現在の写真もつけました。実際の「国家安康」の文字はそんなに大きくはないので、絵葉書の文字はわかりやすくするために印刷時に修正を加えたものでしょう。
ははは、これはわかりやすい!
2006/4/23(日) 午前 7:33
明治初期の京都の彩色写真を紹介した本「彩色の京都」にも載ってましたね.当時は鐘楼がなく野ざらしでした・。中々面白い本ですよ.
2006/4/24(月) 午前 9:38 [ べーさん ]
図書館で借りて見ました。他に、京を語る会の『京都慕情』にも同じような写真が載ってたように思います。その本の解説だったか、方廣寺の前の耳塚のあたりは当時は結構危ない地域だったとあったような。江戸時代は寂れていたのですね。
2006/4/24(月) 午後 9:58 [ 内蔵助 ]
方広寺方広寺(ほうこうじ)は、京都市東山区にある天台宗山門派の寺で豊臣秀吉により建立された。大日如来、大黒天を祀る。天正14年(1586年)秀吉により奈良東大寺に倣った大仏殿の造営が開始され、文禄4年(1595年)に完成した。東大寺の大仏より大きい18mの大きさであったという。しかし慶長元年(159
2007/3/2(金) 午後 4:45 [ 京都の宴 ]
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ははは、これはわかりやすい!
2006/4/23(日) 午前 7:33
明治初期の京都の彩色写真を紹介した本「彩色の京都」にも載ってましたね.当時は鐘楼がなく野ざらしでした・。中々面白い本ですよ.
2006/4/24(月) 午前 9:38 [ べーさん ]
図書館で借りて見ました。他に、京を語る会の『京都慕情』にも同じような写真が載ってたように思います。その本の解説だったか、方廣寺の前の耳塚のあたりは当時は結構危ない地域だったとあったような。江戸時代は寂れていたのですね。
2006/4/24(月) 午後 9:58 [ 内蔵助 ]