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上毛かるた紀行 10枚目の札「こ」は、「心の燈台、内村鑑三」です。 内村鑑三さん。上毛かるたで名前は知っていますが、 どんな方か全く知りません。 しかし、上毛かるたに登場する人の中ではかなりの有名人だそうです。 早速、調べに行ってみましょう。 内村鑑三は、高崎藩主内村宣之の長男として江戸の小石川で生まれました。 その後、高崎藩英学校に入学。 卒業後、東京大学予備門を経て、札幌農学校に二期生として入学。 同級生には、新渡戸稲造がいます。 札幌農学校で、クラーク博士と出会います。 ここで、半ば強制的にという話もありますがキリスト教に改宗。 画像は長野県軽井沢にある「石の教会 内村鑑三記念堂」です。 群馬の旅も碓氷峠を越え、長野県まで来ました。 その後渡米、拝金主義、人種差別の蔓延るキリスト教国の現状に愕然とします。 4年後に帰国、新潟や東京で教鞭をとります。 明治24年、第一高等中学校(現東大)の教師をしている時、事件が起きます。 天皇親筆の署名に対し最敬礼をしなかったとして、同僚、学生から非難を受けます。 「内村鑑三不敬事件」です。敬礼はしたのですが・・・最敬礼はしなかったようです。 事件をきっかけに退職。 熊本、名古屋、京都。各地の英学校で教鞭をとります。 この時代は、流浪、困窮の時代です。 しかし、この時代に名著を残しています。 「余は如何にして基督信徒となりし乎」は、世界的にも有名だそうです。 石碑に書かれているのは、 「われは日本の為、日本は世界の為、世界はキリストの為、万物は神の為に」 という言葉です。 内村鑑三愛用の聖書に「わが墓に刻印されるべき事」として書かれていたそうです。 石の教会が見えてきました。 観光客が入れるのは、地下にある記念堂。 裏口から入ります。 内村鑑三は生涯、「二つのJ」を愛したそうです。 一つは「ジーザス」、もう一つは「ジャパン」。 祈念堂の中に、直筆の書がありました。 大正12年、軽井沢の別荘で勉強していると 旅館から宴会の騒ぎが聞こえてきました。 内村鑑三は、「この国賊ども!」と怒鳴りつけ、 数日後、この書が旅館(明星館)に届けられたそうです。 記念堂から教会の中に昇る、石の階段です。 結婚式が終わると、次の式まで見学してよいそうです。 教会内は、幻想的な雰囲気。 石は男性、ガラスは女性をイメージしているそうです。 ちなみに撮影禁止です。 この美しさ、写さずにはいられません。内村先生ごめんなさい m(−−)m 外に出てみましょう。 先ほど結婚式を終えた新婚さんです。 教会を正面から見ると、こんな感じです。 石のトンネルを抜け、披露宴会場へ。 お二人ともお幸せに! 無教会主義、非戦論、聖書研究。 生涯苦悩し「二つのJ」を愛した内村鑑三。 ここまで知ると、内村鑑三先生と呼びたくなります。 群馬にもこんな偉人がいました。 無宗教の僕ですが、世のため人のため生涯をささげた 偉人との出会いでした。 群馬の旅 上毛かるた紀行11枚目の札「さ」は、「三羽石と共に名高い、冬桜」です。 咲いてないだろうな〜。
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上毛かるた紀行 か行
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上毛かるた9枚目の札「け」は、「県都前橋、生糸の市」です。 群馬県の県庁所在地、前橋市。 県都ということで、先ずは県庁に行ってみましょう。 前橋市は人口31万人。 県の中心ですが、明治維新の頃から高崎市との確執があります。 出ました、32階建の県庁。 手前にある3階建ての古い建物が、昭和庁舎。 昭和と平成でこんなに庁舎が変わりました。 税金は大切に使いましょう。 吹き抜けの玄関ホール、豪華です。 中に鯉のぼりが飾ってあります。 群馬県のマスコット「ぐんまちゃん」がお出迎え。 更に昔はこの建物が県庁舎でした。 明治維新の頃、県庁は高崎市にありました。 しかし関係部署の建物が高崎市内に点在していた為、 明治政府も不便さを感じていました。 生糸の輸出業で財を成した初代前橋市長 下村善太郎が、 前橋市に県庁を置くことを明治政府に提案。 明治政府はこれを承認、以後群馬県の県庁所在地は前橋市となりました。 納得の行かないのが高崎市。 現在に至るまで両市は何かと張り合っています。 県庁の近くにある敷島公園バラ園に来ました。 園内には、前橋市蚕糸記念館があります。 桐生市の桐生織りを以前紹介しましたが、 前橋市は生糸工場が多くあったようです。 群馬県は、生糸と織物で栄えた県なので、桐生、前橋の他 伊勢崎、富岡などの札も絹織物にまつわるものとなっています。 まだバラには時期が早いようで、数本しか咲いていませんでした。 園内の一番奥に蚕糸記念館があります。 今は資料館ですが、昔は蚕と繭の研究所でした。 現在は茨城県の筑波学園都市で研究が続けられています。 それでは中に入ってみましょう。 しかし中はおそらく皆さんの大好きな、お蚕様と繭玉のオンパレード。 写真の掲載はやめておきましょう。 恐怖の光景を後にして、周辺の散策をしましょう。 この建物は、グリーンドーム前橋。屋内競輪場です。 コンサートやイベント会場としても利用されています。 臨江閣別館。 明治43年、前橋市で開催された1府14県連合共進会の貴賓館として建てられました。 2階は180畳の大広間。 庭は広大な日本庭園。 庭園にはたくさんの花が咲き、家族連れでにぎわっていました。 こうしてかるた紀行をしていると、群馬県は繭と生糸で発展した県だと つくづく感じました。 上毛かるた紀行 10枚目の札「こ」は、「心の燈台、内村鑑三」です。
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群馬の旅 上毛かるた紀行、八枚目の札「く」は、 「草津よいとこ、薬の温泉」です。 温泉と書いて「いで湯」と読みます。 草津温泉(こちらは、おんせんと読みます)は、長野県との県境。 草津の先にある白根山を越えれば、志賀高原や菅平のある長野県です。 ババンバ、バンバンバ! ハー、ビバヌンノン♪ 車中も愛妻とノリノリで〜、草津温泉に〜行ってみよ! 草津温泉と言えば、湯畑、湯の花、湯もみです。 先ずは、湯畑。 湯畑の周りには、旅館やお土産屋さんが並んでいます。 そこに目立たないようにいるのが、和風のセブンイレブン。 建物も和風なら看板も茶色。景観に合わせているのでしょう。 車を駐車場に停め、外に出れば温泉街特有の硫黄泉の香りです。 そして↓が湯畑です。 手前にあるのが上流、湧き出る温泉です。 下流に並んでいる木箱に湯の花が溜まる仕組みになっています。 木箱に溜まった湯の花を採取します。 湯の花とは温泉の成分の事で、これを普通のお風呂に入れ温泉の効能を得ます。 湯の花が取れる事から、湯畑と言います。 湯畑の周りはロータリー状になっていますが、岡本太郎がデザインしたものです。 昭和35年まであった、貴重な柵はこの時取り壊されてしまいました。 木箱で湯の花を採取した更に下流は、温泉の滝となっています。 豊富な湯量を誇る、草津温泉ならではの光景です。 滝壺は、昭和35年までは「大滝の湯」と呼ばれる共同露天浴場でした。 贅沢な露天風呂だったことでしょう。 夜はライトアップされ、温泉情緒も更にアップします。 浴衣に下駄で、カラコロと散歩する人で賑わいます。 草津の湯は、強酸性、泉温は53.9です。 長く入ると強すぎるので、旅館の人に注意された事もあります。 肌の弱い方は要注意です。 また、温泉から出る前にシャワーで成分を流さないと、下着の色が変わる事もあるそうです。 白根山に降る雨の量で、泉量が変わるそうです。 湯畑はこの辺にして、早速温泉に入ってみましょう。 数ある中で選んだ旅館は、益成屋さん。 貸切風呂があったので、選びました。 お値段は、二人で1時間3000円。 お手頃でしょうか。 歴史を感じる館内。すいていましたが、良い感じです。 奥さんに案内され、3階にある貸切風呂へ。 大人の雰囲気のある行燈。 何かを期待してしまうのは、僕だけでしょうか・・・ですね。 薄暗く静かな廊下を進んでいくと、お風呂がありました。 あとは言う事なし。草津の湯に入れば、疲れは何処かへ。 ここにも湯の花が、咲いています。 良い湯です、草津の湯。 皆さんも是非一度試してください。 草津の湯を発見したのは、源頼朝だといいます。 頼朝が巻狩りをしに浅間山に来た時、朽ち果てた草津の源泉を修復。 自ら温泉に入ったとの事です。定かではないそうですが。 頼朝から湯本の性をもらった細野氏が、草津の地頭となり 後の戦国時代では、真田に武田、秀吉、家康。当時の有名人に 草津の湯を送ったり、勧めたりしたそうです。これは、書状も残っているそうです。 それでは、湯もみに行ってみましょう。 湯もみの実演ショーをしている、「熱の湯」さん。 しかし、10時30分〜4時まではやってません。 完全に泊り客用のショー。 4時まで待つか、見ないで帰るか。 4時までいると家に着くのは、8時か9時。 ワンコ待たせすぎ。 あきらめかけたその時、「湯もみ体験、200円」の看板が立ちました。ラッキー(^^) お金を払って中へ。 舞台も、客席もガラガラ。一組の夫婦が、湯もみ中です。 「湯もみ」は、熱すぎる湯を冷ますため、板で湯を回す作業の事です。 この時あの歌を歌います、「草津よいと〜こ〜、いちど〜は〜おいで〜、ドッコイショ〜」 僕も師匠に教わりながら、やってみますがナカナカ難しい。 それに引き換え、師匠の上手な事。 僕も師匠に負けず、全速で湯もみ! 二人で全速湯もみ! 師匠はふとやめてしまい、僕だけ続けます。 僕 「いつまでやるんですか!」 師匠 「・・・」 更に続けると、 師匠 「無理しないでね」 やっと開放され、疲れが・・・腰が・・・。 追い立てられるように裏口から出され、湯もみ体験終了。 湯もみも無事終わって、草津温泉極楽偏はこの辺で。 見せ場が多いのか、編集が悪いのか。 後半の草津温泉歴史偏に続きます。 |
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上毛かるた紀行 七枚目の札は「桐生は日本の機どころ」です。 西陣、友禅その他有名な着物、帯の産地がある中 「桐生は日本の機どころ」、大きく出ました桐生市。 その歴史は、如何なるものか。 それでは早速、桐生市へ行っていましょう。 渡良瀬川です。 群馬県を走る国道は、東京と新潟を結ぶ国道17号、 茨木県水戸市と群馬県前橋市を結ぶ国道50号。 桐生市を走るのは、群馬県のほぼ中央にある国道50号です。 国道50号を右折、森高千里の「渡良瀬橋」で有名になった、渡良瀬川を渡ると桐生市街です。 写真の橋は、「錦桜橋」。 錦桜橋を渡ると桐生市のメインストリートに入っていきます。 かつて織物で栄えた桐生市は、現在も商店街が賑やかで 歴史の名残を感じる古い建物も、多く残っています。 市内には、機織りに関する資料館がありますが、 こちらは、桐生織物記念館です。 この建物は、昭和9年に建築。当時の桐生織物同業組合事務所です。 中に入ってみましょう。 昔懐かしい、木造校舎の様な館内。 入り口付近は、桐生織りの帯が展示してあります。 販売もしています。 桐生織りの説明書きです。 映りが悪いので補足。 桐生織りの起こりは1300年前です。 関が原の戦いでも、旗として使われていました。 展示室には着物や浴衣の端切れ、民芸品なども販売されていました。 機織り機も3台展示してあり、 その中の1台、ジャカード機です。かなり大きいです。 館内2階にも織物関係の組合や事務所があるだけで、他には何もありませんでした。 市内をもう少し、見て見ましょう。 のこぎり屋根の工場です。 織物が盛況だった頃の、機織り工場です。 現在では、再利用されアトリエやショップになっています。 こちらは、レンガ造りの工場(旧金谷レース工業)をパン屋さんとして利用しています。 店内は、とても混んでいました。 レンガ作りの他、石造り、木造。様々なのこぎり屋根の工場があります。 歴史のある桐生織りですが、知ってる方はいるのでしょうか?ちょっと不安になりますが。 昔、京都西陣織に対抗するべく京都に進出したようですが。 最盛期は、大正から昭和初期ようで、昭和四年には福井県に次いで全国2位の 生産高を誇りました。 戦後も、全国競技会優勝などありましたが、昭和52年の「伝統的工芸品」に指定され 現在に至ります。 残る観光スポットはと、桐生市のパンフレットを見ると 「明治館」と「彦部家住宅」があります。 帰りに寄りたい美味しいラーメン屋さんは、「彦部家住宅」方向にあるので 彦部家によってみましょう。 初めて聞いた、観光スポット「彦部家住宅」。豪農の家かな? 拝観料500円を払い中へ。ガイドさんの説明付です。 一時間近く案内してもらえるので、耳での記憶に頼った記事になります。 詳しくは、 www.hikobeke.jp 国の重要文化財の指定をうけています。 現在も、49代目の当主の方が住んでいます。 初代は、天武天皇の御長男、高市親王。次期天皇です。 応仁の乱でも大活躍。 しかし、義母に反対され即位断念。義母が女性天皇となります。 平安、鎌倉、戦国時代。何代も続く高級武家として彦部家は栄えました。 時は、秀吉の世。刀狩に遭い都落ち、桐生の地に居を構えます。 有名人も遊びに来ています。 福沢諭吉の直筆の書です。 「心法は、唯だ思う無きところに在り」と書いてあります。 大切なのは我侭を言わず、辛抱する事。自分を思うな。という意味だそうです。 孔子の教えからだそうです。 桐生城の殿様も遊びに来たようです。 家の中に殿様専用の馬小屋と馬のご飯専用のかまど。 リビングの横に社長専用ガレージとガソリンスタンド併設! 昔の接待はすごいです。 昔の織物の注文書のコピーです。 原本が証拠となり、重要文化財の指定を受けました。 母屋裏の竹やぶです。 この竹を切り、桐生織りの旗を家康に献上。 関が原で大勝し、家康大喜び。 褒美は、江戸幕府が倒れるまで彦部家は租税無料だったそうです。 時は大正時代、彦部駒雄氏が家長の時代。 代々、薬や染物の研究をしてきた彦部家が機織りで成功します。 駒雄氏は、桐生織物同業組合の会長となり、桐生の機織りを世界に送り出します。 これは、裏庭に祭られているお墓です。 足利尊氏の十代前(250年前)の人を祭ったものです。 千年以上経っているでしょう。 狛犬も迫力の形相で、今も桐生市を見守っていることでしょう。 群馬の旅 上毛かるた紀行。八枚目の札は「草津良いとこ、薬の温湯」です。楽しみ!
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上毛かるた紀行 6枚目の札「か」は、「関東と信越つなぐ高崎市」です。 現在高崎市は、県庁所在地前橋市を抜き、人口は群馬県一となっています。 絵札では、鉄道路線が描かれているので高崎駅を目指します。 それでは群馬県一の大都市、高崎市に行ってみましょう。 着きました、高崎駅!人、少なっ! 高崎市民の名誉の為にも、少し説明を。 こちら駅東口はビルが立ち並び、撮影した日は日曜日で人はまばら。 反対側の西口は、デパートや商店の並ぶ繁華街。こちらは賑わっています。 人もまばらな東口に、そびえたつのがこちら! 群馬県特産のヤ○ダ電気さん。しかも特大! 今や全国区となりましたが、ヤ○ダ電気さんは群馬県の生まれです。 駅前は、他に特徴もないので、駅の中に入ってみましょう。 高崎駅は、新潟(上越)、長野(信州)への分岐点になっています。 かつては「碓氷峠の関所跡」で、紹介した信越本線で長野を目指しましたが。 長野新幹線の開通で、廃線となりました。 新潟方面には、MAXたにがわ号&MAXとき号。 二階建て新幹線です。 長野方面には、あさま号。 高崎市は、高速道路も新潟方面(関越自動車道)と長野方面(上信越道)があり かるたの通り、関東と信越をつないでいます。 絵札にある卍は、長野県の善光寺です。 高崎駅は、これくらいにして市庁舎でもいきましょうか。 一昔前の、資生堂の日焼け止めの容器のような市庁舎。 何度見ても、僕にはそう見えます。 最上階は、展望台になっています。 行って見ましょう。 21階最上階です。 遠くに見えるのが、谷川連邦。 その先は、新潟県です。 建物の低さは流石、群馬県です。 群馬県には、二ヶ所の動物愛護団体があります。僕の知っている範囲ですが。 一つは館林市。 もう一つはここ、高崎市にあります。 「アニマルランド」さんです。 迷い犬、捨て犬の保護と里親さんを探す、里親さんのレクチャーもする団体です。 すべてボランティアで運営されています。 最近、ワンニャン救済の記事を目にしますが、 こうしたボランティアの方達の努力で、 助かる命もあるんだなと、つくづく思います。 今回ご紹介した高崎市は、近代と現代が重なる街です。 上毛かるたでも多くの場所、歴史が紹介されています。 このお寺さんの境内にも、見事な桜が咲いていました。 上毛かるた紀行、七枚目の札「き」は「桐生は日本の機どころ」です。
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