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どうも、最近失敗続き。 再UPします! 群馬の旅 上毛カルタ紀行 25枚目の札 「の」は、 「登る榛名の キャンプ村」 です。 みなさん、こんばんは! 榛名山、皆さん知ってますか〜? そんなに有名ではないか。 TV等で見たことくらいはありますか? 伊香保温泉を従える榛名山。 夏は、登山にキャンプ。 冬は、榛名湖でのワカサギ釣りやスケートが楽しめます。 それでは行ってみましょう。 榛名山は1400メートル級の山々の総称で、 「榛名山」と言う山は無いそうです。 写真の山は「榛名富士」。形が富士山の様に綺麗です。 もう雪が少し積もっていました。 絵札には、榛名富士をバックにボートを楽しむ若人が描かれています。 しかし寒い! 時刻は、夕方4:30.気温マイナス1℃! 冬は、キャンプをする人もいませんが 榛名山では3年前からイルミネーションフェスタが催されています。 ライトアップは、5時からです。 車は渋滞、沢山の人が訪れていました。 すっかり辺りは暗くなり。 少々盛り上がりのかけるカウントダウンの後・・・ 点きました!。 子供は風の子、寒さも何のと楽しんでいます。 最近のイルミネーションブームのせいか、 「これ最近発売したヤツだ」とか、「これは結構安い」等、 自作イルミネーションの参考している人達の 会話も聞こえてきます。 イルミネーションは、綺麗だけど寒い! こちらは榛名湖を飾るイルミネーション。 近くの伊香保温泉では、イルミネーションツアーを 企画するホテルも沢山あります。温泉入りたい! 橋の上にあるハートのイルミネーション。 彼女を立たせて、記念撮影!そんなカップルも沢山いました。 僕も愛妻ちゃんを撮影!と思ったけど 愛妻ちゃんは寒さに勝てず、 すでに車の中・・・ それにしてもこの寒い中、沢山の人が イルミネーションフェスタを観に来ていました。 この混雑、 数年前の冬の榛名には、無かった光景です 夏の榛名湖は、風が涼しく避暑には最高です。 近くには、榛名神社、伊香保温泉(こればっかり)、水沢うどん。 グリーン牧場もあります。 昭和十五年には、高峰三枝子の「湖畔の宿」という曲もヒットしています。 榛名周辺は観光地として、県民からも親しまれています。 イルミネーションフェスタは、12月27日まで、やってます! お近くの方は、是非入ってみてください。 群馬の旅 上毛カルタ紀行 26枚目の札 「は」は、 「花山公園 つつじの名所」です。 咲いてないだろうなぁ〜(^^;
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上毛かるた紀行 な行
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コメント(28)
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この記事は、失敗ですが コメ頂いたので、削除せずにいます。 次の記事を読んでね! 群馬の旅 上毛カルタ紀行 25枚目の札 「の」は、 「登る榛名の キャンプ村」 です。 みなさん、こんばんは! 榛名山、皆さん知ってますか〜? そんなに有名ではないか。 TV等で見たことくらいはありますか? 伊香保温泉を従える榛名山。 夏は、登山にキャンプ。 冬は、榛名湖でのワカサギ釣りやスケートが楽しめます。 それでは行ってみましょう。 榛名山は1400メートル級の山々の総称で、 「榛名山」と言う山は無いそうです。 写真の山は「榛名富士」。形が富士山の様に綺麗です。 もう雪が少し積もっていました。 絵札には、榛名富士をバックにボートを楽しむ若人が描かれています。 しかし寒い! 時刻は、夕方4:30.気温マイナス1℃! 冬は、キャンプをする人もいませんが 榛名山では3年前からイルミネーションフェスタが催されています。 ライトアップは、5時からです。 車は渋滞、沢山の人が訪れていました。 すっかり辺りは暗くなり。 少々盛り上がりのかけるカウントダウンの後・・・ 点きました!。 子供は風の子、寒さも何のと楽しんでいます。 最近のイルミネーションブームのせいか、 「これ最近発売したヤツだ」とか、「これは結構安い」等、 自作イルミネーションの参考している人達の 会話も聞こえてきます。 イルミネーションは、綺麗だけど寒い! こちらは榛名湖を飾るイルミネーション。 近くの伊香保温泉では、イルミネーションツアーを 企画するホテルも沢山あります。温泉入りたい! 橋の上にあるハートのイルミネーション。 彼女を立たせて、記念撮影!そんなカップルも沢山いました。 僕も愛妻ちゃんを撮影!と思ったけど 愛妻ちゃんは寒さに勝てず、 すでに車の中・・・ それにしてもこの寒い中、沢山の人が イルミネーションフェスタを観に来ていました。 この混雑、 数年前の冬の榛名には、無かった光景です 夏の榛名湖は、風が涼しく避暑には最高です。 近くには、榛名神社、伊香保温泉(こればっかり)、水沢うどん。 グリーン牧場もあります。 昭和十五年には、高峰三枝子の「湖畔の宿」という曲もヒットしています。 榛名周辺は観光地として、県民からも親しまれています。 イルミネーションフェスタは、12月27日まで、やってます! お近くの方は、是非入ってみてください。 群馬の旅 上毛カルタ紀行 26枚目の札 「は」は、 「白衣観音 慈悲の御手」です。
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群馬の旅 上毛カルタ紀行 24枚目の札「ね」は、 「ネギとこんにゃく 下仁田名産」です。 皆さん、こんばんは! 今回はネギとコンニャクで有名な、下仁田町に行ってきました。 とは言え、ネギとコンニャクですからね。 特に感動の秘話や歴史的な出来事がある訳ではないですけど。 国道254線を長野方面へ。 下仁田町の手前、富岡市にあるのがこの会社。 コンニャクゼリーの「コンニャク畑」で有名な マンナンライフです。 窒息事故が相次ぎ、2008年10月8日生産中止を余儀なくされましたが 同年11月26日から再開し、現在はCMも放映しています。 ゼリー自体を柔らかくしたり、クラッシュタイプを開発したりと 事故の再発防止に力を入れています。 いよいよ下仁田町に入りました。 下仁田町に入ると、前を走る車は! コンニャク芋を満載したトラック(^^) コンニャクを食用とする国は、日本、中国、ミャンマー、韓国で、 生産し市場を流通するのは日本だけ。 しかも国内生産の9割は群馬県産! 97パーセントは、北関東産です。 これは群馬の名産と言えますね〜 v(^^) 見ての通り、下仁田町は山間にある小さな街。 この土地がネギとコンニャクに合うんでしょうね〜。 JAがあるので入ってみましょう。 レジの横には県知事賞を受賞したコンニャク芋が。 25kgのコンニャク芋を作った上原さん。 来年は、26kg目指して頑張ってください! そして・・・ 出ました、下仁田葱。 太くて短い下仁田葱は、煮物、鍋物に最適。 栄養価も高く、甘みもありとても美味しいそうです。 関東では白ネギが主流ですが、関西では青ネギが食されるそうです。 下仁田葱は別名「殿様ネギ」とも呼ばれています。 江戸時代、殿様に献上したり 「もしもし殿様ですけど、輸送費はいくらかかっても良いからすぐに持って来て!」 などと言う文書などが残っているからだそうです。 左を見れば、ネギ畑。 右を見れば、コンニャク芋。 どこを見てもネギとコンニャクだらけの下仁田町でした。 真ん中のネギは、普通のネギ。 違いがわかりますか? この後、温泉行ったり冬桜を見たりのカルタ紀行でした。 皆さんもコンニャクを買う時は、産地を見て下さい。 きっと群馬県産でしょう(^^) 群馬の旅 上毛カルタ紀行 25枚目の札 「の」は、 「登る榛名の キャンプ村」です。ヤッホーーー!
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皆様 こんばんは。 久しぶりに行ってきました、群馬の旅。 少々記事が長いと、お友達から御指摘を頂きましたので 今回は短めに(^^)いってみましょう。 群馬の旅 上毛かるた紀行 23枚目の札「ぬ」は 「沼田城下の塩原太助」です。 誰か塩原太助さんをご存知か??? 僕も名前しかしらなし、皆さんは名前も知らないだろうな〜。 と言う事でやってきました、利根郡新治村(現みなかみ町) またまた手作り感の強い資料館。 この蔵の中に資料がありそうです。 蔵の引き戸も開かないし・・・ 隣の建物に入ってみましょう。 隣は、お土産や野菜を売っています。 どうやら、休館中の様です。 唯一資料らしい看板が。 読んでみると・・・ 今から約250年前、この地に生まれた塩原太助は 養子に出され、 19歳の時江戸に出て、炭商人の下で23年間奉公。 その後独立し豪商となります。 戦前には教科書の載るほど立志伝は有名だったそうです。 { 隣接する太助公園 } 塩原太助さんの話は明治時代、三遊亭圓朝の落語となり世に広まります。 その前から随分有名だったようですが、 この噺の本は当時12万部のベストセラーとなったとの事です。 落語ではかなり着色された半生を描いている様です。 義母に迫害を受け、19歳で上京等々。 実際は江戸に憧れ、19歳のある朝草刈に行くフリをして 愛馬「あお」と家を出ます。 他の草刈人達が来る頃、 山の中腹にある松の木に「あお」を繋ぎ、 「あお」と別れます。 今も「別れの松」として残っています。 カルタの札、子供の頃から不思議だったけど 愛馬との別れの場面だったんだ! 別れの松にも行ってみましょう。 かなり細い道を2キロ程登っていくと、 ありました。 誰もいなく、寂しい所でした。 ここで「あお」と別れ、 一人江戸を目指したんだな〜。 あおは無事家に帰れたので、皆さん安心してください(^^) 太助公園の近くに生家があるようなので 戻ってみましょう。 着いたけど、今も子孫の方が住んでいるようです。 「ご自由に御覧下さい」とも書いてないので 入るのは止めておこう。 「子に臥し寅に起きる」と言うほど働いた、奉公時代。 40歳を過ぎて独立し、財を成した塩原太助さん。 お金持ちになっても、贅沢はせず社会奉仕に私財を投じたそうです。 立派な人だな〜。 と、これで取材は終わり。 近くに猿ヶ京温泉があるので寄っていこう(^^) 最近温泉街にもスーパー銭湯が出来ていて、 ホテルの日帰り温泉は空いてます。 こちらのホテルの大浴場も貸切状態〜。 終始一人で満喫しました(^^) ホテルから見える赤谷湖。 ここを流れる赤谷川の工事も太助さんが 当時行ったそうです。 街道の灯篭や常備灯。宿場の整備等幅広く社会福祉に力を 注いだそうです。 義人茂座衛門さんと並ぶ偉い人だな〜。 群馬の旅 上毛かるた紀行 24枚目の札「ね」は、 「ネギとコンニャク 下仁田名産」です。 マンナンライフの「コンニャク畑」も群馬産です。
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群馬の旅 上毛かるた紀行 22枚目の札 「に」は 「日本で最初の 富岡製糸」です。 富岡製糸場は日本で初めて作られた、官営模範機械設置工場です。 鎖国を開いたばかりの日本。 富国を目指し、欧米列強に負けない為 輸出に力を入れます。 当時の日本で輸出できるものは、お茶と生糸。 生産力を高める為に、フランスから技術者を呼び 官営の製糸工場を作り、技術を学んで民間に展開する。 そんな目論見が新政府にはあったようです。 群馬県の西部にある富岡市に来ました。 富岡製糸場は、市街地のど真ん中にあります。 住所は、富岡市富岡1−1。 江戸時代から明治時代に変わって五年。 当時の力の入れ具合を感じさせる住所です。 現在、世界遺産登録に向けて活動が盛んになっています。 暫定リストに登録され、更に関係者は張り切っている様子です。 それでは中に入ってみましょう。 天皇がまだ神だった頃の話ですから、 皇后、皇太后が見学にくるなんて大変な騒ぎだったでしょう。 信州長野松代から工女として働きに来ていた、 横田英さんの「富岡日記」に当時の様子が書かれています。 「神々(こうごう)しき竜顔を拝し奉り、自然に頭が下りました」 「初めは手が震えて困りましたが、心を静めましてようよう常の通りになりましたから、私は実にもったいないことながら、この時竜顔を拝さねば生涯拝すことは出来ぬと存じましたから、能く顔を上げぬようにして拝しました。この時の有難さ、只今まで一日も忘れたことはありませぬ。」 当時の日本人の気持ちがわかる一節です。 台座の石は以前紹介した、三羽石です。 繋がった! こちらは繭の乾燥場。 買い込んだ繭を乾燥させます。 昭和62年まで115年間操業していたそうです。 創設された明治の頃は世界最大規模の製糸工場だったそうです。 こちらは、繭倉庫。 乾燥させた繭を保管します。 僕もそうですが、製糸工場といえば「ああ、野麦峠」を 思い出される方も多いと思います。 劣悪な環境、病気、性的虐待など暗いイメージ強い製糸工場ですが 横田英さんの富岡日記では、そういった事は書かれておらず みなさん楽しく一生懸命技術の習得に励んでいた様です。 興味のある方は、富岡日記を読んでみて下さい。 ここは、フランスから来た女性技術者達の家屋。 ベランダ付きの二階建て。しかし瓦屋根。 当時としては和洋折衷の住宅でしょうが、 現在はこんな感じのアパートが沢山ある気もします。 明治6年にこんな住宅があったなって。 もしかしたら、この住宅が最初だったかも知れません。 ここは敷地内にある診療所。 横田さんのお友達も脚気にかかり、 部屋と診療所を行き来した様子が、日記に書かれていました。 ここは、フランス人技術者ポール・ブリューナの邸宅。 僕が通っていた小学校に似ていて、 懐かしい気持ちがしました。 ブリューナ帰国後、学校として使われていたようです。 排水設備も当時としては、かなり上質に作られていたようです。 工場の裏庭まで来ました。 まだ整備されていない場所が多く、 立ち入り禁止の札とロープがあちこちにあります。 世界遺産になるには、もう少し観覧できる場所が多いと良いかなぁー。 僕は世界遺産が好きで、国内ですけど色々見に行ってます。 近くでは日光東照宮。 姫路城、原爆ドーム、厳島神社、白川郷・・・知床半島。 もうちょっとかな〜、富岡製糸頑張れ! 明治5年には、日本にレンガ作りの技術が無く フランス人技師達が近隣の瓦職人達を呼んで、 レンガ作りの技術を教えたそうです。 埼玉県深谷市は赤レンガの生産地で有名ですが、 当時深谷市の瓦職人達も富岡製糸に沢山呼ばれ、 レンガを作ったそうです。 この時の経験を生かし、深谷市は赤レンガ作りが盛んになったのかも。 と思って調べてみると、 富岡製糸場建設当時、韮塚直次郎(深谷市の瓦職人)が、 尾高惇忠(富岡製糸初代工場長、そして渋沢栄一{日本で銀行を最初に作った人}の従兄)、 の御用達となった。 ちょっとややこしいけど、渋沢>尾高>韮塚。 韮塚さんが尾高さんに呼ばれてレンガを作るようになり、 技術を覚えたお陰で、深谷市でレンガ作りが盛んになったそうです。 ちなみに何度か紹介している碓氷峠の赤レンガのめがね橋も深谷レンガで 作られています。 ちなみにちなみに、東京駅の赤レンガ。 外側は品川レンガですが、構造は深谷レンガです。 深谷レンガは、構造に適しているそうです。 深谷駅も、東京駅そっくりの赤レンガ造りになってます。 裏庭から見える長野の山々。 横田さん(当時17歳)もこの景色を見て、 故郷を思ったでしょ。 横田さんの富岡日記に、こう記してあります。 「翌二十八日は軽井沢を通り、碓氷(うすい)峠にかかりました。旧道でありましたから中々道が悪(あ)しく、飛石や禰石(ねいし)などの難所も思いましたほど難儀ではありません。皆一生の思い出に草鮭(わらじ)をはきたいと申しまして、大かたはきました。名物の力餅のおいしかったことは只今も忘れません。その日は坂本に泊りました。」 長野から馬(馬の背にコタツ櫓を乗せ、二人乗る)に乗り、 16名の13歳から18歳の女性達、お父さんお母さんが一緒に、 四日かけて富岡製糸に来たそうです。 先々週食べた、碓氷峠の力餅。 138年前、横田英さん一行も、しげ屋さんの力餅を食べたなんて。 カルタ紀行も半分まで来ると、色々繋がってくるな〜。 話を戻して、こちらが繰糸工場。 中を覗くと、映画で見る様な風景が・・・ 300台の機械が並んでいます。 機械にはビニールが掛けられていました。 これはパネルですが、当時の様子が再現された写真が ありました。 パネルの下の方に、富岡市立美術博物館蔵と書いてあります。 ビニールの隙間から、機械を撮影してみました。 10代の女性達が親元を離れ、 北は北海道、南は山口県から集まり 日本で最初に出来た、ここ富岡製糸で 技術習得に励んだそうです。 さっきのパネルが気になるので、 富岡市立美術博物館にきました。 大きくはありませんが、綺麗な博物館です。 ありました。 パネルにあった模型。 こんな感じで、働いていたんですね〜。 機械化される前の作業の様子も展示されていました。 「日本で最初の 富岡製糸」 こんな歴史があったんだな〜。 皆さん、その後横田英さんはどうなったと思いますか。 横田さんは、その後一等工女(一番上の位)となり 故郷の長野松代に戻ります。 地元の出資者が製糸工場「六工社」を作り、 横田さんを技術指導者として迎えます。 六工社は盛況。横田さん達の努力が実ります。 全国に戻った工女達。 日本の発展と近代化の礎に貢献したんですね。 時は明治、時代は富国強兵に・・・ そんな時代に六工社の壁にはこんな言葉が掲げられていたそうです。 「繰婦勝兵隊」 よく働く繰婦は、兵隊に勝る。 という意味だそうです。 女性達はいつの時代もたくましい。 そんな事に気付かされる旅でした。 群馬の旅 上毛かるた紀行 23枚目の札「ぬ」は、 「沼田城下の 塩原太助」です。
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