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群馬の旅 上毛かるた紀行 35枚目の札 「も」 は、
「紅葉に映える 妙義山」 です。
皆さん こんばんは!
前回の「め」の札では、遠く離れた神戸に
銘仙が眠っていた事をしりました。
今回は妙義山。
妙義山は上毛三山の一つです。
裾野の長〜い赤城山。
冬のイルミネーションを見に行った榛名山。
そしてここ妙義山。
妙義山は日本三大奇勝の一つでもあります。
大分の耶馬溪、香川の寒霞渓、群馬の妙義山。
奥に見えるデコボコした山が妙義山です。
手前に見えるのが妙義神社。
ちょっと行ってみましょう。
ナカナカ立派な石垣です。
石垣の下で遊んでいる子供と比べると
その大きさがわかります。
ドラマ「天地人」のロケ地にもなりました。
狛犬も立派。
絵札にある風景は、どこに。
絵札には石門とロウソク岩が描かれています。
こちらは妙義神社から更に南下した所にある中之嶽神社駐車場。
絵札の景色を探す前に、こちらの神社も参拝。
結構急な階段を登ると、
ここが中之嶽神社。
岩の下に作ったのか、岩をくりぬいたのか。
変ってます。
中之嶽神社付近から登山すると石門が見られるようで、
調べてみると石門は4門。
地図をみると往復二時間近くかかります。
日が暮れる〜。
今日行くか、出直すか。
今日も格好は普段着。
登山を終えて降りてきた人に話を聞くと、
普段着でも行けると!
ならば行ってみよう!
これ、普段着で登れるの?
靴だって底はツルツルだよ!
愛妻ちゃんはヒールだし、流石に断念。
僕一人で登る事に。
とにかく行って見なけりゃ解らない!
レッツ登山!
登り始めえてすぐに現れたのが、垂直な岩。
名前は「カニのこてしらべ」。
こてしらべ?
序の口って事?
カメラ片手に、岩登り。
何とか登って山道を進むと、見えてきました第一石門。
この石門、どうやって出来たのかわからないけど、
くぐってみればこんな感じです。
絵札の景色とはやっぱり違うな〜。
更に進んでみましょう。
道無き道を普段着で進んでいきます。
靴底が滑る。
次の難関、カニの横ばい。
下は崖。
カメラ片手は危ないけど、折角なので進みます。
ここまででもかなり、しんどい。
心臓はバクバク、運動不足がたたります。
横ばいの後、垂直な登り。
もう片手では限界なので、カメラを置いては少しずつ登ると、
今度は垂直落下。
ここは第二石門。
これ以上は、止めておこう。
危なすぎだし、第四石門にたどり着いても
日が暮れる〜!。
残念、絵札とは違うけど
僕としては妙義山を満喫。
お洒落なセーターも泥だらけ。
自然と遊ぶのも、たまには楽しいです!
下山して愛妻ちゃんの所に戻ろう。
晴れていて景色も良い妙義山でした。
今度はちゃんと用意して札の景色まで
愛妻ちゃんと行きたいな〜。
即リベンジはしないけど。
群馬の旅 上毛かるた紀行 36枚目の札 「や」 は、
「耶馬溪しのぐ 吾妻峡」 です。 |
上毛かるた紀行 ま行
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コメント(28)
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群馬の旅 上毛かるた紀行 34枚目の札 「め」
「銘仙織り出す 伊勢崎市」 リベンジ編です。
皆さん こんばんは!
1回目で銘仙に出会えず、このまま終わろうかどうしようかと悩みましたが
やはりこのままでは終われない。
銘仙に出会いたい!と言うことで
翌週も伊勢崎に出かけてみました。
ここは伊勢崎市にある相川考古館。
相川之賀の生家跡です。
相川之賀は1866年、金物商を営む両親の下に生まれました。
成長し「これからは西洋文化だ!」と言うことで、
単身渡米。
帰国後も公共の為に力を尽くし
伊勢崎郵便局長や伊勢崎市議を努めます。
昭和25年、没しますが
「公共の為に役立てよ!」という願いを長女徹子さんに残し、
徹子さんは之賀の遺志を継ぎ、
自宅を相川郷土館として開設。
平成5年、財団法人相川考古館と改め今日に至ります。
当時のまま残された母屋。
裏には蔵があり埴輪や勾玉が展示してあります。
こちらは、茶室「觴華庵」。
現在も定期的に御茶会が開かれています。
写真では解りづらいですが、
とても凝ったつくりになっています。
こちらは母屋の内部。
当時のまま残されています。
細工の施された襖の奥には、昭和3年当時に作られた
御雛様がしまってあります。
何気なく部屋の隅に
置かれている
これは!
これも!
これはもう末裔の方に事情を説明するしかない!
「上毛かるたの旅をしていますが、銘仙ありますか?」
「あるますよ〜」
やった!ありました。
早速、襖の奥から銘仙を沢山出してくれました。
絣の製法は、絞りに似てますが
絞りは織り上げてから絞り染め。
絣は織る前の糸を絞り染めします。
絞り染めした糸を織り上げ、
模様を作るので、高い技術が
要求されます。
織り上げられた見事な銘仙。美しい!
友禅や総絞り程の豪華さはありませんが、庶民の愛した
銘仙もナカナカ美しい。
こちらも淡いデザインが、
いかにも大正ロマンといった感じです。
子供の頃、絹ではないけど
蒲団カバーやチャンチャンコ、
ネンネコ等の絣の製品が
多くあったのを思い出しました。
別の部屋にも銘仙が展示してありました。
写真では、イマイチ解りませんが
紫の銘仙、とても美しい絹の光沢です。
これは薔薇柄の銘仙。とても凝っています。
そして末裔さん一押しの銘仙。
所有する銘仙の中でも、特に高度な技術が必要となる物だと
教えてくれました。
現在の技術では作れないそうです。
そして、銘仙の話を沢山してくれました。
末裔さんの奥さんは、高崎市の出身で銘仙の事は
知らなかったそうです。
伊勢崎の地に嫁ぎ、お子さんが上毛かるたを
覚えた頃、「銘仙てなに?」と聞かれたそう。
自分でも不思議に思い調べてみると、
何と派手な柄。
銘仙にとりつかれたそうです。
地元の銘仙を集め、考古館でファッションショーを開いたり、
銘仙を着て街を練り歩くイベントを開いたりと、
銘仙の魅力を広めているそうです。
江戸時代、残り糸から自分達の着物を織り始め
時と共に技術が向上。
安価さ手軽さから世に広まり、
柄の派手さから関西方面でも人気となって
日本中に広がった銘仙。
第二次大戦中、銘仙はモンペへと姿を変えますが、
終戦後復活。
昭和30年頃になると、ウールが台頭し
銘仙は急激に衰退していきます。
考古館のお土産コーナーで、
反物が25000円で売っていました。
光沢のある緑鮮やかな銘仙。
縫い賃を入れても50000円程度だそうです。
いつか愛妻ちゃんに着て欲しいなと思いました。
群馬の旅 上毛かるた紀行 35枚目の札 「も」 は、
「紅葉に映える 妙義山」です。
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群馬の旅 上毛かるた紀行
34枚目の札「め」は、
「 銘仙織り出す、伊勢崎市 」です。
皆さん、こんばんは!
多胡の古碑から間があいてしまったかるた紀行ですが、
皆さんご機嫌いかがですか?
銘仙。
皆さんご存知でしょうか?
江戸、明治、大正、昭和。
時代を超えて一世を風靡した銘仙(めいせん)を訪ねる今回の旅。
それでは、行ってみましょう!
上毛かるたに度々登場する織物。
桐生に並ぶ織物の産地である伊勢崎市に来ました。
ここは伊勢崎織物会館。
あいにく、土日は休み。この日は日曜日で誰もいませんでした。
着物の事など全く知らない僕なので、
次はどこへ行こうか。
古いものが展示して
あるかと思い入りましたが、
銘仙は、ありませんでした。
銘仙探しの前に、この辺で銘仙の説明を少々。
銘仙とは、江戸時代に埼玉秩父や群馬伊勢崎で織られた絹織物で
太い練り糸で織られた織物、太織(ふとり)の事です。
銘仙は絣の技法が用いられ、伊勢崎絣(かすり)と呼ばれています。
伊勢崎、秩父以外でも足利、結城、八王子等でも絣の着物は
盛んに生産されていました。
と最後に行ったのが
「絣の郷」。
ここは、旧伊勢崎女子高を
活用したコミュニティー広場。
車を降りると何やらにぎやかな音楽が!
カラオケか・・・
社交ダンスだ!
絣だけでなく、他の団体も利用しているようです。
中に入ると、螺旋階段が。
階段の下に置かれている
織機が一台。
無造作で、展示と言う
雰囲気は無し。
受付の人に、絣の展示会場はあるかと訪ねると
三階にあると教えてくれたので、早速三階へ。
狭いスペースですが、絣の製造過程の写真や
道具が展示してありました。
この写真は、当時の機織の様子。
絣の着物を着て、絣を織っています。
銘仙、絣、太織。
名前が沢山出て来て、複雑になっていますが
元々絣を始めたのは、インド。
インドからタイ、インドネシアへ渡り
日本へは琉球から伝わりました。
日本三大絣は、伊予、久留米、備後。
更に各地に広がっていきます。
三大絣に使用されたのは木綿。
絹は、琉球、結城、大島。
麻は、越後、小千谷、能登。
地方によって使用される素材も変わって行きます。
伊勢崎はどうかと言うと、勿論絹。
養蚕が盛んだった群馬では、
余った生糸やくず糸を使って着物を織るようになって行きます。
徐々に技法も高まり、閑農期には盛んな産業として発展していきます。
江戸時代、太織は人気商品となり
家庭で自分達の着る着物を織っているだけでなく
商品として流通していきます。
明治に入り更に技術は発展し、「素朴な味わい」から
「洗練された絣模様」へと発展していきます。
伊勢崎絣は経糸が多く緻密な事から、「目専」「目千」とも言われ、
銘仙の語源になったと言われています。
こちらが展示してあった伊勢崎絣。
この二着だけです。
これでは銘仙を語れません。
かるた紀行心臓破りの丘(古い?)
34枚目にして目的を十分に果たせない。
更に探求を進め、「銘仙織り出す、伊勢崎市」
後半へ続く。
2週間、かかってます・・・
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群馬の旅 上毛かるた紀行33枚目の札「む」は、「昔を語る 多胡の古碑」です。{桃です}
みなさん こんにちは。
今回は、高崎市吉井町にある「多胡の古碑」を見に行ってきました。
多胡の古碑ってなんだろう?
子供の頃、意味も解らず取っていた札の一枚。
それでは、行ってみましょう。
こちら多胡古碑記念館です。
朝早かったこともありますが、
貸し切り状態です。
迎えてくれました。
館内には、多胡の古碑の
模型がありました。
西暦711年に書かれた物
だそうです。
日本最古の古碑は、
京都宇治川にある
宇治川橋断碑。
宇治川に橋を掛けたよ、
と書いてあるそうです。
多胡の古碑には、
こんな事が
書いてあります。
多胡郡を新しく作るよ〜、
と言う事が書かれています。
これを原本にして
印刷していたんですよ。
解りやすく当時の生活を紹介していました。
こちらは、当時の服装。
試着できるので、コスプレ好きの方は是非!
皆さん覚えてますか?
子供の頃、学校で習った
昔の税。
租は、いわゆる所得税。
当時は3%、
うらやましいです。
租は役所に。
次の庸は、都へ。
特産物等を納めていました。
段々税金が増えて来ました。
お次は、調。
都で一年に10日間働く。
行けない人は、
麻布を納める。
ドンドン厳しくなりますね〜。
その他にも、
雑ヨウ・・・地方の役所で一年に60日働く。道路工事など。しかも食事は自分持ち。
仕丁・・・都で三年間働く。50軒から二人選出。
兵役・・・各地で兵士として働く。警察に仕事もやる。
雑税(出拳)・・・コメを食べてしまった農民に種を貸し、利息を取る。
雑税(義倉)・・・飢饉の時の為に、とっておく為に納める。農民は食べる分まで納める。
ひどい!
こんなに取られているなんて!
3%だけかと思ったら!
これだけ取られるとどうなるかと言うと。
これと、
このくらい!差が出ます!
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群馬の旅 上毛かるた紀行 「水上・谷川 スキーと登山」 〜 谷川編 〜 皆さん、こんばんは! 水上温泉の夜を楽しみ、 さてかるた紀行はどうしようか。 このまま帰ったのでは、温泉旅行になっちゃうし 車で来てないから機動力も無い。 お世話になった支配人さんに、一番近いスキー場を聞くと ホテルからタクシーで15分くらいかかると。 どうしようかと考えていると、 「折角だから、谷川岳に行ってみるのは?」と。 水上駅まで戻り、バスで谷川岳ロープウェイ乗り口まで三十分。 ロープウェイに乗り2.4キロ登れば谷川岳の天神平スキー場に行けると 教えてくれました。 よ〜し、それにしよう。天神平に行ってみよう! ホテルともお別れ。松の井さん、お世話になりました(^^) ホテルの送迎バスで水上駅に送ってもらい、 谷川岳ロープウェイ駅行きのバスに乗り換えます。 ここから30分山道を登っていきます。 目指すはあの山か?どの山だ〜? わからないまま、バスは山を登っていきます。 だいぶ景色も変ってきました。 雪が深くなってきましたね〜。 そして30分後。 谷川岳ロープウェイ土合口駅。 ここからロープウェイで15分。 天神平はもうすぐです。 天気は良いけど、少し寒そう。 風が無ければいいけどな〜。 スキーヤーやボーダーに混ざって、 ロープウェイに乗り込みます。 谷川岳の標高は2000メートルに満たないが、 昭和6年(1931年)〜 平成17年(2005年)の調査では、 死者781人を出している。ちなみにエベレストは、178人。 断トツの世界ワースト一位でなのだ。 急な岩壁・急な天候の変化は、制覇しようとするものを拒み続けるが、 登山家達の憧れとなっている。 高所恐怖症の僕には、かなり怖い光景。 スキーで何がイヤかって言うと、 リフトとロープウェイに乗っている時。 その辺のジェットコースターより怖い(><) 風で揺れるし、 早く着かないかな〜。 やっと着きました。 天神平スキー場。 天気もいいし、風もないし 最高の気分です〜。 景色も良いね〜。来て良かった(^^) ゲレンデの勾配も結構急で、上級者向けなのかな。 みんな楽しそうに滑ってるな〜。 見ているだけではつまらない! 昔の血が二人をレンタルボードのコーナーへ誘う。 久しぶりに、ボードっちゃうかい?愛妻ちゃん〜! よーし、レッツ スノーボード!!! 先ずは愛妻ちゃんから、 華麗なエアを見せてくれ〜! ヤッホー! 相変わらず、上手いな〜。 次は僕の番だ〜!!! オイサ〜!!! どう?きまったかい? な、訳ないですが・・・ 皆さんとっても上手で見ているだけで 楽しかったのです。 僕達はと言えば、 せいぜいゲレンデの端で、 こんなことするくらいで。 愛妻ちゃんダイブ〜! そして、僕も〜。 ちょっと照れのあるダイブでしたが。 そろそろ帰らないとね〜、ルー、レナ待ってるし。 雪だるまも作ってと。 「水上・谷川 スキーと登山」 〜谷川編〜 いかがでしたか。 都心から三時間弱。 水上温泉と谷川岳の旅、お勧めです! 楽しかった(^^) 群馬の旅 上毛かるた紀行 33枚目の札 「む」は、 「昔を語る、田胡の古碑」です。 マイナーな札ですが、 マイナーな札は、いつも新発見が多いです。
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