ここから本文です
冬だ〜!

書庫上毛かるた紀行 ら行

記事検索
検索

全1ページ

[1]

 
 
群馬の旅 上毛かるた紀行
 
43枚目の札 「ろ」は、
 
「老農 船津伝次平」です。
 
 
 
天保3年(1832年)群馬県前橋市富士見町原之郷出身。
 
 
寺子屋を営む父の影響もあり
 
子供の頃から勉学に励む。
 
和算は免許皆伝。
 
農業の研究も盛んに行い、
 
駒場農学校(東大農学部)の教授となる。
 
 
 
 
明治時代に入り、人口が急激に増加すると
 
食料調達が問題となり
 
欧米式の大規模農業が政府によって
 
推奨されるが、これに反対。
 
 
日本の従来型農業と欧米の農業を混ぜ合わせた
 
「混同農業」を日本に広めた。
 
 
明治三大老農の一人である。
 
 
 
 
 
 
伝次平の故郷、赤城山の裾野にある富士見村。
 
 
今では田園地帯の広がるこの町。
 
 
明治時代は、水の奪い合いになる程の
 
水不足に悩む土地柄でした。
 
 
 
火山特有の扇状地。
 
伏流と言うこの地形は、水が地下水となってしまう。
 
 
 
 
水不足解消にと、伝次平が構想したのは
 
 
 
 
イメージ 1
 
 
 
 
「赤城山山頂にある大沼から水を引く」
 
という大胆なものでした。
 
 
明治31年(1898年)
 
伝次平は、構想を抱いたまま亡くなります。
 
 
 
この構想を、引き継いだのが
 
当時23歳の木村與作。
 
 
與作は農家ではなかったが、
 
伝次平の話を熱心に聞き
 
水路の必要性を強く感じたのだった。
 
 
 
與作は嘆願書を集めようとするが、時は明治。
 
 
技術の無い時代に非現実的な構想は受け入れられず、
 
挙句の果てに與作は、奇人扱いされ
 
投獄されてしまいます。
 
 
明治15年(1926年)、木村與作は獄中で75歳の生涯を閉じます。
 
 
 
 
「あの男なら、意志を継いでくれる」
 
亡くなる寸前まで口癖のように言っていた。
 
 
 
 
 
あの男、樺沢政吉。
 
 
 
昭和に入り、技術も進んできた時代。
 
 
政吉は村議員を努め、土木事業でも業績を上げている人物。
 
 
昭和16年(1941年)
 
用水路工事が県に認可されます。
 
そして着工。
 
 
 
イメージ 2
           
           {赤城大沼、沼尻にある大沼取水口}
 
 
 
この頃日本は、太平洋戦争に突入。
 
労働力も食料も無い中、
 
湧き水や火山灰に悩まされながら
 
難工事は続きます。
 
 
昭和25年(1950年)
 
工事中に倒れた政吉は、
 
翌、昭和26年病床の中、亡くなります。
 
 
 
 
イメージ 3
 
           {大沼取水口横にある樺沢政吉の記念碑}
 
 
 
政吉亡き後、四人目の男が登場。
 
 
須田惇一。
 
工法も進化し、昭和32年(1957年)工事は完成。
 
 
工期16年、木村與作が訴えを始めてから85年。
 
 
 
イメージ 4
         {大沼取水口からの導水トンネルの吐出口}
 
 
トンネルは開通。
 
 
ここから赤城白川(水無川)へ。
 
裾野の村に水を流す事が出来るようになりました。
 
 
 
 
イメージ 5
 
 
 
 
現在の富士見町、豊かな水が田畑を潤しています。
 
四人の男達が成した偉業。
 
 
 
 
 
イメージ 6
 
 
 
赤城山に行く度、思い出す事でしょう。
 
 
 
 
 
 
 
群馬の旅 上毛かるた紀行。
 
最後の札。
 
44枚目の札 「わ」は、
 
 
「和算の大家 関考和」 です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
群馬の旅 上毛かるた紀行
 
42枚目の札 「れ」は、
 
「歴史に名高い 新田義貞」です。
 
 
 
皆さん、こんばんは。
 
 
5回に亘ってお送りした、新田義貞物語。
 
 
いよいよ、倒幕〜!
 
と言ったところで、終わりです。
 
 
 
 
イメージ 1
 
 
 
 
 
近く住んでる人は、どうか生品神社に御参拝下さい。
 
 
 
 
イメージ 2
 
 
 
 
この境内で、義助さんは皆に気合を入れたんだろうか。
 
 
 
昔、昔のお話ですね〜。
 
 
 
 
イメージ 8
 
 
 
生品神社から2km離れた義貞の家。
 
 
 
 
イメージ 7
 
 
 
 
 
現在はお寺さんになっています。
 
 
 
 
ここで笛を吹いていたのかな〜。
 
 
 
 
 
イメージ 9
 
 
 
 
周りは堀で囲まれてます。
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 10
 
 
 
 
 
 
こんな資料館もあります。
 
 
 
 
 
イメージ 11
 
 
 
 
「これは義貞さん、はじめまして」
 
 
 
「お〜、これはこれは、よく来てくれたな〜」
 
 
と言ってるかな(^^)
 
 
 
 
イメージ 12
 
 
 
 
こちらも近くにある正法寺さん。
 
 
ここは義助さんが祀られてます。
 
 
 
イメージ 13
 
 
 
立派な仁王門。
 
 
 
イメージ 14
 
 
 
 
 
 
あ!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 3
 
 
 
 
 
 
ふ〜ん!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
の二人に守られて、
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 4
 
 
 
この仁王門、中央に鐘があります。
 
 
珍しいそうです。
 
 
 
 
 
そして、
 
 
 
 
 
イメージ 5
 
 
 
 
「義助さん、こんにちは!ナカナカ男前ですね。」
 
 
 
「何言ってるだ〜、群馬の男はみんな男前だんべ〜」
 
 
「流石!乗せるの上手いですね!」
 
 
 
 
二人の天下取り?
 
 
残念、相手は足利尊氏さん。
 
 
 
もう一歩のところまで行った義貞さんと義助さんでしたが、
 
叶わぬ夢と終わりました。
 
 
 
 
 
イメージ 6
 
 
 
 
二人は今でも、新田の原っぱを走り回ってるでしょう(^^)
 
 
 
 
 
 
群馬の旅 上毛かるた紀行
 
 
43枚目の札 「ろ」は、
 
「老農 船津伝次平」だんべ〜。
 
 
 
 
 
 
群馬の旅 上毛かるた紀行
 
41枚目の札 「る」は、
 
「ループで名高い 清水トンネル」です。
 
 
 
 
「国境の長いトンネルを抜けると、雪国だった」
 
川端康成の小説 「雪国」。
 
 
モデルと言われる清水トンネルに行ってみましょう!
 
 
 
 
イメージ 1
 
 
 
 
群馬県と新潟県を結ぶ上越線。
 
上の地図に三本の路線がありますが、
 
一番右の円(ループ)を描いているのが
 
清水トンネルです。
 
 
 
中央が、新清水トンネル。
 
左にあるのが上越新幹線用の大清水トンネルです。
 
 
清水トンネルは、1922年着工〜1931年開通。
 
9.702km長さで、当時は日本一長いトンネルでした。
 
 
 
 
開通以前、新潟に行くには軽井沢から碓氷峠を越え、
 
長野県直江を経由しなければなりませんでした。
 
開通後、上野〜新潟間は98km・四時間短縮されました。
 
 
 
ループは急勾配を昇りやすくするもので、
 
 
立体駐車場等にも使われています。
 
 
 
 
 
 
イメージ 8
 
 
 
群馬県みなかみ町にある湯檜曽駅を出発し、
 
直ぐにトンネルに入りループ。
 
 
これは昔の話で、
 
単線だった上越線も現在は新清水トンネルの開通で
 
複線になりました。
 
 
新清水トンネルは、1963年着工〜1967年開通。
 
13.490km。
 
清水トンネルの半分の工期で長さは、
 
4km近く長くなっているのが解ります。
 
 
 
 
上りは、清水トンネル。
 
下りは新清水トンネル。
 
 
「トンネルを抜けると・・・」
 
現在は、新清水トンネルと言う事になります。
 
 
 
 
 
湯檜曽駅の次の駅、土合駅(群馬側最北)に行ってみましょう。
 
 
 
イメージ 9
 
 
 
 
湯檜曽駅を出発し、トンネルに入り再び地上に。
 
土合駅から長いトンネルを抜け
 
新潟県南魚沼郡湯沢町にある土樽駅まで、
 
清水トンネルは続きます。
 
但し、現在は上りなので御注意を。
 
 
 
 
土合駅の地上ホームは、下り。
 
地下ホームは上り、新清水トンネルです。
 
 
この土合駅、テレビでも紹介されてますが
 
「もぐら駅」として有名です。
 
 
地上から地下ホームまで、10分かかります。
 
地下ホームまで降りてみましょう。
 
 
 
 
イメージ 10
 
 
 
 
書いてありますね〜。
 
 
 
 
イメージ 11
 
 
 
 
因みに土合駅は無人駅です。
 
 
観光客はいますが、駅を利用している人は
 
かなり少ないようです。
 
2000年度統計、一日17人。
 
 
 
イメージ 12
 
 
 
 
143メートルの渡り廊下を抜け、
 
 
 
イメージ 13
 
 
 
 
Suicaは使えませんので・・・
 
 
 
イメージ 14
 
 
 
見えてきました!
 
地下ホームへつながる階段。
 
 
462段あります。
 
 
 
イメージ 15
 
 
 
階段の脇には、エスカレーター用のスペースが!
 
しかし、工事は中止。
 
工事再開の予定はないそうです。
 
 
降りてみましょう。
 
 
 
イメージ 2
 
 
 
下から260段目の所に休憩用のベンチがあります。
 
 
 
 
イメージ 3
 
 
 
着きました!地下ホーム。
 
特に何も無いですが、涼しい!
 
 
 
イメージ 4
 
 
 
何も無いですね〜。
 
 
戻りますかね。
 
 
 
イメージ 5
 
 
 
昇りは、きつそうだ(><)
 
 
 
イメージ 6
 
 
 
かなりきつい!
 
労いは結構なので、エスカレーター作って下さい!
 
 
 
 
 
トンネル建設技術の発達で、
 
新清水トンネルは地中深くに。
 
 
ループも無く、一直線に国境を越えます。
 
鉄道技術の発達で、ループも必要なくなりました。
 
 
 
 
 
更に、大清水トンネルは
 
1979年着工〜1982年開通。
 
三年で22.221km。
 
 
技術の進歩はすごいな〜。
 
 
大清水トンネルの工事中、
 
大量に水が出たそうです。
 
 
しかし、この水がとっても美味しい!
 
 
現在、ミネラルウォーター「大清水」の名前で販売されています。
 
 
 
 
 
イメージ 7
 
 
 
ここは、湯檜曽駅からすぐのトンネル。
 
清水トンネルがループする手前です。
 
 
 
清水トンネルは開通当時から電気化。
 
長いトンネルの中、蒸気機関車だと
 
運転士が窒息してしまうからだそうです。
 
 
 
開通から79年。
 
今も現役で頑張っている清水トンネル。
 
 
今度は、電車で国境を越えてみたいです。
 
 
 
 
群馬の旅 上毛かるた紀行
 
 
42枚目の札、「れ」は
 
 
「歴史に名高い 新田義貞」です。
 
 
 
 
 

開くトラックバック(1)

 
 
群馬の旅 上毛かるた紀行
 
40枚目の札 「り」は、
 
「理想の電化に 電源群馬」です。
 
 
 
皆さん、こんばんは。
 
上毛かるた紀行も残すところ、あと五枚となりました。
 
 
今日は、関東の電源。
 
群馬県のダムの旅です。
 
 
 
イメージ 1
 
 
 
 
特にダムマニアという訳ではないですが、
 
群馬のダムの中でも一番好きな
 
みなかみ町にある奈良保ダムに来ました。
 
 
 
 
イメージ 2
 
 
 
奈良保ダムは、ロックフィル式ダムの
 
とっても美しいダムです。
 
 
ダムの高さ(提高)は、日本で四位の158メートル。
 
 
一位は勿論黒部ダムで、186メートルです。
 
 
イメージ 8
 
 
群馬には利根川水系、荒川水系、渡良瀬水系の
 
三つの水系があります。
 
 
ここ奈良保ダムは利根川水系にあり
 
最奥の矢木沢ダムの下にあります。
 
 
 
 
 
 
 
 
ダムを見る前にお腹が空いたので
 
ごはんを。
 
 
奈良保ダムは、観光客も多いので
 
お土産屋さんと食事処があります。
 
 
イメージ 9
 
 
 
ダムカレーがあったので、食べてみましょう。
 
 
 
 
イメージ 10
 
 
 
出ました、ダムカレーロックフィル式。
 
他にも重力式やアーチ式も選べます。
 
 
お味の方もダムっぽい味でした。
 
 
 
イメージ 11
 
 
 
 
 
愛妻ちゃんは、山菜冷やしうどん。
 
 
こちらもダムっぽいそうです。
 
 
 
イメージ 12
 
 
 
ダム放水中。
 
 
 
 
 
気を取り直して、ダムに行って見ましょう。
 
 
 
 
イメージ 13
 
 
マスコットの愛奈ちゃんと源くんが
 
迎えてくれました。
 
 
イメージ 14
 
 
 
ダムの上は歩けるようになっています。
 
 
重力式やアーチ式違って、
 
ダムから真っ逆さまに落ちる心配もないので、
 
特に柵もありませんが・・・
 
 
 
イメージ 3
 
 
 
おー、怖!
 
手前にチェーンがあるだけです。
 
 
下の方にダムの横から降りていける遊歩道があります。
 
 
 
 
イメージ 4
 
 
 
さすが日本四位の高さです。
 
 
 
 
 
イメージ 5
 
 
 
ここから放水し、発電します。
 
 
ここは柵がありました。
 
 
 
ダムは、高い山と川が必要です。
 
 
日本のダムと言うと日本アルプスの水源を利用している
 
岐阜、富山、長野が有名。
 
 
次いで北海道、静岡もダムが多いです。
 
 
 
イメージ 6
 
 
 
世界一高いダムは、タジキスタンにある
 
rogunダム(読めません)。
 
 
高さは、335メートル。
 
 
東京タワーより高いです。
 
 
イメージ 7
 
 
 
関東の電源、群馬のダム。
 
遠く、京浜地方までその電力を供給しています。
 
昭和22年に作られた上毛かるた。
 
 
理想の電化は、しっかり実現されています。
 
 
 
群馬の旅 上毛かるた紀行
 
41枚目の札 「る」は、
 
「ループで名高い 清水トンネル」です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
群馬の旅 上毛かるた紀行 
 
39枚目の札 「ら」
 
「雷と空っ風 義理人情」です。
 
 
 
皆さん、こんばんは。
 
 
「世のちり洗う 四万温泉」から
 
二ヶ月空いてしまった上毛かるた紀行ですが、
 
 
皆さんお元気でしょうか。
 
 
 
今回の札、雷と空っ風と義理人情。
 
群馬の風土と県民性を表す札なのですが、
 
雷の季節がやっと来まして記事アップとなりました。
 
 
空っ風は、冬の物。
 
義理人情も写真にし辛いしと言う事で、
 
説明だけにさせて頂きます。
 
 
 
空っ風は、颪(おろし)ともいわれますが
 
群馬の赤城颪の他、全国でも17の颪があります。
 
有名なのものは、六甲颪です。
 
シベリアからの冷たい風が日本海を渡り、
 
湿った空気となって日本に到着。
 
新潟、長野の山々にぶつかり大雪を降らせると、
 
乾いた強い風となって赤城山や浅間山から下りて
 
群馬県の平野部に空っ風が吹きます。
 
 
 
 
 
次に、義理人情。
 
どの地方にも義理堅い有名人が歴史上いますが
 
群馬では「義人、茂左衛門」の他、
 
悲運の幕臣 小栗上野介、
 
侠客 国定忠治、
 
尊皇思想家 高山彦九朗
 
などが有名です。
 
 
昭和22年、上毛かるた草案には
 
上記三名も札に選ばれていました。
 
しかし、時は戦後のGHQ管理下。
 
 
サムライや尊皇思想は受け入れられませんでした。
 
 
草案の「ち」の札は、
 
「知慮優かな 小栗も冤罪」
 
でした。
 
 
義理人情の他に群馬の県民性を表す
 
「かかあ天下」があります。
 
これは、奥さんが威張っているのではなく
 
群馬の女性は働き者だという意味です。
 
 
以前紹介した「銘仙」。
 
閑農期にくず糸で作った織物。
 
群馬の女性は休む間も無く働いて、家計を支えた事から来ています。
 
 
 
そろそろ雷、行きましょう。
 
群馬は雷の発生が日本一というわけではありません。
 
冬場の北陸地方の雷発生率の方がよっぽど高いです。
 
 
しかし、群馬の雷は威力が強い!
 
 
写真には、上手く写りませんでした。
 
稲妻撮影は、難しい。
 
 
 
イメージ 1
 
 
 
今夜も雷が近づいてきました。
 
 
 
イメージ 2
 
 
 
いつ光るか解らない雷。
 
 
只シャッターを押すのみ。
 
 
 
イメージ 3
 
 
 
多少感度は上げていますが、昼間ではありません!
 
一瞬の雷でこんなに明るくなってます。
 
 
イメージ 4
 
 
 
 
 
別角度から、
 
 
 
イメージ 5
 
 
 
このパワー、活用できないものか。
 
 
 
 
イメージ 6
 
 
 
このところ毎日雷が来ている、群馬県地方です。
 
 
 
群馬の旅 上毛かるた紀行 
 
40枚目の札 「り」は、
 
 
「理想の電化に 電源群馬」です。
 
 
桑原、桑原。
 
 
 
 
 
 
 
 

全1ページ

[1]

ルーレナ
ルーレナ
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

最新のコメント最新のコメント

すべて表示

本文はここまでですこのページの先頭へ

[PR]お得情報

話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン

みんなの更新記事