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恋も仕事も失って地元に帰ってきた元天才卓球少女の再起を描くロマンティックコメディ。
監督の石川淳一、脚本の古沢良太と言えば、TVドラマ「リーガル・ハイ」でガッキーこと新垣結衣をコメディエンヌとして開花させたコンビである。
そんな彼らがオリジナル脚本でガッキーを主演に据えて製作したのが本作なのだが、笑ってしまうぐらいTV映画的な作品に仕上がっている。
石川淳一監督は元々TVドラマが主戦場であり、劇場公開作も本作が2作目とあって、明らかに経験不足なのは否めない。
とても劇場映画とは思えない演出や構成が散見されるが、しかしながらそれは劇場映画に耐性のある映画ファンの目線であって、映画館で年に1本映画を観るか観ないかのライトユーザーには受け入れやすい作品になっているのは間違いないだろう。
やはり本作最大の魅力は何と言っても主演の新垣結衣である。
「リーガル・ハイ」の製作陣がバックアップしてるだけあって、こと劇場映画に関して言えばガッキー史上最もはっちゃけている作品ではないだろうか。
また、ガッキーと言えば笑顔がチャームポイントと想像する者も多いだろうが、個人的には近年のガッキーの魅力は不機嫌さにあると思っており、その不機嫌さが思う存分発揮されている点も大いに評価出来る。
マスコミが食いつきそうな衣装とメイクでの七変化、TV映画的な喜怒哀楽、これが女優新垣結衣の進化に繋がっているとは到底思えないが、ガッキーの様々な表情が垣間見れる点においてはファンとしても歓迎すべきであろう。
役者の話で言うと、脇役として登場するベテランあるいは演技派の役者たちも実に魅力的であった。
真木よう子、蒼井優、小日向文世、遠藤憲一、田中美佐子、広末涼子、吉田鋼太郎らは全員が全員ではないが、本来であればいてもいなくても良いようなキャラクターばかりで、そんなキャラクターを彼らがやりたい放題演じている様は実に愉快である。
カメオ出演の面々もなかなか個性的な顔ぶれがそろっており、このような軽いノリはTV映画的だからこそ出来るメリットかもしれない。
そして、本作最大の功労者ははっちゃけているガッキーとやりたい放題の脇役陣との間で絶妙なバランスを保っていた瑛太に他ならない。
物語の緩急を付ける重要な役割を担っており、彼がいなければただのハイテンションムービーとして終わっていた可能性もある。
さて、本作は予告を観ると非常にポップなコメディを想起させるが、実際に作品を観てみると、思った以上にヘビーな設定が取り入れられている。
ガッキー演じる主人公が彼氏を寝取られ仕事も失って地元に帰ると言うのは予告の通りであったが、主人公と共に卓球の全国大会を目指すメンバーの背景がやたらと重いのである。
幼い息子を失った老年夫婦、不登校の学生、医者である夫の出世のために抑制される女性と言った到底本作の作風とは似ても似つかないヘビーな設定が用意されていて、そしてその設定を全く消化出来ていないのは、やはり監督の力量不足なのであろう。
他にも根本的な設定がかなり適当に作られており、例えばガッキーが食品工場で勤務中にスマホをいじっていたりであるとか、瑛太の勤務先の工事現場(工事内容からして間違いなく大手ゼネコンが管理している)に部外者のガッキーが普通にお弁当を持ってきたりであるとか、思わず首を傾げたくなる設定が散見される。
しかしながら、本作が非常にずるいのは、小日向文世に「まぁ細かい設定はいっか」のセリフを言わせてしまっている点である。
このセリフは製作側が確信犯的に設定に対して拘りを持っていないことを示唆しており、それならば観客がわざわざその設定に対して文句を言うのは野暮なのであろう。
ある意味で、そのような杜撰な設定のおかげで、例えば工事現場にガッキーが普通に入ってくることで、本作においても実に魅力的なシーンである、ガッキー演じる主人公と瑛太演じる落ちぶれた元ボクサーの一連のやり取りが成立するのである。
設定自体が杜撰であっても、その先にきちんと魅力的なシーンが用意されているのであればその設定を鬼の首を取ったように叩く気にはならない。
ただし、前述のキャラクター背景の重さだけは明らかに失敗している点であり、これが結果的に物語の終盤におけるカタルシスを生みきれていない原因になってしまっているのは非常に残念である。
また、何故か微妙に創作物において王道と言われるポイントをずらしている構成も気になった。
明らかに劇場映画レベルには達していないし、苦言を呈したくなる箇所も非常に多いが、それを補って余りあるほどのガッキーの魅力、そしてキャラクターもとい個性派俳優自身の魅力が爆発しており、幅広い客層が楽しめるであろう良作に仕上がっている。
評価 80点
2017年10月26日 劇場鑑賞
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