アラフォー奮闘記

40歳前後のお父さんがんばりましょう

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名城をゆく〜躑躅ケ崎館、甲府城〜

躑躅ケ崎館は武田信虎がここに本拠を定めて以来、信玄、勝頼と三代にわたり居館とした。甲斐の国は武田信玄の代に戦国最強の騎馬軍団を備え、武田氏として最大の版図を拡げ、また民政にも心を配ったため、今でもこの地域の人々は信玄に対する敬慕の念がとても強い。現在、館跡には信玄を祭神とする武田神社が鎮座し今でも多くの参拝客が訪れている。


勝頼は武田氏を滅亡に導いてしまったため、暗愚の烙印を押されてしまいがちだが、私はその評価はいささか厳しいように思う。同時代に歴史上の希代の天才、織田信長が存在したことが彼の不幸であった。勝頼が大敗を喫した長篠の戦いでは、新兵器鉄砲による新戦術で武田氏の多くの名将、猛将が討ち死にする。これが結果として、真田昌幸の家督相続へとつながり真田家の弱小大名への道へとつながっていく(名城をゆく〜上田城〜を参照されたし)。


甲府を訪れた際、甲府駅から見えた城が甲府城である。甲府城は、武田氏の時代に築城されたものではなく、1583年に甲斐を手に入れた徳川家康の命により平岩親吉により築城がはじめられた。その後、羽柴秀勝、加藤光泰が工事を継続、浅野長政、幸長の時代に完成した。


歴史に「もし」があるとしたら、その後の歴史がどうなったのか知りたい場面が二つある。ひとつは「本能寺の変がなかったら」もうひとつは「武田信玄が病を患うことなく長寿を全うしたとしたら」である。
もし武田信玄が病に倒れず上洛を果たしていたら、織田信長が臣従し、豊臣秀吉の出る幕はなく、徳川家康は三方ガ原の戦いで討ち死にしていたかも知れない。そうなると現代の日本はどのような国家の形になっていただろうか。想像するだにわくわくするが、いつかそのような空想も文書にしていきたいと思う。

閉じる コメント(3)

甲府城は、石垣が立派ですね。
もしもシリーズ楽しそうですね。
宿命というものは、あると思いますが・・・
路は、変えられるものと思っています。
もし、家康が天下を取らなければ・・・
江戸時代が続かなければ、少なからず日本人の価値観、方向性はかわっていたでしょうね。
どことなくこの画一された日本の思考は、家康の「はみだしてはいけない」的な雰囲気を今に残しているような気がします。
そんなこと思うのは、わたしだけでしょうか?
トラックバックしておきます。

2009/2/9(月) 午後 2:12 かあみ

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個人的には織田信長に天下を取ってもらいたかったです。信長であれば海外に開かれた日本を作っていき、もしかすると大英帝国のような国にまでなっていたかも?
この甲府城に行ったときは季節は初夏で少し汗ばんで、城めぐりをした記憶があります。この時、信濃ではなく甲斐善光寺のご開帳があったので、善光寺参りもしてきましたよ(笑)

2009/2/9(月) 午後 10:52 [ アラフォー ]

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大英帝国ですか!そうかもしれません。
甲斐善光寺御開帳ですか?それは、いい時期に行かれましたね。
立派なお寺ですよね。私も先日そちらに出かけた際横を走りすぎました。寄りたかったのですが、時間なくあえなく撤収でした(涙)

2009/2/10(火) 午前 9:22 かあみ

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