アラフォー奮闘記

40歳前後のお父さんがんばりましょう

名城をゆく

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]

名城をゆく〜熊本城〜

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

念願の熊本城に行ってきました。名古屋城、大坂城と並ぶ難攻不落の日本三大名城のひとつです。
加藤清正が築城し、以来加藤氏2代、その後細川氏11代が引き継いできました。

ちょうど桜が満開の時期と重なり、桜のバックに黒い熊本城がとても映えます。

残念ながら現在の熊本城は明治10年の西南の役で不審火により焼けてしまい、宇土櫓のみが往時のまま現存している状況とのことです。最近、西南の役の首謀者といわれる西郷隆盛に関心があり、いろいろと本を読んでいます。日本史上最も有名かつ人気のある偉人の一人であるにも関わらず、謎が多いとされています。

3枚目の写真は本丸御殿のなかです。復元されて多くの観光客の注目を集めていました。2日間かけてじっくり堪能しました。
1万円寄付して自分と子どもの名前でひとくち城主になってきました。将来子どもが物心ついたときに、「お前は実は熊本城の城主だったのだ」と打ち明けてやろうと思います。

4枚目は有名な勾配の違う2種の石垣で地面に近く勾配が緩やかなほうが加藤時代の石垣で、勾配が最初から急なほうは細川時代に継ぎ足された石垣とのことです。

5枚目は石垣の岩が炎によって割れたあとです。これが西南の役の際の炎上の激しさを物語っているとのことです。ガイドさんに教えてもらいました。

52万石の大名の城としては申し分のない立派な城でした。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

今回は会津若松城です。東北圏に初めて足を踏み入れましたが、東北新幹線から眺める景色は、針葉樹系の木々が多く、西南日本とはまったく異なるものだったという印象があります。会津旅行で宿泊したのは猫魔ホテル、とてもきれいで広々としたホテルでした。写真のうちの1枚は五色沼です。パステルカラーに浮かんだ沼の色がとてもきれいでした。


さて、お城ですが、パンフレットでは「会津鶴ケ城」とあります。

戊辰戦争の白虎隊で有名なお城です。

この地域の支配は、鎌倉の佐原氏から始まり、室町時代には蘆名氏が黒川館を作り戦国に突入。その後伊達政宗が1589年会津に入ったが翌年の1590年には蒲生氏郷が領主になる。氏郷は地名を若松と改め、城の名前も鶴ケ城と命名した。その後上杉家→蒲生家→加藤家→保科家と続き、途中幕命により松平姓と葵の紋を用いるようになった。

会津旅行の感想を少々。季節的にはゴールデンウィークのシーズンだったのですが、少し寒かったです。しかし、自然が多くとても美しい景色にとても癒されました。

メインの観光は会津若松城でしたが、五色沼、野口英世の生家など見どころもありました。

特に野口英世。よかったです。

学生のころ「志ヲ得ザレバ、再ビ此ノ地ヲ踏マズ」と言葉を柱に刻んで固い決心で故郷を後にしたという話を記憶していたので、柱に刻まれた本物の文字を見て感激しました。

野口英世に関して:むかし渡辺淳一の「遠き落日」を読みました。映画にもなったことがあります。野口の神聖化された偉人伝ではなく、生身のストーリーが書かれ興味を引きました。

名城をゆく〜安土城〜

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

安土城。1579年織田信長によって建築され日本で初めて天守閣を備えた城であっただけではなく、世界で初めての木造高層建築であった。

高さは46メートルにものぼり、絢爛豪華な様をキリスト教宣教師が「ヨーロッパにもあるとは思えないほどの壮大な建築物」と絶賛したという。

しかし、1582年の本能寺の変により築城以来わずか3年で焼失。長年の間その外観、構造は解明されずに「幻の名城」と呼ばれてきた。

戦国の城はすべからく天守閣と表記されるが、この安土城だけは「天守」ではなく「天主」と信長公記に記される。2000年以降の発掘調査によると三の丸に京都御所の清涼殿を模した建物とみられる本丸に類似した建物など2棟が建っていたという。天皇を京都の外の自らの城に招き自らの権威付けをしようとしていたのだろうか。残念ながら、信長は征夷大将軍になることも関白になることもなく本能寺の炎の中に潰えることになったが、もし本能寺のクーデターが失敗して最終的に信長が天下を統一していたとしたら、信長は一体日本をどのような姿にしていただろう。日本が世界に先立って大航海時代に名乗りを上げ、諸国に版図を広げ、世界の公用語は日本語に、てなことになっていたかも???そうすればこんなに英語で苦労することもないのに・・・・。

安土訪問はJR安土駅近くの安土観光レンタサイクルというお店で、電動自転車を借りて回りました。初めて電動自転車に乗ったのですがこんなに便利で楽な乗り物はないなあと、電動自転車が欲しくなってしまいました。本当に坂道もらくらく登ることができました。またこのレンタサイクル屋のおっちゃんがいい人で安土城に行きたいと言ったら、むかしの新聞記事のコピーやら地図やらパンフやらをくれただけでなく、解説までしてくれました(僕は早く出かけたかったんだけど・・・)。

安土を訪問される方は、電動自転車を借りて安土城を見て、安土城考古博物館、安土城天主「信長の館」を見て回るのがおすすめコースです。

名城をゆく〜彦根城〜

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

1枚目の写真は彦根駅前に立ちはだかっている、徳川四天王の一人、井伊直政。
彦根城はその子直継が1603年築城に着手、3年後に天守が完成した。

2枚目は美しく咲く彦根城門前の桜。城に桜、最高の組み合わせでした。

天守閣では4つの国宝のうちのひとつ。譜代筆頭の大名家の天守にしては意外に質素?な感じがしました。3枚目の写真の堀切にかかる廊下橋はほかではなかなか見られないパターンでいい味わいがあります。

もともと井伊氏は遠州浜松北部の井伊谷出身の豪族だそうで、僕の地元でもあるので井伊家発祥の地にあるお寺、龍譚寺をお参りしたことがあります。

井伊家のなかで歴史の教科書で出てくるもっとも有名な人物が井伊直弼大老です。安政の大獄で多くの反幕府勢力を弾圧し、最後に桜田門外の変で横死した人物として知られます。ドラマ篤姫のなかでは、偏りはあるものの信念をもって政治にあたった信念の人として描かれていたのが印象的でした。

戦国時代は京に近く交通の要衝であった彦根の街も、現代に至ってはは少し淋しい感は否めませんでした。

最近ではマスコットのひこにゃんが大人気だそうで、若い女性のハートをつかんでいるとか。徳川四天王の一人井伊直政はこの様子を見たらなんというであろうか。

名城をゆく〜姫路城〜

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

パソコンが故障してなくなったかと思っていた写真が見つかりました。

これは僕が約3年前にリフレッシュ休暇をとって出かけたときの写真です。このときのルートは、姫路→有馬温泉→安土→彦根という順番でした。この旅行の目的は国宝の天守閣の二つ、姫路城と彦根城を制覇することが目的でした。

今回は姫路城。別名白鷺城とも云われ、とても美しいお城です。ちょうどシーズンは桜の咲く時期でしたが、桜とお城はとてもよく似合いますね。日本人に生まれてよかったとつくづく思いました。しかし、とても気温が低く薄着で出かけて後悔をした記憶があります。

姫路城は1580年織田信長に中国平定を命じられた羽柴秀吉が3層の天守を持つ城に修築し姫路城としたのが始まり。後に中国大返しの重要な拠点となり、時代の節目で脚光を浴びてきました。

関ヶ原合戦後、池田輝政が9年の歳月をかけて1609年に再築。その後天災、戦争などの惨禍にあうこともなく現在にその姿を残しています。

よく時代劇などで姫路城が将軍の城として使われていますが、姫路城は徳川時代の有力大名の城であったとはいえ、江戸城に比べればまだスケールが小さかったはずで、今後の時代劇にあってはより忠実に江戸城を再現したものをみてみたいです。

もっとも江戸城の天守閣は1657年の明暦の大火で消失してからは再建されることはなかったので、暴れん坊将軍吉宗の時代には存在していないことになりますが・・・。本当の暴れん坊将軍はどんなお城の姿を背景に江戸の街を支配していたのでしょうかね。

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!
話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事