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文鮮明先生・揮毫「一道之源一心一念」 1978.10.29凡一殿



釜山に下ってくると、そこは黒山の人だかりになってました。住めるようなところは、軒先まですべて満員なのです。

そのような時でも先生は、「天の父よ心配しないでください。嘆息されながら歩んでいかれた父のみ跡を喜びと希望で、つなぐことができる私になります」と、祈りました。




釜山に到着された、文先生は、





ぼろぼろの服のまま、ひもじい難民生活をされながらも、




上記の祈りを、天に捧げ、




神様を慰労されていかれました・・・・





そして、





たとえぼろぼろの服を着ていたとしても、文先生は、
「このぼろぼろの服が、将来の希望の日において、千万の人が仰ぎ見るものではないか」




と考えたそうです・・・





とても傲慢にきこえるかもしれませんが、





決してそうではないのです。





神様から、召命された立場・・・・・





それは、一挙手一投足のすべてが、





神様の栄光を証すものとならねばなりません・・




ゆえに、




今の境遇がいかに悲惨であろうと、




そのこと自体が問題ではなく、




そのことを通して、神の栄光を証しする事が出来るとすれば、




そのこと自体が、感謝であり、喜びとなるはず・・・





しかしそれは、言葉で言うほどやさしいことではありません・・





それを思うと、




汗と涙のしみこんだ、そのぼろぼろの服がどれほど尊く、価値あるものでしょうか・・




神様も文先生とともにその服を永遠に誇りたいと思われないでしょうか・・




私は、




ぼろぼろの服を着た文先生を、しっかりと抱きしめ、




感謝の言葉を言われる神様を、




はっきりと感じます!





神様の栄光が今、まさにあらわれようとしています・・・







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