|
一昨日の夜は病院に行かなかったので、22時頃に寝た。 夜中1時に目が覚めた。 起きてタバコを吸ってて、急に少し 考え方を見つけた。 築地へ行こう。 母親の病状や現実はなにも変わっていない それは今日も続いていくことなんだろうけど、 煮詰まってんだから、それはとりあえず横にどけといて、 後悔するのはどんな時か考えてみた。 失敗した時 いやいや それは反省したらスグ次!だし。 うまく活かせば後でも悔やまない。 財布を落とした時 いやいや それは隙があった自分を責めれば良いだけだ。 電車に乗った途端、あ〜…家でウンコしとけばよかったっ って たいした問題じゃないな。 でもあれだ 家でウンコしてたことによって、乗りたいバスが目の前を行っちゃった時とかは くそッ(ウンコだけに)、ウンコもっと早く出しときゃ良かったッ って くだらないな。 彼女と別れた時 後から「あぁ…もっとちゃんとしてあげればよかった。。。」って あぁ 悔やむわっ 別れた後はだいたいもう何もできないし、 彼女を喜ばす事を忘れてた! 喜ばしたくてしょうがなかったんだ! なんでしなくなっちゃうんだろー。。。 なんて。 それだ。 じゃ、 築地へ。 母親は、佃權(つくごん)のおでんが大好き。 築地のがんセンターへ通院してる時、 ついでに買ってきて、よく作ってあげてた。 “作って”って、ぶっ込むだけだから大袈裟だけど。 「つくごんのおでん美味しい〜つくごんのおでん美味し〜」 言ってた。 オレが作ったおでんだから“オレのおでん”だッつってんのに 「つくごんのおでん美味しい〜つくごんのおでん美味し〜」 言ってた。 この必殺技、忘れてたわ。。 そんなワケで 朝06:30 築地場外市場へ。 そして佃權へ。 買い込んじゃうんだよねぇ。。。 「あれとこれと、あとそれと、あとそれも。 じゃそれも。」 気がつくとスゲー買っちゃってる。 これに卵焼き屋さんで売ってる卵を12個入れる。 母親は、おでんの玉子が、また大好き。 で こんなになっちゃう。。。 オレ今、家、一人だっつーの。。 夕方、晩ご飯の時間に持っていった。 おでんを一人分、少しだけ持っていくのって、なんかショボイし、 こんなのは余るぐらいが正解だと思うので、 大き目の容器2つに入れて持っていったら 兄貴と親戚のオッサンがいて スグもう一人オッサンが来て 母親とオレと、みんなで なんかほんの少しだけ、普通の食卓を囲んでる感じになって いっぱい持っていって良かったし 母親も普通に食べてくれたし、 オレはみんなに 「これ美味しいから食べなさい。いいからもっと食べなっ。遠慮しないでっ。」 とか、田舎のおばさんプレイになってたし なんだか 母親の喜ぶ顔とか、みんなの中でのオレの立ち位置とか、 これをした事の見返りみたいなの、どーでもよくなって 少し楽に過ごせた。 後悔は嫌だ。 対象が一人でも、65億人でも、 愛してる人を自分の存在で少しでも幸せにしたいと、 誠実に想って望んで行動する事は美しい事だし、 誰でもそうだろうけど、自分でイッパイイッパイになっちゃう毎日はしょうがない。 だけどそれによって 愛しているのに、愛が溢れているのに、愛してる人の為に、美しい行為を、 できるのに、しなく(できなく)なっちゃうのは 絶対、後悔するよね。 自分の中にその後悔のシステムがしっかりあるのが感じられるだけに、 そういう後悔は、できればもうしたくない。 それが オレが受ける、愛に対しての責任とだと言ってもいい。 今のオレはきっと何も解っちゃいないと言われるだろう。
愛をエゴで語られるのは鉄板だし、 弱るし折れかかるし。 いろんな、ほとんどの事で敗北の道しか用意されてなくても、 どんなに酷い状況でも、 愛に後悔をセットしちゃいけない これは心に刻み込んで生きていかなきゃと思う。 |

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用




