愛情で、その日暮らし。

必ず誰かしらからの愛情があったから ここまで生きてこれた。 過去も、今も。

母親との数ヶ月

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3年間、腹膜癌で闘病し他界した母親の傍にいて
感じたことや知ったこと、思ったことを書いてました。
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なんか・・・

とりあえず今日は
病院に行かなくても良さそうなカンジ。



とりあえず
一息つきがてら
それでひとネタ。





寝ずに起きてて、
母親を朝、08:30に

「病院に電話しようかぁ」って起こしたら

『さて、どうでしょう?』

って
クイズ形式みたいな返事が返ってきた。

どう って…?

「昨日丸一日なにも胃に入れてないから
 栄養的な点滴を打ってもらいにでも行った方が良い」

的な回答をしたら

『じゃ、食べてみよう』

って
“正解はVTRで”
みたいなフリをいただいた。

…ま、
“モニターを見る”
ぐらいのリアクションしかないな。

雑炊を食べ
いつも座る座椅子に座って
30分経ち、1時間経ち。。

「…病院行きたくないの?」

って、
1回カメラ止めよう的なことを言おうとした時

『べつにそうじゃないけど
 わたし寝る。』

って
司会者職場放棄みたいな意外な展開



…正解は

ホントに平気
か?





まぁ
そうならそうで
って
オレは用事を足しに外へ。


車を運転しながらボ〜っっと考えた

今日は母親の兄弟が来る日だった。
北海道から妹が
福島からそのまた妹が
横浜からお兄さんが。




…。



正解が

身体なのか
気持ちなのか
わからないけど

まぁいいや。

明日また
クイズやろう。

今日また

何を口に入れても吐くようになった。
明日朝イチで病院に電話することにした。


今は寝れているみたいだし、
なんだか
今のこの時間
オレは何もすることがないし、
心配も睡眠も違和感だから、
どうせ違和感なら
今日もブログを書こうと思ってたし
ただ
書きます。




=====================










『薄れていく何か』



昨日・今日と病院のハシゴだった。
昨日は日赤へ。
今日はがんセンターへ。


がんセンターの方は、もう
なんか「経過報告」みたいなもんで。

日赤はいつもの緩和ケアーの外来で行った。

その時は特に激変的なこともなかったし、
そんなふうな事も言われなかった。
ただ、
自然な感じみたいな流れで
痛み止めの薬の量は増えた。


ほとんどの時間
疲れて眠い子供のように
トロトロトロトロした状態でいるようになってきた。
病院の行き帰りの車の中でも、横でウトウトしていた。


-------



今日、がんセンターでちょっとした出来事があった。

30分ぐらい前に着いて、
母親は受付やトイレの為にすぐ車を降りたけど、
オレはタバコに火をつけて車の中に留まった。
何か言葉を交わして別れるわけでもなく
30分以上待たされるのが当たり前ながんセンターの時は
母親が少し先に出て、
オレは車の中で時間を潰すのがいつもの事だった。

そろそろ…な時間になったから車を出た。

違う待合室の前に 笹に短冊 があった。

七夕かぁ。。。

1分遅れぐらいでいつもの待合室に着いた。
母親の姿がなかった。

珍しくピッタリ呼ばれたのかなと思って
ドアをノックして中を確かめさせてもらおうかな…と思ったけど、
一瞬、自分の中に妙な気持ちが浮かんだから
しばらくドアの前に座って様子を伺うことにした。

呼ばれて中にいるとしたら。。
なんだろ…
ヘンな話だけど、
このがんセンターでの診察、いつもオレが横にいたから
たまには っていうか
母親は、この先生ともう長い付き合いになっちゃったし、
なんか
こんな時期だし、
二人きりにしといてあげようかな
って気になった。

オレはドアのこっち側で、
一人で自分の存在を確認したい気持ちにもなった。

まぁ当たり前だから
そんなことやんなきゃいいのに
当然
存在感ゼロで軽くヘコんだ。


チリチリしたような感覚がなかったし、
気持ちもザワザワしなかったからオロオロはしなかったけど、
しかし10分経っても15分経っても出てこない。
あれ?これは何かな…?
って思って立ち上がったら
全然違う方の廊下の角から母親が歩いてきた。

予約時間の15分前に呼ばれて5分もしないで終わって、
もう会計も済ませて来た
と。

ホッとしたと同時に
自分の間の抜けた、“感”どころか“存在ゼロ”さ加減にビックリ。

母親は、オレを掴まえるために
駐車場に行ってみたりエスカレーターを往復したりして
すっかり疲れてた。。



-------


帰りの車の中、
ウトウトする母親に
何か話しかけても反応は薄く、
不安と
病院での出来事も手伝って
何かを取り繕うかのようなオレの言葉の軽さが際立った。


母親の何かが薄れていくと
同時にオレの何かも薄れていく


突然、勝手な衝動に駆られて
傍に居るオレの事、意識できなくなったらもうダメだよ!
って吐き出しそうになった時
「何かあったのかしら?」
って急に母親が言った。

首都高速の環状線から3号線に合流する急カーブの所の隅っこに
発炎筒がひとつ燃えているのがチラッとだけ見えた。

もう何事か終わった後みたいな場所に、ひとつだけ。


言われるまでオレには見えなかったし、
そこそこの速度でのカーブ途中、
ホントにチラッとだけしか見えないようなモノだったから、
母親の意識に対して
あぁ、まだ…
って
少し安心した。


あの発炎筒は、母親の何かにも思えた。







「何かあったのかしら?」

「ん?」

「発炎筒。。」

「あ。
 って
 まだあんなのに気付くんだね。」

「ボ〜っとしてても、何かいつもと違う景色には気付くわよ。」

「バカにすんな ってカンジ?」

「ハイ。」

同じ道。

東京の端っこに住んでいるので、
都内のだいたい何処に向かうにも、
出だしはだいたい同じ道を使う事になる。

何処に住んでてもそんなもんかな?


病気になる前は母親もバリバリ運転していた。
大人になってからは車で一緒に出かけることもなくなってたけど、
オレも母親も、基本的に一般道を使っていた。

病気になってから、
運転するオレの横に母親という図が多くなったし、今は完全にそう。 当たり前だけど。。


家の近くの病院から築地の国立がんセンターに移った時、
ある事を決めた。

基本的に高速道路を使う。

ウチは首都高の『用賀』の入り口が近く
まぁ
築地まで行く時は勿論なんだけど、
競馬の行き帰り、
たった6〜7kmぐらいしかない『渋谷』、
渋滞がなければ10分かからないトコなんだけど、
それでも高速道路を使う。


『癌』で「ガ〜ン。。」ってなってた母親には
一般道の信号やら割り込みやら、きっと集中力がもたないと思ったし、
同時にオレも「ガガ〜ン!!」ってなってたから
短時間ならなんとか…ていう考えから。



首都高速3号線3年弱。

がんセンターへ。

毎週日曜日は場外馬券売り場へ。

最近は2週間に1回、日赤へ。



“病気になってから”の事だし、
横に乗ってる母親はだいたい具合が悪い。
だけど
この先いつか、
オレが一人で
同じ道で同じ景色を感じたとき
きっと車の中は母親の優しい想い出で満たされて
オレは軽く、微笑むだろうな。



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心の準備。

ホントは
オレが言っちゃ
いけない事かもしれないんだけど、

病気の母親が抱えて
それぞれが持ち帰る
だけでいい感情なんだろうけど、

そこは皆、
敢えてガッツリ言わない事なのかもしれないんだけど…


オレはまったく
いつも
今でも
ずっと前から
心の準備がなっちゃいない。



別れは嫌だ。


いつも
玄関で見送るときに
そんな気持ちになるんだ。
勿論、
オレの気持ちの中はほとんど感謝でいっぱいになってるんだけど。。





子供の頃
離婚したての母親は、
単身東京で働いて
オレ達兄弟は北海道の祖父・祖母のところに預けられていた。
おじーちゃんもおばーちゃんも、
オレ達の事を愛してくれたし
オレ達も大好きだったし
母親が苦労してるの、なんとなく解ってたから
母親と離れて暮らすのは、我慢出来ない事じゃなかったんだ。
だけど
時々母親が東京にオレ達を呼んでくれて
余裕なお金なんか無いのに
遊園地とか映画とか、東京タワーに連れってくれたり
ハンバーグを食べさせてくれたりしてくれて
そんなの嬉しかったけど、
本当は母親といれるのが嬉しかったから
北海道に戻らなきゃいけない時
オレ達が電車に乗ると
いつも母親はホームに立ってて
「大丈夫 大丈夫」って泣くのを我慢した笑顔で言う母親の顔を見ると
オレはもう会えなくなるんじゃないかって思って
オレはいつも壊れるほど泣き続けてしまうんだ。




今でもその頃のままのオレがいる。
あの頃の状況も感情も
鮮明に残酷にオレの感情の奥に入り込んでくる。


別れるのは嫌だ。


いつも
見送るときにでさえ
そんな気持ちになるんだ。



オレはまったく
いつも
今でも
ずっと前から
ホントは心の準備がなっちゃいない。。


イメージ 1

母親の手際

兄貴が
成長ホルモンの病気せいで 
背が伸びないから身体が欲しないのもあり、
小さい頃、あまりご飯を食べたがらなかった らしい。

なんとかあの手この手を使って兄貴に物を食べさせるのに加え、
オレのご飯&親父のご飯で、
オカンは、毎日仕度するのが大変だったらしい。


それがわかるような歳になる頃には、
親父はいなくなってたし、オカンは働き倒してたし、
オレは“お母さん”のそういう姿を見てこなかった。
だから
毎日のご飯の献立とか仕度とか
「あんた達が子供の頃、大変だったんだから」って聞いても
ふーん。そうなん?
ぐらいで片付けてた。




今日、母親が昔やってたお店で働いてたオネーチャン達がお見舞いに来てくれた。

みんなが“お姉ちゃん”て呼ぶ
めちゃめちゃポジティヴなパワーと
素敵な旦那さんと子供達と
手に職
を持ってる
気持ちの良い人

みんなが“うめ”って呼ぶ
独身で凛としていて
自分の中に
残酷なほど綺麗で広く深い海を持っていて
その中を泳ぎ過ぎちゃって
半漁人みたくなってる人

来てくれた。

って
読んでくれてるの意識して書いちゃった。



で、
そのお姉ちゃんが、今日、ご飯を作っていってくれた。
いろいろ作ってくれた。

オレは昔から、
女の人がご飯を作っているのを横で見ているのがお気に入りのプレイで、
特に手も口も出すわけでもなく、
ビール飲みながら、
つまみ食いしながら
ワクワクしながら
その時間を楽しめる
…んだけど
今日はそうはいかなかった。

なんせ手際が良い。

ブリ大根とチキンソテー的なモノを同時に
その間に味噌汁は出来上がってる
気が付けばオレのビールのツマミの冷奴がある
それをテーブルに持ってったらそこに枝豆は茹で上がってる
「ママ、おじや食べるかな?」
って聞いたかどうかぐらいでおじや出来上がってる。

その勢いに圧倒されて
気が付けばオレは自ら洗い物係り。
って
ま、当たり前よね。
自分の家庭の事もあるのに
オカンのお見舞いに来てくれて
基本オカンの為にご飯を作ってくれてるワケだし、
オレの“プレイ”とか関係ないわね。。




もしかしたら
“お母さん”にとっては、
そのぐらいどうってことないのかもしれないんだけど、
そういう勢いみたいなのを体感したことのないオレにとっては
ビックリしたし
“お母さん”をやってた頃の母親の姿を、ちょっとだけ垣間見れたような、
良い経験だった。


スゲーなぁ お母さん。


完敗。


乾杯。
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