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子どもを守りたい〜年7㍉シーベルトの被曝で息子を失った母、語る
2011年5月2日、子どもの安全基準20ミリシーベルト問題の政府交渉の場で、突然立ち上がり、安全基準を見直すように訴える女性がいた。嶋橋美智子さん。嶋橋さんは、 1991年12月10日、浜岡原子力発電所で働く息子・伸之さんを白血病で失った。29歳だった。
伸之さんは、横須賀の工業高校を卒業後、中部電力の孫請け会社に就職。静岡県にある浜岡原子力発電所で働き始めた。伸之さんの仕事は、原子炉直下での燃料棒の点検作業。被 ばく量は年間約7ミリシーベルト程度だったため、安全を疑ったことはなかったという。 結局、8年で累積した被ばく量は50ミリシーベルあまり。27歳のときに白血病を発症し、浜松医科大学病院に入院し治療を行ったが、2年後に亡くなった。嶋橋さんは、息を 亡くして2年後労災を申請。全国に署名活動が広がり、合計40万人の署名を集め、申請から2年後に、労災認定された。 「子どもはこれからの人だから成長が早いです。だから発病が早いんです。」と語る嶋橋さん。浜岡原子力発電所が完全停止した今、その心境うかがった。 被曝と人間 ある原発作業員の死 (抜粋)
相模湾を望む神奈川県横須賀市の郊外。嶋橋さんの遺影が見つめる居間で、母美智子さん(62)は、息子の死亡診断書をそっと机に広げた。
嶋橋さんは八一年春、横須賀市内の工業高校を卒業後、横浜市の建設会社(現在は本社東京)に就職した。中部電力(名古屋市)の原発や火力発電所の保守、点検を請け負う孫請け会社。入社後すぐに浜岡原発へ派遣され、原子炉の計測機器の交換などの仕事に就いた。
九一年十一月二十日午前四時五十五分、嶋橋さんの白血病との闘いは終わった。発症から二年一カ月。浜岡原発で約九年働き、二十九歳一カ月の人生だった。その間の被ばく線量は、五〇・六三ミリシーベルト。年間では最多の年でも九・八ミリシーベルトで、法令で定める年間被ばく線量限度の五〇ミリシーベルトを大きく下回っていた。
両親が知りたかった息子の被ばく線量は、すべて放管手帳にあった。嶋橋さんの死後、何度も手帳を返してくれるよう掛け合った。やっとの思いで手に入れた手帳は、至るところに赤い訂正印が押されていた。多くは被ばく線量数値の訂正で、嶋橋さんの死の翌日に行われた部分もあった。
母美智子さん(62)は、手帳を初めてめくった時の悔しさが忘れられない、という。 「通院中だったのに健康診断の結果、作業従事可とされていたり、入院中にもかかわらず職場の安全教育を受けたことになっていたり…。健康診断もそう。白血病と診断される一年半前、白血球数が一万三千八百と、異常に高い記録があった。それでも判定は『異常なし』だった」
「法令で定められた放射線作業従事者の年間被ばく限度五〇ミリシーベルトと比べれば、嶋橋さんの被ばく線量はかなり低い。だが、彼が被ばくを積み重ね、力尽きたのは事実だ」
原子力発電所での被曝(ばく)と息子の白血病死には因果関係があるとして、嶋橋伸之さん=当時(29)=の両親が労災申請をしたのは一九九三年五月だった。両親も弁護士も、初のケースだと思っていた。
ところが、申請直前、福島県の原発で働いた元作業員が九一年末、既に認定されていた、とのニュースが流れた。母美智子さん(62)は言う。「認定されたのは氷山の一角。あの子と同じように被ばくして発病した原発労働者が、まだ埋もれているって思いました」----------- ブログでも紹介しています。
転載元:原発情報
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⇒被爆
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微量の放射線を受け続けることが一瞬の被爆よりも、ずっと大きなダメージを与えるスターングラス博士へのインタビューから
S博士「(略)・・X線などが与える、自然放射線の一年分に値する1mSVほどの一度の衝撃は、 思ったほど効果がなく、同じ量を一週間、一ヶ月の間に分けて微量を受けた方が、細胞あたりの
フリーラジカルが少ないために、ずっと大きなダメージを与えるのだ。」
S博士「このことは、衝撃だった。つまり、X線や原子爆弾のように、集中された強い放射線よりも、
永続的な低レベルの放射線の方が、ダメージは100倍から1000倍も大きいことが分かったのだよ。」
S博士「何回も言うが、0.1〜0.2mSVほどのX線の影響と、核分裂生成物を比べて、影響を少なく
見積もりすぎているから、誤った安全の基準を適用している・・(略)・・
これはようやく最近、世界中で発表されている論文で認められてきたことだ。
更に、1000倍もダメージを少なく見積もってものだから、0.1mSVだったものが、
実質的には100mSVと同じダメージを加えているのだ。」
S博士「我々はヒロシマやナガサキで集めたデータを信じきってしまったのだ。原爆は、主にガンマ線と中性子線を一瞬で放出したから、本当に強くて大量のエネルギーを放出した。ましてや、その頃はフォールアウト(『死の灰』と訳される)のことも良く分かっていなかった。
要するに、長期的な低レベル放射能の影響を、今日でも、完全に間違って計算しているのだ・・
スターングラス博士の研究について
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プルトニウム(放射線)が、60数年後も体内で放射線を発している内部被曝の証拠撮影
被曝から60年以上経った、今でもなお、骨や腎臓の細胞から放射線を出し続けている様子
長崎で被曝した人の細胞から出ている「2本の黒い線」=放射能 http://ok-life.sakura.ne.jp/sblo_files/hibi-zakkan/E9AAA8E38284E8858EE88793E381AEE7B4B0E8839EE3818BE38289E694BEE5B084E7B79AE38292E587BAE38197E7B69AE38191E381A6E38184E3828BE6A798E5AD90-thumbnail2-136b5.jpg 細胞から伸びる2本の黒い線が放射線だ。 被爆者は一般に強い放射線を浴びたことによる外部被爆が問題とされる。 今回、放射性物質を体内に取り込んだことによる内部被曝もまた、確実に起きていることが明らかにされた。 研究グループは、すでに死亡した7人の被曝者について大学に保管されていた組織を特殊な方法で撮影。 その結果、「死の灰」が細胞の中で出す放射線を黒い線として映し出すことに成功。 転載元:日々雑感
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3年後こどもの甲状腺がん増加。摘出後、一生ホルモン剤を飲む必要… (第2回)ドキュメンタリ「チェルノブイリ小児病棟ー5年目の報告」チェルノブイリ事故の5年後を記したドキュメンタリー「チェルノブイリ小児病棟〜5年目の報告〜」を文字に起こしていく。第2回目は、子どもの甲状腺癌の詳細。3年後の子どもの甲状腺癌増加で、公開する医者の姿。1つの細胞に核が20個存在する事実。そして、甲状腺摘出後は、一生ホルモン剤を飲み続けなくてはいけないという悲しい現実だ。
非常に転移しやすいため、常に癌の転移という不安を抱えながら
生きていかなければならない・・・(追記)
3年後の子供の甲状腺癌の増加。甲状腺摘出後は、一生ホルモン剤を飲み続けなくてはいけない
転載元:
3年後こどもの甲状腺がん増加。摘出後、一生ホルモン剤を飲む必要…「チェルノブイリ小児病棟〜5年目の報告〜【動画&文字おこし2】
関連リンク:
映画「チェルノブイリ・ハート」8月日本公開
チェルノブイリから80キロ程の町で生まれる子の15〜20%だけが、健康な赤ちゃん (実記録)
http://blogs.yahoo.co.jp/x_csv/20481266.html チェルノブイリの真実
チェルノブイリで強制避難区域になっておらず、安全と言われて
住み続けていた地域の人たちを数年後に検査すると、
体内被曝レベルが高濃度汚染地帯のそれとあまり変わらないほど
高いレベルであったという驚くべき事実!
チェルノブイリ特集 第1回 潜入!最悪汚染ゾーン('93.5) http://youtu.be/WCfzjHaVu5s チェルノブイリでは事故のあと病院から5万人のカルテが盗まれていた。 追跡取材によって見つかったカルテはIAEAの発表を根底からくつがえす。
IAEAによるチェルノブ イリ安全宣言のカラクリを明かすレポート。
広河隆一×櫻井よしこ
チェルノブイリ特集 第2回 子供に何が起きたか('93.5) http://youtu.be/M7u1AyLfkyw チェルノブイリでの病院の取材によって、子供たちが放射線の影響で 次々と亡くなっている実態が明らかとなる。IAEAは「住民の健康被害は全くない」と
発表したが、驚くべ きことにそのIAEAの調査団長をつとめたのは広島の医学者であった。
事故以来、周辺地域ではずさんな検査体制がしかれ、
人々は汚染された食品を食べ続けていた。経済的な理由から母と 子は避難できず、
調査したすべての母乳から放射性物質が検出された。
IAEAの安易な安全宣言が救援の動きに水をさし、事態を悪化させたのだった。
広河隆一×櫻井よしこ
チェルノブイリ特集 最終回 少女の体に放射能は 衝撃的レポート('94.7) http://youtu.be/0rFYHpmta_0 チェルノブイリ原発事故から8年目、体内の放射能は潜伏期間を過ぎ、 牙をむきはじめた。放射能は様々な形で子供たちに襲いかかる。
さらに原発周辺地域を上空から取材する。
見えたのは、今後100年以上誰も住めない街や、ズタズタに取り壊された死の村の姿だった。
広河隆一×櫻井よしこ |



