りんとしてにゅうわ

かけがえのないものを見つけたい。

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今日の夕方のテレビの特集で「中一の子の自殺」の問題を取り上げていた。
何度も書こう。
私なりの思いと保田の・・・・
 
 
以下は数年前に私のもとに届いた卒業生からのメッセージ。

連日、痛ましいニュースが尽きることもなく流れ込んできますね。

子ども達の相次ぐ自殺。
虐待によりその命を奪われてしまった子ども達。

今朝も、岐阜県の女の子の自殺を巡る報道が
あちらこちらの局で流れていました。

いじめがあったとかなかったとか。
学校側がいじめの存在を認識していたとかいないとか。

ほったらかしていい問題ではないけれど、でも。
いじめがあったかなかったか、そんな議論をすることが
本当に大切なことなのだろうかと思います。
その子が悩んだ、苦しんだ原因をつきとめることは確かに重要でしょう。
でもそれは、責める相手を探すことではないと思うのです。

責める相手を見つけたところで、痛みは消えません。

家族は、学校は、社会は、その子の心を引きとめられなかった。
ただそれだけが厳然とした事実です。

「がんばる事に疲れました」と書いたその子。

頑張ることをやめるために、死ぬ必要などなかったと
手前勝手にそんなことを考えてしまいます。

頑張ることをやめても、生きていてよかった。
頑張れなくなっても、期待に添えなくても、愛されてよかった。
もしもそれが逃げることでも、もしもそれが負けることなのだとしても
人は未来に立ち上がり、立ち向かうことのできる存在だから。
今いる道を歩くことを止めることが、イコール人生を終えることではないから。

人生に挫けても、生きることに挫けて欲しくなかった。
生きていて、欲しかった。
ひどく身勝手な私のエゴは、そう叫びます。

「生きている」ということは、生きているものにとってひどく当たり前すぎることで。
けれど人が「生きる」時、しばしば生きることは当たり前ではいられなくて。

ヒトはあまりに悲し過ぎる
ヒトは愚か過ぎて、そして醜く
けれど同時に、美しすぎる

生きることは苦し過ぎて
辛すぎて、痛すぎて。
生きていくということは悲しすぎて
祈りにすら、縋れなくなったとしても

それでも
生きているということは、尊い
ヒトは尊く、生は美しい

私はそう、思います

絶望の中で生きていけなんて、言えません
生きていたらいいことがあるなんて、そんな安易な台詞を
安易な心で、人一人の魂を背負う覚悟無く言うことなどできません
死でしか救われない魂が時に存在する事実を
私は否定したくて、けれど一方で受け入れています

けれどそれでも生きるなら、それには価値があると。
たとえこの世が地獄と化しても、それでも生まれてくるのなら
そこには価値があると。
私は信じているのです。

そして願わくば悲しい生の終わりを選ばなくていいように
そんな風に、出来る限り多くのヒトが生きられたならと祈るのです。

どうしようもない悲しみが生にあることを
生きていることが苦しくなるような出来事があることを
時に絶望と呼ばれるものが、心を引き裂いていくことを
癒されない痛みがあることを
子ども達には知ってほしくなく、伝えたいとは思えません

けれどもし、これから先、
そんな出来事に、遭遇してしまったのだとしたら。
痛みや苦しみ、悲しみを抱えてしまったのだとしたら。
その時、それでもヒトは生きられるのだと。
闇を知ってもヒトは笑うことができ、
闇を抱えながらでもヒトは幸せを、感じられるのだと。
いつかそうなってしまったなら、知ってほしいと思います。

それはきっと辛く厳しい生き方で、そうしろなんて、言えないけれども。
そんな風にも生きられる、ヒトの尊さと敬虔さを、強さと美しさを
どうか感じて欲しいと思います。

自分で自分を壊してしまう前に
どうか甘える勇気と強さを。
自分を守る、勇気と強さを。
自分を救う勇気を。
どうか、持って欲しい。

悲しい死が、これ以上増えないことを祈っているのです。
生きているということは、それでも素敵なことだから。


幸より
 
 中学生の時、小学校の同級生の女の子が飛び降り自殺をして、友達と二人でその子の家に焼香させてもらいにいったことがあった。何か、とてもやりきれないというか、実感もわかず、ただ、お母さんの話を黙って聞いていた。原因がなんであったのか、たしか、友達関係のことだったと思うが。
最近もまた、身近でも学校と(保田ではない)保護者との間で、「ijime」について深い葛藤の真っ只中にいた。・・・だから・・・どうだ、ということではない。ただ、考えた。
私自身、ijimeたことも、ijimeられたことも思い返せばたくさんあった。だれしもがそうなのではないだろうか。また、自身で感じなくても、加害者になっていたことはあるだろう。

小学校の頃、ijimeられて家に帰ってくると、「またか、泣き虫だな」とおじいさんに叱られながらも、家に戻ってきたという安堵感があった。家はほっとする場所だった。
中学校ではijimeというか、いじられ易い奴っていて、私も仲間と一緒になってからかったりしていたのかもしれない。その子は、半分そうされながらも我々との距離感の中で自分の存在を確かめたりしていたのか、悪いことをするような仲間には入って来なかった。私自身もまた、仲間から外されたり、何か言われないようにうまく立ち回っていような感じだった。どうすれば、自分の居場所が見つかるか、どうすればそのときをやり過ごせるか、明日を迎えるのか、そんなことでいっぱいいっぱいだった毎日があった。一人でいることは怖かった。
***
何を書きたいのだろう。卒業生が書いているように、今のijime問題の中で、誰が悪い、とか、学校が校長が、とか矛先を向けていることは違うような気がしてならない。子ども達の思いとは、もっと複雑で、学校が対応しなかった、いや、対応していれば、とかいうのでないもっと深い部分に問題があるのではないか、と思う。メディアは何を求めているのか、責任をだれかが取れば済むことではない。
 子ども達が学校に通えないことも、ジンカン(人間)関係が調節できずに、所属間や自己有用感を持てないでいることも何に起因している ?
・ijimeられたり いやな思いをして帰ってくる安定した場としての家族、地域
・勉強は苦手でも、集団の中での居場所を見いだせた部活や行事を重んじてくれた学校、先生
・我慢しろ、わがまま言うな、・・・何でダメなんだ、と反抗しながらも価値規範との距離をいつも
自分達なりに考え、迷い、苦しんでいたいたとき
そんなものがなくなったこと、捨ててきたことはどうなんだろう。
自由と個がもてはやされ、生きることも死ぬることさえも自分の権利だと、他者の中で生かされている自分は?自殺することが悪いなどとは言えないし言わない。しかし、周りにいる我々は、その子の死をもって学ばなければいけない。学校は集団の場だから、個が制約を受けるのは当然であり、そこに集団としての意義もある。だから、学校にいる教師はそのことをしっかりと自分の責務とすべきである。しかし、個と衆との葛藤の中で、自分をどう処するか、ということは、我々社会が子どもたちに、家庭や地域の中で示していくことではないだろうか。
***
学校から、生徒指導、児童理解、・・・つまり じっくりと子どもと向き合う時間を無くして
家庭から、子どもが安心して過ごせる時間と場を無くし
地域から、子ども達が、ぶつかり合う(喧嘩したり、仲間をつくったり、)場を無くし

子ども達はどうやって、人の中で生きていけるのだろう。
 
 
「一生懸命な子がまじめに生きることのできるようにしてください」
自殺した女の子の母親が謝罪に来た校長に言っていた。私もそのとおりだと思う。そして、その思いはここでも何度も書いてきた。しかし、この言葉は学校に向かっての叫びではないはず。社会全体、家庭にも。しかし、メディアはそうは伝えない。そのあとの画面は、車に乗り込む校長に向けられたマイクと、それに戸惑いながらも逃げるように乗り込む姿を写し、古館某は、「文科省、教育委員会,学校、どこが悪いのか、すべてでしょう」などとコメントを残す。テレビを中心にしたメディアがどれだけ、こういう子ども達、ijimeる子にも、ijimeられる子にも大きな影響を及ぼしてきたのか、懸命に頑張ることを茶化し、笑いにして、価値規範を崩してきたのか、そんなことにはお構いなしである。

以前、我が家の高校2年の息子がニュースを見ながらつぶやいた。
「部活だって、先輩だって、こんなことってある。弱いんだよ、我慢しているよ,おれ達だって。」
自殺した子に追い打ちをかけるつもりはない。
しかし、耐性のある、集団の中で生きていける人間を育てていかなくては、と 私自身は思う。

学校は、家で育てられてきた一人一人違った生育環境を持つ個を集団という中で、規制しながらも、個を全体の中で見いださせる場である。だから、うまくいかないこと、思い通りにならないこと、みんなに認められる喜び、認められたいという思いにぶつかる。軋轢があリ、葛藤の場に他ならない。学校に課せられた責務は重大であるしかし、今は、そのような部分は置き去りにして、競争だ!の外部評価(学力を中心とした)だ!を指向しようとしている。 
校長は自殺に追いやっても解決しないことをわかっていても、本質を論議しようとしない・・・このままでは ・・・ 言葉がない。
どうしたら、、、良いのだろうか。
 
 しばらくすると、行政が打ち出しそうな施策。
*こども達との時間を教師が見守るためにも、交代でいいから、こども達と休み時間や放課後に共にいら れるようなプランを各学校で考えよ!*
*カウンセリングのための具体的な取り組みについて報告せよ!*
*友達関係やこどもの悩みについての調査*
こうした事態になって、社会問題化してから、対症療法的、説明責任としての方策を考えることでは、何ら根本的な解決には至らない。そのことは、ここまで様々な場面で述べてきた通り。街の声では、
「学力!なんてことより、こどもの命を!」と聞こえてくると、慌てて小手先の方法を考える。
こどもと休み時間遊ばない、休み時間、子どもこどもとともにいられない、もちろん放課後も!そんなことする時間を与えないような学校風土を作っておきながら、いまさら、という感がある。こどもたちを、平均点で比べ、学校を選択性にして地域性を奪い、教員の評価を一面的にとらえようとしてきている。そのよううな中、休み時間は学年の話し合い、放課後は会議、提出書類、に追われる教員も少なくない。
こども達と、時間的にも、空間的にも、精神的にも共ににする時間を持たないで、こども達が見えるはずがない。休み時間、こども達が本当の顔を見せる時に一緒にいないで、学級経営などできるものではない。ヤンキー先生とか言われる方が、これからは、「休み時間アクションプラン」などと位置づけ、先生方は交代でこども達を見守るべきだ!といっておられたが、全くのナンセンスである。そこにはあるのは、監視としての目しかなく、こども達を管理する立場で接すようとする先生の姿勢を生むだけである。休み時間、大いにこどもと遊ぶ、こどもの輪の中に入る、(いや、入りたくなる)そういう目でなければこどもなど見えてこない。
保田のこども達と先生方の関係を見せたい。一人の子の情報を多くの先生が共有しそれぞれの立場でこども達と接している。休み時間は校長も主事さんもこども達といたい!と願っている。義務なんかでなく、こども達といることを嬉しいと感じている。50人近いこども達もまた、先生方大人との時間を楽しみしている。そういう中で自然とこども同士の関係や、こども自身の中にも自己を見る目や、大人との距離感が生れて見えてくる。
ijime

いやな言葉だ。
しかし、向き合わなければならない。
保田の毎日には何かヒントがあるような気がする。

 

閉じる コメント(10)

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何で死を選んだんだろう・・・・・
そこまでさせてしまったのは何なんだ・・・
大人達が、本気で向き合って、ぶつかっていかないといけない気がします。

最近見る、凄くおしゃれなお母さん。
隣同士で座っているのに、会話のまったくない親子。
スーパーでお母さんが近くにいるのに、ほったらかしな子。

そういうのを見ると、胸が苦しく息が詰まりそうになります。
そのお母さんに、『ちゃんと見てあげてよ』『愛情込めて育ててあげて』と言いたくなりますが、そんなことを言う勇気もなく、素通りしてしまっています。

そのお母さんにもいろいろ事情があるんだろうけど・・・・・

でもやっぱり子供と向き合ってあげてほしい。
何かあってからじゃ遅いから。

2010/11/9(火) 午前 0:20 [ サンチェ ]

私も、本気で死のうと考えたことあったけど、すごく辛かったし、悲しかった。
四年前も、今も、いじめと自殺の状況は変わってないんだね。
去年なんて、私と同い年の人が何人自殺したか…。
見るたびに、心がすっごく痛くなった。

2010/11/11(木) 午後 6:56 [ セッシー ]

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麻衣も、テレビで、見たけど・・・・。


なんか、嫌だな・・・・。

自殺自殺自殺、
バッカリで・・・・・・。



どうしたら、

この、亡くなった人達の思いは、

解ってくれるかな・・・・・・。


確かに、セッシーの、言ってる、

同い年の子が、何人、死んじゃったか・・・・・・。



また、訪問します。

2010/11/11(木) 午後 8:07 [ 麻衣 ]

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もし教室にいじめられている子がポッリ1人でいたら どうしますか?勇気を出して その子に寄り添ってあげられますか?親や大人が寄り添ってあげたとしても友達にはなれませんよね 一度でもいい死を考えた人達そんな子を見かけたら友達になってあげて下さい。大人が見かけたら子供達に教えてあげて下さい。1人でいる寂しさは死ぬより辛いと言う事を 世の中にそんな勇気を持てる子供達がふえれば 死をとどまる子供も増えるような気がします。

2010/11/12(金) 午後 0:19 [ とおりすがり ]

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遅くなりましたが、私が思ったことを記事にしました。TBさせて頂きます。

やはり、イジメは全てなくなって欲しい。そして、子供が自殺するなんてこともなくなることを願います。
皆が願えば、それはいつか叶う と、思います。

2010/11/14(日) 午後 1:00 五節句

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皆さんのご意見が聞けて大変学びました。これからもお互いに叫び続けましょう。ありがとうございます

2010/11/14(日) 午後 11:04 [ xbm**366 ]

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初めまして、体験の神を見て興味がわき調べたらこのブログがありました私は6年生ですこんな事言えないんですがいじめられてます‥私のお兄ちゃんの学校では自殺した人が1人いるらしいです。助けてください。ちゃんと子供を見てほしい、1人にしないで‥

2010/11/17(水) 午前 1:26 [ 532 ]

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どんな形でも力になれるかもしれません。
もし、よかったら連絡ください。
学校宛で、
「マンジ先生を!」
呼んでもらってください。手紙でも、
いいです。

2010/11/17(水) 午前 7:52 [ xbm**366 ]

こんにちは。現役の中学生です。
いじめで自殺するぐらいならば逃げられるような環境を作ってやって欲しいですよね。
学校側もそういうことをきちんとと見張るように出来るように、また教育としていじめの悪さを教えるよりも法律で禁止されている事を子供達に伝える(悲しい事ですがいじめっ子は法律で禁止されているという事を伝えるほうが効果があると思います)など制度を整えていく必要がありますね。

2014/3/13(木) 午後 3:42 [ 匿名兄貴 ]

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そう、確かに「逃げること・そして逃げ場所」は必要だと思います。さらに、法律としての厳罰化もまた必要でしょう。しかし、それだけでは、そこからだけでは本当の解決にはつながっていかないと思います。メディアも先生も、親も、いじめーいじめられることについて、この国を変えていくぐらいの気概を持ってやらないと、決してなくならないと思います。(きいごとなんだろうけど、かたちでけでなく本気でやらないと)

2014/3/13(木) 午後 10:26 [ xbm**366 ]

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