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つい最近、20年ほど前の卒業生がフェイスブックに投稿をしていた。
その子は、小学校の先生になって、きっと、自分の考えで違う道を選んだ。
その、記事には
フィンランドの教育の素晴らしさが書かれていた。
動画からだけでは、想像でしかないが
そして、良い面ばかりが映し出されているようにも思うのだが、
基本的に次のような感想をもった。
1、教育、子供を育てる!という価値の違い
合理的に費用対効果、オリンピックがあるから英語を、経済の為に基礎基本の徹底を・・・という目的があまりにも実利的な日本と違って、「かけがえのない人間を共同社会の中で育んでいこう」という価値観がある。じっくり、ゆっくり、教育なんて目に見えて効果があるものではなくていい、という根本が違う。次代の国の担い手を(世界の)育てる思いがひょとしたら日本にはない。全校一斉の学力テストも、形ばかりの評価の規準も、何のためか?もう一度考えてみる必要がある。
2.教師の質が違う
今の先生が!なんていうつもりは毛頭ないし、そういうことではなく、教育そのものについて、子どもを育てるということについて、じっくり議論したり、考えたりする場が教師(あえて師と書く)の間になくなっている。子どもの姿をまっすぐに見つめて、どんな子どもに育てたいか?どうなってほしいか?学力だけでなく、総合的に一人の人間としての成長をみつめる場がない。今年、東京都では新任の先生が足らなくて、教員免許のある人を探しているという。学校の現場では、日々の計画や記録ばかりが先行して、説明責任のために働いているような先生も少なくない、と感じている。
3.教育にかける行政の考え方の違い
基本的に教育予算は日本は先進国の中で比率から言えば最低レベル。そして、そのことは、2の教員の質にもかかわるし、もっとも顕著なのは学級の人数だろう。質の高いとは言えない教員(ここでは教員という)が、1クラス30人以上を担当する。しかも、特別に支援の必要な児童は急増している中で、個々の子どもに即した教育なぞ出来るはずもない。
4.学力の考え方が違う
全国や都、比べることでの学力。一斉に同じ問題を解き、その点数で測ろうとしている学力とは一体なんだろうか。フィンランドには一斉テストがない、とか、宿題が無い、などということはナンセンスだが、学力や能力や可能性を測る物差しが違うように思えてならない。読書もせず、させず、寄り添って本を読むことの楽しさや時間を与えない今の日本にあって、テストで点数を付ける前に、「問題が読めない子」がどれだけ増えているか?知っているだろうか?というと、「だから読み書きを教える」というが、それが基礎基本の徹底などと考える物差しが間違っているのである。じっくり、ゆったり、物語や読み物に触れる時間は、ドリル学習にとって代わられている。本当にそれが学力である、なんて誰が証明できるのか?
ただ、日本の今は危機的だと考えている
家庭も国も、学校も、
子どもの姿を見失っているように思えてならない。
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