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今日は、いつものコーヒー店で、店の方の自身のお気に入りのブレンドをいただいた。
ロストロでは、一人ひとりにコーヒーの酸味から香りまでお客さんに尋ね、
一杯一杯微妙なブレンドをして、出してくれる。詳しい入れ方は分からないが
その思い入れたるは、似非コーヒー通には分かるすべもない。
私の今日の一杯は、香りと酸味にこだわって、渋みも微妙だった。
そして、そのブレンドの配合にあった、コーヒーカップを数万円からの中から選ぶ。
「いつもは、ドリップで入れているので、今日はサイホンで入れました」と言われ
香りの向こうの何かを感じていた。
目の前の天秤ばかりで、紅茶の茶葉の量を実際に毎回測っているの観て
デジタルのメモリを信じる、というか「実感」があるのか?
数字が表示される秤もまた、そのメモリを合わせるために錘を使っているという。
デジタルのメモリを観て。
「これって本当?」と考える人はいない。
しkし、「実感」がない。
すると、今度は棚の上から
「こんなものも最初は使っていたんですよ」と
昔はこんな秤が店先にあった。
微妙に動く秤の台をじっと見つけた覚えがある。
学校の理科の時間で
分銅と呼ばれる錘に手を触れると叱られたものだ。
「重さ」の感覚、・・・実感ってなんだろう。
***
あまりにも、実感のなくなっている現実の中で
人はひょっとして、頼るべきものさえ見失っているのかもしれない。
そんなことを思いながら、
香りと微妙な味、そして、カップの絵柄・・鼻と舌と目と、いや、豆を挽く音もそうだ
美味しいと感じている自分の手元の本の一節
「大事なのは、自分が何者なのかでなく、自分が何者でもないことだ。
急がないこと。手を使って仕事をすること。そして、日々の楽しみを
1本の自分の木と共にすること。」(長田弘「深呼吸の必要」より)
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