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今は、長編の小説や心が高鳴るようなミステリーはなぜか読めない。
ある時期歴史物を読み漁り、ミステリーだったり、外国文学だったり・・・
今は、軽く読み流しながらも、琴線に触れるような言葉探しが多い。
そんな中で、はまっているのが、「長田弘」さんの詩集ではなく・・・言葉語り、随筆ってとこかな。
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路地の奥で生まれて、そだった。その町の中心の、商店街の道一つ裏。〜〜角を曲がる。ゆきどまり。
家と家が額をあつめるように並んだ路地だ。へちまの棚。たまごの殻をかぶせた万年青の鉢。木目の透
きでるまで洗われた窓の桟。塀はなかった。戸を開けると、そこがすぐ路地だ。路地はそれぞれの家の
通り道であり、庭先であり、子どもには自由な遊び場だった。
石蹴り。なわとび。陣取り。三角ベース。木ごま。バッチ。かくれんぼ。路地の遊びはいろいろだ。だが、
ひとつの約束だけは守らねばならなかった。他人の家で遊んではいけないという約束。路地の住人jた
親しい挨拶によってつがっていて、たがいに隔てをもたなかった。それだけに、たがいのプライヴァシー
は、たがいにきちっとまもらねばならない。
〜〜(中略)〜〜路地の一番奥には、老女がひっそりと一人で暮らしていた。あの人は不幸な人なんだよ。
ーーー子どもには不幸というものが何かわからない。しかし、それに手をふれてはいけないのだということ
はわかっていた。
親しい中にも秘密がある。ひとの秘密に手をふれてはいけないのだ。それが、生まれそだったゆきどまり
のちいさな路地のおしえてくれた、ひとの暮らし礼儀だった。
ひとはひとに言えない秘密を、どこかに抱いて暮らしている。それはたいした秘密ではないかもしれない。
秘密というよりは、傷つけられた夢というほうが、正しいのかもしれない。けれども秘密を秘密としてもつこ
とで、ひとは日々の暮らしを明るくこらえる力を、そこから抽きだしてくるのだ。
ひととすれちがう。何でもないそれだけのことなのに、路地でひととすれちがうときは、おもわず目を伏せ
てしまう。目をあげればたがいの秘密に気づいてしまうとでもいうように。
どんなちいさな路地にさえ、路地のたたずまいには、どんなひろびろとした表通りにもないような奥行が
ある。ひとの暮らしのもつ明るい闇が、そこにある。(長田弘「記憶のつくり方」晶文社)
「たがいに隔てをもたなかったからこそ、たがいのプライヴァシーをきちっと守る」
「ひとの秘密に手をふれないことが、ひとの暮らしの礼儀」
「秘密(傷ついた夢)をもつことで 日々の暮らしを明るくこらえる力を抽きだすことができる」
「広々とした表通りにはない、ひとの暮らしの明るい闇が路地にはある」
そんな言葉を心で追いながら、今の時代に憂いを感じるのは、やはり昭和爺なのだろうが、
これからの人は、どんな香りの中を生きていくのか、と思いは尽きない。
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見えないから、良かったり。出来ないから考えたり、うまくいかないから悩んだり、できない
そんな今が、これからが、、、、。
久世光彦も違う「ロジ」を書いていた。
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そんな露地が夢になろうとしている。日当たりがよく、爽やかな風が吹き抜ければ幸福なのだろうか。私が時折、小雨の露地を拾って歩くのは、あそこに何か忘れ物をしてきたように思えるからである。
(久世光彦 「昭和恋々」 文春文庫) |
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