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今は、長編の小説や心が高鳴るようなミステリーはなぜか読めない。
ある時期歴史物を読み漁り、ミステリーだったり、外国文学だったり・・・
今は、軽く読み流しながらも、琴線に触れるような言葉探しが多い。
そんな中で、はまっているのが、「長田弘」さんの詩集ではなく・・・言葉語り、随筆ってとこかな。
***
路地の奥で生まれて、そだった。その町の中心の、商店街の道一つ裏。〜〜角を曲がる。ゆきどまり。
家と家が額をあつめるように並んだ路地だ。へちまの棚。たまごの殻をかぶせた万年青の鉢。木目の透
きでるまで洗われた窓の桟。塀はなかった。戸を開けると、そこがすぐ路地だ。路地はそれぞれの家の
通り道であり、庭先であり、子どもには自由な遊び場だった。
石蹴り。なわとび。陣取り。三角ベース。木ごま。バッチ。かくれんぼ。路地の遊びはいろいろだ。だが、
ひとつの約束だけは守らねばならなかった。他人の家で遊んではいけないという約束。路地の住人jた
親しい挨拶によってつがっていて、たがいに隔てをもたなかった。それだけに、たがいのプライヴァシー
は、たがいにきちっとまもらねばならない。
〜〜(中略)〜〜路地の一番奥には、老女がひっそりと一人で暮らしていた。あの人は不幸な人なんだよ。
ーーー子どもには不幸というものが何かわからない。しかし、それに手をふれてはいけないのだということ
はわかっていた。
親しい中にも秘密がある。ひとの秘密に手をふれてはいけないのだ。それが、生まれそだったゆきどまり
のちいさな路地のおしえてくれた、ひとの暮らし礼儀だった。
ひとはひとに言えない秘密を、どこかに抱いて暮らしている。それはたいした秘密ではないかもしれない。
秘密というよりは、傷つけられた夢というほうが、正しいのかもしれない。けれども秘密を秘密としてもつこ
とで、ひとは日々の暮らしを明るくこらえる力を、そこから抽きだしてくるのだ。
ひととすれちがう。何でもないそれだけのことなのに、路地でひととすれちがうときは、おもわず目を伏せ
てしまう。目をあげればたがいの秘密に気づいてしまうとでもいうように。
どんなちいさな路地にさえ、路地のたたずまいには、どんなひろびろとした表通りにもないような奥行が
ある。ひとの暮らしのもつ明るい闇が、そこにある。(長田弘「記憶のつくり方」晶文社)
「たがいに隔てをもたなかったからこそ、たがいのプライヴァシーをきちっと守る」
「ひとの秘密に手をふれないことが、ひとの暮らしの礼儀」
「秘密(傷ついた夢)をもつことで 日々の暮らしを明るくこらえる力を抽きだすことができる」
「広々とした表通りにはない、ひとの暮らしの明るい闇が路地にはある」
そんな言葉を心で追いながら、今の時代に憂いを感じるのは、やはり昭和爺なのだろうが、
これからの人は、どんな香りの中を生きていくのか、と思いは尽きない。
**
見えないから、良かったり。出来ないから考えたり、うまくいかないから悩んだり、できない
そんな今が、これからが、、、、。
久世光彦も違う「ロジ」を書いていた。
**
そんな露地が夢になろうとしている。日当たりがよく、爽やかな風が吹き抜ければ幸福なのだろうか。私が時折、小雨の露地を拾って歩くのは、あそこに何か忘れ物をしてきたように思えるからである。
(久世光彦 「昭和恋々」 文春文庫) |
信じぬくそれでパーフェクト
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先週の土曜日に発症した私のインフルは、月曜に医者に行くと
うっすらと赤い線が出ていて、医者には
「イナビル・・とかやらないで治しましょう」と言われ、1週間かかってしまった。
明日から、学校だが、子どもたちは大丈夫かなと思いながら・・・
***
書きたかったことは違う。
それは、2回も行った町の医院の待合室で聞こえてきた会話のこと。
「もう、うちは、お父さんと子どもがかかって大変」
「予防注射したの?」
「するわけないでしょ、子ども3人で1万円、2回するのよ」
「そうだわね、子どもの医療費はタダなのだから、」
「どうせ、みんなかかるんだもの」
・・・・
保育園も小学校も半分以上の子が休んでいて、
インフルでも登校させる親もいるという。
・・・・
つながらないが
なにか、どこかでつながっているように思うのが
「あおり運転」の事件
「はま寿司」や「すき屋」の動画
そして、
あの悲しい野田の事件
***
なんだろう
何がつながっているのだろう
「想像力」なのだろうか
「こういう風にしたら、こうなる(めいわくになる)」
「こうしないと、きっと、こんなことになってしまうかもしれない」
という想像力が、勝手や自由、
という名のもとになくなってきているように思えてならない。
数年前に書いた自戒の念
自由だけでは生きられない!と知ったのは何時からだろう
あれは、新宿の中学校に通っていたころ。
私自身も、♫尾崎♫に憧れ
そのころは反体制のファークソングを体育館で歌った。
古いが、♫岡林♫や♫拓郎♫に憧れ、学校の壁面に落書きを描いて、
バケツを持たされブラシで消さされた苦い思い出もある。
詰襟の下にはワイシャツだと言われたのにいつからかチャイナを着て学校に行き
パーマをかけた頭は、職員室で見せしめのようにハサミで切られたこともあった。
しかし、校則がなかったらやったのだろうか
初めて手にした生徒手帳の身分証明は何か面映く、
しかし、大人へのパスポートのような気分にさせた。
しかし、そこに書かれている「校則」は読まなかった。
そう、つまり
「校則」やきまりというものは
社会との出会いであり、価値規範(自由にならない、あるときは理不尽なもの)との遭遇だと思う
自分の存在を確かめるために
対立軸を置くとき
それは オトナであり 先生であり、権力であり 規則であった。
そして、その対立軸とどう距離をとり、どうぶつかり、・・・ということを
経験するのが中学、高校なのかもしれない、と今は、思う。
化粧しても
髪の毛が長くても
靴のかかとを踏んでも
「だれかの迷惑にならないんだから」と言う。
迷惑がかからなければ
すべて自由でいい!というのが社会ではないのだから
それにぶつからなくてはいけないし
「迷惑は実は回りまわって、影響という形で人に関わっていく」
ことも知っていくことが必要なんだろうと思う。
縛解一如
という言葉がある。
縛られるから、解かれる自由がある
それは表裏一体。
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あと、10日間で本校の6年生が巣立っていく。
どんな中学校生活が彼らを待ち受けているのか?
今日、ある卒業生の「今」の連絡があった。
家庭で暮らすことができなくなって、養護施設へ・・・ということになったらしい。
私は一言
「その方が良いのかもしれませんね」と、情報をくださった方に話した
その方は
「もし、子ども本人が連絡したい、と言っていたら、先生に言うのでお願いします」
と言われた。
前の学校でも、中学校に出かけ、
子どもの「これまで」とこれから」を話すと
きまって、
「そちらにいるときはいいんですけどね」・・・
こんな言い方をされたことも
「ある意味、手をかけてくれるから、子どもにとっては、ぬるま湯みたいなところも
あるのではないでしょうか?」
「そちらだから できるんですよ」・・・
30年の病弱養護学校(特別支援)の教員生活。
20数年前までは、不登校の子はこうした学校では受け入れていなかった。 重複の障害という名目で、肥満故に・・・ぜん息故に・・・ という子ですら、「集団に適応できない子は?」と 入学の時点で、入学することに歯止めがかかったことすらあった。
しかし、私は、こういう学校の本来の意義を毎日追い続ける中で、 「心の弱さ、心理的な虚弱児童」こそが、こうした学校に来るべきだ!と考え、 いろいろなところで話してきたが、 なかなか、一教員の話など聞いてくれることもなかった。
しかし、時代が、社会がそれではもたなくなってきた。 不登校の子は確実に増え、区内の学校は、そうした子どもたちへ対処に追われるようになった。 また、心身症の括りが子どもにも降りてきて、そうした子どもへの教育機会が問われるようになる と、 その矛先は、自然と病弱養護に向かった。
そして、不登校傾向にある子は、(社会が生み出している)本校のような学校入学してくるように なった。このことは、ある意味、私が望んでいたことでもあり、その子たちの教育権を確保する為 にも契機だとも、 考えていたが。
そして・・・10年。 卒業する子どもたちの3分の1程度が、本校入学以前にそうした経験をもつ子というような「今」 になった。何故、学校に行けなく、友だちとうまく関われなくなって、本校を希望してきたのかは
様々である。来るときの状況は、もっと、言葉には表せないようなつらいこともあったはず。
そうした子どもたちに、 友だちといると楽しい、 がんばることってうれしい、 学校って楽しい、学習って面白い。 という時間を充実させてあげることが、こうした学校の意味。 それが、中学で実を結ぶか、高校で花をさかせるか、いや、ずっと心の中のこやしにはなるが・・・ 形を表さないのか・・・それは、 本校を出てからの、多くの出会いと、家庭、に大きく関わってくる。(その子の本校入学以前が そうであったように) だから、中学校に行けなくていい!なんて言っているわけではない。 こうした学校が、中学校に行かせるようにするための学校ではなく、そんな簡単な問題を我々は 投げかけられているのではないということだ。 何故、中学に行ったら学校に行けない?? どこが違う?今向き合っている先生や行政の方が、一度でも、館山や保田や天津に何かを求め、 「どうして、子どもたちはここだと生き生きと毎日を過ごせるのだろう?」 来たことがあるのだろうか。 「あそこは特別だ!あそこだからできる・・・」 という前にやらなければいけない、考えるべきことがあるはずなのに、それは放棄して、 何かのせいにする。 「甘えてんじゃない!」と私は子どもたちに言うことがある。 しかし、同時に、今、その子たちを目の前にしている大人にも言いたい!! 「何かのせいにしても答えは見つからない!」と 今、30過ぎの 卒業生からメールが届いた。 私の誇りある卒業生の一人だ・・・。 突然に思いつき、役に立つかなんて分かりませんが、誰に話すこともない話で心の中で詰まってい ることなので話をしようと思います。誰に相談することも無く今日まできた、ほんの少し前の僕の話 を。 小学校までは何にも知らず幸せだったと今は思う。卒業後、東京に戻り、中学へ。中学校時代は友達 という友達はできなかった。家庭環境は最悪。電気やガスまでよく止められていた。暗い部屋ですご すことも度々あった。中学生の僕にはなにもできないし無力だった。 高校へ入学。定時制への入学だった。中学へほとんど行かずにいた僕がいけるのは定時制しかなかった 。定員に満たないから入学できたというまぐれだ。 中学校へほとんど行かなかった僕にはここで全てを取り戻すチャンスだった。学費は両親が出すと言 ってくれた。そのときまでは安心していた。 入学してまもなく昼間の空いた時間をアルバイトに当てようと職を探したが定時制という学校にいる ことは社会ではリスクになること悟った。完璧といえるほど断られた。担任は僕の為に職を斡旋して くれた。まるで俺の親父のように面接まで着いてきて宜しく御願いしますなんて頭までさげてくれた。 実の父親さえしないこと。 毎日毎日、必死で働いた。 高校の二年生。安心は崩れた。 学費は払われていなかったのだ。その頃の僕には大金だった。払わなければ除籍処分だと言われた。 給与で買い集めた好きな音楽のためのギターの数々は夢でもあり真剣だった。宝物だった。1本10 万円平均のギター5本。納付期限に間に合う金額が手元になかった。 このまま除籍になると僕の二年間は空白になり存在しないことになるのかと思うとたまらなく悔しか った。友達と一緒に全てのギターを中古楽器店に売りにいった。手にした金額は思った以上に低くそ れを握り締めて学校へいった。足りない分を分割にしてもらうために必死で頼んだ。何とか許しても らえた。両親は互いに言い争うばかりで結局なにもしてくれなかった。親父はその月に中古の車を 買っていた。親に裏切られたと本気で思った。 それから毎月、働いた給与を担任に預けた。信じれる人が家族でないことに悲しかった。 高校2年の夏休みに友達をバイク事故で亡くした。同時期に初めて付き合った彼女を自殺で亡くした やる気の無くなった時期だ。彼女はイジメが原因であることを後日知った。無力な自分に腹が立った *** 警護員になった理由は前回、保田で話したとうりでもう一つは誰にも話してこなかったけれどもこの 彼女のことも大きな理由の一つでもあるんです。 こんな感じで悲劇ばかりなんて思い何もしないような人間ではなく、僕はただ、どうなるかも分からな いけど自分と必死で戦いました。 相変わらず両親は僕からお金を持っていき、なすすべなくただひたすらに働きました。ずっと裏切られ た悔しさは癒されなかったけど、最近は、考え方は変わり、どんなに腐っても親は親で子供は子供な んだと思うようになりました。 どこか変わったの?なんて聞くかもしれませんが、何にも変わらないですよ。でも、ただ何となくそ う思うんです。本当は楽をさせてあげれればなんて思うんですよ。何故、誰かを頼らなかったのか、 良くは分かりませんが、自分の人生だし、自分自身を失ってもそれさえ自分で取り戻したかった。 全てがいいことだったかと言われると全然です。でも人の気持ちをちょっとだけ理解できるよになっ たと今は思うんです。 こんなにたくさんのことが起きたのに未だに僕の中では小学校のころの記憶の方が鮮明なんです。も う駄目かな〜って思うと先生の顔だったり、仲間の顔しか浮かばないんですよ。誰も頼ってこないよ うできっとそこで救われていたのだと今は思います。 この子は不幸ですか。 幸せですか。 ただ 今を生きています。 わたしの前で・・・ 「そこにいるときはいいんだよね」 と言った多くの方に言いたい ぜひ、返信をください。 色々な見方があっていいと思うのです。 ただ、議論や問題から逃げずに話しませんか???? |
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朝の読書とドリル学習
以前に勤務していた学校では、毎朝、子どもたちは20分近くの読書タイムが根付いていた。 子どもたちは習慣化していた。 今の学校では、朝の読書はなく、ドリル学習が位置づけられている。 基礎的な学力を身に付けさせたいという願いだが。
最近は、子どもに身に付けさせたい力がドリルで身に付くのか
疑問もある。
少なくとも、読書と比べるものではないはず。
11月初めの休みの間、体調を崩して家にいることが多かった。 出かける用事もあったのだが、キャンセルして「のど痛」と咳に苦しめられた。 こんなときは本を読もう!と広げてはみたが、 病の床で本は読めないもんだ。 少し回復してきたので 気晴らしにインターネットをこうして開いて、 Ituneから、電子ブックを読んでみようと思った。 しかし、パソコン上の文字では読書にならないことが判明した。 電子ブックなるものが言われ、久しいが、 私の年代だからなのか、私が遅れているのか、 どうも、画面に映し出される言葉には感動が湧いてこないのはなぜだろうか。 (と、書いている自分も不思議だが) パソコンの文字は「情報」、といっても何か切れ切れの感じがしてしまう。 自分が求めている索引、知識を得るためのものであるという思い込みがあるのかもしれない。 また、何か思いに耽る、目が空を泳いだり、 感情の高まりで立ち止まったりする時間を与えてくれないような気がするのである。 まあ、同じような展開になったときのナナメ読みも(精読ではなく)もしかりである。 そのあたりが普及しない一因なら、何か嬉しいような気もする。
そんなわけで、最近は図書館に通うことが多くなってきた。 町の小さな図書館。 どちらかというとブックオフ派だった私にとっては面倒なイメージがあったのだが これが、重宝している。 蔵書はあまりないのだが、検索(パソコンも重宝して)をすれば、 県内の他の図書館から取り寄せてくれるだけでなく、購入してくれるらしい。 貸し出し中の本の場合は℡で連絡もくれる。 ありがたい限りである。食わず嫌いだった自分が恥ずかしい。 話はそれてしまったが・・・教室の読書。 あの頃、
子どもたちは8時20分になると、自主的に踊っていた踊りをやめて チャイムもなしに教室に戻り、「読みかけ本コーナー」にある本を持って机に向かっていた。 ジャンルは特になく、教室には一般的なフォア文庫から、竜馬がゆく、湯本香樹実・・・ 今子どもたちが読んでいる本では、灰谷さんや重松さん、宗田理さんの「ぼくらシリーズ」などが並んでいた。(そういえば、去年の6年生のアユム君も嵌っていたっけ) 感想を書かせることもない、記録だけ残しておこう、ということに確かなっていた。 *** 人は言葉を通して思考する。 語彙力は、豊かな表現につながると同時に、論理的に物事を考える力となる。 「むり!」「チョー!」「うまい!」「すごい」から 「付き合っている」「むかつく」・・・・ という現代っ子に、「違うぞ」と言っても意味はない。 藤原正彦氏も著書の中で書いていたが ・・・同じ好きな人を思う気持ちでも、 「好感を抱く」「ときめく」「見初める」「べたぼれ」「身を焦がす」「恋煩い」・・ など様々な語彙で思考や情感をいったん整理して、そこから再び思考や情感を進める・・・ 「好き」しか持ち合わせていないと情緒は直線的なよほどひだのないもになってしまう・・・」 演劇を一緒に子どもたちとやっていて思うのは 演技の上手な子は「本をよく読む子」どということ。 台詞に描かれた状況と心情をを、言葉のニュアンスで受け止め表現しようとするから。 スピーチの上手な子ももちろん読書に通じている。 相手を理解し、相手にわかるように話すことには、語彙力の力が欠かせない。 湯川秀樹さんも素読を・・・ 数学者でさえも、いや、科学をやる人ほど読書家はいない!とも 亡くなった立松氏も書いていた。 私何ぞ、これから、色々な本に出会っても脳を鍛え、生き方につなげられるとも思わないが、 子どもたちには、こういう時代だからこそ、「本を読む」という楽しさを味わってほしい。 1週間に2日ぐらいは、「読書じゃなくドリル学習を!」とはじめた学校・・ があの頃あって、読書について話に行ったことがあった。 わがクラスのG君もS君も本が大好き
この前は、ロビンソンクルーソーに続いて
トムソーヤの冒険を アマゾンで買って教室に置いた。
定着させて、「本の大好きな子どもにしたい」 写真は去年の卒業生が1年前の今日に描いてくれた竜馬兄
私の読書の原点「竜馬がゆく」・・・・11月15日
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ある学校で、話させていただいたこと・・・抜粋 29.10.25(水)
ここまで、自己紹介を兼ねて話させていただきましたが、やっと本題です。というか、
何が、本題かは、私が決めることではなく、聞き手である皆さんが決めることですが
私の師匠は、津田成一という先生です、その方が、よく言われていた言葉に、聞き入
る、聞き捨てる、聞き分ける、聞きよどむ、という言葉があります。
ぜひ、つまらないことは 聞き捨て、気になることは聞きよどみ、琴線に触れること
があれば、聞き入ってください。
私がこれまで勤務した学校は全寮制の病弱児のための特別支援学校です。とは言っても
今は喘息の子は殆どなく、昔からの入学理由の虚弱?などは皆無です。肥満の子どもはい
ますが、去年でいえば、半数近くの児童が、重複入学理由として、「不登校や集団不適応」
を抱えています。発達障害や自閉的傾向や、ADHDという理由での入学はありませんが
その理由で入学できないだけで、実際には多くの課題をもった子供たちが入学しています。最近多いのは
「突発的に衝動行動を起こす児童」・・ものにあたったり、簡単に暴言、暴力に走る子
「生活リズムの乱れが激しい児童」・・・朝起きない、夜ふかし、3食食べない子
「人間関係が調節できない児童」・・ストレスマネジメントができない、人との距離感をつかめない子です。
去年、子供たちと授業=自立活動 の中で話し合ったことがあります。,
プリントにあるのが子供たちの生の姿と言葉です
就寝時刻、起床時刻、食事、そして、そこに書かれているのが児童の言葉そのままです
「生活リズムが崩れてしまうのどうしてか」という問いに6年生たちは・・
ちょっと読んでみてくさい。 以下は配布プリント
児童の話し合いから・・・。 「1日10時間はやってる」 こちらの学校で、話したらどうでしょうか?そこそこ変わらない、言葉にできるかはな
れでしょうが、子供たちの生活の今を語ってるのだと思うのです
ある区の中学校の女の先生、この先生はもと某有名企業で仕事をされていて、どうして
も教師への夢を捨てきれず、3年前に先生になった方です。
子供と正面から向き合う、自分にもっともっとフィードバックしてくるような仕事がした
いと、大学の頃の夢を叶えた、と言っていました。
その先生が、下さったラインにこんなくだりがありました。
昨日の朝、校長先生に呼ばれました。
私の指導は体罰になるから注意するように、(女の先生)
何があったのですか (私)
まあ、詳しくはここでは書けませんが こんなことです
その先生、いつもはとても優しい先生、その先生が教室を飛び出し廊下に飛び出した
男子の腕をつかんだ。大きな声で、男子は「やめろよ」とどなり、先生はそれでも手
を離さなかった。男の子はその先生がそんな風にまで叱る原因は分かっていた。教室
で、給食後に暴れて、女の子に注意され、その女の子を蹴って逃げた。
女の先生は、その男子の肩を持って、その場に座らせ、自分も目の高さを合わせ、す
わり、ゆっくりと話してきかせた。
「どうして?何があったの」「気持ちが落ち着かなかったの?」
男の子は目に涙をためて聞いていた・・・という。
校長先生は、「信頼関係」とかでなく、行為として、腕をつかむ、無理やり座らせる
そいうことは 体罰になることがあるんだ、と言われたと 書いてありました。
2つの事例を読んでいただき、率直に感じたことがありますか?ここでは言えない、こともあるでしょう?立場があったり、最近は、よく 服務事故報告なんてものもよく回ってきますから、あてはめてしまうのですよね。このぐらいは?とか、
さて、こんな現実を前にして話を、子供たちに戻しましょう
最近の子供たちを観ていて感じることが3つあります。
1つめは、子供たちの表情の乏しさです。
眼差しや、面差しの強い子が少なくなった。何か嬉々として動き回る子よりも、机の前で
何処を観ているのか分からないような子が多くなった。授業ではうまく立ち回れるのだが
その子たちが何を考えているのかが見えないことがある、まあ、これは 先生失格なわけですが。型通りの言葉は返すのだが、自由にしていいよ、考えてごらん!なんてやるとどうしていいかわからない。
2つめは、頑張ろうとしない子が多くなった。頑張った経験のない子が多い。一つのことにとことん取り組むよりも、広く浅くすらすらとその場をやり過ごす。コツコツと頑張ったり、物事に正面から励もうとする子を馬鹿にするような空気がある。やってもみないで
「無理」と関係を断ち切ってしまうことで、無関心を装おう。自分たちは傍観者でいる。
友だちともあまり深くかかわらない。深くかかわることを恐れる。正義感・友情・真面目、そんな言葉を笑う子、親もいる。
3つめは、畏敬の念というものがなくなった。自然に対する恐れのない子、目上の人や大人に対して自分をしっかりと比べることができない。寄り添う価値基準がはっきりしないままに、子供は自己中心的で他者意識という人間として大切な基を失ってきている。だから、友達もまた、自分以外のものにすぎなくなる。
子供のマイナスばかり 話してきましたが、子供が問題である!と言いたいわけではない。問題を我々に投げかけているのです。そして、我々は、子供に、「問題を解きなさい」というように、こうした子どもの問題に答える義務があるはずだと思うのです。
表情の乏しい、感性の鈍い、そんな子供たちを作り出しているのは何が原因なのか
耐性が無く、すぐにあきらめてしまうような子、頑張りを笑ってしまうような子は、なぜ生まれて来たのか、
自己中心的で大人や他者を認められない子はだれが作り出したのか
マスメディアは、隠しカメラで人の頑張りを笑いあうような番組を流し、
他者と関わることなく1日を過ごせるようなおもちゃ(ゲームやスマホ)を開発し
常にだれかを(何か)いじめの対象にしているようなニュースの中で子供たちはしっかりと学んでいるのです。
どうすれば、いいかの特効薬はない。
しかし、家庭や子供たちを取り巻く社会の中で、結局、学校しか担えない役割が、今だからこそ問い直していく必要がある、と思うのです。指導死なんて言葉出て来て、体罰の問題もしかり、保護者の要求も多くなり、上からは、学力の定着や何とかスタンダードとか形ばかりのアカンタビリティに追われる毎日かもしれないが、子供の今を観たら、学校という場、集団として、かかわり合う価値や行事や経験を積む場としての意義を今一度考えなおしていかないと、子供たちの育ちを保証することはできない。その意味で、次の何点かについて、考えていただきたい
1つ目は 学力。学力の低下が言われて久しいのですが、学力テスト論争なるものも、私が若かったときからずっとあります。ある県の知事やどこかの区の校長はいまだに、学校順位をつけることにこだわり、平均点に右往左往しています。私のような学校でも、これまで、たった3人しかいない学年で、クラス平均を出して、他校と比較したりするのです。その結果で、この学校は他校に比べて・・というオエラがいて私はぶつかったこともあります。学力低下が言われるのは、他国との比較で波が起きます。PISA辺りの結果が言うところの順位は数年前と分母が違っても、(つまり、国ではなく地域との比較等)問題視され、ましてや、日本に足りない力が 応用力や発展的な思考力と言われているのに、そこを大きくは取り上げない。あれだけ、20数年前に「加速度的に情報が氾濫している現代に、必要なのは量としての知識ではなく、問題と向き合い、解決していく意欲と力であって、そのためには、経験の中で学びの力を身に付けていくことだ」と旗をかかげていたのに。です。大切なのは
○問題を見つけ、○問題意識をもち ○問題に取り組む意欲をもって ○解決する
つまり、自身のもっている知識は土台としての「応用力」に他ならない。そして、そうした力は、各教科の学習だけでなく、実の場としての体験的な学習場面の中で培われていくべきもの。その考えから生まれた、総合的な学習や土曜日の有効活用、ましてや、ゆとりをうまく生かせなかったつけを「ゆとり世代」などと揶揄して「学力低下」の主因であるかのごとく論じてはならないと思います。学校の裁量で、小手先のアクティブラーニングなんてやらずに(いや、これまで、教材研究をしっかりと学習材研究としてやってきた先生は普通にやってきたわけで)集団として、個としての経験を重視したカリュキュラムを柔軟に、そして、挑戦的やってほしいのです。
二つ目は、養育指導。私の妻は保育園に勤めていますが
「今日は、お子さん、風邪気味だから、ゆっくりと寝かしてください」
「ご飯をちゃんと食べていますか?病気の時はそばにいてあげてくださいね」
「休みのときは早めにお迎えに来てあげてください。さびしそうにしてますよ」
そんなことは、絶対に言えないようです。
保育園に入れないと親は困ります。子供を預けないと仕事に出られません。私も母子家庭で育ちました。母一人子一人、まあ、あのころは私生児という目でみられたりもしました。だから、母親一人で子どもを育てる苦労を少しは分かるつもりです。しかし、保育園に入れる、幼稚園を無償化する、待機児童を0にするという施策ばかりが表に出ますが、そこに子供たちの姿が浮かんでこないのです。最近、北海道で美味しい居酒屋さんがあるというので妻と行きました。そこで、隣に座ったのが、夫婦と小学校3,4年の男の子と5歳ぐらいの女の子でした。ご夫婦は中ジョッキを飲みながら、とりとめのない会話をしているのですが、子供は、勝手に、メニューをなれたもので注文し、上の子は最後までゲームをしていました。
ここに、こんな本があります。虐待や育児放棄のことが、或る視点で鋭く書かれていますが、すぐ このあとの日本が想像できます。これからの・・
リフレッシュ保育、病児保育、孤食、過干渉、朝食を作らない、
夜寝かせない、居酒屋夕食、スマホ育児 どう思いますか、
もし良かったら 皆さんなりにスルーせずに 考えを1つでも書いてみることです
この本の中の言葉を引用します
「子供には誰にも奪ってはならない基本的な人権がある。それは、食事を与えられ、服を与えられ、住む場所を与えられ、危険が守られることだ。しかし、ただ単に、体の生存に必要なものだけ与えればそれでいいというものではない。心の面でも健康に育てられる権利がある。そうでなければ、生きてきたことに価値を見いだせる人間に成長できないからだ。こどもは、また、してはいけないことの違いを親から適切に教えられ、失敗を許され、しつけられることが大切だ!」(「毒になる親」スーザン・フォワード)
ぜひ、保護者に言える時があれば、こんなことを言ってください。一部でもいいので繰り返して、言ってください。
・親は子供を同じ時間に起こしてあげること[起こすこと]
・起きたら、朝の光を浴びさせること。(部屋を明るくすること)
・朝食は一人でなく、二人でもいいから一緒にたべる
・朝の儀式を行うこと(顔を洗う、服を着替える)
・晴れた日には、買い物でも、散歩でも、小さい時から外に出すこと(昼を意識)
・昼間は元気に遊び、夕方からは遊びは静かに 刺激は少なくすること
・夕食は7時半ぐらいまでには済ませる(孤食にしない)
・夜は必要以上に電気を点けず、寝室(こどもが寝る部屋)は暗くする
・寝る前の儀式を行うこと(歯を磨く・着替える・あいさつをする)[夜を意識]
・小さい時は一緒に寝るようにする(本とか読んで聞かせる)
「生活リズムは体で、親が身に付けさせる1番の栄養である!」
朝 起きることも、夜寝ることもしつけておかないで、「学校に行けない」ことを
子供のせいにしてはいけない。ある意味、学校から発信することは難しいご時世だが、
行政のベクトルがそちらに向いていない以上、子供たちの問題解決はできるところがら、何を言われてもやるべきである、思っています。
3つめは 基本的な自尊感情、ということ
自己肯定感のない子が多い。子供たちのなげやりな態度、言葉は、心のずっと奥にある自尊感情が育まれていないことに起因すると私は思っています。
社会的自尊感情とそして基本的自尊感情、これは、近藤卓という方が話されていることです。
「死んだ金魚をトイレに流すな」という本に出会って、何度かメールをし、或る時、板橋で講演していただき話をさせてもらいました。その時に言われていました。大切なのは 基本的自尊感情とは、無私の愛情から生まれるべきもの。子供が生まれたとき、その一挙手に喜びを感じ、小さな笑顔に親を感じた。ある時まで、子供はかけがえのない存在であったし、子は鎹とまで言われた。しかし、今、子供は天秤に掛けられる存在になった。寄り添って、本を読み、一緒に美しい風景を並んで観て、感動を共有し、一緒に食事をして時間をも共有すること、を何かの為に犠牲にすることも仕方ない、と思う時代になった。基本的な自尊感情とは、そうした経験の中で得ることの出来る、「自分は親に大切にされている」
「自分はここにいていいんだという」というもの そして、社会的自尊感情とは、それとは違い、人に認められたり、何かで秀でて、自信をもつことによって得られる自分への思い。これは、後発的に、他の人、先生であったり、他の友だちであったりから得られるもの。
しかし、基本的なそれが、根っこにない社会的自尊感情は、風船のように膨れても、空気をある程度自分の努力で入れ続けないとしぼんでしまう。
悲しいけど、我々、先生ができることは後者でしかない。保護者の世代も、そうして育てられてきた時代になってきている。基本的自信感情を育まれてこなかった親に育てられている子が、もうすでにたくさんいます。私は、あるテレビの番組が縁で、サバイバーと呼ばれる、虐待を受け続けた女の子、もう大学生でしたが、と、養育して貰えなくて、中学校から養護施設に行かせた子との出会いから、親自身が
子供の育て方を知らない、そんな連鎖の中にいることを知りました。
学校でできることは?社会的自尊感情であっても、先生が子供をしっかりとそのままを受け容れることだと思います。そして、教室そのものの 心の場づくり、集団の中でも自分の存在をしっかりと確かめ価値づけられているという自信です。そのためには、たくさんのものさしのある教室作りをすること。
学力や体力だけでなく、真面目さや気の付き方や、おしゃべりだって、さらには、そうした、認め合う場づくりを意図的にすること、その子の今をしっかりと見つめてほしい。例えば、最近では、読書を学習ではない!などと公言する方もいますが、3年生まで、いや、6年生であっても、週に一度ぐらいは読み聞かせをしたり、じっくり好きな読書をさせる。または、心に訴えるような絵や音楽、ビデオだって、上手に組み込んで授業として、そして、一緒に先生もまっすぐ
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