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祭のあと
という拓郎の歌があった。 歌詞よりも、あの歌いっぷりとメロディーが残っている。 都合四日間の町の祭が終わった。 朝4時に起きて、ほとんどを祭の事務所と神輿、万灯に着いて、日常でない日々は、疲れたが、やはりそこには、人々のつながりがあり、その中の自分を感じた。 神輿渡御は初日の宮出しに始まり、この町にこんなに人がいたのか?思わせるほどに活気に満ちていた。 我が町内では、浜手が多いので、担ぎ出しの出の神酒には、今年、港にあがった一番大きな赤むつ《ノドグロ》が出される。 金目の煮付けに誰も手をつけようとしないほどの美味…麻をタスキがけにして神輿に 今年は膝の手術後だったので、サポーターを巻いて、娘に叱られない程度に、 たくさんの人に おー大丈夫かおー あにやってんだおー、無理すんじゃねぇーぞ! などと声をかけられながら、 偉そうな話も 仕事の話も ブレッシャーもない そんな時間がたまらなく良かった 今年は、 8月に20年に一度の鳥居曳きがあって、 また3日間祭がある。 祭のあと を歌っている暇はない。が まあ、それもいい、 |
この地天津のこと
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3日間の祭りが今年も終わり、
今日は早朝からの片付け・・・
葦簀、シー.ト、テント、さらには、日の丸、大漁旗が神社の横に吊るされると、
宵宮からの喧騒、賑わいから、目の前の波の音に・・・
祭りのあと・の心地よさ。
足は張っているし、頭は二日酔いで・・・
胃腸の心配もしなくてはならないが。
***
昨日は、最終日。
夜、遅くまで3日間がんばった子どもたち20名を
神輿納めの合間を縫って、食事に連れて行った。
幼稚園の女の子から中学校3年生の子までが、
座敷でにぎやかだった。しかし
年に1度の子どもたちの空間には、少しずつ関係が出来ていく。
水を汲むのも、そばの食べ方を教えるのも、
「他のお客さんがいるから静かにね」なんて、
足袋を脱がせている女の子。
一緒に雨にぬれてもがんばって、万灯屋台のあとをついて太鼓を叩いた
仲間だから、いつもの、遊びの関係ではないものが生まれていた。
大人の事務所、祭りの事務所は宴席、常に酒があって、
けんか(腰勢いのいい)の言葉が飛び交う。
子どもたちとの万灯屋台の町内廻りが終わると、
この部落ならではの料理も出る。
出の神酒には、必ず赤むつが出る。大きな皿に盛られた2尾の赤むつ・・
今年は60センチ近くはあった。
1年に一度だけ、回ってくる皿の身をほぐして全員で食べる。
漁師の奥さんが煮てくれた味は絶品。
1尾、魚屋なら3000円もするであろう金目も2尾同じように回ってくるが
「俺は金目はいんねー」
などという者も多い。
長老から魚はめぐり、青年長・・・幹事・・・と順番は決まっている。
毎回の飲み会も、氏子総代、町内会長が席を立たないと、その下のものはあがることはない。
最後に、事務所に残る者も決まっていて、屋台が出た後に、
机の上を片付けてから、神輿・屋台に向かう。
しかし、そこでも、
長たるものたちは、
「片付けお願いします」と、残る者に言わないと大変だ。
挨拶が出来ない、場を読めない、けつが重い、自分で判断できない・・・と
やはり、この上下関係の中では、ハッキリと言われてしまう。
神輿の最終日は、「御社入れ」
2日間各町内を廻り、一晩をお仮宮で過ごした神様を
神社に戻っていただく儀式。
祭り最高潮の盛り上がりの中で、
昔からのしきたりにのっとり、神輿の納めが進んでいく。
最後のきつい階段を2本だけになった担ぎ棒で神社に上げていくのは容易ではない。
何度もぶつかり、最後の力を合わせて、
「恥ずかしくない、意地を見せよう」と男衆は踏ん張る。
そこには地位も肩書きも仕事もなく、ただの
祭りの男衆としての意地があるだけだ.
***
コミュニケーション、関わり合い・・・言葉にすれば簡単だが
土地に根ざした文化を通しての関係が、わずらわしくもあろうが
町を創り、自分自身の居場所を創っていく。
まち(この辺りでは祭りをこう呼ぶ)が人を創る、関係を創る。
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3日間の天津の祭りが 今 終わった。 |
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25日から町の祭りが始まった。 |




