徒然なるままに

古希を迎えた暇人がBlogに挑戦します。日頃の様々な出来事を中心に、感じた事や思う事を表現してみようと思い立ちました。

徒然日記

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文化の香り

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年末、来たる新年に想いを寄せたカレンダーが沢山、私達の目を楽しませてくれる。
特に、世界遺産のカレンダーには毎年心を動かされる。
動植物達にとっては、はなはだ迷惑で理解に苦しむ事であろうが、私達人間にとっては人種、歴史の違いを超えて貴重な歴史上の財産の一つが世界遺産とされているものであろう。

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ブログに写真を載せる操作が面倒で、今までの投稿はほとんどがおよそ写真とは縁のない内容のものだったが、先日来たまたま自分のデジカメの写真を載せて投稿したのがきっかけで、何となく写真入りのブログの投稿も楽しそうだと思い始めている。

自分の気持ちが、何時どんな風に変わって行くかは分からないが、素直に自分の気持ちに従って、当分の間は自画自賛の写真を載せる記事も投稿することにした。

何年前になるだろうか。“新宿副都心”と云う言葉が定着した頃、そのビル群の一つの上層階のレストランで食事をしたことがあった。
 窓外を眺めると、すぐ目の前に隣のビルが手を伸ばせば届きそうに迫って見える。

 その時ふと考えた事を今も引きずっている。

 「大きな地震で、これらのビルが前後左右に振れ始めた時に、ビル同士は同じ方向に振れてくれるのだろうか? 夫々がばらばらの方向に振れるとビル同士がぶつかり合う事にならないか?」

 最近、東京に出てみると東京駅周辺の超(でもないのか?)高層ビルの乱立ラッシュである。
 新宿副都心ほどに密集している感じはしないが、しかしビルの足元を歩いていると“不気味なもの”を感じるのは私だけではないだろうと思う。
 総ガラス張りの“超高層”の姿は「壮観」と云える凄い眺めであり、このようなものを企画・設計・製造する関係者の能力も“凄いもの”だと思う。

 しかし、一方では「大丈夫か?」と思う不安は常に付きまとう。
 その不安を裏付ける一つの例が先日の“絶叫マシンでの死亡事故”である。
 たったあの程度のマシンで、点検の基準がどうのとかその点検をやっていたとかいないとか、右往左往の騒ぎをやったが、これもまた人間の(日本人の?)“文明”の実力の一つであることを思い知らされた。

 人間の“刺激を追い求める欲望”に追従していると切りがない。その結果の産物の一つが“絶叫マシン”である。
 あんなものこそ国家の意思で禁止すべきである。

 超高層ビルのスケールは絶叫マシンとは比較にならないほど大きい。
 ニューヨークの“9.11”は飛行機を使ったテロだが、超高層ビルが天災や事故で崩壊を始めると“9.11”と同じ事になるのは目に見えている。

 数年前に台湾の台北に行く機会があった。 丁度 “台北101” と云うバカ高いビルが完成直前だった。
 台湾に対しては失礼な言い方になるだろうが 「果たして、台湾がこの巨大なエネルギーを秘めた建築物を長年に亘って維持管理出来るだろうか?」と素朴な不安を感じた。

     今、同じことを自分の国で感じている。

昨年、友人から“台北101”が花火に包まれている動画を見せて貰った。 
実に驚いた。あの眺めは、私のように気の小さい人間なら誰でも 「大丈夫??」と思うだろう。

 先日、今度は上海で超高層ビル建築ニュースが流れた。

  上海ヒルズ(上海環球金融中心)
               高さ世界一 492メートル 101階   森ビル

何処までやれば気が済むのだろうか。

 「触らぬ神に祟りなし。」
 巨大文明に対して、私はこの言葉を処世訓としようと思う。

タミフルと厚生労働省

 「中身を見る視点が欠けていた。」
 これは先日、タミフルを10代のインフルエンザ患者には原則使用禁止とする発表をした時の厚労省幹部の発言の一部である。
 これは日本語だろうか? それとも官僚の高度な専門言葉なのか?
 少なくとも、私たちの普段の会話や文書・報道の中ではお目にかかれない日本語である。
 意地悪く取ろうと思えば、後でどうにでも言い抜けできる言い回しが出来るように苦心した「日本語」に聞こえる。「言語明瞭、意味不明瞭」を絵に書いたような傑作に見える。

 昨日、その後の厚労省の調査結果は発表された。
 異常行動128例の内訳は、10代が57人(44.5%)、10歳未満が43人(33.6 %)両方を合わせて88%との事で、この数字に対して大方の人は「やっぱり!」と言う印象を持ったのではないだろうか。
 ところが、昨日までの結論には10歳未満に対するアクションは全く見えない。

 タミフル問題に対し、厚労省の腰が引けている印象は初めからあったが、まだまだその心理状態は続きそうである。
                    これでいいのだろうか??

 昨日の読売朝刊。 射水市立病院での延命治療中止問題で。県警の依頼を受けた専門医が、一部の患者について人工呼吸を外した行為と死との因果関係があるとする鑑定結果をまとめた事が報道されている。

 終末期医療に関する指針や法制化について厚生労働省をはじめ医学会を中心に、侃々諤々の議論が始まっているようで、その事自体は患者とその家族・医師等患者を取り巻く人々の苦悩や苦痛をを軽減する意味では大いに議論をして欲しいと願っている。

昨日の記事の中で目に付いた事に触れておきたい。

A. 射水市立病院で担当医で元外科部長の伊藤雅之医師が読売新聞の取材に対して次のように答えている。

1.僕は自分自身が悪だとは思っていない。これ(今回の延命治療中止の行為)を悪としたら、世の中に納得出来ない人は沢山いるだろう。
2.外してあげる事がベストだと確認できれば、そういう選択をするかも知れない。
3.医療現場は、完全にフリーズ(凍結)してしまった。現場の意思や裁量権が全く失われてしまい、健全ではない状況になっている。

 本来、患者やその家族は治療に当たっては全面的に医師を信頼していたものではなかっただろうか。
 『医は仁術』とは、今更言うまでも無く信頼関係が基本にあってこそ言えた言葉であろう。 現今の『訴訟社会』の発想の世界には成り立たないであろう。
 生身の人間である医師に『仁』を求め、なおかつ『治療の完全性』を求めるのは勝手だが、医療行為の基本に『仁』が不可欠だとすれば、法律で全てを解決する事は考え難いのではないか。
そんな意味で、伊藤医師の上記の言葉は重要な事を示唆していると思う。

B. 延命治療中止の行為に対する富山県警の考え方

医師であれば、呼吸器を外すと患者が死ぬ事はわかっており、殺意はあった。

 私はこの発想に強烈な違和感を覚える。 
この違和感は多くの殺人事件の裁判で、弁護士がさまざまな理由をつけて『殺意は無かった』あるいは『責任能力は無かった』と主張するのを見たときに覚える違和感と共通するものである。
 法律の解釈や運用に血が通っていないと、法律を制定する時に意図していた事は似ても似つかない結果を生む事になる事を恐れる。

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