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私も編集委員に名を連ねるクラシック音楽雑誌「季刊ゴーシュ」が、12月発売の24号で休刊します。通常、雑誌の休刊といえば事実上の廃刊を意味することが多いのですが、これは文字通りの「休止」です。/道内唯一のクラシック音楽誌「ゴーシュ」が休刊 - 毎日jp(毎日新聞) http://t.co/80Q3olq
その中から、好評連載「ガクタイのお仕事」より、私が書いた最終回「ガクタイの組織論」(p.20)をご紹介します。末尾に拙著の紹介もあります(まだここまでしか書けません。詳細は決まり次第お知らせします)。なお、以下は拙ブログ「宇田川耕一の『シックな蔵』」にも重複掲載されております。ご了承下さい。
ガクタイのお仕事[最終楽章] ガクタイの「組織論」
「ガクタイのお仕事」シリーズもいよいよ今号で結尾部(コーダ)となった。そこで、ソナタ形式にしたがい「再現部」として、第15号掲載の第1楽章「序奏部分」をもう一度見てみよう。
「普段私たちが目にしているオーケストラには、いろいろな人が関わっている。指揮者、ステマネ、ライブラリアン…、ざっと見渡しても、このような具合。そのほか、楽団員の中にもコンサートマスターや首席奏者などの役割がある。そこで、ゴーシュではオーケストラとそのまわりの人々をシリーズで取り上げることにした……」
前号の第7楽章「打楽器奏者」まで、確かにその通りに演奏が進んできた。ただ、ガクタイの全貌を伝えるには、残念ながら演奏時間が足りない。そこで最終楽章は「ガクタイの組織論」として、オーケストラ全体の「俯瞰図」で締めくくることにする。
『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』という長い題名の本が話題になっている。公立高校野球部のマネージャーみなみが、ふとしたことから経営学の巨人ピーター・ドラッカーの経営書『マネジメント』に出会い、そこから学びながら野球部の仲間たちと甲子園を目指す。そのドラッカーが、『ポスト資本主義社会』という20世紀の終わりも近い1993年に書いた本のなかで、「新しい組織は、今日の大規模組織の原型である19世紀型の軍隊よりも、シンフォニー・オーケストラに似たものとなる」と早くも予言していたのをご存知だろうか。
1970年代頃からの急速な「分業化」が企業組織を変えはじめ、いわゆるプロフェッショナル(専門家)がその中心的な存在になった。一方、オーケストラはというと、18世紀の中ごろに交響曲が演奏されるようになった頃、すでに個々の楽器のプロフェッショナルによる専門家集団であった。つまりオーケストラは企業組織と比較すると、プロフェッショナル化に関しては、はるかに先行していたのだ。
2002年11月には「オルフェウスプロセス」という一冊の翻訳本が発売され評判になった 。「指揮者のいないオーケストラ」ということが、話題の中心テ―マであった。モデルとなったオルフェウス室内管弦楽団の運営方式は、学問上だけではなくビジネスの最前線で、現在も注目を集めている。
一方、プロフェッショナル集団を率いるリーダーシップ理論には、未開発な部分が多い。それを解明する可能性を秘めた存在として、今、指揮者に熱い注目が集まっている。たとえば、週刊誌や月刊誌の編集長と、オーケストラの指揮者とを対比することで、新しい「編集長リーダーシップ」のモデルが提示できるかもしれない。「雑誌全体の方向性」を編集部員に指示するのが、編集長の主な仕事である。そのため編集長が自ら執筆するのは「編集後記」ぐらいであり、直接的には、雑誌の取材や編集に関わることは少ない。つまり、「自分では音を出さない」音楽家である指揮者に良く似ているのである。
本シリーズの第1楽章のテーマは「指揮者」、そして最後も「指揮者」で終わることになった。さて、演奏後に盛大な拍手が起きたかかどうか、それは読者の皆さまのご判断に委ねるしかない。
※オーケストラ指揮者のリーダーシップについて興味を持たれた方は、拙著をご一読いただければ幸いです。
宇田川耕一著「オーケストラ指揮者の多元的知性研究」‐場のリーダーシップに関するメタ・フレームワークの構築を通して‐(大学教育出版刊 A5版210ページ 4,410円(税込) 2011年1月中旬、全国大型書店、Amazon等で発売予定)
※当コラムは「季刊ゴーシュ」掲載記事をもとに、筆者自身がリライトしております。オリジナルの著作権は「季刊ゴーシュ編集委員会」にあります。無断転載は固くお断りします。
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