青い鳥の文学

青い鳥からのメッセージです。

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続3  教育と宗教

今日の新聞の、コラム記事。
    http://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/239643

ここで述べられている「折れない心」を持ち、情緒が安定した子どもに育てることという▼基本となる指針は「遊ぶ」「ありのままに見る」「共感力」「たたかない」など6項目と、他の人と一緒に心地よい雰囲気をたのしむこと」。
そしてその中に、自分一人が頑張ろうと力まずに、全員が協力していってやっていくということが語られている。

しかしこういう事は、教育には馴染めない。
数値化できないし、価値として形に表されないからに他ならない。
目耳などの感覚では認識できず、ただ気持ち良さというような精神的思いとしてしか感じられない。
それ故に教育では行えず、道徳をもってしても育成できない。
何故ならば、そうした思いや精神を持つか持たないかは、本人しかできないことで、他人の出る幕ではないからである。
しかしそれは、宗教によってのみ、導かれていく。

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親の顔に泥

二階氏、森友・加計は「小さな問題」=石破氏「国民は納得せず」

国会における疑惑解明について、このように「小さな問題」と切り捨てているのは、親の顔に泥を滑行為である。先祖の顔に、泥を塗る行為アでもある。
そもそも安倍首相が突然解散について表明したことは、そこには「総理の意向」を又振り回そうという意図がある。
どんなに否定していたが、今ここに本音が出ている。

安倍首相はこうして、国会解散を強行するつもりらしいが、強行すべきことは別なことがある。
北朝鮮問題についてである。
首相はトランプ米大統領に倣って、外交で成果が上げられないなら経済による制裁、圧力とばかり言っている。
だがそれ以外に、打つ手がある。
それは何かというと、北朝鮮を強行訪問する手段だ。そして金正恩委員長と直に会談すればいい。
しかし口先だけの安倍首相、そんな度胸もない。
だから、拉致被害者帰国も、未だに果たせない。
ただ、親や線謎の顔に、泥を塗るばかり。

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続2  教育と宗教

  • 再び次のような、コメントを頂きました。
 
 

何の罪も無い人を狙っての爆弾テロ攻撃などに宗教を利用しての
正義面には困ったものです。
神が人を殺すことを許すはずがありません。

 
 
  • これに対しての、返信です。
 
 

この世に現れている全てのものは、相対する二面性をもって存在しています。
正と負、善悪、ブラスとマイナス、雄と雌、表と裏など、相反して存在しています。この存在には力関係があり、片方が強い時、片方は弱くなります。
これは善悪の関係などに出てきます。
このようになるのは「縁」によってなり、言ってみれば「縁」に恵まれていたものが強くなっています。だが弱くなったものは消えては無くならず、底の方に、内面の中底にうずくまっています。
しかしこのことが、信仰という信心によって、力関係が崩されていく時が来ます。それはどれほどの極悪人であっても、自分の意のままにならないことを知らされる時です。自分の力が及ばないことへの恐れに見舞われ、そうなると自分の非力を感じて、ぬかずくより外は無くなります。この時に反省するとか改心するとかすることによって、「縁」の力関係が反転する。内面に閉じ込められていた、もう一人の自分が姿を現すことになります。
しかしこれは、困ったことに人にはできず、押し付けることもできない。自分自身で気が付き、改心していくしかありません。ここに「懺悔」があります

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続  「教育と宗教」

祖機に「教育と宗教」のタイトルで投稿いたしましたが、それに対する次のようなコメントをいただきました。
 
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いつも思うのですが、宗教はあなたの言う「愛と慈悲」を謳いながら、実は世界の紛争の大半は宗教が原因というのはどういうことなんでしょう。
他の宗派を認めないという時点で、本当の宗教家なんてこの世界にいないのではないかと思います。

僕は日本の神様が好きです。
大層な出雲の神様じゃなく、例えば田んぼの片隅に祀られている神様、トイレの片隅にいる神様。

畏れと感謝。
それこそが日本の宗教の原点の原点だと思っています。

 
 
このコメントの問いかけに対しての、返信です。
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なぜ人間が殺し合いなどの戦争をしているのかというと、宗教の心を取り違えているからです。
宗教は「愛と慈悲」なのですが、この「愛と慈悲」を離れ離れにしているところから、真の宗教とはなっていません。とりわけ「愛」について言いますと、この「愛」はどんな「愛」にしているかというと、「自愛」にしています。即ち自分が一番「可愛い」ことです。
この一番可愛い自分を満足させようと、それは物を盗ったり人殺しするのも厭いません。いじめや虐待も行います。これらはみんな、自分が可愛いがための行いになっています。
こういうことになるのは、「自愛」と「慈悲」とが結び合っていないことによっておこるといっていいでしょう。

即ち宗教とは「愛」と「慈悲」とをしっかりと結び避けること、そこには受動性と能動性との共同作業によるものと言えます。
しかし教育には、これがあません。
 

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責任不問

トンネル崩落、機構理事長が不備陳謝 知事、あわら市長に

新幹線建設促進の、先頭にたって旗振り役になっていた知事たちには責任は問われない。
建設を許可した政府にも、責任は問われない。
何かこのような事態になっても、責任は問われないし、責任不問にされている。
政府首脳からしてこうなのだから、この人たちは何のために年取ってきたのか。
ちゃんとした「人の道」も知らずに、威張ることだけは知っている。

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