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昨日は中国の文化大革命(かくめい)40周年でした。
1966年5月16日から、10年間でした。
その時、私は6歳でした。
毎年の9月1日、中国の小学校(しょうがっこう)入学(にゅうがく)の日。
しかし、この年、中国の学校が全部やめました。
私は1968年、小学一年生をなりました。
歴史は歴史です。
各人(かくじん)は各人の文革の歴史があります。
ある人は加害者(かがいしゃ)て、ある人は被害者でした。
ある人は傍観(ぼうかん)者でした。
貴方はどちらでした?
文化大革命の后、人人が質問(しつもん)しました。
そして、自分で自分の心を質問しました。
私は害人者と被害者を同情(どうじょう)します。
人類(じんるい)の弱点(じゃくてん)が分かります。
私は小津安二郎監督が大好きです。
私は戦争時の小津安二郎監督が分かりません。
私は小津安二郎監督を研究(けんきゅう)したいです。
人は歴史の人です。
文革の中国と戦争の日本同じです、私は思っています。
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文化大革命は、国家指導部内で一時実権を失っていた毛沢東が、1966年頃開始した、「劉少奇らの実務派」を政府・党から追い出そうとする権力闘争が発端でした。
まず新聞で、実務派をたたきのめすため、「あいつらは、修正主義で資本主義に向かっている」とか批判記事を書かせ、毛沢東のカリスマを盲信する全国の中学生・高校生まで動員して紅衛兵に仕立て、40代〜60代の年配者である実務派の一人ひとりを 言いがかりをつけ何百人もで囲んで街頭でつるしあげ殴りつけ、自己批判させ、地方の監獄に追いやったり、半殺しにしたりして、失脚させていきました。
その後、文化大革命派内も、毛沢東の制御がきかず、
・毛沢東の妻であった江青が、個人的な女の嫉妬や恨みを晴らすために、劉少奇の妻を投獄しリンチしたり
・文化革命派側の労働者・学生同士が、鉄の棒で殴り合ったり武力衝突したり
・中国の全国各地で統制できない形で、「死傷者の出る暴力沙汰・武力衝突や、批判された人へのリンチ・半殺し・職や地位からの追放」が数年続きました。
(数年間、中・高校も大学も授業もない状態でした)
2017/3/11(土) 午前 11:51 [ 日中国交正常化45年南京80年に学ぶ ]