明日の日記

後ろから前から歓迎光臨!全開偏狭一人世界 百家争鳴!

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天安門之火

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〈写真〉21歳の若かりし頃の熱血勇士、ウーアルカイシ。
 
 
去年の六・四の際、マカオの空港で大陸への里帰りを「出頭」という形で試み、追い返され、今年は東京の
 
中国大使館で警備の柵を乗り越え逮捕・・・とここ数年、話題を振りまいて「ああ、そんなこともあったね〜」と
 
「あの事件」を思い起こさせてくれる熱い男、ウーアルカイシ。
 
革命日記同志の記事を拝読し、「そういえば…」と思い、思わず押し入れの奥からこんなものを引っ張り出して
 
みた。
 
 
この本(写真)は89年夏に香港で購入。そして、付録で付いていたのがこのポスター。(それにしても今の体型と
 
あまりに違いすぎる!) 本の内容はといえば、あの年の夏に広場で起こった、ひとときの熱い瞬間をリアルタッ
 
チで描いたイラスト集。
 
89年の夏、このポスターが香港の街の至るところに張り巡らされていた。英国統治下において、自由な発言、
 
言論が許された香港だからこそできる表現活動。戒厳令下の北京を見、大陸から、香港へと移動して見た、
 
大陸との違い、自由さ。当然ながら、大陸では絶対にありえない光景に驚愕した。
 
「あぁ、きっと彼らはこういう空気を求めていたんじゃないかな…」と香港のマクドナルドで冷たいコーラを飲みな
 
がら思ったものだった。
 
(当時、大陸にはマクドナルドはまだ無かった。また冷たいコーラは滅多に飲めなかった。)
 
 
あれから20年、時代もそしてあの国も大きく変わった。天安門事件を知らないという中国の若者も増えていると
 
聞く。そして、うなぎ昇りに成長を続ける中国経済と裏腹に消費の低迷する日本は購買熱の高い中国人観光客
 
の誘致が頼みの綱という。
 
最近のとある日のこと、新宿の街でファッショナブルな服装に身を包んだ数名の中国人の若者を見た。
 
買い物途中なのか、嬉々として話すその元気の良い中国語に思わず振り返った。そんな六月のある日−。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ギミー・ストーンズ!

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〈写真〉やっぱり、人の子、封印したい過去も40年も経てば…。


”Gimme Sherter”の映像がDVD化にされたそうな!

「おぅおぅ〜これは!!」と先日、CDショップのディスプレイの前で、しばらく足を止めたワタクシ。

思えば高校時代、最初に買ったストーンズのレコードがアメリカ編集盤の”Gimme Shelter”という

ライブ盤だった。A面がマジソンスクエアガーデンの69’のライブ、B面が何故か66’の”Got live 

if you want,it"の音源。当時にありがちな「とにかく、売れればいい!」という向きの編集盤。

が、高校生だった当時の僕にはかなりこのアルバムは突き刺さってしまった。

針を落とした瞬間、湧き上がる歓声、”It seems to ready…”「用意ができたみたいです」の場内

アナウンスからいきなり刻まれるキースの"Jumpin’jack flash"のイントロ!「ウワ、かっちょえー!」

と力んだことをまるで昨日のことのように思い出す。

”Gimme Shelter”の映像を観たのはそれから半年くらい後。フィルムコンサートというやつで初めて

動くストーンズを観た。(87年くらい)このドスの効いたヤバさ、ダークな不良性、粘り気のあるリズム

と鋭いギターのリフとカッティング…。おおよそ、10代のロック少年が憧れる全てがあった。


この映画はストーンズが全米ツアーをする模様をドキュメントタッチでカメラが追ったもので、最後の

見せ場として、ヒッピーの聖地、サンフランシスコ郊外で野外フリーコンサートを開き、そのメインア

クトとしてストーンズが登場。映画のクライマックスに持って来ようというものだった。時代は1969年。

8月にはウッドストックフェスティバルが開催され、フラワームーブメントに浮かれていた頃。その69年

のフィナーレを飾るコンサートとして企画されたのがこのオルタモントで開かれたフリーコンサートだっ

た。しかし、蓋を開けてみると阿鼻叫喚。ストーンズがステージに上がる前に、ミックが何者かに殴られ

たり、ジェファーソン・エアプレインは混乱するステージで演奏を度々中断。

そんなこんなで、ストーンズがステージに上がるものの、狂乱と混乱はピークに。そして、警備に雇われ

ていたヘルスエンジェルスが観客の黒人青年をメッタ打ちにして刺殺してしまう。ステージで演奏する

ストーンズを追うはずのカメラがその一部始終を捉えていた…。


ヒッピー、フラワームーブメントが振りまいた時代の幻想がこの件を機に崩れ去ったとも言われている、

俗に言う「オルタモントの悲劇」という事件−。この映像を観に東京まで出かけた埼玉の片田舎の高校生

だった僕の帰り道はかなり重いものだった。


1990年、ストーンズがようやく初来日を果たした。大変なチケット争奪戦が繰り広げられ、今まで全く

「ローリングストーンズが好き」だなんて一言も言わなかったような輩までが大騒ぎする一大事件となっ

た。僕はドームのスタンドのずっとずっと後ろの方で豆つぶほどの彼らを観た。妙に垢ぬけてお祭り騒ぎ

なノリに何だか違和感を感じ、それ以来、ストーンズはしばらく聴かなくなってしまった。

生のコンサートを死ぬほど観たいと思っていたのに、何故か不思議な感覚…。(But,I Like it.)


DVD化された69年のストーンズをいま一度、観てみたいものだ。忘れていた高校時代の熱い感覚が溢れ

てくるかも。 ギミー・ストーンズ、サイコー、イェイ!!


※Gimme=”Give me” の略、俗語。

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<写真〉台湾はここですよ〜。


最近、高校時代の友人Jに会った。彼も僕と同様、かなりの映画好き。最近、観た映画について映画談議

に花を咲かせた。「正月休みに、台湾の『海角七号』という映画を観たよ。」とその感想を話した折りの

ことである。のっけから、その友人J曰く「台湾ってどこだっけ?」と来た。


僕:「えー、こう沖縄本島があるやんか、そんで、もう少し南に行って石垣島とか西表とかあって、その

   先にある九州くらいの大きさの島。」

J:「ああー」

僕:「今まで、台湾映画って観たことある?」

J:「えっとー、ウォン・カーウェイって韓国とか、台湾とかそっちの方の映画じゃなかったっけ?」

僕:「うーん、それは香港。」(唸る)

J:「あぁ、そうなんだ。『恋する惑星』って、あれ香港だったんだ!」

僕:「えーっ、何!? それも知らんで観てたんかい!」(絶句)


おまけに彼にちょっと質問、

僕:「中華人民共和国と中華民国の違いって分かる?」

J:「いや、何が違う訳?」

僕:「つまり、今、中国というのは分かりやすく言えば旧東西ドイツのように2つ存在していて、お互い

   が『俺たちの方こそが正統の中国政府だ!』と主張しあって譲らない状態な訳さ。で、今の日本

   政府は大陸の中華人民共和国と国交を結んでいて、台湾の中華民国とは国交が無いんだよ。」

J:「国交のない国になんて行けるのかよ!?」

僕:「俺、2回行ってるけど。」

J:「うそっ!マジ!?」(ちなみにJ、某大手自動車メーカーに勤務するサラリーマンです。)


中国、台湾、香港を混同して区別がつかない人が多い。ヒドイ人になると、韓国・朝鮮も一緒になってし

まっている人も…。


我思う、国境の南‐ 台湾はまだ我々にとって近くて遠い「国」なのだろうか。

我思う、国境の南 

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〈写真〉雨の日の風景。台北市内のとある歩道橋の上から。 97’9月


『海角七号 君想う、国境の南』を正月休みに観てからというもの、何だか台湾のことが気になって仕方

がない。この映画の評価は賛否ある。一番多いのは「何故、そこまで台湾であの映画が大ヒットしたの

かが分からない。」というもの。コメディータッチでラブストーリーが絡められ、最後は音楽で盛り上げ

感動のラスト…という分かりやすい展開。駄作とまでは決して言えないが、「結構、映画としてありが

ち」と日本人の観客が思ったのは無理もない。

あの作品に描かれた複雑な環境と歴史に身を置く、台湾人の琴線というものを理解するのは容易ではな

いが、ふと思い出したのは10数年前、台湾の九份を仕事で訪れた際に出会った日本語を流暢に話すご老人

たちのことである−。


その言葉に多少のなまりはあるものの、非常に達者な彼らの日本語に驚き、僕が「日本語お上手です

ね。」などというと、「当たり前だよ、ボクは昭和20年8月15日までニッポン人だったんだからね、テイ

コクシンミンだよ。分かるか?ハッハッハッ。」と快活に笑い切り返される始末。「テイコクシンミン」

が「帝国臣民」であると、頭の中で漢字変換するのに多少のタイムラグがあったのは言うまでもない。

それからご老人たちは、自分の幼少期の頃を思いだすかのように、当時、小学校で習ったという唱歌や

戦前の流行歌などを口ずさみ始めた。「修身、楠正成、教育勅語…」僕にはあまり馴染みのない日本語の

単語が次から次へと飛び出す。それから、町全体を見下す茶館へと案内され、香り高い台湾のお茶をごち

そうになった。そこからは今はもう廃館になった古い映画館がうかがえる。「そこで昔、いっぱいチャン

バラ映画を観たよ。それと『愛染かつら』も。」と言って「花も嵐も踏み越えて〜」と嬉しそうな顔で

お茶をすすり、また唄い出すご老人。

会話中、僕がある言葉について、「それは北京語では何と言うんですか。」と尋ねた時である、その中の

一人が「ボクは北京語しゃべりたくない、それは外省人の言葉だから−」と言って、今まで穏やかだった

表情を突然、一変させたのである。その表情の変化はあからさまだった。戦前、戦中、戦後と生きて来た

このご老人たちが歩んできた人生を思うと、まさに「花も嵐も踏み越えて−」だったのであろう。


台湾でこの作品が公開された時、映画館で「野ばら」を一緒に口ずさむ老人が沢山いたという。

主人公、阿嘉の挫折と屈折、恋愛、ポップな挿入歌に身近な生活描写、日本統治時代のフラッシュバッ

ク…。それらは大陸が反応したように「政治的解釈」で決して割り切れるものでもない。

日本語に「酸いも甘いも」とか「清濁合わせ持つ」などという言葉がある。そんな複雑な思いに台湾人が

大きく感応した、というがこの映画が大きな共感を呼んだことの要因に違いない。

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<写真>日本と台湾を隔てる海、台湾南部ののどかな海…、「海」が作中、無言で物語る役割は大きい。


新年明け早々、以前から公開を待ちわびていた台湾映画『海角七号 君想う、国境の南』を観て来た。

何しろ、公開前の話題の方がかなり騒がしかったので、そちらの方の先入観が先に入ってしまっていた。

いかんせん、意外にも恋愛ラブストーリーとして楽しめた。「恋愛ラブストーリー」と書くと軽薄な感じ

も否めないが、あえてそういう風にしておきたい。歴史と国境を越えたラブストーリー、若者の青春の

苦悩と挫折…、とよくあるテーマではあるが、そこに日本統治時代の記憶がクロスオーバーする。


劇中のセリフは台湾語、北京語、日本語。これだけでも台湾という国(島)が内包する複雑な歴史を見る

側に想起させる。キリスト教徒の先住民族、唱歌「野ばら」を日本語で口ずさむ老人、若者は都会へと

出、老人だけが取り残される南部の寂れた田舎町。主人公の阿嘉(アガ)は台北でバンドミュージシャン

として成功することを夢みて、そしてそれを果たせることなく一人、生まれ故郷に帰って来る。都会に夢

破れ実家に戻った、半ニート状態の抜け殻のような若者がこの映画の主人公。これもどこにでもいそうな

設定。そんな様々な人間模様を台湾人が身近な日常の心の風景として、自らを重ねるのは無理もないこと

だろう。


「台湾映画史上歴代一位、興行収入14億円を記録」というご当地・台湾では「海角七号、もう観た?」が

一時期、合言葉になったほどだという。また韓流映画のそれ同様、この映画の舞台となったロケ地を巡る

ツアーも大盛況らしい。そして大陸メディアでは「皇民化思想が感じられ、民族感情を刺激する」と公開

が危ぶまれたが、結局、本編を30分も当局にカットされた後、公開になったとか…。

いかんせん、映画公開よりずっと前にコピーDVDが大量に出回り、映画館への客足はそれほど多くはな

いとのこと。(さすが、大陸!!)


映画を観終わって、以前、台湾を訪れた際に出会った日本語を流暢に話すご老人たちのことをフト思い出

した。劇中の「友子」は今もどこかに生きているに違いない−。


●海角七号 君想う、国境の南
 監督・脚本:魏徳聖
 2008年/台湾/台湾語・北京語・日本語
 http://www.kaikaku7.jp/

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