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〈写真〉
1.こんなものもできるとは、あの頃は考えられなかった・・・。
実際は香港資本のGIORDANOやBOSSINI、U2の生産やデザイン、販売方法まで、
パクリそのまんまな訳だが−。 値段は日本で売っているものより少し高めだった。ということは
中国の物価ではかなり高い。現地で作っているハズなのに何故?
2.外白渡橋と上海大廈(OLD)そして浦東のビル群(NEW)。上海新旧のコントラスト。
僕が始めて海外へ出たのは1989年7月、中国・香港への1月半のひとり旅だった。
その年の6月4日、北京・天安門広場で民主化運動を続ける学生たちに対し、中国政府は武力制圧
に乗り出し、戦車、装甲車でもって広場に突入。丸腰の彼らに無差別銃撃を浴びせた。
その戒厳令の最中の、いまだ外務省から渡航自粛勧告のひかれている中国へひとり旅立ったというのは
今にして思えば、かなり思い切った、無茶な若者だったというしかない。
「行くの止めるんだろ。」
「今、中国に行くなんて死に行くようなもんだんぜ。」
そんな言葉を周りから言われれば言われるほど、自分の中の気持ちはヒートアップしていったのを
覚えている。真っ赤な字で「自由 民主」という文字をしたためた鉢巻をして、断食(ハンスト)を
続け、真夏の炎天下に倒れていく自分と同世代の中国の若者たち、その映像をテレビでつぶさに見て、
「いや、今行かなければ、今しかない。」と何故か奮い立つような思いに駆られたことだけは事実で
ある。
89年といえば、日本はバブル絶頂期。
しかし、そんな世間の「イケイケ」な空気に何故か馴染むことができず、自分はその何か「ぬるい」
学生生活と英米ロックのコピーもどきバンドを続けていることへの疑問から、どこか全然知らない世界へ
行ってみたい、という気持ちに駆られていたのだった。
そんな時にあの天安門の衝撃的な映像を見たのである。ハタチの熱い夏だった。
小学生の頃見たテレビドラマ「西遊記」やNHKの「シルクロード」への憧れもあった。
それに、その小学生当時、流行っていたアリスやゴダイゴ、さだまさしらがこぞって中国へ出掛け、
コンサートを開き、熱烈歓迎を受けているのをテレビで見て漠然と「中国に行きたい。」と子供心に長い
こと思っていたこともある。それが「今、行かなければ。」に変わったのである。
僕が初めての海外への旅で中国に行ったのは、そんなきっかけだった。
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