〈写真〉上海大廈(旧ブロードウェイ・マンション)からのアングルは昔と変わらず。
以前は18階ベランダに出られたが、しばらくぶりに行ってみると改装されて出られなくなって
いた。これはリネン室からこっそり撮ったもの。左側の外白渡橋には昔はトロリーバスが走って
いた。
最近、上海に旅行に行った友人にその感想を聞いた。「凄くおしゃれでハイセンスでビックリした。」
そうな。17年も前の昔、僕が始めて上海に上陸した時に感じた驚きと興奮、戸惑い、カルチャーショック
を今、感じること自体無理と言えば無理。時代も街も大きく変わったのだ。
かつての上海を知らない(想像もつかないと言う)友人の為にも、あの頃の上海の話しをしたいと思う。
1989年の夏、横浜・大桟橋から3泊4日の船旅の末、上海に上陸した初日の感想、それは、まるで映画で
観た終戦直後の闇市か何かに、いきなりほおり込まれたかのような信じられないような感覚であり、光景
だった。たまに父母が昔話として話していた昭和20年代、30年代的光景が目の前こあったのである。
「チェンジマネー?」(外貨の闇両替)と言っては人にまとわり、着いて来る風体の悪い男たちに腕を
いきなり路上で掴まれたり、店員に早口の上海語で罵声を浴びせられたりと、「何てとんでもないところ
に来てしまったんだろう。本当に無事、帰れるだろうか・・・。」と本気で思ったものだった。
今では中国中、どこにでもある快餐店(ファーストフード店)、便利店(コンビニ)、超級商場(スーパ
ーマーケット)などはその頃は皆無で、冷たいコーラもビールも滅多に飲むことができなかった。
今まで身の回りにあって当たり前、というものがない、ということは、20歳の僕にはショックだったし、
改めてヤワな自分を認識したりもした。上海一の目抜き通りと言われている南京東路には旧ソ連製の無骨
なボディのトロリーバスが走り、何となくうっそうと暗く、歩くのには懐中電灯が必要だった。
そして今年2月に12年ぶりに訪れてみると、街は怖いほどの変貌を遂げていた。
そこは確かに実に「おしゃれでハイセンス」な街だった。 西側文化(死語)がやっと「開放」されたば
かりで、人々がやっと人民服を脱ぎ始めたばかりだったあの頃に比べ、今はそれを一旦消化し、また古く
からの中国の伝統を見直しそれに組み合わせるという折衷様式が百家繚乱の様相だ。それは中国人が中国
文化に誇りを持ち始めたからだとも言えると思う。
「生存競争を生き抜かなければ。」というガツガツした切迫した表情があの頃の上海市民にはあったよう
な気がするが、今回思ったのは、それが何とも穏やかな軟らかいものになっていたことだった。経済の
発展と物質的豊かさが心の余裕をもたらしたのか、以前はぶっきらぼうで、死んでも「いらっしゃいま
せ」とか「ありがとうございました。」などと言わなかった店の店員が笑顔でその言葉を発するようにな
っていたのには全く驚きという他ない。
テレビ、雑誌で伝え聞く今の彼の街の様相は、あの頃の「魔都」を知る自分の中でなかなか繋がらなかっ
たのだが、ようやくここへ来て自分の目で確かめ、それが確証できたのだった。
かくして12年ぶりに上海を訪れた「浦島太郎」の旅は実にタイムトリップそのものだったのでした。
おしまい。続く。
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