〈写真)兄貴、早く逝き過ぎだぜ!
東京の西のはずれ、国分寺、国立、立川、日野…。新宿から真っ直ぐに伸びた中央線がだんだんと郊外
の色彩を帯びだすあたり、僕が4年間の学生時代を過ごした思い出の土地でもある。
「市営グランド」の脇を通り、甲州街道を抜け、国立市を横切り、多摩蘭坂を登ってバイクで通学して
いた日々はRCサクセションの軌跡を巡るちょっとした旅だった気がする。そんなことを、つい最近、
あの訃報を聞いて思ったものだった。
「RCサクセションがかつてアマチュア時代にステージに立っていた…」という枕詞のつくライブハウス
もこの周辺には多い。そんなことから何だか忌野清志郎という人を「地元・多摩地区から出て成功して
メジャーになった先輩」』というような、とても身近な存在に感じていた。
天安門事件直後、中国を旅した時に、現地で親しくなった学生にあげてきたRCのカセットテープは
かなり気に入ってもらえたようで、「学生寮で皆で聴いている」と後日、手紙をもらったほど。
「カバーズ」、「コブラの悩み」という結構、社会問題をテーマにした問題作で、日本語の歌詞が分かっ
たら当局から没収されそうな内容だったが、コトバは分からなくとも音楽を感じる心は一緒。
RCの曲を聴いて何かを感じてくれた中国の学生たちに、僕が中学生のときビートルズに夢中になったと
きのことをダブらせてみたり−。
チベットの安宿でチベットの濁酒を飲みながらギターを弾いて欧米人バックパッカーと一緒に唄った
「ディ・ドリーム・ビリーバー」。最初はモンキーズの英語の歌詞で唄っていたが、サビの部分に来ると
一緒に唄っていた僕を含めた日本人は思わず、清志郎の日本語の歌詞になってしまう。
『ずっと夢に見て安心してた 僕はディ・ドリーム・ビリーバー そんで彼女はクイ〜ン♪』
欧米人はそれを聴いて「何それ?」という顔をしてニヤリ。
学生時代を過ごした多摩地区の風景、中国の学生のこと、チベットでの思い出…、そこに清志郎の歌が
あった。「兄貴、夢をありがとう。」 それくらいしか今は言葉が見つからない。
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