〈写真〉雨の日の風景。台北市内のとある歩道橋の上から。 97’9月
『海角七号 君想う、国境の南』を正月休みに観てからというもの、何だか台湾のことが気になって仕方
がない。この映画の評価は賛否ある。一番多いのは「何故、そこまで台湾であの映画が大ヒットしたの
かが分からない。」というもの。コメディータッチでラブストーリーが絡められ、最後は音楽で盛り上げ
感動のラスト…という分かりやすい展開。駄作とまでは決して言えないが、「結構、映画としてありが
ち」と日本人の観客が思ったのは無理もない。
あの作品に描かれた複雑な環境と歴史に身を置く、台湾人の琴線というものを理解するのは容易ではな
いが、ふと思い出したのは10数年前、台湾の九份を仕事で訪れた際に出会った日本語を流暢に話すご老人
たちのことである−。
その言葉に多少のなまりはあるものの、非常に達者な彼らの日本語に驚き、僕が「日本語お上手です
ね。」などというと、「当たり前だよ、ボクは昭和20年8月15日までニッポン人だったんだからね、テイ
コクシンミンだよ。分かるか?ハッハッハッ。」と快活に笑い切り返される始末。「テイコクシンミン」
が「帝国臣民」であると、頭の中で漢字変換するのに多少のタイムラグがあったのは言うまでもない。
それからご老人たちは、自分の幼少期の頃を思いだすかのように、当時、小学校で習ったという唱歌や
戦前の流行歌などを口ずさみ始めた。「修身、楠正成、教育勅語…」僕にはあまり馴染みのない日本語の
単語が次から次へと飛び出す。それから、町全体を見下す茶館へと案内され、香り高い台湾のお茶をごち
そうになった。そこからは今はもう廃館になった古い映画館がうかがえる。「そこで昔、いっぱいチャン
バラ映画を観たよ。それと『愛染かつら』も。」と言って「花も嵐も踏み越えて〜」と嬉しそうな顔で
お茶をすすり、また唄い出すご老人。
会話中、僕がある言葉について、「それは北京語では何と言うんですか。」と尋ねた時である、その中の
一人が「ボクは北京語しゃべりたくない、それは外省人の言葉だから−」と言って、今まで穏やかだった
表情を突然、一変させたのである。その表情の変化はあからさまだった。戦前、戦中、戦後と生きて来た
このご老人たちが歩んできた人生を思うと、まさに「花も嵐も踏み越えて−」だったのであろう。
台湾でこの作品が公開された時、映画館で「野ばら」を一緒に口ずさむ老人が沢山いたという。
主人公、阿嘉の挫折と屈折、恋愛、ポップな挿入歌に身近な生活描写、日本統治時代のフラッシュバッ
ク…。それらは大陸が反応したように「政治的解釈」で決して割り切れるものでもない。
日本語に「酸いも甘いも」とか「清濁合わせ持つ」などという言葉がある。そんな複雑な思いに台湾人が
大きく感応した、というがこの映画が大きな共感を呼んだことの要因に違いない。
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