明日の日記

後ろから前から歓迎光臨!全開偏狭一人世界 百家争鳴!

近境・秘境・街歩き

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近くにあって、行きそうで行かない、なんとなく素通りしそうなごくごくフツーの風景。「平凡な日常の中の小さな幸せ」を発見する旅を綴ります。
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サンクチュアリ

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先週、仕事で屋根に登っている最中、雨ではしごが滑り、転落。足を強打、立っていられないほどの

激痛に病院に直行。 レントゲンを撮ったところ、肉離れに内出血を起こしていた。どおりで痛い訳だ。

ギブスに松葉杖という出で立ちで、先週は過ごしたのだが、幸い、ギブスは3日ほどで取れた。

今も若干、痛みが残り、足を引きずる日々。階段の上り下りがきつい。


昨日はリハビリを兼ねて近所の公園を散歩。

子供の頃、よく遊んだ公園だが、最近は全くといっていいほど足が遠のいていた。トンボが飛び、コスモ

ス咲き乱れ、ススキが風にそよぐ、うららかな秋晴れの晴天の日の午後、足引きずりながらひとりトボト

ボと歩いた。ヘッドホンから流れるBGMはビートルズの「レット・イット・ビー ネイキッド」。 

”ACROSS THE UNIVERSE”が流れてきたとたん、何だか心象風景とあまりにもピタリ

と来てしまい、涙腺が思わず緩んだ。嗚呼、男の背中に涙の河が・・・。


「人間万事塞翁が馬」という言葉がある。

すぐ近所にこんなにも素晴らしいサンクチュアリがあったということに気づけたことに感謝したい。

入間ハウス復活

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埼玉県入間市東町、この付近には今も米軍ジョンソン基地(現自衛隊入間基地)の米軍関係者の住んでい

た、いわゆる「ハウス」の建物が集まって今も残っている。

今、そのハウス自体を一つの地域の文化として捉え、ここに保存し、また現代流にアレンジした新築の

「平成ハウス」という今風な「ハウス風住宅」が建造されている。


所沢から入間方面へ向かい、行政道路を一歩脇に入るとそこに何とも異国チックな建物が建ち並ぶ。

パステルカラーの家々の壁に芝生の植わった庭、保存状態は福生よりも良いようだ。

最近の「オレ流リノベーションブーム」もあり、人気は上々という。戦後、日本人の羨望の的だった米軍

ハウスと欧米流生活スタイル・・・。今もその輝きは失っていないようだ。


十代の頃、「限りなく透明に近いブルー」を読み、その世界に幻想を持ったひとりとして、この風景には

今も何だかムズムズとさせられる何かを感じてしまう。

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〈写真〉くじら山公園に祭りの時以外に行ったのは実は初めてだった。普段はこんなに静かな緑豊かな
    公園なのだった。ピクニックとかしたら楽しそう。


毎年、11月3〜5日の連休にかけて武蔵小金井のくじら山公園で行われる「武蔵野はらっぱ祭り」という

のをご存知だろうか。 野外ライブ、エスニック屋台、フリーマーケット、キャンプインなど、思い思い

で楽しむ何ともピースフルな空気漂う祭りだ。 入場料などはナシ。 あくまでも参加する人がテキトー

なノリで楽しむ祭り。 実はここに今から10年ほど前、何度か友人らと数名で「印度路上食堂」という名

のカレー屋屋台を出店していた。 インドに行っていた仲間と現地の味を再現し、仕込んだベジタブル

カレー&チャイの店だった。

バンド仲間、旅仲間、そんな連中に一年に一度だけ出くわす「同窓会」のようなその祭りは一年のうちで

も楽しみなイベントのひとつだった。 それが昨年は中止となった。諸事情があるらしい。 


先日、小金井に出掛けた際、ついでにフラリと、くじら山公園へ行ってみた。

犬と散歩する人、川で足を浸して水遊びに興じる子供たち、コスモスの咲き乱れる野とトンボの群れ。

時々、すぐ近くにある調布飛行場の小型のプロペラ機がかなりの低高度で公園の上を横切る。

何とも平和な光景−。

祭りの時、高田渡さんをよく見かけたくじら山のてっぺんに登ってみると、何ともセンチな気分が込み上

げて来た。あの祭りの復活を願う人は少なくないと思う。


●武蔵野はらっぱ祭り 実行委員会  
    http://the-harappa.net/

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珍屋・国分寺南口店脇の今は「卑弥呼」という民芸雑貨店になっている地下にはかつて、何とも雄々しい

名の「レイジング・ブル」というレンタルギャラリーがあった。今は寿司屋になっているそこは、実は

以前は、(92〜94年頃?)個展やミニライブ、小演劇などが行われる国分寺らしい”COOL”かつ、

”HOT”な小さな空間だった。

「レイジング・ブル」とは、ロバート・デニーロ主演のボクサーの伝記映画。 詩人でもあるマスターの

Kさんのお気に入りの映画である。実にハングリーな、その名の通り、狭い階段、地下ギャラリー内部は

カラフルな壁画で埋め尽くされていた。


そこを友人らと借りて一度きりの個展を行ったことがある。(93年2月)

絵と写真とライブと酒と・・・そんな「やりたいこと全部やっちゃえ!」的な勢いがあの頃の僕たちの

ノリであり、全てだった。

今は寿司屋になっている店内を覗くのは忍びないが、あのとき、あの場所で出会った人たちは今はどうし

ているのだろうか、とその前を通ったとき思った次第−。

俺だけの旅 国分寺

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〈写真〉珍屋・国分寺南口店 変わることなくとこしえに・・・ 

ひさびさに国分寺へ行ってきた。

今から13年前、友人が半年間、インドへ旅立つということで彼の留守の間、国分寺のボロアパートに代わ

りに住まわせてもらったことがある。家賃26,000円の風呂なしアパートを月10,000円で住んでよいとい

う。都心の会社へのラッシュ地獄にゲンナリしていた僕は都内への引越しを考えていた最中だったため、

即答した。但し前金で6ヶ月分、60,000円すぐに欲しいという。乏しい旅費の足しにする為ということ

だった。風呂なし、電話なし、銭湯通いの半年間はそれはそれで実に楽しい日々だった。


僕が高校時代、まだ「宝島」という雑誌がピンク色の表紙で小さい版だった頃、この雑誌が高校の図書館

の閲覧コーナーに毎月入っていた。その雑誌を読むことは当時の背伸びしたい盛り、スノビッシュ気取り

たい年頃の高校生にとってはステイタスであり、それは一種の「テキスト」だった。

ロック、ファッション、カルチャー、ロンドン・・・。オルタネイティブなネタが埼玉の片田舎の高校生に

はとにかく刺激的だった。その紙面でよく取り上げられていたのが「中央線セコハンカルチャー」だと

か、「中央線三寺文化」(高円寺・吉祥寺・国分寺)だった。 60、70年代ヒッピーテイストの流れを

汲む独特のカルチャーが今も生きづいている・・・。その文面、内容を見て、その時代のロックやフォーク

に当時、傾倒していた僕がそこへ行かないハズがなかった。


先日はしばらくぶりにその愛すべき街、国分寺へ。

中古CD・レコードの名店「珍屋」を覗き、CDを物色。ここの独特の品揃え、空気感は昔と全く変わり

ない。府中へと続くバス通りの雑貨屋はちょっと昔に比べて寂れた様子。ここには昔、もっと何軒かの

古本屋や雑貨屋があったのだが撤収したようだ。そして、かつて住んだアパートは跡形もなく、新築の

家がそこに建っていた。通った銭湯も建物だけはあったものの廃業していた。

最後にバー「ほら貝」で一杯。この店に初めて行ったのは18、19くらいのとき。あの時、確か店内では

アニマルズの「朝日のあたる家」がかかっていた、なんてことを思い出しつつひとりチビチビ飲る。


インドへ行った友人は半年後、真っ黒に日に焼け、ゲッソリこけて帰って来た。彼が部屋に帰って来るな

り最初にかけたCDはボブ・ディランの「欲望」というアルバムだった。だからだろうか、あのアルバム

を聴くと今も国分寺の街がレイドバックして来るのだ。

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