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キリスト教につて

小学校4年生の時、港区立の小学校から青山学院初等部に転校した。
父親が戦前、青学中等部に在籍をしていた縁があったのではあるが
特に我が家がクリスチャンの家系である、という訳ではない。
私の健康問題、その他の原因で両親が決めたのである。

港区立の小学校には2年生の時に高松の学校から転校したこともあり
私にとっては2回目の転校生生活だった。

港区の小学校に転校した時は単にクラスで紹介されただけだったのだが
青学では全校生徒が集まる朝の礼拝で紹介されて驚いた。
そしてその後、毎朝、新旧聖書と2冊の賛美歌集を持って礼拝に参加した。

                    ウフィツィ美術館レオナルド・ダ・ビンチ「受胎告知」
イメージ 1


礼拝では牧師先生が司会を行い、聖書の朗読、賛美歌の斉唱、そして
曜日によってはクリスチャンの先生方がスピーチをされ、
最後は賛美歌と「主の祈り(天にまします〜)」を全員が斉唱して終わる。
礼拝が終わってからは普通の授業が始まるが、週に一コマは宗教の時間があり
聖書について、更に学ぶ。

4年生の頃、既に私はかなり腕白であった訳だが、
自分が心臓の病を持ち、生きる、と言うことに物心ついた時から関心と不安を抱えていたことから
やはり青学での生活から自然と多くの影響を受けた。

特に先生方のスピーチは常に感動的であり(けして押しつけがましくはない)
人はパンのみに生きるのではない、大事なものは愛、と言うことが
少しずつではあったが、人生観の根底に植え付けられていった。

そしてその後、教育大付属駒場中学(現筑駒)に入学した訳だが、
ここはさすがに競争社会の最難関であり、入学した当時は
まだお互いにライバルだらけ、人の足を引っ張る、みたいな警戒感、競争意識があったことから
(但しその後、そうした関係はどんどん薄まり、今や人類、皆、兄弟のような関係だが)
正直に言ってあまり馴染むことが出来ず
(同級生は私が馴染んでいないとは思ってもいなかったであろうが)
なおさら、キリスト教について、考える時間が増えていった。

思春期だったこともあり、キリスト教への関心は仏教、更に内容も分からず各種哲学、
特にカントやらヘーゲルやら、フォイエルバッハ、そしておきまりのマルクス・エンゲルスへと進んでいった。
当時は大学紛争まっただ中であり、教駒でも高三がバリケート封鎖をしたような
時代背景にも感化されていたのだと思う。

ただ、そうした時でも常にキリスト教、或いはヨーロッパ文明への関心は地下水脈のように残っており
あまり人様に言う話でもないのだが、就寝前には主イエスキリストへの祈りを欠かすことは無かった。
それはつい4年前くらいまで、続いていた。

                ウフィツィ美術館 ヴェロッキオとダビンチ 「イエスの洗礼」
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それが4年前、家内とイタリア旅行に行って、キリスト教への関心が変化した。
それはバチカンに行った時だった。
バチカンには私は21歳、大学3年生の春休みに訪れたことがあったのだが(40年前である)
その時はミケランジェロのピエタや最後の審判に圧倒され、
キリスト教の凄さに感動したことを覚えている。

しかし4年前に行った時、バチカンの宝物殿を見る機会があり、
なんと夥しい財宝がここに集められたのか、と言うことばかり気になった。
また、多くのイタリアの美術館に世界の富が集められていることを見て
この財宝のためにどれだけの搾取が行われたのか、
これをありがたがっていた聖職者とは何だったのか、
という方に目が向き、むしろキリスト教のもたらした俗物的な現実に嫌悪感が生じたのだ。

同時に、一神教が持つ排他性、実質的な信教の強要と言う点にも疑念が芽生え
(それが現代にまでイスラム教、ユダヤ教、さらには非西欧諸国との軋轢の本になっている)
そもそも私が毎晩、イエスに祈るという行為は何なのか、心の安寧を得るのであれば
「主イエスキリストの御名の下に、アーメン」である必要は無いのでは、と思い
就寝前にお祈りをすることを辞めたのである。

そして4年が過ぎ、今年の6月、今度は家内とフィレンツェに8泊10日、滞在した。
前々から「プチ住みイタリア」をしてみたいね、と話していて、
今回、某社を定年退職することもあり、その直前に長期休暇をいただき実現させた。
その記録はしっかり残そうと思っているのだが、相変わらずの遅筆で
いつになるかは分からないが、記録として残すつもりだ。

そして、ここからが今回の記事の主題なのだが
今回、イタリアを訪問して、また少しキリスト教に対する見方が変化した。
それはアッシジに行った時のことだ。
                        アッシジ サンタ・キアーラ教会
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そこは聖フランチェスコの聖地であり、いわゆるフランシスコ会発祥の地だ。
キリスト教に詳しい方々であればそれは常識なのかも知れないが
この聖フランチェスコは、まさに当時のバチカンの腐敗に憤り
従順、清貧、貞潔こそがキリスト教徒に求められるという宗派を設立した聖人である。

                          フィエーゾレ サンフランチェスコ教会
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そうした動きは最終的にはマルチン・ルターの宗教改革へと向かうのであるが
12世紀には既に、バチカンに対する批判的な宗教家がおり、
それは少なからず社会に認められ、影響力を持っていた、と言うことを今回、初めて知った。

また、事前に池上俊一「フィレンツェ」、高階秀爾「フィレンツェ」、若桑みどり「フィレンツェ」、
森田義之「メディチ家」などを読んで行ったので、
同じように15世紀末期にはフィレンツェにサヴォナローラが現れ
既存の宗教、社会の腐敗を批判し、一時期はフィレンツェを支配することもあった、
そんな歴史の中で、フィレンツェと言う町は長きにわたり
独立の共和制の都市国家を維持してきた、と言う歴史を
美術館、博物館で見ることができた。

こうした今回のフィレンツェ訪問を通じて、私はキリスト教の歩んで来た歴史、
それを心の支えに生きてきた人々、その苦悩、
そんなものを少し肌で感じることができたように思う。
その意味に於いて、ヨーロッパ文化に対する違和感、忌避感は
殆ど解消することが出来たかな、と今は思っている。

実際には私自身は無神論者だと思っている。
キリストが起こした数々の奇跡を信じているわけではない。
むしろ、あの時代にイエスと言う人物がいて(いなかった、と言う説もある)、
何故、そういう思想が生まれたのか、とか、歴史事実はどうだったのだろうか、
というような方面にも関心があり、それは今も続いている。

やや脱線するが、キリストの復活は、そもそも死んでいなかったとか
(兵卒が槍を刺して血が出た、という説話はまだ生きている、と言う状態を示す、などという俗説もある)、
その状態で墓地に入れられ、信者が救い出した、なぜならその日は安息日だったので
墓守も見て見ぬふりをした、とか、この世界、いろいろ面白い本が多いので飽きない。
こうした書籍、真贋取り混ぜていろいろあるが、こういう本も更に読んでみたい。

また、小学校の頃、星座に関心が有ったことからギリシャ神話には昔から興味があり
特にヨーロッパ文明を更に知る上でもう一度、しっかりギリシャ、ローマの文学、歴史、
或いはユダヤ教やイスラム教について学んでみようと思っている。

中国にいた時は日本の神話や中国の歴史につき、それなりに読んできたが
今後、ヨーロッパの歴史を学んだら、その次は紀元前の世界はどこまで繋がっていたのか、
春秋戦国時代とアケメネス朝ペルシャ、ギリシャ・ローマはどこまで接点があったのか、
キリスト教に見られる自己犠牲の精神は仏教の仏身捨虎から影響を受けたのではないか、など、
いろいろな本を読んでみたい。

そして人生の終活期を迎える年代になったとき、
「主の祈り」を唱えているのか、般若心経を唱えているのか、
今から自分でも興味津々なのである。

                        ドゥオーモ付属美術館 ミケランジェロのピエタ
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仕事、について

復活、とは名ばかりで全然、更新が出来ていない。
それが他人に迷惑をかけるものでは無いのだが
自分自身がいつか、「あの時、自分は何を考えていたのか」と言うことを
振り返ることが有ったとすれば、何か記録を残しておいて方がよいのだろうと思い
とにかく、PCに向かってブログを更新してみようと思う。

こんなことを思うのも95歳になる父を見ているからであろう。
父を見ていると、長生きしても記憶がなくなってしまえば生きている価値はあるのであろうか、と思う。
幸い、父はまだ「かろうじて」記憶はあり、本人、老いから来る記憶喪失といらだちながら戦っている。
そんな父を見ていると62歳の自分はあと何年生きるか、分からないが
少なくとも記憶を文字に書き留めておいたほうが良いのではないか、と思うのだ。

ただ、PCに向かって何かを書こうとすると
実際には普段、生活していて思いついたことを書き留められているわけではない。
町を歩いていて、食事をしていて、酒を飲んでいて、
ふと「自分は天才ではないか」と思うような素晴らしい文章がわき起こることがあるのだが
だいたい、そういう時にはPCも無く、そして1時間後には忘れてしまうのだ。
そもそも、そう思うこと自体が妄想であるのだとは思うのだが。

今もPCに向かい、何を書こうか、取り敢えずタイトルを「仕事、について」としてみたものの
大きく脱線しているし、そもそも何を書こうとしていたのかも既に曖昧なのである。

そう、仕事について、書こうと思っているのだ。
既に書き留めていたが、今、正式な仕事としては宮城県の会社の非常勤監査役として
禄を食んでいる。
これは一月に一回開かれる取締役会、及び監査役会に参加すればよく
その前後に多少、子会社訪問とか、事業所訪問が入る程度の業務量であることから
法的義務は重いものの、物理的な拘束時間はきわめて短い。

しかし、当然のことではあるが、その対価もそれなりのものである。
残念ながら、過去の給与賞与は多くの部分を住宅、教育、そして酒代に費やしてしまったことから
基本的に私自身は恐ろしいほどの金欠状況にある
(家内はしっかり自分の老後資金は貯めている、と思うが)。

従って現在、就活を続けている状況である。
今のところ、日本の企業から一口、中国の友人から一口、
一緒にやらないか、というありがたいオファーが来ているのであるが
生来、怠け者の私はそうしたオファーについてものんびりと対応していて
前の会社(常勤)を退職して1ヶ月以上、経つというのに未だに正式には決まっていない。

しかし、このままでは晩酌をする金も無いので
いよいよ明日、その日本の会社に出向いて条件などにつき、交渉する予定である。
この会社、面白い会社で、自分としては是非、ここで働きたいと思うのだが
如何せん、給与がコンビニのバイト程度の話になっており、
あまり条件交渉など、したくはないのではあるが、もう少しなんとかならないのか、
聞いてみたいと思っている。

もう若くはないのだから職があるだけ幸せ、とも思うし
しかも自分のやりたい仕事でもあるので、条件は二の次かなぁ、とも思ってはいる。
とにかく、毎日、家にいる生活は家内からも批判があり
私としてももう少し働かなくてはいけないのかな、と思う今日この頃である。

本当は腰、股関節の痛みさえ無ければ北岳山荘でバイトをしたかったのだが。。。。

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復活、そして内憂外患

ブログの更新を5ヶ月、してこなかった。
この間、あまりに多くのことがありすぎて
いざ、再開しようとすると
どこから書き残しておけば良いのか、よく分からず、
それがまた遅れを呼ぶ原因となっていた。

しかし、今、少なくともブログに時間を費やすことは十分、可能な状況なので
また少しずつ、ブログにいろいろな雑感を残しておきたいと思っている。

内憂外患。
これはシャレで、内臓に憂慮すべきことがあり外科的に患っている、と言う意味である。

内憂。
5月に定期検診をした際、またまた胃にポリープがあり生検をした。
結果としては問題無かったのではあるが、
毎年、胃の生検を受けており、医者から
「胃もたれがあったら早めに検査を受けるように」
と言われている。
肝臓のエコーも毎年、再検査の状況。
相変わらず、憂鬱な状況なのである。

外患。
脊柱管狭窄症、椎間板ヘルニア、変形性股関節症は症状の好転が遅く
まだまだビッコをひいている。
ただ、最近、筋トレの頻度を上げたためか、
ゆっくりではあるが痛みは減りつつある。
今日も町中でジョギングをしている人を見たが、
本当にうらやましい。
息子が先週、ゴールドコーストマラソンに参加していたが、
せめてまた、ゆっくりでいいから134号を江ノ島に向かって走りたいものだ。

と言うわけで、前回の2月の東京マラソン完走後から
肉体的健康はあまり回復しておらず、それが精神的にも
あまり良い状況をもたらしていない状況が続いている。

また、今まで10年余、働いていた会社を定年退職した。
これは事前に分かっていたことなので
退職直前に10日間の休暇を取り
家内と「プチ住みフィレンツェ」に出かけてきた。
6月8日、スイスエアーでチューリッヒに入り、トランジットでフィレンツェへ。
自炊の出来るアパートを借りて17日に帰国した。
これはまた別の機会にゆっくり書いていきたい。

そして6月25日から、宮城県にある会社の非常勤監査役に就任した。
非常勤なので月に1、2回、宮城に行くだけである。
この他に、幾つかの会社の非常勤職員として中国関係の仕事をする予定である。

長くなるのでそろそろ締めるが、
娘夫婦が大阪から武蔵小杉に越してきて
孫守が増えている。

そんな状況なのであるが
基本的に時間はたっぷりあるので
ブログ更新は頻度を上げて行ければと思っている。

                       6月13日 ウフィツイ美術館にあるカフェにて
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2月20日、東京マラソンの最後の練習に家のそば4.28kmを走った。

そして2月25日、東京マラソンを走ってきた。
結果は惨憺たるものだったが、それはマラソンは練習しないて走れるようなスポーツでは無い、
と言う、当たり前の結論だったと思う。
タイトルにあるように、今回、マラソンを走った後での今年の走行距離は約141km。
つまり今年に入ってからの練習はたった100kmであり
こんなペースで走りきれるほど、マラソンと言うのは甘いスポーツではない。
それは分かっていたのだが、練習をしたくても足の痛みがあり無理は出来ず
今月に入っても20km走を2回しただけで直前10日間は安静にしていたことから
結局、ぶっつけ本番になってしまったわけだ。

特に今年はチャリティーランナーとして
「ファミリーハウス」という団体に10万円の寄付をして参加権を確保しており
(実際には確定申告をすれば4万円以上、戻る)
かつ息子も参加することもあり、タイムは二の次に、むしろ30km走のかわりに、
と言う気持ちで参加した。

当日は気温は寒かったが風は弱く、マラソンとしては良い条件だったと思う。
昨年も出ているので事前のトイレやら荷物やらは慌てることもない。
東京駅のジョグステーションで着替えを済ませスタート地点の新宿へ。
息子は私よりだいぶ前のスタートだった。

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因みに、私が着ている青いテニスウェアであるが、
なんと1981年に留学の時に買ったものだ。
今回、衣類のチャリティーがあり、これも寄付させていただいた次第。
まぁ37年もよく着ていたものだ。。。。さすがにヨレヨレだが。。。

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サブ4はとんでもない状況ではあったのだが走る以上は目標がいる。
一応、私としては4時間30分、キロ6分30秒くらい、5kmを32、3分程度で走ろうと思ってスタートした。

スタートして最初の1kmは6分程度で走った。
前回はタイムを携帯の案内で確認していたのだが
どうもこれだと斜めに走ったりして実際に走った距離の方が長くなってしまいタイムがよくわからないので
今回はスタート時に時計をゼロにして走行時間を観ながら走った。
当然、マラソン用の時計で、今までも練習やレースでずっと使ってきたので
走りながら1kmの表示が出たら何分で走ったかを見れば、確実に走ったタイムがわかる、
と思っていた。。。。

最初の1kmは6分くらいで走っており少し突っ込んでいたが、これは下りだから、ま、いいか、と思い
予定より速いペースでも気にすることなく走った。
このコース、新宿から5km、駿河台あたりまで、ずっと緩やかな下りなので
ここは32分以内で走れれば、と思ったのだが、時計ではほぼ30分で通過。
左足股関節は今日も走り始めればそれ程、痛みは感じず、
思ったよりも良い感じで走り始めることができた。

次の5km(日本橋)も30分程度で通過。
ちょっと速いかな、とも思ったのだが足が動くからいいか、と考えそのペースで進む。
すると4時間30分のペースメーカーがいたので彼らについていくことにした。
自分自身、スタートから8分くらい、遅れてスタートしていたので
彼らに最後までついて行ければ4時間22分、前回の湘南国際マラソンと同じペースでゴールできる。
そう考え、彼らにつかず離れずでランを続けた。

ただ、前回もそうだったが、後半に足が攣ってしまうので
給水ポイントでは必ず水かポカリを飲むようにしていたので、そこでどうしても遅れてしまう。
その度に追いつこうとして少しペースが乱れていた。

何キロ地点だったか、あまり覚えていないのだがスターツの給水ポイントがあり
そこで財務担当役員さんがおられ、頑張って、と言っていただけたのはありがたかった。
12km地点(水天宮付近)で折り返してきた先頭集団(彼らにとっては27km地点!)とすれ違い
「頑張れ」と日本語で声援を送った。
今思えば井上と設楽が走っていたはずだ。

浅草雷門前(15km)を過ぎ蔵前から両国、清澄公園、門前仲町、富岡八幡宮と向かうのだが
息子と、すれ違わないか、目をこらしながら走るのだがさすがに分からない。
ここまでの5kmも31分程度で走れており、いい感じだ。
これならなんとか4時間30分、切れるのでは、と思っていた。
ここまでは。。。。

やがて富岡八幡宮(20km)まで来ると急に足が重くなってきた。
この5kmも31分程度で走れていたのだが、やはり練習不足が如実に現れてきた。
「ちょっとバテるの、早すぎない?」
と自問したところで仕方ない。
21km地点(門前仲町)あたりではかなりペースダウンしてきた。

                    ここで応援に来てくれていた某証券会社の方から来た写真
イメージ 3

                              既に足が上がっていない・・・
イメージ 4

今日は家内が高島屋付近(28km)で応援してくれている筈だ。
折り返しまでで2時間3分程度で来ており、自分としては出来すぎていたが、
さて、家内の所まで残り6km、これはまだかなりかかりそうだ。
息子は恐らく2時間20分程度で28km走るであろうからもうそろそろ家内の所に到達するが
私はかなり待たせてしまいそうだ。
そう言っても仕方ない、とにかく足を運ぶしかない。

予想通り、と言うか20〜25kmの間は相当ペースダウンを始め、キロ7分近くになってしまった。
このタイミングでこれかぁ、と、ややガッカリ。
前回のペースダウンは30km過ぎだった。
足の痛みはそれ程でもないのだが、単純に準備不足なのである。
何度、同じ失敗をしているのかと自己嫌悪に陥りながらも走らないことにはゴールできない。

蔵前から数寄屋橋までの25〜30km、完全に心が折れていた。
足も上がらず、かつ、太もももかなりバテてきていたので
ここで一度、完全に止まってズボンを脱ぎ、サポーターに 手を突っ込んで塗り薬を塗りまくった。

これで多少、すっきりしてまた走り始めたのだが効果はあまり続かない。
まだ先は長いし、無理はしないで行こうと決め込み、
申し訳ないが家内にはもう少し待ってもらうことにする。
やがて茅場町をこえ、八丁堀三丁目?の角を永代通りに右折、
更に日本橋を左折して中央通り、通称、銀座通りに出れば高島屋はもうすぐだ。

高島屋が見えてくると家内がいる左側車線にランナーは入れないようになっている。
しかし家内は見えていたので、警備員の制止にも家内を指さして事情が分かるようにして
家内のところまで行って
「バテたわ、息子は?」と会話。
「彼はずいぶん前に通ったけど前回(湘南国際)より遅いって言ってた」
とのこと。
息子も湘南国際のマラソンデビューで3時間40分49秒を出してから
あまり練習していないから今回は記録、無理、とは言っていた。
まぁこの後、日比谷通りに出ればすれ違う可能性が高いからそこでまたチェックしようと思い
家内の応援を背中に受けてまた前へ進む。

昨年もそうだったのだが、家族の応援が終わってしまうともう何も励みはない。
モチベーションは下がり足も前に出ない。

数寄屋橋を過ぎ、日比谷通りに出るとそこはもう41km地点で、
サブ4の選手が続々と帰ってくる。
どうせ記録は関係ないのだから、ぜめて息子を探して一声かけようと思い
コース右側、つまり戻ってくるランナー側を超スローペースで流していると
息子が走ってくるのが見えた。
私の時計ではこのまま行けば30分台確実タイムだ。
思わず「☓☓」と名前を呼んで声援を送るのだが
音楽を聴きながら走っている息子は気づかない。
私は完全に立ち止まって「☓☓」と、更に大きな声で2度、呼ぶと
漸く気づいたようで手を振って爽やかに走り去っていった。
「あいつも頑張ってるな」と思い直し、また走り始めるのだが
もうこちらは無理する状況にはない。
歩かないことだけを考えて品川の折り返しに向かう。

増上寺あたり(32kmあたり)で、なんと5時間のペースメーカーに追いつかれ
これは不味い、と思い必死に追いかけるが、そのペースも続かない。
なんとか初マラソンの記録は上回りたい、と思い、頑張ろうとした瞬間、
左足ふくらはぎが攣り始める。
ここまで、今までの教訓から、給水場では毎回、必ず水分をとり
梅干しも食べ、攣った時に摂取する薬まで飲んでいたにも関わらず、である。
すぐに次の給水場で水分を多めに摂り、もう一度、攣った時の薬を飲んだ。
前回、この状態で無理をして走り足を痛めたので今日はもう無理せず走ることに決めた。
手元の時計ではこのペースでも歩かずに行けば5時間は切れるし
最後、余裕があれば初マラソンのタイム(4時間57分9秒)は切れる、と読んだ。

30〜35kmで41分と、キロ8分を超えていたが
35〜40kmは39分台に戻し、ヨレヨレではあったがラスト2kmも
セーブしながらではあるがペースアップしてゴールへ。
自分の時計では4時間58分6秒、初マラソンのタイムより遅かったが
なんとか5時間は切った、と思った。
のだが・・・・・・・・・・・・・・

公式な時間を見ると5時間4分16秒。。。。。。。
8回目のマラソンでセカンドワースト、ブービーだった。
今回は時計で実際の走行時間を見ていたにも関わらず、何故こんなにずれたのか、よくわからない。
1km当たりのラップの時間がずれるのは理解できる。
しかしスタートと同時に計測を始めてゴールで止めたのに何故??????

恐らく、なのだが、止まって薬を塗っていた時にストップしてしまった可能性が高い。
これは相当、ショックだった。

マラソンを舐めていたとは思わないが
やはり練習していなければまともに走れない、
また教訓だけが増えた大会になってしまった。
結局、息子は3時間40分21秒で前回よりタイムを更新したそうだ。
ラスト1km地点に知人がいて声援を送ってくれたのが
ラストの激走になったらしい。ラストの1kmは4分台だったと言うから
やはり若さだろうと思う。

なお、今日、医者に行ったのだが、左足の内股、思ったより重傷で
取り敢えずランニングについてはドクターストップが出てしまった。
もしかすると今回がフルマラソンは最後になってしまうかも知れない。
取り敢えず5ヶ月、リハビリをする。
羽生君のように復活できれば復活したい。
地道にリハビリをしていこうと思っている。
公式記録 5km 平均 自己記録 5km
start 9:18:16
1 0:06:00
2 0:06:00
3 0:05:35
4 0:06:12
5 9:48:38 0:30:22 0:06:04 0:06:10 0:29:57
6 0:06:20
7 0:06:00
8 0:06:04
9 0:05:45
10 10:19:48 0:31:10 0:06:14 0:05:55 0:30:04
11 0:06:14
12 0:06:44
13 0:06:21
14 0:05:49
15 10:50:22 0:30:34 0:06:07 0:06:23 0:31:31
16 0:05:33
17 0:06:09
18 0:06:36
19 0:06:07
20 11:21:57 0:31:35 0:06:19 0:06:14 0:30:39
21 0:06:39
22 0:06:27
23 0:07:35
24 0:07:01
25 11:58:36 0:36:39 0:07:20 0:07:37 0:35:19
26 0:07:19
27 0:07:38
28 0:08:20
29 0:07:01
30 12:42:22 0:43:46 0:08:45 0:08:12 0:38:30
31 0:08:04
32 0:08:08
33 0:08:06
34 0:08:12
35 13:25:19 0:42:57 0:08:35 0:09:12 0:41:42
36 0:08:16
37 0:07:55
38 0:07:45
39 0:07:48
40 14:05:17 0:39:58 0:08:00 0:07:41 0:39:25
41 0:08:14
42.195 14:22:32 0:17:15 0:07:52 0:12:45
time 5:04:16 0:07:13 4:58:06

左足の腸腰筋の付け根が痛い。
また、左足の腸脛靱帯も嫌な感じがしている。
整体・マッサージは続けているのだが
毎回、自分の体の硬さにびっくりしている。

ほんの4ヶ月前まではかなり好調だった。
10月の30kmマラソンは全ての5kmのタップを27分台でまとめられた。
それが、である。

一度、故障するとその故障が連鎖反応を起こし、
一つ治れば次が、と言う具合に、いっこうに万全の状態にならない。
今シーズンはもう諦めてはいるが、
そうは言っても東京マラソンには出たいし、霞ヶ浦マラソンも出たい。
出るからにはその時点でのベストの走りをしたい、と思っている。

今現在、歩く時も少しビッコをひいているので
常識で考えればフルマラソンなんでとんでもないのだろうが
何故か、自分でもよくわからないが、参加だけはしたい、と思う。
変な趣味である。
家族も含め、なかなか走ったことのない人には理解してもらえないと思う。

ただ、42.195kmと言うのは気合いだけで走れるほど甘くはない。
やはり練習を積まなくてはならない。
本来であれば30km走をやっておきたかったのだが
先週4日の日曜日、皇居で20km走った時にとんでもない状況だったので
今日もまた確認の意味も込めて皇居20kmを走ってきた。

                        自撮りです(笑)
イメージ 1

結果は先週よりは良かったが去年の今頃とはほど遠い状況だ。
これが歳のせいなのか、それとも調整の失敗なのかは分からないが
自分ではまだこんなもんではない、と思っており
来シーズン、またリベンジをするつもりでいる。

今日は風が強かったが東京マラソンが近いからだろう、
皇居にはいろいろなランナーが走っていた。

    2月4日   2月12日 昨年2月5日
5km    0:33:01    0:31:34           0:28:07
             6:36         6:19               5:37
10km  0:35:32    0:29:55            0:27:47
             7:06        5:59                5:33
15km  0:31:59    0:32:56            0:27:55
            6:24         6:35                5:35
20km  0:35:26    0:31:41            0:27:58
            7:05         6:20                5:36
Total  2:15:58    2:06:06    25km  0:27:25
            6:48         6:18                 5:29
                                    30km  0:28:23
                                                 5:41
                                  Total    2:47:35
                                                 5:35

こうやって昨年の今頃のタイムを観ていると同じ人間が
走っていると思えない。。。。。
また地道に練習するだけである。
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