|
小学校4年生の時、港区立の小学校から青山学院初等部に転校した。
父親が戦前、青学中等部に在籍をしていた縁があったのではあるが
特に我が家がクリスチャンの家系である、という訳ではない。
私の健康問題、その他の原因で両親が決めたのである。
港区立の小学校には2年生の時に高松の学校から転校したこともあり
私にとっては2回目の転校生生活だった。
港区の小学校に転校した時は単にクラスで紹介されただけだったのだが
青学では全校生徒が集まる朝の礼拝で紹介されて驚いた。
そしてその後、毎朝、新旧聖書と2冊の賛美歌集を持って礼拝に参加した。
ウフィツィ美術館レオナルド・ダ・ビンチ「受胎告知」
礼拝では牧師先生が司会を行い、聖書の朗読、賛美歌の斉唱、そして
曜日によってはクリスチャンの先生方がスピーチをされ、
最後は賛美歌と「主の祈り(天にまします〜)」を全員が斉唱して終わる。
礼拝が終わってからは普通の授業が始まるが、週に一コマは宗教の時間があり
聖書について、更に学ぶ。
4年生の頃、既に私はかなり腕白であった訳だが、
自分が心臓の病を持ち、生きる、と言うことに物心ついた時から関心と不安を抱えていたことから
やはり青学での生活から自然と多くの影響を受けた。
特に先生方のスピーチは常に感動的であり(けして押しつけがましくはない)
人はパンのみに生きるのではない、大事なものは愛、と言うことが
少しずつではあったが、人生観の根底に植え付けられていった。
そしてその後、教育大付属駒場中学(現筑駒)に入学した訳だが、
ここはさすがに競争社会の最難関であり、入学した当時は
まだお互いにライバルだらけ、人の足を引っ張る、みたいな警戒感、競争意識があったことから
(但しその後、そうした関係はどんどん薄まり、今や人類、皆、兄弟のような関係だが)
正直に言ってあまり馴染むことが出来ず
(同級生は私が馴染んでいないとは思ってもいなかったであろうが)
なおさら、キリスト教について、考える時間が増えていった。
思春期だったこともあり、キリスト教への関心は仏教、更に内容も分からず各種哲学、
特にカントやらヘーゲルやら、フォイエルバッハ、そしておきまりのマルクス・エンゲルスへと進んでいった。
当時は大学紛争まっただ中であり、教駒でも高三がバリケート封鎖をしたような
時代背景にも感化されていたのだと思う。
ただ、そうした時でも常にキリスト教、或いはヨーロッパ文明への関心は地下水脈のように残っており
あまり人様に言う話でもないのだが、就寝前には主イエスキリストへの祈りを欠かすことは無かった。
それはつい4年前くらいまで、続いていた。
ウフィツィ美術館 ヴェロッキオとダビンチ 「イエスの洗礼」
それが4年前、家内とイタリア旅行に行って、キリスト教への関心が変化した。
それはバチカンに行った時だった。
バチカンには私は21歳、大学3年生の春休みに訪れたことがあったのだが(40年前である)
その時はミケランジェロのピエタや最後の審判に圧倒され、
キリスト教の凄さに感動したことを覚えている。
しかし4年前に行った時、バチカンの宝物殿を見る機会があり、
なんと夥しい財宝がここに集められたのか、と言うことばかり気になった。
また、多くのイタリアの美術館に世界の富が集められていることを見て
この財宝のためにどれだけの搾取が行われたのか、
これをありがたがっていた聖職者とは何だったのか、
という方に目が向き、むしろキリスト教のもたらした俗物的な現実に嫌悪感が生じたのだ。
同時に、一神教が持つ排他性、実質的な信教の強要と言う点にも疑念が芽生え
(それが現代にまでイスラム教、ユダヤ教、さらには非西欧諸国との軋轢の本になっている)
そもそも私が毎晩、イエスに祈るという行為は何なのか、心の安寧を得るのであれば
「主イエスキリストの御名の下に、アーメン」である必要は無いのでは、と思い
就寝前にお祈りをすることを辞めたのである。
そして4年が過ぎ、今年の6月、今度は家内とフィレンツェに8泊10日、滞在した。
前々から「プチ住みイタリア」をしてみたいね、と話していて、
今回、某社を定年退職することもあり、その直前に長期休暇をいただき実現させた。
その記録はしっかり残そうと思っているのだが、相変わらずの遅筆で
いつになるかは分からないが、記録として残すつもりだ。
そして、ここからが今回の記事の主題なのだが
今回、イタリアを訪問して、また少しキリスト教に対する見方が変化した。
それはアッシジに行った時のことだ。
アッシジ サンタ・キアーラ教会
そこは聖フランチェスコの聖地であり、いわゆるフランシスコ会発祥の地だ。
キリスト教に詳しい方々であればそれは常識なのかも知れないが
この聖フランチェスコは、まさに当時のバチカンの腐敗に憤り
従順、清貧、貞潔こそがキリスト教徒に求められるという宗派を設立した聖人である。
フィエーゾレ サンフランチェスコ教会
そうした動きは最終的にはマルチン・ルターの宗教改革へと向かうのであるが
12世紀には既に、バチカンに対する批判的な宗教家がおり、
それは少なからず社会に認められ、影響力を持っていた、と言うことを今回、初めて知った。
また、事前に池上俊一「フィレンツェ」、高階秀爾「フィレンツェ」、若桑みどり「フィレンツェ」、
森田義之「メディチ家」などを読んで行ったので、
同じように15世紀末期にはフィレンツェにサヴォナローラが現れ
既存の宗教、社会の腐敗を批判し、一時期はフィレンツェを支配することもあった、
そんな歴史の中で、フィレンツェと言う町は長きにわたり
独立の共和制の都市国家を維持してきた、と言う歴史を
美術館、博物館で見ることができた。
こうした今回のフィレンツェ訪問を通じて、私はキリスト教の歩んで来た歴史、
それを心の支えに生きてきた人々、その苦悩、
そんなものを少し肌で感じることができたように思う。
その意味に於いて、ヨーロッパ文化に対する違和感、忌避感は
殆ど解消することが出来たかな、と今は思っている。
実際には私自身は無神論者だと思っている。
キリストが起こした数々の奇跡を信じているわけではない。
むしろ、あの時代にイエスと言う人物がいて(いなかった、と言う説もある)、
何故、そういう思想が生まれたのか、とか、歴史事実はどうだったのだろうか、
というような方面にも関心があり、それは今も続いている。
やや脱線するが、キリストの復活は、そもそも死んでいなかったとか
(兵卒が槍を刺して血が出た、という説話はまだ生きている、と言う状態を示す、などという俗説もある)、
その状態で墓地に入れられ、信者が救い出した、なぜならその日は安息日だったので
墓守も見て見ぬふりをした、とか、この世界、いろいろ面白い本が多いので飽きない。
こうした書籍、真贋取り混ぜていろいろあるが、こういう本も更に読んでみたい。
また、小学校の頃、星座に関心が有ったことからギリシャ神話には昔から興味があり
特にヨーロッパ文明を更に知る上でもう一度、しっかりギリシャ、ローマの文学、歴史、
或いはユダヤ教やイスラム教について学んでみようと思っている。
中国にいた時は日本の神話や中国の歴史につき、それなりに読んできたが
今後、ヨーロッパの歴史を学んだら、その次は紀元前の世界はどこまで繋がっていたのか、
春秋戦国時代とアケメネス朝ペルシャ、ギリシャ・ローマはどこまで接点があったのか、
キリスト教に見られる自己犠牲の精神は仏教の仏身捨虎から影響を受けたのではないか、など、
いろいろな本を読んでみたい。
そして人生の終活期を迎える年代になったとき、
「主の祈り」を唱えているのか、般若心経を唱えているのか、
今から自分でも興味津々なのである。
ドゥオーモ付属美術館 ミケランジェロのピエタ
|
歴史と文化
[ リスト | 詳細 ]
|
会社の社外取締役の方のご厚意で文楽のチケットをいただいた。
場所は国立劇場、演目は『平家女護島』。
昨日(2月18日)、家内と二人で見に行ってきた。
日本の伝統芸能をしっかりと見るのは実質初めてだ。
以前、歌舞伎のチケットも入手したのだが
結局、家内と友人、或いは家内と息子、という形で
自分が見に行けるチャンスが無かった。
もともと演劇が好きで、大学時代は野田秀樹さんと『練習』をしたこともあるのだが
その後はつかこうへいさんの芝居を見るくらいで
かなり演劇の世界からは遠ざかっていた。
それでも蜷川さんの芝居や、堀北真希の芝居など、観ていたのだが
伝統芸能というと小学校の頃、歌舞伎のさわりと能を見たくらいで
浄瑠璃は全くの初めてだった。
結論から言えば、やはり大変、素晴らしいものだった。
もともと近松の作品は人情物が主体でジワッと来るものが多いのだが
人形を使ってもあそこまで人間の感情を表すことができるのか、という
新しい驚きと感動があった。
なかなか手に入るチケットではないのであろうが
また機会を見て、こういう伝統文化に触れたいものだ。
鬼界が島の段(国立劇場HPより)
|
|
明日のハーフマラソンデビューのため、
家内と息子、3人で米沢に来ている。
朝、5時40分頃、家を出て時々、息子と運転を交代しながら
お昼少し前に米沢についた。
お昼は米沢ラーメンを食べた。
熊文、というお店なのだが昔風のあっさりした「中華そば」的なラーメンだ。
こってり系全盛にあって
久しぶりに懐かしい、美味しいラーメンを食べた。
値段は600円。
ボリュームたっぷりだった。
美味しかった!
ここから明日のコースを下見した。
スタートから3km地点あたりから徐々に登りが始まり
7km地点あたりまでで150mくらい、登っていく。
その合間にも細かなアップダウンがあり
息子に言わせると軽井沢ハーフよりかなきつそうだ、という。
鎌倉ン14kmのコースと似ている感じで
ここまでアップダウンがあると2時間切りはかなり難しい感じだ。
今回はハーフマラソンデビューであることもあり
11月の坂東いわい将門ハーフマラソンの舞台でタイムを狙う方がクレバーかな、と思っている。
私がハーフマラソンに米沢を選んだのは理由が無いわけでも無い。
米沢は私にとって非常に深い思い出の詰まった町なのだ。
大学受験を終え、入学までの春休み、米沢天元台のユースに泊まったことで
私の大学時代の生活は大きく変わったのだ。
このことはいつか、小説風にに書き残しておきたいと思っている。
春の新緑、夏の避暑、秋の紅葉、冬の雪景色、そして温泉。
大学4年間で多分、100日近く泊まっていたのではないかと思う。
ユースホステルの食堂、客のいなくなった午後、一人でギターを弾き歌を歌う。
客が来ればペアレント(店の主)やアルバイト・居候の学生などと賄いをして
就寝前には米沢のお酒「東光」で茶碗酒。
ツマミなんてない。ハリハリ漬けがあれば最高だった。
雪が降れば早朝、お客さんが出ていくまでに終えなくてはいけない雪かき。
一日に1m以上、積もる白布天元台。冬の雪かきは本当に大変だった。
山大理工学部(米沢)から上がってくる私より少し年上の人達、
早稲田の185cmの美男子や日大の男。男性は皆、私より年上だった。
そして私より年下の地元の女子高校生「智子」を巡る男たちのかけひき。
ペアレントの奥さんの可愛らしい仁子(じんこ)さんや
東京から来るSという美人(結局、日大の人と結婚)。
年齢不詳、自称看護関係で働く年上の女(結局、早稲田と結婚)。
やがていつしかガールフレンドを連れて泊まりに行くのが主流になり
私も今の家内と一緒に「凱旋」をした。
ペアレントと二人で語り明かした夜。
一緒に野菜や肉を買い出しに行きコーヒーを飲んでから帰った日。
智子さんと二人で買い物を頼まれて町に買い出しに行った帰り
雪が降り始め四輪駆動のジープがスリップしてヒヤリとした記憶。
本当に甘い、そして少し酸っぱい思い出が詰まっている。
私に恋人を取られた、と勘違いした友はその後、谷川岳一の倉沢で滑落死した。
私との関係が直接影響したわけではないのだがショッキングな事故だった。
「青春」と言ってしまうとあまりに安っぽいが
そんなものが埋もれている町、それが米沢なのだ。
その米沢で明日、ハーフマラソンを走る。
昔、友と歩いた上杉の史跡を家族と巡る。
上杉家廟所
上杉神社
何故か仮面ライダーが祈りを捧げていた…
今回は今まで行ったことのない前田慶次ゆかりの堂本善光寺という寺も行った。
人の少ない良い寺だった
そして夜は芋煮。
米沢牛は明日の楽しみにとってある。
米沢駅前「まるぶん」の芋煮
明日、ハーフを終えたら白布温泉に行く予定だ。
記録はともかく、楽しんで帰りたい。
|
|
たまには家内と鍋割山でも行こう、と思っていたのだが
昨晩は遅くまで雨が降っていたことから
この状態で鍋割山へ行くとヌカルミもひどそうだし
何より、ヒルが大量に上がってきそうなので
今日は鎌倉めぐりにしよう、と昨晩、家内と決めた。
私はもう随分、鎌倉を歩いているのだが
家内はまだ、行っていない寺も少なからずあるらしい。
そもそも、大船(かろうじて鎌倉市)で暮らしているのに
大船観音寺に行っていない、というのだから驚きだ。
ここで暮らし始めて25年目。
ほぼ毎日(家内は週3回くらい?)、その横を通っているというのに。
大船観音(大船観音寺のHPより)
まぁ歴史のある寺ではないからかも知れない。
東海道線や横須賀線に乗れば駅前のシンボルとして
一度は目にした方も多いと思う。
もっとも、私も除夜の鐘をつきに2回か3回、行った程度だが。
しかし今日も大船観音寺はパスして、まず鎌倉までJRで行き、そこから江ノ電で極楽寺へ。
極楽寺は家内が来たことのない寺の一つだ。
参拝料はかからないが撮影禁止なので写真はない。
静かな良い寺だ。梅の季節は美しいだろう。
そこから近場の熊野神社へ。ここは殆ど、来る人もいない神社だが
意匠をこらした建物が良かった。ここは私も初めてだった。
文永6年(1269年)の創建と伝えられているらしい。
熊野新宮とも言われており、今の社殿は関東大震災後、1927年の再建のようだ。
熊野神社
鎌倉市民であるけれどもまだ知らない鎌倉がある。
そこから御霊神社へ。ここは私が好きな神社の一つだが家内は初めてだ。
ここは鎌倉を切り開いた11世紀から12世紀に活躍した武士、鎌倉権五郎景政を祭る神社である。
景政は後三年の役(1083年〜87年)で源義家軍の先鋒を務め
右目を矢で射られながらも奮戦した、という武勇伝が残されている。
江戸時代の歌舞伎「暫く」にも取り上げられるほどの有名人だ。
私が暮らしている大船界隈にも鎌倉権五郎ゆかりの神社や史跡は幾つかある。
「御霊」はもともと「五霊」、この周辺を治めていた関東平家一門の
「梶原」、「大庭」、「村岡」、「長尾」、「鎌倉」の五氏を祭っていたものが
いつしか鎌倉氏にまとめられたものだという。
鎌倉景正は平景政とも名乗っていたようであるが
私が暮らしている所の東には「長尾台」、西には「村岡」、そして北には「大庭」という地名が
今もしっかり残っている。
長尾は言わずと知れた名門で、上杉謙信こと、長尾景虎もこの地の武家を祖としている。
私の家の傍であり、ムジルシ隊長の家の傍でもあるが
久成寺には実朝を暗殺した長尾定景一族の墓もある。
大船から戸塚、栄区にかけてを支配した豪族であり、その末裔が謙信だ。
鎌倉、梶原の地名ももちろん、残っている。
その意味で、このエリアには結構、歴史があり、しかも繋がりがあるのが楽しい。
御霊神社も創立は平安時代後期であり
鎌倉権五郎景政は桓武天皇の末裔とも言われているようだ。
かなり大きな神社で秋には(9月18日)「面掛行列」という珍しいお祭りがある。
御霊神社境内
面掛行列
ここも家内は初めてだったようだ。
そしてそこから「ブラたもり」よろしく、この界隈の路地を歩く。
長谷寺方面へ歩くと大きなお屋敷のような家もある。
個人情報かも知れないが「安斎」という立派な家がある。
恐らく長谷にある安斎商店の関係だろう。
ふと、スラムダンクのバスケットの監督の名前が安西だったことを思いだす。
恐らく、あの作者はこの当たりに暮らしていて安斎の名をよく見ており
安斎⇒安西にしたのではないだろうか。
安西監督
そして長谷寺はスルーして甘縄神明神社へ。
ここは私も初めてだが我々が暮らす「玉縄」地区の地名の由来となった「甘縄」発祥地である。
ここの神社の由緒書きによれば西暦710年、「染谷太郎大夫時忠の創建」だそうだ。
甘縄神明神社
この「染谷太郎大夫時忠」なる人物は何ものか、と言えば
神社脇の石碑によれば藤原鎌足の玄孫に当たり、
奈良の大仏を作った良弁(ろうべん)僧正の父で
鎌倉に住み由比の長者とも呼ばれ東八カ国の総追捕使となり東夷を鎮めた人だという。
実在したかどうかはわからないようだが、良弁という僧は東大寺初代別当で
天平勝宝8年(756年)には鑑真とともに大僧都に任じられた実在の人物であり
相模国の出、という説はあるようだ。
この辺り、今は鎌倉市街地から少し離れているが
それこそ鎌倉時代は高級住宅地であったようで
鎌倉時代の豪族、安達盛長邸跡地にもあたるようだ。
このため、頼朝や北条政子もよく訪れていたそうで
境内近くには北条時宗公産湯の井、というものもある。
バス通りから少し入った所にあるため訪れる人はまばらで
落ち着いた良い神社だ。
但し、もう少しすると蚊に悩まされそうな神社でもあった。
裏には神輿ケ嶽(見越ケ嶽)と言われる丘が続いていて
万葉集3365「鎌倉の み越の崎の石崩の 君が悔ゆべき心は持たじ」は
この神輿ケ嶽を指すという説があるそうだ(他に稲村ケ崎、小動ケ崎という説も)。
参拝を済ませてお昼のオニギリ、お稲荷を食べようと、鎌倉文学館へ行った。
少し時期は過ぎたもののバラ園がきれいで
のんびり弁当を食べるには最高だ。
バラ好きの家内とバラ園
ここからはもう見知ったエリアなので御成通りから駅へ。
ただ、私が知らなかった鎌倉が一つ残っていた。それはスイーツの店。
小町通りにある有名店「ジェラテリア イル・ブリカンテ」。
昨年、家内とイタリアへ行く前からここのジェラードは美味しい、と言っていた店だ。
そこのイタリア人の「こだわりのメニュー推薦」は一度、聞く価値があり
高いけどご馳走してあげる、と言われて30分近く、並んで食べることができた。
モスカート パッシート(赤ワイン)とヘーゼルナッツの組み合わせ。
これが1500円。。。。家内がご馳走してくれたが、確かに美味しかった。
本来、湘南国際マラソンの申し込みが今日夜8時からだったので鳳凰三山を諦め、
そして天気の関係から鍋割も諦めた。
けれども家内とゆっくり地元を歩けたことは良かった。
天気も良かったし初めて訪ねた場所も自分が暮らす街の歴史がわかって楽しかった。
またあちこち、歩いてみたいと思う。
ただ、マラソンの申し込みは時間を間違えてしまい
「締め切りました」であったのは心残りであった。
|
|
私が通っていた高校には1年先輩に野田秀樹さんがいたことから
文化祭というと演劇を見に来る人で溢れかえる、という一時代があった。
彼は高校1年生の時に既に頭角を現しており、演劇界でも注目されていた。
私も高校2年生の時に高3の野田さんが演じた「ひかりごけ」という劇を見て震えた記憶がある。
才能には差があったものの、我々も高校3年で「羊腸人間」という、同じ安部公房の劇をした。
そして大学に入った時、野田さんは一浪していたので同学年になった。
そして同じ劇団に入ったのだが、当時はつかこうへいさんが最盛期を迎えており
野田さんが目指す劇がつかこうへいさんの亜流に思えて半年もせずに退団した。
因みに私のブログのページでお気に入り登録している「ojisan」は当時、つか劇団におられ
VAN99ホールや紀伊国屋ホールに出ておられた方である。
大学2年の頃には家内と知り合い、つかさんの劇を随分見た。
そんなことから、我家は最近になって家内も私も、観劇に行くようになっている。
私は堀北真希のステージだが、家内はもう少し劇団らしい劇も見ている。
今、堀北真希が「9日間の女王」というステージをやっているので
3月1日に家内と赤坂へ出かけ見に行ってきた。
堀北真希の劇は昨年、二都物語を見ているので2回目だ。
この劇は史実を元にしているのだが、史実自体がかなり暗い内容である。
それだけにシリアスなステージが続き、二都物語の時とは違った緊張感のあるステージだった。
堀北真希、というと梅ちゃん先生のような、ちょっと素人っぽい演技が特徴で
そこに親近感を感じるファンが多いのだと思うが
今回のステージは一皮剥けた、演技のうまい女優さんになっていた。
ファンとして、何となく嬉しかった。
今月、家内はもう一つ、蜷川幸雄演出の「ムサシ」のチケットを買っていた。
当初、息子と家内で行く予定だったのだが、家内が風邪をひいたので私にチケットが回ってきた。
主役の宮本武蔵を藤原竜也が、佐々木小次郎を溝端淳平、
他に鈴木杏、六平直政、吉田鋼太郎、白石加代子、大石継太らがそれを囲む。
藤原竜也 白石和子
さすがに世界の蜷川、これも抜群に面白かった。
何より、「舞台劇」というものはこういうものなのだ、というような昔ながらの伝統を感じた。
観劇は初めて、という息子も非常に面白かったと
感激していた。
「ムサシ」では特に白石加代子が秀逸だ。
早稲田小劇場、という、私が大学の頃、
前衛的な劇を演じ非常に注目度が高かった劇団の出身だ。
能の足運びに節回し、途中で拍手したくなる程だった。
経済的に余裕があるわけではないのだが
こういう贅沢はいいものだ。
またいい芝居を見に行きたいと思っている。
|




