5月23日のシュピーゲル誌HPに載っていた記事を訳してみました。長いので3部に分けました。 翻訳が下手ですが、皆さんどうか読んでください。日本が外国からどう見られているか、その一例 です。これを読んだらもう「原発には賛成でも反対でもない」などと悠長に言ってはいられないと 思います。原文 Der Atomstaat Der Spiegel誌より 石油ショック以降、日本は無条件に原子力に専念しました。それ以来この原子力という分野は日本全体 とりわけフクシマを経営する東京電力を腐敗させました。政治家、学者、メディアは共犯です。一つの 大きな科学技術が一つの民主主義に徐々に侵していきました。 その金曜日の朝、山口幸雄氏はグレーのカーディガンを家に置いて、その代わりに上質のこげ茶色のスーツを 着ました。彼は日本のハイテク特急、新幹線に乗り込み柏崎・刈羽方面に向かいました。日本の西海岸にある その場所には、世界で最も大きな原子力発電所があります。 角縁メガネに顎ひげのこの内気な物理学者は、原子力資料情報室の脱原発活動家です。彼は発電所の地震 安全対策に取り組んでいる委員会へと向かう途中でした。この時の東京電力との会合では、津波に対する安全 策についても話し合われる予定でした。3月11日のことでした。 13時少し前に、山口氏は新潟県庁の会議室のテーブルにつきました。津波の危険性について警告したところで 何の役に立ったでしょう?「会議はいつもの通り進みました」と山口氏は言います。「一人に対して東電多数。 そして東電の人たちは言っていましたよ、すべて万全の状態である、と。」 14時46分まではそうでした。「万全の状態」もそこまででした。突然会議室の建物が揺れました。地面が揺れ、 みんな外に出ました。会議は15分ほど中断されましたが、あらためてみんな集まりました。東電の代表の 一人は、発電所が地震や津波に対してどれだけ安全に管理されているかをもう一度強調しました。 まさにその瞬間、東に200キロほど離れたところで、14メートルの高い波が、東電の二番目に大きい原子力 発電所の6メートルの防波堤を呑み込んでいたなんて、会議室にいた人の誰も予想しませんでした。 16時頃、新潟で行われた会議は終わりました。地震のせいで新幹線が動いていなかったため、山口氏が 市内のホテルにチェックインしたちょうどその時、東電は政府に報告しました。「フクシマダイイチの原子炉が 制御できなくなりました。」 それ以来、現実(に起きていること)が、原発推進派の安全スローガンは茶番であるということを何度も示して きました。どうやら地震によって配管にひびが入っていたようです。燃料棒は溶けて熱くなったウランの塊に なっていました。1号機の原子炉格納庫の底に随分前から穴が開いていたようです。そして、まだ一度も水素 爆発の危険はなくなっていません。 東電と政府の宥和(=許して仲良くすること)は中味のないものであることが判明しました。何万人もの人が 故郷を離れなくてはなりませんでした。恐らく永久に、です。大事故現場からほぼ40キロ離れた山間にある 飯館村も避難しなければなりません。 二ヶ月間にわたって東電経営陣は問題を和らげ、責任逃れをし、壊れた原子炉を制御しようとむなしく試みて きました。そうして先週の金曜日(=5月20日)になって東電社長清水正孝氏と副社長の武藤栄氏がついに 辞任を発表しました。この措置を強いたのは、なんと言っても107億ユーロ(日本円だと1.2兆円)の3月期 連結決算の赤字でした。 東電経営陣の西沢俊夫氏が社長として後任に座っても、コンセプトのない危機管理マネージメントはほとんど 変わらないでしょう。今まで通り、原発事故対策本部は東京の本社ビル2階に集まっています。それは大きな 会議室で、紙切れが内側から窓に貼られています。半円形のテーブルに東電の首脳陣がつきます。これまで 原子力本部長だった武藤氏が会議の進行係を務めています。彼の左隣には代表取締役会長の勝俣恒久氏が 座っています。たいてい彼は毎朝9時に来て、夕方6時か7時にまた来ます。社長の清水氏は残りの期間、 どちらにしてもただ単に姿を現しているだけ、というのがそこにいた証人の話です。 誰が危機管理の責任者をとるのかははっきりせず 会議室のテーブルの周りに小さな丸テーブルがあります。そこには専門家チームや米国核監視員の専門家、 フランス原子力発電会社 Areva の専門家、そして日本の学者が座っています。彼らはみんな大きなビデオ スクリーンを見つめます。そこにはすべての発電所、例えば柏崎との専用回線があります。 しかし今はみんなほとんどいつも左の下の方ばかり見つめています。そこには吉田昌郎氏の画像が映し出され ます。56歳の発電所所長はフクシマダイイチ原発の耐震の部屋から連絡をしています。この会合の参加者の 一人は「吉田氏は伝えるのが大変そうだ」と言っています。「現場の人は、状況がいかに深刻かを伝えるのに 苦労しています。」 それにもかかわらず、実際に誰が危機管理に責任があるのかははっきりしていません。 Spiegel 誌が何週間 か前に東電のスポークスマンに、「原発事故本部は誰が指揮しているのか」と質問した時の答えは「菅総理大臣」 でした。同じ時期に国会議員がこの質問を内閣にしました。答えは「まず第一に東電である」でした。原子力 安全保安院は「我々は危機克服のために一丸となって東電を支援します。」と言いました。 政府はこれを特に資金面で行っています。東電は430億ユーロという莫大な金額を破滅前に保持しなければ なりません。ヨーロッパやアメリカの大手銀行の生き残りを保証した「失敗するには大きすぎる」という決まり 文句は、日本の大手電気供給会社のケースにも当てはまることが判明しました。 東電は首都圏4500万人に電気を供給 東電は世界で4番目に大きな電気供給会社で、52000人がこのマンモス企業で働いています。昨年は350 億ユーロを売上げています。第二次世界大戦前、政府がすべての電気供給会社を国営化し、地方の独占企業 を組み合わせました。今では10社が、私企業となっていますが、地方での主導権は保たれています。 産業省はこの電気会社を常に重要な産業政策の機関と扱い、その見返りとして保障された利益を享受して きました。首都圏で4500万人が東電の電気を使用しています。東電はいたるところにあり、研究やメディア にお金を払っています。東京の人が好む買い物エリアである渋谷のど真ん中には巨大な電気博物館を建てて います。 フクシマの大事故の後、瓦礫の中にただ一つの発電所が建つだけとなりました。日本の原子力部門を立ち上げた システム全体もまた地震で揺らいでしまいました。 原子力村。原子力複合施設に関する知識を身につけた日本の隔離されたエリートのことをこの暗号を使って 言い表します。東電の原子力部門は、産業省の権限を持つ部門同様村民の一部です。そして、研究者、政治家 ジャーナリストも特権階級の原子力クラブのメンバーなのです。 正規の洗脳を受けた国 山口氏はこの原子力村をしっかり囲む壁に常にぶつかってきました。「みんな一体感を持っています」と彼は 言います。「みんな東京のトップ大学で学び、その後東電あるいは東電を監視する役所で働きます。」 そして産業と役所の両方が政治と密接に絡んでいるのです。東電の経営陣は保守党自民党の重要な寄付者に 属しています。それに対して東電の労働組合は菅総理大臣が所属する民主党に支援されています。これまで どちらの政党も脱原発路線はとっていません。 これはまるでロバート・ユンクの描く Der Atom-Staat 原子力帝国 の恐ろしいビジョンが現実になったかの ようです。彼のこの題名の本はドイツの反原発世代の必読書です。ユンクはその本の中で、原発事故が 起こらなくても、危険な技術がどう民主主義を腐敗させるかを描いています。多くのデモ参加者が恐ろしい監視 国家を妄想するという話です。 ドイツはユンクのビジョンからついに逃れました。それに対して日本にとっては予言的であることが明らかです。 日本の迎合社会では、原子力産業、電気供給会社、政党、学者が一つの不可侵なレフュジア(氷期の気候 変化の影響を受けずに昔のままの動植物群が残存している地域の意)を形成することに成功していますが、 これが民主主義の脅威となっています。 原子力村での馴れ合いの情実人事が、大事故後の幇助に大きく影響していたことは確かです。東電は最高 5.7メートルの津波がフクシマに到達するであろうと算出していました。東電はある日本の技術者団体の 委員会を証人として引き合いに出していますが、35人からなるこの委員会の大半が以前に電気供給会社や その会社から資金提供を受けていたシンクタンクで働いていました。 多くのメディア自体も、この電気産業から気前良くお金を贈られていて、カルテルの一部なのです。「日本の国民 もこのフクシマの大事故には共同責任があります」と山口氏は意見を述べます。自然がこの原発に伴う最大級の 事故を引き起こしました。しかしこの状況は日本が自ら作り上げたものなのです。 |
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