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私は20代後半の3年間をメキシコで過ごしました。海外青年協力隊みたいな制度で
メキシコに派遣されたのですが、生活は想像以上に厳しくて文句たらたらの日々でした。
なにしろラテンの国ですから、物事がスムースに行くことはなく、気を抜くとすぐ騙され
たり、ぼったくられたり、盗られたり…。当時の私はどう見てもお金を持っているようには
見えなかったし、豊満なメキシコ女性に比べると貧弱に見えたのか、金目当て、体目当てで
狙われるとかは一切ありませんでしたが、無秩序な国での生活は常に危険と隣り合わせ。
3年の間に人間が「のたれ死に」するのを何度か目の当たりにしました。
一回は鈴なりのバスにしがみついていた人が、バスがカーブを曲がった拍子に放り出されて
道路に頭を強打。なんとなく即死っぽかったです。でもバスは何事もなかったかのように
そのまま走り続けました。もしバスに乗り込むのがほんの少し遅かったら、放り出されて
いたのは私だったかもしれない、と思った瞬間でした。
もう一回は、独立記念日を祝う人の群れに紛れてソカロという中央広場に向かっていた時
でした。急に人の群れが割れるように左右に広がっていったので何かなと思ったら、男の
人が泡を吹いて倒れていました。顔からは生気は感じられず…。でも誰もその人のことを
助けようとはせず、人の群れはそのまま中央広場へ流れていきました。
日本だったら、誰かが応急処置をしたり、救急車を呼んだりしますが、当時のメキシコの
ような発展途上国では、みんな自分が生きるので精一杯なのでしょう。他人に無関心、と
いうのとはちょっと違う、どちらかというと野生動物と同じ弱肉強食の世界という感じ
でした。構っていたら自分の命も危ない、とでも言わんばかり。そしていつ何時「明日は
我が身」になるかもわかりませんでした。
それまでは、自分の目の前に「人生」という道が、比較的まっすぐ平坦に伸びていて、
たまたま運が悪いと危険や不幸にぶつかってしまう、みたいに漠然と思っていましたが、
実は生命を脅かす危険因子や不幸因子は至るところに存在していて、たまたまそれを
すり抜けて生きているだけなんだ、ということを実感しました。生きているのが当たり前
なのではなく、生きているのは偶然が重なっているだけ、本当はいつ何があっても不思議
ではないんだ、ということを身をもって体験した3年間でした。
その後、日本に戻った私は、30代半ばで母を、40代になって父を亡くしました。二人
とも70歳ちょっとでした。母はいわゆる生活習慣病がもとでした。父は生活習慣も関係
していたかもしれないけど、運が悪かったのかもしれない病気で亡くなりました。当時、
私と同年代の友達や友人にはまだ親の介護に直面している人などいなかったので、心無い
ことを言う人もいました。
親が長生きだったり、長寿の家系だったりすると、「人間はフツーに暮らしていれば平均
年齢くらいまでは生きられる」と思っている人も多いようですが、それは大きな間違い
だと思います。人間、誰でも、いつ何時、何があってもおかしくありません。たとえ健康
に暮らしていても事故や事件に巻き込まれたりする可能性もあるわけで…。メキシコでの
経験と、両親の死によって、私はわりと早い時期に「一日、一日を大事に生きる」大切さを
理解することができていたように思います。人間はいつかは死ぬもの。その時になって
じたばたしないように、悔いのないように生きようと思って日々を過ごしています。
特に半世紀の誕生日を迎えてしまったら、人生はもうとっくに折り返しちゃっているわけで、
両親の歳まで生きられたとして、あと20年しかありません。そう考えると、ネットで
だらだらどうでもいい芸能ニュースを見たり、You Tubeでドラマを見たりするだけの人生は
嫌だなって思います(たまにはいいけどねー)。マイスターチェロで散財し、今度はいい
弓が欲しい、なんて言っている私では説得力はないかとは思いますが、物質的なモノはあの
世には持っていけないので、旅行や読書、映画鑑賞、観劇、コンサートなど内面に沁みる
ことをいっぱい体験して、思い出や知識を充実させたいと思っています。そして何気ない
ひとときに幸せを感じるように心を研ぎ澄ませようと心がけています。
父親が病気だった時に、自分の心のバランスを保つためにたまたま始めたヨガですが、今
思うと本当にいい選択だったなぁと思います。ヨガは誰でもどんな状態でも自分に合わせて
やれるから。よく、体が硬いから無理、なんて言う人がいますが、だからこそヨガをやる
べきだと思います。バレリーナや体操の選手でなければ、体が少々硬いのはフツーです。
生まれつきやわらかい人もいるけど、だから何?そもそも人それぞれみんな違うから、
始めた時点の自分を見つめ、そこから出発すればいいだけのこと。続けてさえいれば、少し
ずつでも変化があります。できなかったことができるようになる。それが感じられるのが
ヨガ。できなくても誰にも迷惑かけないのもいい。相手がいたりチームでやるスポーツでは
こうはいきません。
私も始めた時は前屈しても手が足の先に届きませんでした。だから今が人生で一番身体が
柔らかいというのが自慢です。普通は「子供の頃はもっと柔らかかったんだけどねー」と
言い訳するパターンではないでしょうか。でも私の場合、子供の頃から硬かったからこそ、
今、自慢できます。あることがある時点でできたら、そのままか、さらに上手くなっていく
か、あるいはそれができなくなるという3つの可能性があります。もともとできなければ、
最悪は現状維持でできないまま、もし意思を強く持って取り組んでみたら、進んでいく方向
は一つしかない、というのが「できない」人のメリットです。
最近の目標は開脚ができるようになること。コツコツ続けていれば還暦を迎える頃には
できるようになっているかな(笑)、なんて。
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Yoga/Ayurveda
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メキシコでの過酷な生活、両親の死など、様々な死に向き合った事で、
ある意味、人生の奥深さ、大切さを知ったのでしょうね。
そんな体験をすると、ホント、人間、いつ死ぬか分からない、
今を大切に生きないと、勿体無いと思います。
人生の充実度は人によって、色んな方向があると思いますが、
私も、いい人生をこれからも歩みたいと再認識しました。
あ、ヨガも頑張って下さいね〜
2017/4/14(金) 午後 0:47
おんだなみさん、ここには書いていませんが、唯一の肉親である姉も何度か大病をしています。両親は私ら姉妹の前に男の子を二人亡くしてます。そんな家庭で生まれ育って半世紀間、元気に生きてこられたのは運がいいんだなって思います。すり抜け上手っていうかな。これからもこのフットワークをキープしていい人生にしていきたいです。途中で躓いたとしても、それには意味があるはずだし、人生には無駄なことはないって思います。
おんだなみさん、今はいろいろ心配でしょうが、明けない夜はないので、焦らずに。ヨガ、オススメですよー。
2017/4/14(金) 午後 1:36
私もいい歳なので、色々な死を見てきました。自殺、他殺、病死、自然死。でも、のたれ死には無いなぁ😆親も長生きで、父は90で逝ったし母は89で生きてる。幸い、下の世話も認知も無く、生きてる事がありがたいです。自分も先を見ると、歩んできた人生よりはるかに短い未来しか無いので、日々を有意義で幸せに過ごせるようにしたいな。xirominさんみたいに、何か自分が楽しめる事があったらいいんだけど、なにせズボラだから(笑)
2017/4/14(金) 午後 8:49
シルバさん、泡ふいていた人とか、まさにのたれ死に、ですよね…。発展途上国と呼ばれる国と先進国では人の命の重さ、価値が全然違うことにショックを受けました。それ以来、私たちの生活レベルを維持するために地球上のたくさんの人が犠牲になっているように思えてなりません。
母の時は、長くないってわかっていたからいつも「悔いのないように」って接したつもりだったけど、結局何年も悔やみました。あの時ああしていれば、って。もう15年も前のことだから今はそういうのはないけど…。自分の人生を終える時はあれこれ後悔しないよう、精いっぱいいろんなことにトライして、あの時ああしていれば、と思わないようにしたいです。今のところは、いつ何があっても向き合えるつもりではいます。ただ、やっぱり白鳥は弾けるようになりたいし、開脚もできるようになりたいけど(笑)。
2017/4/15(土) 午前 5:31
平和ボケしてる日本ではそうぞうを超える日常が展開されてる海外で生きてみる、価値観や人生観も変える事を若いうちに体験しておくのは自分の宝物ですよね!「一日、一日を大事に生きる」簡単なようで、と〜っても難しい事ですがおしゃる通り、人生はいつ終わるか分からないですもんね! 大切に生きなければ!!出来れは実行してみたい言葉ですよね!でも、、、ずぼらな私には、、、、無理かなぁ〜
2017/4/15(土) 午後 6:33 [ 蛭子丸 ]
蛭子丸さん、人それぞれの人生だし、みんなそれぞれ好きに生きればいいんですよね。あの時ああしてれば、こうしてればって後悔しないで人生を終わらせられればいいわけで。
日々の何気ない生活に満足できる人もいれば、何かを追い続けないと気が済まない人もいて、私は後者かなって思います。だから日本での生活が窮屈に思えてドイツにいるのかもしれません。
ずぼらかどうかに関係なく、いつなん時何が起こるかは誰にもわからないので、与えられた人生を楽しく生きましょうねー。
2017/4/15(土) 午後 10:22