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先週末は、ヨガインストラクター養成講座の第一回目の週末セミナーがありました。第一回目は、毎週火曜日
に講義、実技のクラスを受けているフランクフルトのセンターで開催されました。土曜日は朝の11時から夜の
9時まで、日曜日は朝9時から午後4時半まで、と拘束時間が長いので、正直かなり憂鬱でした(ヤル気ある
のか!)。
テーマは瞑想。英語でいうMeditationです。西洋人の中ではかなり前から流行っていますが、私はそもそも
じっとしていることが苦手なので、当然瞑想などというものは苦手だし、好んでやろうとは思いません。小学校
低学年の頃、授業が始まる前のホームルームの時間とかによく目をつむらされました。その頃、書道を習って
いて、書道の先生にも、墨をすりながら、心を落ち着けて、精神を統一して、とかなんとかいつも言われて
いました。墨がなかなか黒くならなくて、本当に気が遠くなるような時間でした。多動児気味だった私には、
じっとしていることがとにかく苦行だったので、瞑想と聞くと子供時代の嫌な思い出が蘇ってきてしまいます。
2013年に受けたヨガインストラクター養成講座でも瞑想はよくやらされました。西洋人はどうも目を閉じて
じっとしていること=瞑想、だと思っているフシがあって、毛布にくるまって床に寝っ転がって、「これから私は
瞑想するから邪魔しないでね」などと言っている人がけっこういました。それは昼寝じゃ?と思うようなノリ
でした(笑)。
そもそも西洋人は床に座ることに慣れていないので、胡坐や正座でほんの数分間でも座り続けるのがキツい
ようです。20分ほどの瞑想を何度かやりましたが、薄目で様子を伺ってみると、姿勢を崩したり、すぐに脚を
伸ばしたり、そんな人がほとんどでした。日本で座禅でもしようものなら、私なんかはぺチぺチ肩を叩かれそう
ですが、西洋人の中にいたら、脚を崩さずに座っていられる私はかなりレベルが高いんだ、と妙な自信が
つきました。
瞑想よりもさらに苦手なのがKirtan(キルタン)と呼ばれるものです。キルタンというのは、音楽と共にマントラ
を詠唱することを言います。マントラはサンスクリット語はなので、はっきり言って何を言っているのかさっぱり
わかりません。大体の意味が書かれていても、一語一語理解して発しているわけではないので、私の内面
には何も起こってきません。2013年に受けた養成講座では、4週間毎晩キルタンの時間がありました。
とりあえず与えられた課題はすべてこなそうと決意していたので、一緒に歌ったり、積極的にマラカスもどき
などを使ってリズムをとってみたりしましたが、結局私の内面には何の効果も変化もおきませんでした。
キルタンはこんな感じで行われていました(Yandara Yoga InstituteのHPより)。
今回もいっぱいサンスクリットのマントラを歌わされました。ま、音楽の一種と思って歌えばそれはそれで
楽しめるのかもしれません。歌によっては「オーム、ナマシバヤ」とかなんとか唱えるわけですが、ナマと
いうのは、「南無阿弥陀仏」、「南無妙法蓮華経」の南無のことです。ナミアミダブツが「私は阿弥陀仏に帰依
します」という意味なので、ナマシバヤは、「わたしはシヴァ神に帰依します」という意味になります。いやいや、
私はシヴァ神とか信仰していませんから…。 ヨガは宗教ではない、と言われていて、このセミナーでもそのことを何度か強調していましたが、それなのに
このマントラを歌うのって…。だったら日本人にお馴染みのナミアミダブツって言う方がまだ私には抵抗が
ないですが、そもそも日常生活でナミアミダブツなんて唱えている人がいたら、それはかなり信心深い人な
わけで…。
なんだかヨガの位置づけがわからなくなってしまいまいした。そこへ極め付けのSatsang(ドイツ語的にはザット
ザングと発音)と呼ばれる時間が始まりました。Satsangは前に受けた養成講座では真実を語る集い、という
ように教えられ、みんなで輪になって座り、一つのテーマについて率直な意見交換をしただけでした。
今回のSatsangでは、最後の最後に、長めの歌をみんなで歌うように言われました。先生は、というと部屋の
正面に掛かっているヒンズーの神様の絵に向かって、ろうそくを載せた小皿のようなものを、空中に円を描く
ようにゆっくりと回し始めました。隣ではアシスタントの女性が怪しげな鈴のようなものをチャンチャンと鳴らし
始め…。これはどう見ても怪しい宗教儀式でした。歌が終わると先生、アシスタントともにひざまづき、五体
投地というんでしょうか?祈りのポーズみたいなのをしていました。みんなとりあえず真似はしていましたが、
正直「嘘でしょー」という感じでした。大体、ヒンズー教徒でもないし、信じてもいない神様の絵に向かって
土下座してみたところで、何の意味もありません。
セミナーの最後は参加者それぞれが感想を述べましたが、みんな「素晴らしかった」とか「いい勉強になった」
とか肯定的なことばかり言っていました。私は、「自分の国の文化と比較したりして、ちょっと混乱しています」
と言いました。モモ君にセミナーの様子を話したら、新興宗教っぽいから気をつけろ、と言われました。確かに
ヨガとは何か、を突き詰めるとお坊さんみたいな生活をすることにいきつきます。でも、だったら、仏教の
教えの方が日本人の私には受け入れやすいです。知識として勉強するだけでとどまるなら構いませんが
神への帰依がどうの、みたいな話になっていったらドン引き、です。
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ヨガインストラクター養成講座、土日が埋まってしまうのは、スケジュール的に
ハードですね〜、しかも、何やら怪しい感じ?
ヨガの知識が少ないので何とも言えませんが、宗教色が強いのは、
ちょっと引きそうな感じです。
神への帰依って事になったら、困りものですね。
2019/2/23(土) 午前 6:43
ヨガインストラクター養成講座、頑張っておられますね!
お休みが消えてしまうのが残念ですが何かを得ようとしたら何かを無くさなきゃいけないのが世の中、ヨガ講習も瞑想が迷走してる感じ、宗教的な要素が大な感じ、少し注意していかないと!
でも、ヨガってどうゆう始まりで何のために行うのか?体を鍛えるため?心身を鍛えるため?それとも神に近づくため?究極を追求すれば何処へ?!って考えてしまいますが、どうなんでしょうかね?
2019/2/23(土) 午後 8:14 [ 蛭子丸 ]
おんだなみさん、土日に長時間のセミナー受講は本当に疲れました〜。しかもかなり怪しくてドン引きしました。ヨガは宗教ではない、と言いますが、ヒンズー教との繋がりはかなり強くて、それを知識として聞かされる分にはいいんですが、土下座の祈りをしているのを見た時はヤバいかも?って思ってしまいました。
神への帰依がどうのと言ったら、もうそれは宗教だと思うので、しばらく様子見ですかね。途中でやめることもちょっと考えています。
2019/2/24(日) 午前 0:54
蛭子丸さん、週末のセミナーは今年あと5回もあるんです。こんな調子で宗教色いっぱいだったらちょっと参加するのを迷いますね。
ヨガを始めるきっかけは、体を鍛えるため、というのが多いのではないかと思います。でもどんなスポーツでもそうですが、継続していくことで体だけでなく精神面の鍛錬も加わっていきますね。それから日頃の行い的な部分にも着目していくようにはなりますが、神への帰依、っていうのはちょっと違うかなって私は思っています。ヒンズー教について知識として深めていくのはいいですが、信じてもいない神様の名前を唱えるのは抵抗がありますね。っていうか、気持ちが伴っていないのに唱えたところで何も起こらないから無駄ですしね。これからどうなることやら、ですね。
2019/2/24(日) 午前 1:02