ドイツの生活 Mein Leben in Deutschland

毎日の新しい発見を忘れないように。https://xiromi0303.blog.fc2.com/ に引っ越しました。

全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

Wetter

お天気の話をするのが好きな国民、というとイギリス人が挙げられるかと思いますが、ドイツ人も負けず劣らず
お天気の話をよくしています。さすがにドイツの冬は、長くて暗くて寒いですが、恐らく気候変動の影響で
ひと昔前に比べたらずいぶんマイルドになってきているのではないでしょうか。年がら年中、次から次へと自然
災害に見舞われている日本に比べたら、ドイツの冬もどってことないっていうか。氷点下30度とかまで気温が
下がるわけでもないですし。

去年の秋だったか、史上最強レベルの「嵐」が来て、ドイツ中で鉄道網が麻痺しました。観測史上最大瞬間
風速を記録したということで、新聞のトップ記事に取り上げられていました。確かに木が押し倒されたり、人が
まっすぐ歩けなかったり、それなりの破壊力はあったようです。その観測史上最大瞬間風速がいくつだったか
忘れましたが、はて、日本の台風と比べたらどうなんやろ?(何故か関西弁風)と思い、ネットであれこれ検索
してみました。するとそのドイツ観測史上最大瞬間風速というのは、日本でいう中型台風レベルと同じくらい、
であることがわかりました。そんなレベルならしょっちゅう来てるわ。

我が家のモモ君も、例にもれずお天気の話が大好き。そしてしょっちゅう天気予報をチェックしています。日本と
比べたら、たいした天候の変化もないのに、です。ドイツでは、一日中雨が降り続けることは稀だし、そもそも
彼の場合、車通勤なので傘なんて必要ありません。それなのに天気予報をチェックしては、蘊蓄を傾けて
います。

そして、昨日「今週は週末にかけて、ドイツもとうとう日本並みの暑さになる」などと言うではありませんか。
聞いてみると週末にかけて気温が38度くらいまであがる、という予報が出ているらしいのです。私は

「そんなんで日本並みとか言ったらあかん」

と鼻であしらいました。

「東京はすでに40度超えやで。それに日本の暑さは湿度を伴うから、ドイツの夏とは比べものにならん
くらい不快なんや」

と言いました。するとモモ君は

「だからここも40度近くになるんだって言ってるだろ。日本並みじゃないか。」

と引きません。

「あんたはな、日本の夏の凄さを知らんやろ。だからそんなことが言えるんや。日本の夏を甘くみたらあかん。」

と私はまったく取り合う気はありませんでした。38度の日が1〜2日あったとしても、それがどうしたって感じ
です。湿気さえなければ、朝晩は気温が下がりますからなんとかなります。まったく取り合わない私に腹を
立てたモモ君は

「俺が日本並みの暑さになるって言ってるのに、信じないのか」

とわけのわからないことを言い放ち、拗ねて別の部屋に行ってしまいました。そんなことで拗ねられてもねぇ…。
どっちの暑さが凄いかとか、張り合ってどうするん?日本のが凄いに決まってるし。

どうやら週末にかけて暑くなる、という予報は当たっているらしく、今日はかなり暑い一日となりました。でも
最高気温34度ほど。家やオフィスにはエアコンがないのが普通なので、いったん室温が上がってしまうと
シンドイですが、それでも湿度が高くありませんから、まだ耐えられます。ドイツ人は日本人より体温が高い
からなのか、同僚のドイツ人はこの程度の暑さでかなりへたばっていました。ま、彼の場合、太り過ぎも相当
影響してはいると思いますが…。私的には、この程度の暑さで、「暑い、暑い」なんて言ったら、日本の皆様に
申し訳ない気がしてしまいます。

さて、仕事のあと、家に帰ると、モモ君が出てきて「オーマイゴット、だろ?」と言いました。「なにが?」と聞くと
「外の気温が、だよ」とモモ君。暑くていてもたってもいられない様子でした。うーん、まぁ、暑いっちゃ暑いけど、
別に普通に暑いだけ、ちゃう?気温をチェックすると33度でした。

「あのな、こんなんで暑がってたら日本にはよう住めへんで。東京は今日も40度超えたらしいで。こんなん
爽やかなうちや」

と涼しい顔で私が言うと、

「そうだね。日本の人は大変だな。これでも十分暑いのに。」

とあっさり。あれ、昨日はドイツも日本並みになるとかって言い張ってキレてたけど、わかったんかい?日本の
夏の凄まじさを。って、日本の暑さがどんだけすごいかで言い争っても意味ないですけどね…。



Plattpfirsich

日本はとんでもない暑さのようですが、今年のドイツの夏はお天気もそう悪くなく(ぱっとしないお天気が続いた
まま夏が終わってしまうことしばしば…)、暑さもそう厳しくなく(時々日本並みの暑さになることもある)、比較的
過ごしやすい日々が続いています。ドイツでは一般家庭にはエアコンはないのが普通です。我が団地は東向き
なので、朝のうちに窓を開けて、涼しい空気を取り込んでおけば、部屋の中が温まってしまうこともありません。
ただ、西日が当たる家や最上階の部屋などは、夏の日照時間が長いせいもあって、室温が上がってしまうこと
もあります。そうなるとエアコンがないので、かなり大変です。

さて、仕事はもうすぐ試用期間も終わり、晴れて正社員になれそうかなという感じです。10月には出張で日本に
行くことになりました(航空券も予約済なので、それでクビになることはないかなーと)。有給休暇をほとんど
使っていないので、まずは日本のお盆の週に一週間休みを取ることにしました。そこまで、あと一息。頑張れ、
私…(笑)。

出張で行くから、というのもあって、私の今の会社がある場所ゆかりの「真田太平記」を読み始めました。かなり
分厚い文庫本12巻という長編なので、指輪物語のように苦行と化するかも、と懸念していましたが、意外と
文字が大きいし、会話文が多いので、読み始めたらけっこうすっと入れました。やはり通勤のバスの中では
読めませんが、電車の待ち時間や電車に乗っている短い時間などを利用して読んでいます。すでに第3巻目
に入りました。昔の武士は殺されるより先に切腹したり、あるいは妻や子供もあとを追って死ぬ、なんてことが
当たり前だったようで、今とは死の捉え方が違ったんだなぁとしみじみ。50歳で、もう爺婆扱いですしね。
必死に生きて、逝く時は潔く、という武士のあり方って良いなぁ、などと今さらながら思ったりしています。

写真はマイブームの平らな桃です。ドイツ語ではPlattpfirsich、意味はそのまんま「平らな桃」です。原産は
中国?のようですが、日本にもあるのでしょうか?日本から来た駐在員は「できそこないの桃」などと言って
珍しがっています。普段は1パック3ユーロくらいするのですが、何故か今週はセールで0.77ユーロ。
あまりにも安いので、きっとおいしくないんだろうな、と思いつつ、1パック買ってみたら、とっーても甘くて
ジューシー。今日までの特売品なので、思わず2パックほど追加購入してしまいました。冷蔵庫で冷やして
食べると超旨いのだ〜♪

イメージ 1

しばらく、職場と家とを往復する生活が続いていました。家にさっさと帰ってチェロの練習をしていたわけですが、
なんかちっとも上手くならないし、先生が夏休みで旅行に出てしまって今月はもうレッスンがないし、8月以降も
どうなるかわからないので(先生が9月か10月にはケルンに引っ越しちゃう)、私もここでちょっと一息つこう
かなと思っています。

新しい先生が見つからなければ、会社の近くにある音楽スクールに問い合わせてみるつもりです。会社から
歩いて6、7分のところに音楽スクールがあったんです。ただ問題はどの音楽スクールもそうなのですが、
小中学校が休みの期間はレッスンがないのに、それでも月謝は払わないといけない、というふざけた決まりが
あります。しかも私はその時期をずらして旅行に出たりするので、レッスンを受けられないのに月謝だけは
払わなくてはなりません。それでできれば個人レッスンがいいなとは思っているのですが、次の先生が
見つからなければ、無理にでもそこで習い続けないとマズいかなと思っています。そうでないとなんだかここで
終わってしまいそうな気がするから。月謝を払っていると思えば、練習にも力が入りますしね(笑)。

夏のホリデーシーズンに入って、仕事の方は受注が減りつつあるので、少しのんびりできそうな気配。なので
久々に仕事帰りに友達に会ったり、買い物をしたりして、少し息抜きをしようと思っています。

Todestag

今日は母の命日です。母が亡くなってもう16年になります。母の後、わりとすぐ父が倒れてしまい、30代
後半は親の介護と死に向き合わなくてはならない時期でした。当時、私と同年代の人の間では、まだまだ親の
介護に直面している人はいませんでした。多分、今、みんなそういう問題と向き合っているように思います。
父は最後は特養に入っていたのですが、ある同年代の人に「親を老人ホームに入れるなんて…」と非難
されました。その人は、当時40代前半でしたが、まだまだ親御さんが元気だったようで、定職にもつかず
海外を行ったり来たりしていました。果たして、彼女は今どうしてるんだろう、と時々思います。

親の介護で大変な思いをしていた時、姉と私を支えてくれたのは、近所のオバちゃんたちでした。私の実家は
新興住宅地にあり、近所の人たちというのは、その場所が開発された時期に移り住んできた人たちです。そこが
当時、小学生くらいの子供を持つ若い夫婦が一戸建てを買えた場所だった、ということでしょう。だから親も子供
も同世代が多く、明日は我が身、というか、自分たちもいずれは子供に迷惑をかけることになる、という思いが
あったようで、「あんたたちの生活のことも考えなきゃダメ」と励ましてくれました。親の脛かじり女は、イメージ
だけで老人ホームを批判していましたが、現実問題として親を自宅で介護することは並みたいていのことでは
ありません。ましてうちは姉も私も海外在住ですから…。だから近所のオバちゃんたちは、父が特養に入れる
ことになった時、よかった、よかったと言ってくれました。「お父さんだって、あんたたちに迷惑はかけたくない
って思ってるはずだから」と。

母も父も70歳ちょっとで逝ってしまいました。母は長年、糖尿病を患っていてそれが原因の合併症で、父は
脳溢血が原因でした。母は専業主婦だったので、普段から健康診断など一切受けたりしていませんでした。
ある時、目が急に悪くなり、眼科に行って、糖尿病由来の白内障と診断されました。その後も視力以外は
自覚症状があまりないため、食事制限などをきちんとしなかったので、どんどん悪化してきました。今ほど
糖尿病に関する情報もなかったので、母親自身があまり深刻に捉えていなかったのかもしれません。

ある時、家族である父と私が医者に呼ばれ、厳しい食事制限をしなければあと一年、と言われました。そして
姉がどういう背格好かを聞かれました。姉は私よりも背が高く、体重は私とそれほど変わらない、と言うと、
生活習慣病である2型の糖尿病は、遺伝要素は低いので、40代以降急激に太ったりしないよう気をつけて
いれば避けられる、と言われました。

それから父がエクセルを駆使してカロリー計算しながら献立を考え、母がそれを作る、という日々が続きました。
母は、自分の食事とは別に父用に普通食も作らなくてなりませんでした。近所のオバちゃんたちは「病気の
お母さんに二人分の料理を作らせるなんて、お父さんはひどい」と父を批判し、母を庇っていました。私も
当時はそう思っていたので、費用は持つから、カロリー制限食の宅配サービスを利用したらどうか、などと
父に持ちかけました。しかし父は断固としてそれを認めませんでした。ひどいヤツだな、とその時は、母を不憫
に思っていましたが、自分でできることを自分でやらなければ、どんどんできなくなっていくし、生きている意味
もなくなる、というのが父の考えだったのだろうと、今になって思います。

糖尿病がひどくなると最終的にどういう結末を迎えるかを、私はこの目で見てきました。40代で急激に太ったり
しなければ大丈夫、とは言われましたが、それでも体質は母親に似ているだろうから、他の人よりなりやすい
かもしれません。30代後半からずっとヨガを続けられているのは、正直に言うと、母のようにはなりたくない、と
いう思いがあるからです。それも別の言い方をすれば「母のおかげ」です。母は太っていて、けっこうだらしが
ない人でした。結婚が遅かったので、30過ぎまで働いていたはずですが、私たち子供が生まれてからは
専業主婦でした。

専業主婦がみんなダメなわけではありませんが、やはり子供の手がかからなくなったら、どんな形でも
いいから社会との接点を持った方がいいと強く思うのは、母のことがあるからでしょう。家にいて、近所の
オバちゃんたちとだけつるんでいては、緊張感も刺激もなくなり、視野が狭くなり、人間としての成長が
止まってしまいがち、です。そして新しいモノがどんどん受け入れられなくなり、老け込んでしまいます。
もちろんそうでない専業主婦もいっぱいいるだろうけど、子供に構い過ぎて、最近では子離れができない
親も少なくないようです。仕事なり趣味なりを持ち続けることって大事だな、としみじみ思います。私は、
ヨガを続けて、今は細々と教えてもいますが、年齢に関係なく、人間はいつでも変われるし、鍛えれば筋力は
ついていくし、身体も柔らかくなっていく、ということを実践し伝えていきたいと思っています。子育てをして
いて、しばらく社会から遠ざかっていた人、自分のことを構う時間がなかった人が、自分の人生を再スタート
させることができるように、また上手く加齢と向き合っていけるように、ヨガを教えていきたいです。

母の存在はどちらかと言うと反面教師的ですが、父の考え方には大きな影響を受けています。子供の頃から
父とはウマが合わずよく反抗して殴られたりしましたが、お互いの性格が似すぎていたせいなのかも
しれません。父はいつも新しいことに興味を持っていて、パソコンや機械系にはやたら詳しく、70歳を過ぎた
頃にはどういうわけかカヤックを習い始めたりしていました。健康にも気を配っていて、普段からそこそこ
運動をしていたのでお腹も出ていませんでいした。きっと長生きするんだろうなと思っていたのに、意外と
早く逝ってしまいました。父が亡くなったのは母がいなくなってから5年後でした。

16年前の今日も暑い日でした。母の意識がなくなり、もう長くないだろうと言われたのに、私は病室を離れ、
姉と2歳の甥と一緒に家に帰ってしまいました。当時、仕事をしながら夜と週末に大学に通っていたので、
かなり疲れていた、というのと、甥っ子が可愛い盛りだったので一緒にいたいという思いがありました。姉
一家はその頃アメリカに駐在していて、たまたま一時帰国中でした。家についてしばらくして、父から電話が
あり、母が息を引き取ったことを知らされました。せめて私だけでも病室に残ってあげていたらよかったかな、
と今でも思います。でもそうしなかった私のことを、母はきっと許してくれているはず、と信じています。

イメージ 1

Tomaten

4月に姉がフランクフルトに遊びに来ることになっていたので、一日お休みを取っていたのですが、まさかの
フランス国鉄ストライキで、中止となりました。ドタキャンだったので、休みはそのまま取りましたが、特に予定も
なく…。その日はたまたまモモ君もお休みだったので、二人でホームセンターに行き、バルコニーに備えつけて
あるプランター(?)に植える植物を買いこみました。

ドイツでは、というか私たちが住んでいる団地では、きちんとプランターの手入れをすることが管理規則として
決まっているので、そこそこ見栄えがするように何かを植えなければなりません。去年はモモ君がダリアか
何かの種を植えましたが、あまり上手く咲かすことができず…。なので、今年は種ではなく苗を買おうと私が
主張。二人とも園芸に明るいわけでもないし、こまめに世話をするタイプでもないので。

話し合いの結果、プランターの半分は花、それも手入れがラクな定番ゼラニウムに決定。もう半分は実験的に
野菜やハーブ系を植えてみることにしました。これが植えてみた様子です。手前から、行者にんにくに似た
ベアラオホ(熊ネギ)、ヴァルトマイスター(森のマイスターと呼ばれるハーブ)、モロッコミント、その横のもさ
もさしたのがタイム、そしてトマトを植えてみました(ミニトマトだと思って…)。

イメージ 1


半月後にはこんなに大きくなりました。
ゼラニウムのテーマは「ニッポン」。
イメージ 2

春が終わり、ベアラオホはさっさと消滅してしまいました。ヴァルトマイスターも時期が終わったのか、勢いが
なくなりました。モロッコミントは大きくなり、それよりもどんどん育っていったのがトマトでした。ミニトマトだと
思っていましたが、違ったようで、大きいもので5cmくらいの大きさのトマトがどんどんなりはじめました。

イメージ 3

7月に入ってようやく赤くなり始めました〜!
イメージ 4

一個赤くなり始めたら、次から次へと赤くなってきて、毎日平均2、3個収穫できています。大きさは3〜5cm。
いわゆるミニトマトではありませんでした。もっと上手に育てたら実が大きくなるのか、もともとこのくらいの
種類のものなのかはわかりません…。わっさわっさと伸びてます。来年はもうちょっと間隔をあけて植えよう。
経験から学ぶ、ですね。

イメージ 5

私は、毎朝6時くらいに起きて、カナ猫に餌をやり、自分のお弁当の準備をし、それから猫トイレを掃除して、
朝ヨガをやるのが日課となっていますが、そのルーティンに「植物の水やり」も加えました。今までは室内で
観葉植物を世話していただけなので、つい水やりを忘れて枯らしてしまったり、なんてことがよくありました。
でもトマトは日々成長しているのがわかるので、三日坊主にならず毎日こまめにお水をあげています。その
結果、トマトが収穫できる♪これはハマりますね〜。

ドイツでは通行人が見た目に楽しいように、という思いがあるようで、バルコニーで育てるのは花と決まって
います。だから同じ団地の住民に「トマトなんかも栽培できるのね〜」って感心されました。日本ではけっこう
みんなやってますよね、プランターでの野菜栽培。花のような綺麗さはないですが、日々トマトが成長していく
のは、通行人も楽しめると思うし、これからも植えるなら野菜にしたいですね。

July

もう7月ですね〜。今年も半分が過ぎてしまったことになります。2月からバス通勤になったせいで、読書量が
急激に減ってしまいました。バスの中で本を読もうとすると、気持ち悪くなってしまうんですよね。言い訳、と
思われてもこればかりは仕方ありません。というわけで、今年読んだ本は

仕事で「一皮むける」
イメージ 1

の一冊だけ。これは駐在員さん向けの課題図書として、本社から送られてきたものをお借りしてささっと流し
読みしました。内容は…。なんとなく高度経済成長期の自慢話集みたいな感じでした。半年間でこれ、一冊
だけっていくらなんでも少なすぎますよね…。

ちなみにバスの中では、ラジオでドイツ語ニュースなんかを聴くようにはしていますが、気がつくと眠りこけて
いたり。職場は、バスの終点で電車に乗り替えて3駅ほど行ったところなのですが、電車に乗っている時間が
7分と短いので、なんとなくぼーっと過ごすことが多く…。これではいけませんね。細切れの時間でもきちんと
有効利用しないと。と、この記事を書きながら自分を戒めています。

ところで、2年くらい前に日本に帰任した駐妻さんから、なんとか太平記なるもの、全12巻をゆずってもらった
のですが、手をつけることなく、そのまま放置していました。歴史とかあまり興味ないし、長編モノは「指輪物語」
で懲りてますから…。で、この間パリに行った時、姉に今、勤めている新しい会社の話をしたところ、その会社
がある場所は真田幸村で有名で、歴史オタクの姉は城跡か何かを見に行ったことがあると話していました。
私などは「サナダ」と聞くと、真っ先に真田広之が頭に浮かんでしまうという低いインテリレベルなのですが、
家に帰ってよくよく見たら、その放置していた文庫本は「真田太平記」でした(汗)。

今の会社にゆかりがある、というわけでもありませんが、これも何かの縁(?)だと思うので、2018年下期は
真田太平記全12巻を読破することを目指したいと思います。その前に読みかけの大江健三郎、

雨の木を聴く女たち
イメージ 2

をしっかり読み終えなければ…。この本は、相変わらずの大江ワールドですが、彼がメキシコで客員教授を
していた時代の話が出てくるので、地名などが懐かしく私には入りやすいです。メキシコを知らなければ
あまりにも奇妙すぎる話ではないかな、と思うのですが、アマゾンのカスタマーレビューはけっこういいです。
(と言っても7件しかありませんが…)

さて、ドイツでヨガを始めてもうすぐ丸12年になります。今は家ヨガが中心で、あとは土曜日にレッスンをして
います。ヨガレッスンの参加者は毎回4、5人と多くはないですが、もう4年ほど続いています。細々とでいい
から、このままずっと続けていきたいです。去年は前後開脚がなんとかできるようになったので、今年は
薪のポーズができるように、そして左右開脚で上半身が床につけられるようになりたいです。

何故かヨガだけは、そう無理しなくても続けられているのですが、チェロの方はただいま暗礁に乗り上げ中
です。ちっとも上達しないどころか、後退してるかもしれない今日この頃…。だから楽しくなくて、なかなか練習
する気がおこりません。

果たしてそういう時期があったかどうか、4歳から16年間チェロを続けている私の先生に聞いてみました。
すると、「当たり前よ」とばっさり。彼女の場合、最初は10歳くらいの時で、あまり面白くなくて練習したく
なかったそう。遊びたい盛りですしね。それから中学生くらいの時、ちょうど思春期だから、チェロの練習に力が入らなかった時期。そして実は今も、受験に失敗して希望の音大に入れなかったから、落ち込んでヤル気が
起こらない…。と言いつつ、あちこちで演奏会に出たりしていますが…。どんなプロだって天才だって、そういう
時期は絶対ある、それが普通、と20歳の女の子に諭されました(笑)。





よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事