ドイツの生活 Mein Leben in Deutschland

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私が大好きなフンダートヴァッサーはオーストリアの画家、建築家、エコロジストです。この絵は
核エネルギー反対を訴えるフンダートヴァッサーのポスターです。Endlösung というのは最終解決
という意味です。原子力を最終解決とすることに Neinと何度も言っています。このEndlösung、実は
ナチスのユダヤ人根絶計画を表す言葉だそうです。その単語が核に対して使われているところに強い
メッセージ性があると思います。
イメージ 1

彼が1980年に書いたKultur gegen Kernkraft(核エネルギーに反対する文化)というエッセイを
訳してみました。
エネルギー危機なんてありません。あるのは度を越したエネルギーの無駄遣いだけです。自然がエネルギー
危機に遭いますか?鳥が、木が、虫がエネルギー危機に瀕しますか?人間だけがエネルギー危機が来ると
思い込んでいます。それは人間は気が変になってしまったからです。今日の人間は、地球に生息する最も危険
な害獣です。地球が再生できるように、人間はその生態学上の限度内に戻らなくてはなりません。不必要なモノ
を持ちたいと人間に信じ込ませるために、大量のエネルギー、時間そしてお金が使われています。それは欲求
不満と殺意を生み出します。なぜならみんながすべてを手に入れることは不可能だからです。

私たちはどうやら物質的な幸せの中に生きているようです。しかし、実際にはそれは精神的な不幸なのです。
幸せであるためには、表面的な豊かさではなく、内面的な精神の豊かさが必要です。幸せであるためには
機械的なエネルギーではなく、内面の創造的なエネルギーが必要です。人間のエネルギー消費は、本当は
責任感のある創造的な知性に従わなくてはならないのに、残念ながらそうはならずに、気違いじみていて
根拠がありません。

人間は愚かな群居動物のまま、突然途方もない量のエネルギー、毒、そして他の殺人手段が手に入ってしまい
ました。それは、勢いよく浪費されたり、あるいは容赦なく環境や仲間を絶滅させるために使われました。そして
この愚かな群居動物、人間は、エネルギーを、毒を、殺人手段をもっともっと貪欲に欲しがります。消費は
万能薬ではありません。狂ったように消費され、考えなしに生産され、分別を失ったように浪費されます。そして
人間は消費マシーンとなり下がります。核エネルギーはまさにこの、最も危険な奴隷化を確固たるものにして
しまいます。

核エネルギーを宣伝する人は、ただ目先のことしか考えられない、偏った情報を与えられた人間か、あるいは
意識的な犯罪者です。核エネルギーの危険について国民に教えるのは国の使命です。
 
私は不可解なことに直面しています。オーストリアでは安全のためにいろいろな対策を取ります。職場で、
あるいは学校に通う子供たちのために、手すりを設置したり、予防接種をしたり、検査をしたりして、事故や
病気の危険に備えます。しかしながら、最大の危険である核エネルギーに対しては、国は国民を守るための
対策を何も採りません。国境の向こう側にある外国の原子炉で大事故が起きた時の緊急安全策はいったい
どこにあるのでしょう?避難訓練も緊急時対策も実施されていません。災害は自国でも起こるというのに。

原子力の毒が危険なのはその忍び寄ってくる性質にあります。それは目に見えないし、聞こえないし、臭いも
しません。それはゆっくり私たちを殺すのです。私たちの感覚器官は危険を警告できません。それに対する
薬もありません。私たちは、インカの民や、カルタゴ人が物をどこに埋めたか知っていますか?それはほんの
2000年前のことです。私たちは、お祖母さんが金貨をどこに隠したか知っていますか?それはほんの50
年前のことです。核は全生命への危険性を500,000年も保ち続けます。もし危険度が投資額をはるかに
超えるなら、もしその副産物が死であると判明したなら、政府には始めたこと、終了した計画が間違った投資
だったと認め、それを打ち切る義務があります。

それは自明のことです。隣国あるいは自国での大きな事故が考え直すきっかけになるというのはもってのほか
です。それでは遅すぎます。原子力エネルギーは生態系の破局、というだけでなく巨大な経済的破局でも
あるのです。

核エネルギーの費用

 1.建設
 2.研究
 3.ウラン購入
 4.洗脳およびメディアへの吹き込み(テレビ、学校)
 5.運搬(再処理施設および最終貯蔵施設への運搬も)
 6.放射能に対する特別な防護設備
 7.最終貯蔵
 8.作業員および住民の医療的監視(放射能)
 9.大規模な警察組織、内部サボタージュおよびテロに対する長期の防護策
10.外部の防護、強化した国防軍
   核エネルギーの平和的利用は核兵器と分けることができない。これはコインの両面なのです。 
11.地震監視(管理、維持、修理)
12.緊急時に備えての演習(避難訓練)
13.30年以内に行う放射性を帯びた施設の解体、除去
14.緊急時のコスト
15.損害額は国が負担しなくてはならない(巨大な損害が付保できる保険団体は今のところなし)
   もし原発がそんなに安全なら、どうしてその損害に対して付保できないのだろうか?
16.現在の怪我疾病(事故、癌)
17.次世代の疾病(遺伝子異常、癌)
18.動植物の病気(突然変異、伝染病)
19.近隣住民への支払い、優遇措置、買収
20.オートメーションによる職場喪失
21.時代遅れのシステムへの固執、考えを改めることの先延ばし。
   消費社会、どんな犠牲をも厭わない成長、エネルギーの浪費、使い捨て社会は不朽のものとなる。
22.新しい奴隷制度による人間の尊厳の喪失、技術主義(テクノクラシー)への依存
23.送電におけるエネルギー喪失分の費用
24.多大なエネルギー喪失:エネルギーの3分の2は冷却のために失われる
25.故障時の運転停止および修理の費用
26.特別な認可のための大規模な管理組織(例:核廃棄物の輸送)
27.熱による河川への負荷およびその結果発生する動物や人間への費用
  (暖まった河川は環境破壊を受けやすい)
28.恐ろしい犠牲を要求するものに対する無力感による精神的な損害
29.将来への展望を暗くすること。若者は超技術主義の将来に意味も目的も見いだせない。
   これは希望泥棒である。何世代にもわたって汚染されてしまうので、人生に幸福を感じない。
30.不信。人々の恐怖に耳を貸さなければ、家族内であっても溝が生じる。
   それは内乱の始まりとなる。
31.再処理

これらの総額はものすごい損失となります。ものすごくなりすぎて、何兆億という抽象的な数になってしまい
ます。私企業は核エネルギーにはもう投資しません。従順な国民だけが払わされます。この損失額を遅すぎ
ないうちに太陽エネルギーの研究にいろいろな形で投資していたら、今問題はなかったかもしれません。その際、
存在しているエネルギーのよりよい活用と節約によって、裕福さと生活の質を何倍にも上げることができます。

そういうことを言っているのは私一人だけではありません。私は、同じことを他の言葉で言う人たち、ノーベル
賞受賞者、科学、文化、経済、そしてあらゆる人間の知識分野の専門家の果てしなく長いリストの終わりに
立っているのです。本物の前衛派です。そして何百万もの人間が、積極的で生きる喜びに満ちた人たち、特に
若者たちの素晴らしい運動が、自ら探求し、実験し、自分たちの方法で、自分たちの力で、みんなのための
よりよい将来をつかもうとしています。なぜ国は彼らの後ろではなく、破壊者側に立っているのでしょうか?

オーストリア文化を代表する者として、警告し、ヨーロッパ文化の中心に位置するオーストリアが、偏狭な
愚行と間違った利点からくる危険な発展の共犯者とならないようにすることが私の義務です。なぜならそれは
私たちが知っている通り、文明や生命を消し去るという結果を生み出すからです。

原子力発電所はオーストリアの心臓を突き刺す卑劣な一撃です。ツヴェンテンドーフ(ドナウ川沿いに建設
された原発。住民投票により一度も運転されず、現在は太陽光発電所として使われている)はオーストリアの
揺りかごであり、まさにその場所で、1000年前に小さな小さな東の帝国が、ニーベルンゲンの風景が、
生まれたのです。まるでオーストリアをその生まれ故郷で殺したがっているかのようです。私たちの未来を
危険に晒すことなく、真の発展を成し遂げることができるという例を近隣諸国や世界に示すことが、小さいが、
精神的には偉大で自由な国家オーストリアの使命であり義務です。オーストリアの使命は、道徳的、文化的な
強国となることです。オーストリアの反原発の姿勢は世界にとって象徴的な価値があります。

時間が経つにつれて、この危険な行いの影響範囲がよりわかってきます。新しい、予想もつかなかったような
問題が出てきて、高価で危険な「解毒剤」が常に必要となります。この行いの影響範囲をすべて把握するための
経験値は、まだ少なすぎます。技術者、科学者そして専門家が予測のつかない、彼ら自身が克服できない問題
の世界に私たちを導こうとしていることを無視することは無責任です。

オーストリアには、原子力の権力の重要な地位に座りたくて目がくらんでしまった一握りの科学者の意見は
必要ありません。警察国家的な安全対策は、これまでの寛容で人間的なオーストリアの終わりと民主主義の
危険を意味し、その費用は高くつきます。中央制御のエネルギーによって、オートメーションが高まれば人間は
余計なものになります。失業者や永続的な死への恐怖、忍び寄る病、人間の尊厳の喪失、故郷の喪失は、
より多くの機械を供給し、自然と人間の破壊を仕上げる危険なエネルギー1%を得ることより重いのです。

オーストリアの精神的なエリートが声を上げ、原発なしのオーストリアという立場を取ることが必要です。文化
的で思考する創造的なオーストリアのエリートは、絶え間なく危険な機械国家に耐え忍ぶべきでも、道具になる
べきでも、黙り込むべきでもありません。彼らは、まったくその反対で、その良心に従って責任を引き受け、
指揮をとる中心となり、警告し、私たちの国にとっての災をその先見の明で阻止しなければなりません。私は
オーストリアの重要な立場を示した「核エネルギーに反対する文化」という題の白書を発行しました。

核エネルギー、この人間の歴史上で一番最後の迷走は、見かけだけの合理性をもくろむ時だけ可能なのです。
それは道徳的な審美価値や、人間と芸術に代表される創造との結びつきがありません。芸術がなくては、そして
創造性がなくては、生きていけないのに。

Hundertwasser F. (1980) Kultur gegen Kernkraft
In Schöne Wege - Gedanken über Kunst und Leben (pp148 - 153)
Deutscher Taschenbuch Verlag GmbH & Co. KG.

☆フンダートヴァッサーについてはこちらの書庫をご覧ください。
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