|
大地震が日本を襲い、巨大な津波がすさまじい勢いで東北地方を呑み込んだ。ドイツのメディアでもトップ ニュースとして報じられている。内容がすべて理解できるわけではないが、これほどの大惨事においても 冷静で忍耐強く秩序を保っている日本人の姿が賞賛されている。この地方の人々は過去にも大きな地震、 津波を経験されているので、日頃から備えも心構えがあっただろう。しかし想定をはるかに超えた規模の 大津波が発生してしまった。無念としか言いようがない。 テレビに映し出される被災者の姿は、信じられないくらい冷静に見える。取り乱している人だっているはず だと思うが、そういう姿はあえて撮影しないように配慮しているのだろう。流されて九死に一生を得た女性は、 救助隊員に向かって「すみません、すみません」と何度も頭を下げていた。一緒に流された娘さんは見つかって いないにもかかわらず。その謙虚さというか、気丈さというか、そんな状況でも「すみません」という言葉が出て くるその女性の人間性に胸が打たれる。その映像を見て、私は涙を流すことしかできなかった。 地震がほとんど起きないと言われているドイツにいて、私にできることは義捐金を送るくらいしか今は思い つかない。「心からお見舞い申し上げます」などと言った決まりきった言葉も出てこない。もしそれを口にして しまったら、心のどこか片隅にある「自分や自分の家族に何もなくてよかった」という醜いエゴも一緒に出て しまいそうだから。両親を亡くした時、そういう言葉をかけられて空虚さを感じたのを覚えている。 ドイツ語に schaulustig という単語がある。schau「見る」とlustig「愉快な」、という二つの単語からなっていて 「やじ馬根性の」という意味になる。大文字で Schaulustigeと書けば、「やじ馬」という名詞になる。英語では、 やじ馬のことを curios onlooker(興味本位で見る人)とか rubbernecker(首をゴムのように伸ばして見よう とする人)などと言うらしいが、ドイツ語の schaulustig は人間のいやらしい性質を一つの単語に端的に言い 表しているように思う。日本人の私はドイツではマイノリティーなので、日常生活において存在を無視される ことが多い。中国人や韓国人と一絡げにされることもしょっちゅうだ。ところが、地震発生以来やたらと声を かけられる。「あなたの家族は大丈夫だった?」と。ひどいのは「へーい、日本で大地震があったじゃないか。 どうなってるんだ?」みたいなのもあった。夫の家族や同僚、数少ない友人は本当に心配してくれているの だろうと思うが、普段個人的にあまり付き合いのない人からも声をかけられると、この schaulustigという 単語が脳みそに浮かぶ。 もし私が「親と連絡がつかないの」とか「実家が流されてしまったの」と答えたら、そういう人たちはいったいどう いう反応を示すのだろう、と思ってしまう。「おー、お気の毒に。私にできることがあったら何でも言って」とでも 言うのだろうか?相談したら本当に力になってくれるのだろうか。寒くて食べるものもないから、どうかお金を 送ってください、と言ったら送ってくれるのだろうか…。人間なら多分誰もが持っているだろう schaulustig的な 部分には本当にウンザリしてしまう。言うは易く行うは難しだ。ただ心配して声をかけたところで、被災者は 助からない、ラクにはならない。本当に心配しているなら、できること、例えばドイツからだったら、少しでもいい から日本に義捐金を送って欲しい、と心の底から思う。 今、東日本では節電が呼びかけられているはずだ。それでもブログやフェイスブックを更新している人がいる。 もちろん家族や知り合いに安否を知らせる目的もあると思うし、役に立つと思われる情報を広めようという意図 の人もあるかもしれない。ドイツにいる私は、東京でもかなり揺れたという地震自体体験していないし、ニュース を見ているだけだから実際の様子は本当にはわからない。でも、何千人、何万人という単位で被災者が出て いるのは確かだし、その数は今後どんどん増えていくだろう。命が助かった方々も、全てを失って途方に暮れて いることだろう。 そういう状況が想像できる中で、飼っているペットが無事でした、ということを記事にしている人がいる。それは わかるとしても、中にはちょうど愛犬の誕生日だったからお祝いをした、などという記事を載せていた人もいて 正直唖然とした。私も猫を飼っているのでペットが大事だという気持ちはよくわかる。誕生日のお祝いがした ければケーキでもプレゼントでも買って祝えばいい。でもそれを、大勢の人々が被災しているこの状況下で、今 この時期にネット上に記事として載せるのはあまりにも無神経ではないか。ブログは帳面に記す自分のため だけの日記とは違い、他人の目に触れる可能性があるものなのに。それに犬や猫はあくまで動物だ。それを 「擬人化」し過ぎることさえ、私には信じられないのだが、まさかそこまで麻痺していたかと目を疑った。 繰り返すが、私自身も猫を飼っていて、その猫は私にとってかけがえのない存在になっている。でも私の猫は ケーキもプレゼントも洋服も必要とはしていない。 ペットを連れて逃げられるようにケージを新調したというブログ記事も見た。一緒に逃げたい気持ちはわかるし 私だってあれこれ対策を練ると思う。でも現実問題としては、避難生活を強いられる状況になったら、ペットなんて 連れ込めないだろう。非常事態では、犬猫の優先順位は人間の次になってしまうのは仕方のないことだ。対策を 考えるのは勝手だが、住むところを奪われ、肉親を亡くした人が大勢いる中で、まだ救助を待つ人がいる時に 「これで自分と自分のペットは安心です」的な記事をネット上に公開するのも無神経すぎるように思う。しかも 動物は人間みたいに悪あがきはしない。 被災者の忍耐強さや秩序ある態度が世界で賞賛されているのとは裏腹に、浮かれた日本人がいることも事実 だ。家族を失った人が「うちのワンコは無事でした〜」なんて記事を見たらどう思うか?みんながみんな動物 好きとは限らない。人間が動物と同レベルに扱われて不愉快に思う人だっているかもしれない。そういうちょっと した想像力、そして思いやりがあれば、わかることではないか?平和ボケしてしまって、水道、電気、ガスが あるのが当たり前、平均年齢までは元気に生きられるのが普通のこと、と何の根拠もなく信じているお気楽な 人間が多すぎやしないか。自然災害が多発する日本では常に「明日は我が身」のはずだし、世界には虫けらの ように死んでいく人がたくさんいる。ただ先進国日本に生まれてきたことがラッキーで、大災害がたまたま自分に 降りかかってきていないだけ、たまたま厳しい現実を目の当たりにしないで済んでいるだけなのに。 何度も言うが、私はペットの命はどうでもいいとか言っているのではない。多くの人々の命が危機に晒されて いる時に、行き過ぎた「生類憐れみ」、「ペット擬人化」記事をネット上に公開するのは、今は控えたほうがいい と思うと言いたいのだ。そしてもし「心からお見舞いを申し上げる」なら、その気持ちを是非形にして欲しいと 願う。ユニクロの社長さんは個人で10億円、だそうだ。脱帽。非力な私にはその10000分の1しかできない し、カネを出せばいいというものでもない、という批判もあるかもしれないが、口先だけでお見舞いを言うだけ よりは役に立つはずだと信じる。 先ほどドイツ赤十字社を通して Tsunami 2011 (Japan) 支援の寄付金を送りました。 Sehr geehrte Familie Hxxxxxx, herzlichen Dank für Ihre Spende in Höhe von 1.000,00 Euro für "Tsunami 2011 (Japan)". Wir freuen uns sehr, dass Sie sich mit Ihrer Spende für Menschen in Notsituationen engagieren. Gemeinsam können wir viel bewirken! Schauen Sie doch regelmäßig auf unserer Webseite www.DRK.de vorbei. Wenn Sie noch Fragen oder Anregungen haben, können Sie sich gern an unser Spenderservice-Team wenden. Danke, dass Sie sich mit Ihrer Spende für unsere Arbeit stark machen. Ihr Deutsches Rotes Kreuz PS: Ihre Spende ist steuerlich abzugsfähig. Bis zu einer Höhe von 200 EUR akzeptiert das Finanzamt eine Kopie Ihres Kontoauszuges. Wir schicken Ihnen aber bereits ab 100 EUR eine Sammelzuwendungsbestätigung zu Beginn des Folgejahres zu. ========================================================== Deutsches Rotes Kreuz e.V. Carstennstr. 58 12205 Berlin Tel. 01805 - 414 004 (Festnetz: 14 Cent/min, Mobil: max. 42 Cent/min) spenderservice@DRK.de |
Sprachen
[ リスト | 詳細 ]
言葉っておもしろいな、と思ったこと
|
子供の頃、読書嫌いだったせいもあって、国語は苦手科目でした。って、実は苦手なのは国語だけでなく、 算数、理科、社会、ついでに家庭科、音楽、図工…。人よりちょいマシだったのは体育だけでしたがw。 よく母親に「あんたは本をちっとも読まないから読解力がない」とか「漢字を知らない」とか「言葉の使い方が わかってない」とお馬鹿扱いされていました。だから、今でも恥をかかないように、ちょっと言葉の使い方に 自信がなかったり、漢字があやふやだったりすると調べるようにしています。昔は分厚い広辞苑や百科事典 なんかでよっこらしょっと調べるのがかなり面倒だったけど、今だったら電子辞書やインターネットで簡単に 調べられるしね。 たまに仕事のメールなんかで見かけてすごく気になっているのが、「ご教授ください」という文章。これって 「ご教示ください」の間違いじゃ?あと「ご査証ください」っていうのもありました。それを言うなら「ご査収」 でしょ?だいたい査証って、ビザのことじゃ?調査して証明することも「査証」と言うらしいのですが、じゃぁ、 受け取った書類の何を証明すればいいわけ?とかって突っ込みたくなってしまいます。 四字熟語とか慣用句などを知ったかぶりして間違って使うのは恥ずかしいと思います。もちろん誤用がいつの 間にか定着してしまうこともあるけど、そうなってないものはできるだけ正しく使いたいもの。私はそう思いマス。 そういうところで教養が出ると思うし。 ある時、日本語教師を職業としている人が、なんだか忘れちゃいましたけど、とにかくおかしな使い方をして いたので、遠まわしに「そういう使い方は変だよ」ということを伝えたことがあります。単なる私のお節介です が、私も過去に日本語教師をしていたことがあって、この職業に就く人は言葉に敏感であって欲しい、という 勝手な思いがあるから。そしたらあっさり「あ、それは意味の拡大ということで」と流されました。「誤用」は 誤用でしかないのに「意味の拡大」とは恐れ入りました。勝手に拡大しちゃっていいんでしょうか? それと、仕事のメールをやり取りする人で、恐らくすごく若い人だと思うんですが、まるで携帯メールかと思う ような文章を書いてよこす人がいます。私はその人と面識はないし、一応こちらが「客」という立場なんです。 客だから偉い、というのではなくて、いわばソトの人間でその人の同僚でもお友達でもないんだから、もう少し まともな文章を書けないのか?仕事とプライベートは分けろよ、ってオバさんの私は思ってしまうんです。 ついでに仕事自体もなってないから、あれこれメールで注意というか、注文をつけちゃったりもして、かなり 煙たがられているようです。自分でも「うわー、私。ツボネ入ってるな」なんて思います。でも長い目で見れば その人のタメになるはずなんです。私も若い頃、大奥、お局系の人に相当しごかれて、涙が出そうになった ことが何度もありましたが、今、そういうのがありがたかったなーって思えるから。 でもきっともうそういう時代じゃないんですね。悲しいけど。 私がもし「ご教授ください」なんて使い続けて無知を晒しまくっていたら、恥ずかしいから誰かに注意して
もらいたいと思いますけどね。 |
|
いつだったか、近所の市民大学でスペイン語講座を受講したことがあります。レベルは 中級で、会話を中心に文法、ヒアリング、文章力などを総合的に強化する、とかなんとか パンフレットには書かれていました。先生はチリ人のオバさんで、その昔ドイツに留学し ドイツ人と結婚し、ドイツに永住、というパターンの人でした。恐らく専攻していたのは、 ドイツ語学か、あるいは法学か何かでしょう。スペイン語教師歴はそれなりに長いよう でしたが、外国語教授法を専門的に勉強していないということはすぐにわかりました。 というのも、シラバスなどは考えられていなくて授業はいつも行き当たりばったりだったし、 何かというとやたら強いアクセントのあるドイツ語で説明していましたから。また毎回 「来週は○○をやります」と言っておいて、次の週には忘れて全く違うことをしていました。 その先生の「とにかく話しましょう。話さないと上達しません。」という主義も気に 入りませんでした。受講者の大半が、「休暇のたびにスペインのマヨルカ島やカナリア 諸島に行くのが大好き!」そうなドイツ人でしたが、彼らはとにかく喋りたがります。喋る のはいいのですが、大体が単文オンパレード。それでとりあえず意味は通じるし、旅行 などでは十分でしょう。でも中級からのレベルはいかにサバイバルスパニッシュから抜け 出すか、が大切なポイントです。そうやってただ喋らせているだけでは、上達するどころか、 かえって上達を妨げる結果になりかねません。誤用が定着してしまう恐ろしい「化石化」 を促進することになるからです。 そんなわけで、そのクラスには途中から行かなくなりました。ケチな私のことですから、 支払った受講料がもったいない、とはもちろん思いましたが、ドイツ人のオバさん達の サバイバルスパニッシュばかり聞かされるのはたまりませんでした…。 私は、このとにかく発話させようという会話重点主義の教え方が好きではありません。 ドイツ語を習っていた時も、やたらと話させようとする先生が少なからずいましたが、日本 人は人前で発言するという行為に慣れていないというのもあって、私はディスカッション 等の練習課題が嫌いでした。そういう練習となると東欧出身の人などは黙らせるのが 大変なくらい、ベラベラとよく喋りますが、発音や文法はひどいものだったりします。 ティーンエイジャーなのに強いアクセントが抜けない人が意外と多いのにもびっくりでした。 若くて、しかもドイツに居住しているのだからもっと発音などが洗練されるはずなのに…。 これはもしかしたら「話す」ことに重点を置きすぎる外国語教育の弊害ではないか、と 思うようになりました。外国語の習得には4技能、つまり「聴く、話す、読む、書く」があり、 どの技能も万遍なくマスターする必要があります。しかし最近の日本の英語教育に してもそうですが、なにかというと「話す」ことだけを重要視しているように思います。 上記の若い子たちなどは、しっかり聴く訓練をせずに話し始めてしまうから、アクセント や発音が直らずに定着してしまっているのではないでしょうか。 4技能について「聴く、話す、読む、書く」と書きましたが、母語では、まずは聴いて、 それから少しずつ話せるようになる、文字が少しずつ読めるようになり、それから書ける ようになります。外国語の習得はもちろん母語のようにはいきませんが、基本は同じ だと思います。つまり、まずきちんと聴かなければ話せるようになんかならないのです。 この4技能の中で聴く、読むはいわば受動のインプット作業で、話す、書くは能動の アウトプット作業です。十分なインプットがされて初めてアウトプットが可能になる と私は思っています。インプット量が少ないのに無理矢理アウトプットしようとしたら、 「ストーブの空焚き」状態と同じで危険です。 皆さん、外国語がしっかりできるようになりたかったら、無理に話そうとしないほうがいいですよ〜。
|
|
線だけで描くContour Drawing(日本語ではクロッキー)を練習した後は、Negative Space という技法を習いました。これは、線ではなく影の濃淡で形を捉える、というもの。今まで ガンガン線を引いていたのに、今度は線は使わずに「横塗り、縦塗り、斜め塗り、重ね塗り」 だけで描かなくてはならないというのはとても難しく感じました。 まずは二人組になってお互いの顔を描きっこしました。私の相手は例のアニメおたくの スペイン人の若者だったのでまだよかったですが、彼にとって凹凸のない私の顔はさぞ 難しかったことでしょう(笑)。 モノのトーンはすべて違うのだから、濃淡だけで捉えることは可能なはず、と頭ではなんとなく 理解できても手が思うように動きません。気がつくと線に頼ってしまいそうになり、私は悪戦苦闘 していましたが、受講者の中には「こっちの方がラク」とさらさらと描いている人もいました。 顔を描いた後は、教室の真ん中に机を二つ並べて、その上に先生が持ってきたありとあらゆる オブジェ、ゴム長靴、汚れたぬいぐるみ、ミニバスケットボール、ギター、プラスチックの保存 容器、藤の籠、あやつり人形、スニーカー、ボーリングのピン、合成皮革製のバッグ等々を めちゃくちゃに置き、それを題材として描くことになりました。これらのオブジェは、一見そこら へんに転がっていた要らないものを適当に持ってきたようですが、実は全部素材が違います。 鉛筆の濃淡だけでその素材感の違いを出すなんて絶対無理、と投げ出しそうになるのですが 迫力のある先生のことです。気がつくとみんな画用紙に向かっていました。 この練習では大まかな輪郭だけは線で描いてもいいことになっていました。でも描けば描くほど なんだかめちゃくちゃになっていきました。中央にあった藤の籠だけは念入りに描きましたが あとはいったい何の物体なのか不明、という誠に残念な仕上がりになってしまいました。 みんなが描き終わると、お互いの絵を鑑賞し意見を言い合います。ま、トホホな仕上がりは きっと私だけではないはずだし、真っ向からケナす人なんていないので、人に自分の絵を見せる のも気にならなくなってはいます。でも先生と数人の受講者が私の絵のところに集まって見入って いたので 「ぎょぇっ、なんか遠近法もバランスもメチャクチャなんだよなー」 へっ????あ、そーですか。 まさか褒められるとは思っていなかった私はきょとんとしてしまいました。 それがそのbasketの絵です。そう褒められるほどのものではないのはようくわかっていますが、 あえて載せちゃいます(恥っ)。この先生の場合、なんていうか持っている(少ない)力を伸ばし、 ヤル気を興させるツボをよく心得ているなーと思うのです。 I like your basket.日本語で同じようなコメントをするとしたら「籠がよく描けてるね」とでもなるでしょうか。「あなたの籠が好きです」とはなりません。せいぜい「君の描いたこの籠、いいねぇ」だと思いますが、それが 英語だと私が絵に描いた籠はただの「籠」ではなく、「私の籠」になる、ということが妙に新鮮に 響きました。 そしてふと、その昔英語が大好きだった頃のことを思い出しました。親に褒められたことがあまり なかった私はハリウッド映画なんかで、 I am proud of you. とか I love you, my son. などと親が子供に言ったりするシーンに密かに憧れていました。「あなたを誇りに思うわ」「息子よ、 愛している」は、翻訳の世界ではありえても、普通の日本語の世界でそんな台詞をはく人はいません。 男女間でだって「愛している」なんて言葉は、文学作品中にお目見えすることはあっても普段、口に することはないのではないでしょうか? そういう言葉がすっと言える文化に憧れを抱いていた時期があって、それで私は英語を一生懸命
勉強していたように思います。今はイギリスやアメリカにはまったく興味もなく、かえって毛嫌いして いるくらいなのですが、久しぶりに「英語っていいなぁ」って思う瞬間を味わいました。 |


