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トビと私の楽しみの一つは世界遺産巡りです。12月にバルセロナに行こうと思ったのもいくつか世界遺産を 見ることができるから、というのが理由の一つでした。 聖家族教会 聖家族教会の見学には長蛇の列ができていたので、外観を見ただけでした。 カサ・ミラ カサ・バトリョ グエル公園 施主のエウゼビ・グエイ伯爵(スペイン語読みではグエルとなる)とアントニ・ガウディの夢が作り上げた分譲住宅で、1900年から1914年の間に建造された。彼らが最も傾注していた芸術はリヒャルト・ワーグナーの「楽劇」で、ガウディは同じ芸術センスを持つグエル伯爵の下で、自然と調和を目指した総合芸術を作り上げようとした。この頃、バルセロナでは工業化が急速に進んでいた。それに対してガウディとグエルはこの場所に、人々が自然と芸術に囲まれて暮らせる、新しい住宅地を作ろうとした。しかし、ふたりの進みすぎた発想と自然の中で暮らす価値観は、当時理解されなかった。 広場、道路などのインフラが作られ、60軒が計画されていたが買い手がつかず、結局売れたのは2軒で、買い手はガウディ本人とグエイ伯爵だけであったという。グエイ伯爵の没後に工事は中断し、市の公園として寄付される。現在はガウディが一時住んだこともある家が、ガウディ記念館として公開されている。中にはガウディがデザインした家具なども集められて展示されている。 (Wikipediaより抜粋)ガウディ達が果たせなかった夢を実現させたのがフンダートヴァッサーなのかもしれません。 レイアール広場の街灯
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Reise
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私の旅日記-猫、世界遺産、港などなど
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トビがあと少しルフトハンザのマイレージが必要だったので、どこか近場に行こうということになりました。寒くて 暗いドイツから行くなら絶対暖かいところがよくて、できれば海の近くで、港なんかあればもっといい、ついでに 世界遺産も見られれば…という理由で目的地はスペインのバルセロナに決まりました。 が、よりによって出発の前日からスペイン各地の空港でストライキが行われ、予定していた日に飛べません でした。管制塔で働く人の90%が病欠したとかなんとか。勤務時間延長に反対しての抗議行動だったそうです。 タイミング悪すぎ…。(≧ヘ≦ ) それでも1日遅れでなんとか旅立つことができましたが、私たちの滞在期間が ちょうどスペインの飛び石連休と重なっていることが判明し、どこへ行っても人、ひと、ヒト〜(着いてから気付く計画性の無さ)。 結局、ガウディの聖家族教会もピカソ美術館も長蛇の列で入れませんでした。・゚゚・(×_×)・゚゚・。 写真はモンジュイックの丘から見たバルセロナ港です。コスタの船が停泊していました。多分 Costa Magica
だと思います。 奥にもコンテナターミナルがあって、マースク船が泊っているように見えました。でもマースクのHPで調べた ところこの日(12月6日)にバルセロナにいた船はないようでした。 バルセロナの港は比較的平坦な海岸線上に造られているので、港独特の景観はあまり楽しめません。 なので私の港町ランキングは低めですが、街自体が見どころがいっぱいなので、日程が1日短くなって しまったのはとても残念でした。 |
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8月の旅行では、ヨーロッパの主要港であるキール、コペンハーゲン、オスロを訪れることが私の中では ハイライトでした。最初の3日間でこれらの港には寄ってしまったので、私的にはメインは見尽くした気で いましたが、5日目に訪れたノルウェー第二の都市ベルゲンはオスロよりもいい感じでした。その後、船は さらに北上し、フィヨルドの中にどんどん入っていきました。大型客船が狭いフィヨルドの中を航行するの ですから、かなり迫力がありました。このクルーズに参加した人のほとんどが、実はこれを楽しみにして いたのでした。 そして到着したのは、ガイランゲルという小さな村。フィヨルドの一番奥に位置する村で、この辺一帯は世界 自然遺産に登録されているそうです。小さな村には巨大な客船が停泊できる桟橋などはありませんから、 テンダーと呼ばれるボートに乗り換えて下船します。前の晩、客室にテンダーの番号札が配られていて、その 番号が呼ばれるまで船内で待機します。運悪く、一番最後の番号をあてがわれた私たちは、美しい村の景観 を目の前に、一時間半も船の上で足止めを食らいました。 同じく足止めを食らったイタリア人の若いカップルは「勝手に最後の番号にされて不公平だ」と文句を言って いました。どうやらフロア別に割り振ったようですが、チェックイン時にくじ引きにするとか、もっと公平な やり方にすべきだと私たちも思いました。 このカップルは北イタリアの出身とのことで、私たちがドイツに住んでいると言うと、とてもうらやましそうでした。 「イタリアはマフィアのせいで何でも遅れている、ドイツはあらゆる面で秩序があり進んでいるからそんな国に 住んでみたい」云々。それを聞いて、私の顔が引きつっていたのは言うまでもありません(笑)。 ようやく下船した時には、小さい村のツーリスト・インフォメーションはすでに大勢の人でごった返していました。
山の上に行く定期バスは満員で乗れない可能性がありそうだったし、何かアクティビティに申し込むにも長蛇 の列。のんびり屋さんのトビでは勝ち目はなさそうです。あくせくするのもイヤだったので、私たちは海岸線を 40分ほど歩いたところにあるカフェでのんびりすることにしました。 海岸線を歩く途中、停泊する私たちの船を望むトビ。そのカフェではノルウェーの郷土料理が食べられる(1日1メニュー)とのことだったので、注文してみると…。 さすがゲルマン人同士。見た目もボリュームもドイツ料理とそっくりでした(笑)。 カフェから見たガイランゲルの村。停泊しているのは MSC Poesia号と Hurtigrutenの Nordnorge号。 みんなの旅のハイライト、フィヨルド航行の日はいいお天気に恵まれてラッキーでした。ヾ(@⌒▽⌒@)ノ |
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ノルウェー第二の都市ベルゲンはフィヨルドに囲まれた港町です。これぞ「天然の良港」というようなとても 美しい港でした。右端に見えているのが私たちの乗っていた船です。 旧市街のブリッゲン地区と呼ばれる倉庫群は世界遺産に登録されています。 ベルゲンの海洋博物館から見えたのは客船 Costa Magica 号。 この博物館では、バイキングの時代から、客船、軍用船、商船、北南極探検の歴史に関するものが展示されて いました。その中で私の目に留まったのがこの写真。 [[attached(4,center)] Ernest Shackleton (アーネスト・シャクルトン)昔、この人の名前がついた大型のコンテナ船がありました。確か、Cook、Houtman、Stuyvesant という名前の船と同じクラスだったと思いますが、Cook 以外はいったい何をした人なのか知りませんでした…。 このShackletonは、アイルランド出身の南極探検家でした。南極点到達は成し得なかったにもかかわらず、 彼のリーダーシップは高く評価されていて、今も経営戦略やビジネスマンの研修などで引き合いに出される そうです。しかもなかなかハンサム。(*^m^) ついでにそれ以外の人についても調べてみました。
Cook(クック):イギリスの海軍士官。18世紀、史上初めて壊血病による死者を出さずに世界周航 を成し遂げた。オーストラリアに上陸して領有宣言を行ったのもクック。 Houtman(ハウトマン):オランダの探検家。南半球の星についての観測結果を残した。 Stuyvesant(ストイフェサント):オランダ人。ニューアムステルダム開拓地発展に貢献した 植民地総督。さて、そのShackletonの名前がついた船はどうなったのかな、と思って検索したら、Antonさんのブログ記事 にヒット。船のことならなんでもわかるAntonさんのブログ。写真もすごいです。 |
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コペンハーゲンの次の寄港地はノルウェーの首都・オスロでした。首都といっても、人口は四国の松山 ほど。オーストラリアのキャンベラや南アフリカのプレトリアのように行政上の首都、というわけでもなく、 オスロがノルウェー最大の都市だそうですが、日本人の感覚からすると、「え、これが首都」と思わず にはいられないくらい小ぢんまりした街でした。 オスロは、オスロ・フィヨルドと呼ばれる入り組んだ湾の奥に位置しています。そのせいか、見渡しても 港の醍醐味を感じさせる大きなコンテナターミナルやガントリークレーンなどは視界に入ってきません。 私たちの船が入港する時、ようやく見えたのがこちら…。しょぼっ。 港好きの私にはちょっと物足りなくて、オスロはあっさり「私の好きな港」ランキング外となりました。北海 油田開発で潤っているせいか、あちこち工事中。ノルウェーはどうやら建築ラッシュのようでした。 オスロでは、ノーベル賞の授賞式が行われるとかなんとか、ガイドブックに書かれていたので、よく読みも せず早とちりした私は「大江健三郎の足跡を辿ろう」とノーベル賞関係の博物館に入りました。高い入場料を 払ってから、オスロで行われるのは平和賞の授賞式のみで、それ以外はスウェーデンのストックホルムだ ということに気づきました。が、すでに遅し。オオエの代わりに、特に好きでもないオバマの展示コーナーを 見て、なんだか損した気分になりました。 桟橋には永遠の平和の炎(Eternal Peace Flame)が設置されていました。立像はシュリ・チンモイ。
後ろに見えている客船は Star Princess 号です。この後しばらくして旅立っていきました。 |


