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メキシコとドイツで、たまたま講演を拝聴する機会に恵まれた、というだけで大江健三郎という 小説家は私の中でちょっと特別な存在になっています。とかなんとか言っておきながら、実は 氏の作品はほんの数冊しか読んでいないので、今回日本に行った時に何冊か買い込みました。 私の両親はすでに他界しているので、日本に帰っても私には帰る実家というものがありません。 ですから故郷の横浜にずっと滞在する意味もなく、どうせ宿泊代がかかるならと一時帰国の 際は、日本国内を巡ることにしています。世界遺産訪問数を強豪の姉と勝手に競いあっている トビと私は、一度に2つもクリアできるという安易な理由で「広島」を今回の目的地に選びました。 インターネットで広島の観光情報をあれこれ検索していたら、瀬戸内を渡って四国・松山の道後 温泉に足を延ばす、というモデルコースが載っていました。 「ドーゴ、いいよ」 といつだったか姉が言っていたのを思い出し、そのモデルコースを真似てみることにしました。 原爆ドームと宮島を訪れ、お好み焼きを食べ、呉では大和ミュージアムを見学した私たちは船で 四国に渡りました。松山には三泊することにしていましたが、お決まりの観光地を周っても一日 余裕がありました。手持ちのガイドブックを見ていたトビから「ウチコに行ってみるのはどう?」 という提案がありました。古い町並みが保存されている町で、松山からは小一時間で行けるとの こと。私は「ふうん」と思っただけでしたが、さらにガイドブックを読み進めたトビは、 「ウチコは気に入ると思うよ。」 とニコニコしながら言いました。「だってオーエの出身地だから。」 そういわれてみれば、大江健三郎が四国のどこか山奥の村の出身、ということは記憶にありました。 でもそれが愛媛県で、松山の近くだったことまでは知りませんでした。さっそく次の日、私たちは その内子町に行ってみることにしました。 大江氏が生まれ育ったのは、今では合併して内子町の一部になっていますが、町の中心から車で 20分くらい行ったところにある村だそうです。そこは観光地ではなく、人々が普通に暮らしている (何もない)ところだそうですが、氏のノーベル賞受賞時には大型バスで団体さんが押し寄せる ことがあったそうです(喫茶店のオバちゃん談)。 そこに行くには、タクシーを利用するしかなさそうで、そこまでするほど私は氏の作品を読んでも いないし、それよりなにより、地元の人たちの生活に踏み入るのもどうかと思ったので、内子の 町並みを散策するだけで満足することにしました。 何も知らずに気まぐれで足を延ばした四国でしたが、思いがけず大江健三郎の故郷(の近く)を 訪ねることができたというのは、きっと何か縁があるに違いありません。そう勝手に思い込み(笑)、 日本から買ってきた大江健三郎の著書をゆっくり大事にひもといています。 <おまけ>
「アンパンマン電車乗りに、四国行ったんだー」 まだ甥っ子がチビだった頃、姉がそんなことを言っていたことがありました。なんと内子から 松山に戻る電車がそのアンパンマン電車でした。 |
Reise
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私の旅日記-猫、世界遺産、港などなど
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今回の一時帰国(3月9日〜20日)は桜の季節にはちょっと早すぎましたが、それでも行く先々で春を 少し楽しむことができました。 錫杖の梅(しゃくじょうのうめ) 宮島・弥山にて 梅の木になったという伝説が残っているそうです。 |
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日本とは違ってヨーロッパやアメリカなどでは道路に名前がついています。ドイツの場合、 Berlinerstraße (ベルリン通り) Goethestraße (ゲーテ通り) Mainstraße (マイン通り)のように、地名や人名、あるいは川の名前などが使われます(もちろん他にもあります)。 私の職場がある通りは Lise-Meitner-Straßeと言います。このリゼ・マイトナーさんが誰だか 知らなかったので、働き始めてすぐの頃になんとなく調べてみたことがあります。放射能の研究を した物理学者さん、とのことでしたが、私は物理にはめっぽう弱いので、その時はただ「ふうん」と 思っただけで「キューリー夫人みたいな人」と記憶にとどめておいた程度でした。 そのリゼ・マイトナーさんに思わぬところで出会いました。広島の平和記念資料館です。 オットー・ハーンという化学者とともに研究をし、1938年に核分裂を発見、その概念を確立したのが リゼ・マイトナーさんでした。オットー・ハーンという名前はドイツでよく耳にします。フランクフルトの ザクセンハウゼンという地区にはオットー・ハーン広場という場所があるし、オットー・ハーン通りも ドイツ各地にあるようです。 その後核兵器の開発に繋がっていくからです。当時のアメリカにはナチスのユダヤ人迫害から 逃れて移民した優秀な科学者がたくさんいました。その一人のレオ・シラードは、ナチスが原子爆弾 を保有することを憂慮し、アメリカでも開発を行うことを進言する手紙を大統領に送りました。その 手紙に署名したのがあの有名なアインシュタインで、これが契機となってアメリカで原子爆弾の 研究開発が始まった、というわけです。 毎日何の気なく通っていたリゼ・マイトナー通りでしたが、その通りの名前になった人物が、実は
日本の歴史と間接的に関わりがあったということは新しい発見でした。 |
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松山の温泉で同年代くらいの女性2人とおしゃべりをしました。一人は広島の出身で、松山には出張で
来ているとのことでした。もう一人は、出身を聞かれ「東京」と答えていましたが、話をしているうちに
都内ではなく関東地方の別の県の出、ということが私にはわかってしまいました。
出身地を聞かれたら私はもちろん「横浜」と答えます。相手が外国人だと、横浜がどこにあるのか
わからない人もけっこういますが、それでも横浜にこだわります。港の近くに実家があったわけでは
ないけれど、やはりこの辺りを歩くと故郷に帰ってきたんだなー、って思います。
やっぱりいいなぁ、横浜!
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年末年始はフランスのストラスブールに行ってきました。フランスといっても私の住んでいる ところから、車で二時間ちょっとで行けてしまう国境の街です。ドイツ語ではStrassburg (シュトラースブルク=街道の城)と言います。学校の社会科の授業で、アルザス・ロレーヌ 地方について、あるいは国語の時間に「最後の授業」を勉強したことがあると思いますが、この ストラスブールはまさにそのアルザス地方にあります。ドイツ占領下にあったり、フランスに 支配されたりと、複雑な歴史を辿った地域で、第二次世界大戦後はフランス領となっています。 「最後の授業」という話を国語の授業で読んだことは覚えていましたが、何語の授業が最後に なる話だったかは、恥ずかしながら記憶が定かではありませんでした。でも世の常として 「悪者=ドイツ」なので、ドイツ軍に占領されたためにフランス語の授業が最後、という話 だったかな、と想像していました。調べてみるとやはりその通りで、フランス語の先生がその 最後の授業で と言ったとかなんとか。確かこの話を学校で読んだ時、もしある日突然日本語が使えなくなったら、 私なんか勉強どころじゃない、黙ってるしかない、どうしよう、と途方に暮れたように思います。 ところが、よくよく調べてみると、この話、実はフランスに都合の良いように作られている、という ことがわかりました。もともとアルザスの人々はドイツ系でドイツ語系の方言を話すんだそうです。 だからそもそも最後の授業で行われたフランス語は「国語」としてのフランス語ではなく「外国語」 としてのフランス語だったようです。そうなると上の台詞はなんだか矛盾しているように思えて なりません。 確かにストラスブールの街の雰囲気はまるでドイツだし、周辺の地名はほとんどがドイツ語です。 ただその昔、この地方の人々はドイツ人としては二級国民扱いを受けていたらしいので、ドイツ 占領下にあった方がよかった、とも単純には言えないようです。ドイツ、フランスにとっては辺境 にあるアルザス地方ですが、ヨーロッパ全体で見ると中央に位置しています。そのこともあってか、 ストラスブールにはEUの欧州議会の本部が置かれています。 なんとも複雑な歴史を持つ街ですが、(ダサい)ドイツと(お洒落な)フランスが上手く混ざって とても素敵なところでした。クリスマスマーケットでも有名な街のようで、クリスマスが過ぎていた にもかかわらずあちこちに出店が出ていました。街を歩いていてもあいにく黒猫関係のものは 見つけられませんでしたが、こんなお店に目が止まりました(笑)。 写真1枚目:木組みの家と大聖堂
2枚目:ハリーポッターに出てきそうな建物。どうやら学校のようでした。 |



