ドイツの生活 Mein Leben in Deutschland

毎日の新しい発見を忘れないように。https://xiromi0303.blog.fc2.com/ に引っ越しました。

Erinnerungen

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Todestag

今日は母の命日です。母が亡くなってもう16年になります。母の後、わりとすぐ父が倒れてしまい、30代
後半は親の介護と死に向き合わなくてはならない時期でした。当時、私と同年代の人の間では、まだまだ親の
介護に直面している人はいませんでした。多分、今、みんなそういう問題と向き合っているように思います。
父は最後は特養に入っていたのですが、ある同年代の人に「親を老人ホームに入れるなんて…」と非難
されました。その人は、当時40代前半でしたが、まだまだ親御さんが元気だったようで、定職にもつかず
海外を行ったり来たりしていました。果たして、彼女は今どうしてるんだろう、と時々思います。

親の介護で大変な思いをしていた時、姉と私を支えてくれたのは、近所のオバちゃんたちでした。私の実家は
新興住宅地にあり、近所の人たちというのは、その場所が開発された時期に移り住んできた人たちです。そこが
当時、小学生くらいの子供を持つ若い夫婦が一戸建てを買えた場所だった、ということでしょう。だから親も子供
も同世代が多く、明日は我が身、というか、自分たちもいずれは子供に迷惑をかけることになる、という思いが
あったようで、「あんたたちの生活のことも考えなきゃダメ」と励ましてくれました。親の脛かじり女は、イメージ
だけで老人ホームを批判していましたが、現実問題として親を自宅で介護することは並みたいていのことでは
ありません。ましてうちは姉も私も海外在住ですから…。だから近所のオバちゃんたちは、父が特養に入れる
ことになった時、よかった、よかったと言ってくれました。「お父さんだって、あんたたちに迷惑はかけたくない
って思ってるはずだから」と。

母も父も70歳ちょっとで逝ってしまいました。母は長年、糖尿病を患っていてそれが原因の合併症で、父は
脳溢血が原因でした。母は専業主婦だったので、普段から健康診断など一切受けたりしていませんでした。
ある時、目が急に悪くなり、眼科に行って、糖尿病由来の白内障と診断されました。その後も視力以外は
自覚症状があまりないため、食事制限などをきちんとしなかったので、どんどん悪化してきました。今ほど
糖尿病に関する情報もなかったので、母親自身があまり深刻に捉えていなかったのかもしれません。

ある時、家族である父と私が医者に呼ばれ、厳しい食事制限をしなければあと一年、と言われました。そして
姉がどういう背格好かを聞かれました。姉は私よりも背が高く、体重は私とそれほど変わらない、と言うと、
生活習慣病である2型の糖尿病は、遺伝要素は低いので、40代以降急激に太ったりしないよう気をつけて
いれば避けられる、と言われました。

それから父がエクセルを駆使してカロリー計算しながら献立を考え、母がそれを作る、という日々が続きました。
母は、自分の食事とは別に父用に普通食も作らなくてなりませんでした。近所のオバちゃんたちは「病気の
お母さんに二人分の料理を作らせるなんて、お父さんはひどい」と父を批判し、母を庇っていました。私も
当時はそう思っていたので、費用は持つから、カロリー制限食の宅配サービスを利用したらどうか、などと
父に持ちかけました。しかし父は断固としてそれを認めませんでした。ひどいヤツだな、とその時は、母を不憫
に思っていましたが、自分でできることを自分でやらなければ、どんどんできなくなっていくし、生きている意味
もなくなる、というのが父の考えだったのだろうと、今になって思います。

糖尿病がひどくなると最終的にどういう結末を迎えるかを、私はこの目で見てきました。40代で急激に太ったり
しなければ大丈夫、とは言われましたが、それでも体質は母親に似ているだろうから、他の人よりなりやすい
かもしれません。30代後半からずっとヨガを続けられているのは、正直に言うと、母のようにはなりたくない、と
いう思いがあるからです。それも別の言い方をすれば「母のおかげ」です。母は太っていて、けっこうだらしが
ない人でした。結婚が遅かったので、30過ぎまで働いていたはずですが、私たち子供が生まれてからは
専業主婦でした。

専業主婦がみんなダメなわけではありませんが、やはり子供の手がかからなくなったら、どんな形でも
いいから社会との接点を持った方がいいと強く思うのは、母のことがあるからでしょう。家にいて、近所の
オバちゃんたちとだけつるんでいては、緊張感も刺激もなくなり、視野が狭くなり、人間としての成長が
止まってしまいがち、です。そして新しいモノがどんどん受け入れられなくなり、老け込んでしまいます。
もちろんそうでない専業主婦もいっぱいいるだろうけど、子供に構い過ぎて、最近では子離れができない
親も少なくないようです。仕事なり趣味なりを持ち続けることって大事だな、としみじみ思います。私は、
ヨガを続けて、今は細々と教えてもいますが、年齢に関係なく、人間はいつでも変われるし、鍛えれば筋力は
ついていくし、身体も柔らかくなっていく、ということを実践し伝えていきたいと思っています。子育てをして
いて、しばらく社会から遠ざかっていた人、自分のことを構う時間がなかった人が、自分の人生を再スタート
させることができるように、また上手く加齢と向き合っていけるように、ヨガを教えていきたいです。

母の存在はどちらかと言うと反面教師的ですが、父の考え方には大きな影響を受けています。子供の頃から
父とはウマが合わずよく反抗して殴られたりしましたが、お互いの性格が似すぎていたせいなのかも
しれません。父はいつも新しいことに興味を持っていて、パソコンや機械系にはやたら詳しく、70歳を過ぎた
頃にはどういうわけかカヤックを習い始めたりしていました。健康にも気を配っていて、普段からそこそこ
運動をしていたのでお腹も出ていませんでいした。きっと長生きするんだろうなと思っていたのに、意外と
早く逝ってしまいました。父が亡くなったのは母がいなくなってから5年後でした。

16年前の今日も暑い日でした。母の意識がなくなり、もう長くないだろうと言われたのに、私は病室を離れ、
姉と2歳の甥と一緒に家に帰ってしまいました。当時、仕事をしながら夜と週末に大学に通っていたので、
かなり疲れていた、というのと、甥っ子が可愛い盛りだったので一緒にいたいという思いがありました。姉
一家はその頃アメリカに駐在していて、たまたま一時帰国中でした。家についてしばらくして、父から電話が
あり、母が息を引き取ったことを知らされました。せめて私だけでも病室に残ってあげていたらよかったかな、
と今でも思います。でもそうしなかった私のことを、母はきっと許してくれているはず、と信じています。

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Klassentreffen

50歳を過ぎたら同窓会に出席してはいけない」という記事を読みました。私は真逆というか、50歳を過ぎて
初めて、小学校時代の同級生と飲み会をしたばかり。中学まで一緒だった人もいたので、30ウン年振りの
再会でした。それなりに楽しかったので、また一時帰国した際にはまた会いたいな、と思っていたのですが…。

さて、どうして50歳を過ぎたら同窓会に出席してはいけないかというと、
同窓会に行くと、たいてい病気と薬と副作用の話、そして昔話で会場が埋め尽くされる、からだそうです。

その後に、明るい前向きな話題が繋がるのであればいいが、同窓会というところでは、そういう風に話が
つながるようなことがほぼない、んだそう。そもそも同窓会なるものに行ったことがないから、そこらへんは
わかりませんが…。それ以外に、老いも若きも多くなってしまうのが、「嫉妬(ジェラシー)」と「後悔」の話とか
なんとか。

だから50歳を過ぎたら、今までの友人との縁を徐々に整理しはじめ、70歳になったら、「古い友人」とは
出来るだけ縁を切って、「新しい友人」への切り替えを完了させるのがよい。いつまでも古い友人と飲み会を
繰り返し、クダをまき、過去を恨み、同期を妬む。明日のない、希望のない、身の回り半径5メートル以内の
話に終始すべきではない、とのことです。

なるほど…。私にとって目からウロコ、だったのは、古い友達を大事にしなくていいんだ、ということでした。
私は海外に暮らしているせいもあって、日本で今でも付きあいのある友達は数えるほどしかいません。
もともと、みんなで仲良く、というのが苦手で、なかなか交友関係が長続きしません。だから日本に一時帰国
した時に会うのは、大学時代の友達数名と元同僚数名くらいです。今まで、交友関係が続かないこと、狭い
ことをマイナスに捉えていたのですが、見方を変えればそう悪いことばかりでもないようで、ちょっと驚いた
のと同時に希望が持てました(笑)。

その記事はさらに、

どんなときにも過去を振り返るな」とはいわない。だが、そのような過去を振り返るような集まりの時で
あっても、なるべく「これからの話」をしようではないか。

若い人たちといるほうが、気持ちも前向きに明るく楽しくなってくる。若い友人たちは、いつも、「新しいことを
始めよう」「なにかにチャレンジしよう」という前向きな話をする。自然と私も未来に対して思いを馳せるように
なる。

と続きます。しかし、別に「若い人」に限定しなくてもいいのではないかなとも思います。若い人の中にだって
後ろ向きな人はいるだろうし…。ようは好奇心旺盛な人と付きあっていこうってことではないのかな?

周囲が若者に変われば、50歳以上の人たちも、新しい情報を知ろう、学ぼうという意欲、よりいっそうの
「生き甲斐」も湧いてくるはずだ。新しい活動への意欲も自然に出てくる。ときには、若い人たちが自分を
担いでくれたりすることもあり、何歳になっても新しい経験を積んでいける。

生き甲斐についてはわかりませんが、新しいことを学ぼうという意欲は、別に周囲に若者がいなくても持って
いるけどなぁ…。ちなみに私が以前に受講したMOOCの「Successful Aging」という講座では、20歳年の
離れた人と付きあってみることを勧めていました。20歳年下だけでなく、20歳年上の人とも、です。その
付きあい方のほうが、若い人限定より人間の幅が広がりそうな気がします。っていうか、大事なのは年齢で
はなくて、どういう人と付きあうか、だと思うんですけどね。

懐古主義の高齢者同士が一緒にいても、なにも始まらない。旧友との付き合いは本当に大切な人だけに
絞って、その分だけ若者と友達になったほうがいい。その分、新しい世界が広がる。人生を、いつまでも
豊かに生きられるようになる。

懐古主義なのは高齢者だけではないでしょう。話すことといえば、子供の話か自分が20代の頃の思い出話
ばっかり、という同年代の専業主婦の知り合いがいました。別に専業主婦が悪いわけでもないし、みんなが
そうなってしまうわけでもないですが、傾向としては専業主婦で家にずっといると、行動範囲や向き合う人が
限られてしまうので、そうなりやすいのかもしれません。あと、ちょい年上の元同僚に、やたらと80年代、
90年代の話ばっかりする人がいましたが、そういう人を見ていると、確かに同窓会には行かない方がいい
かも、とは思ってしまいます(笑)。

ただ、モモ君を見ていると、悪ガキ時代からの友達が何人もいて、やっぱり古くからの友達は大事な存在
だなって思います。その友達とは普段もよく会ったりしているので、会うたびに昔話をする、なんてことはない
ですし、悪ガキがみんな一緒に大きくなって、おっさんになった、みたいな感じです。そういう幼なじみが
私にはいないので、羨ましくもあります。

旧友との付き合いは本当に大切な人だけに絞って、その分だけ若者と友達になったほうがいい。その分、
新しい世界が広がる。人生を、いつまでも豊かに生きられるようになる。

とこの記事はまとめているけど、本当に大切な近しい旧友が懐古主義しゃだったらどうするんだ?旧友とか
若い友達とかそういうことではなく、新しい世界を広げられるような人と付きあって、豊かに生きるべし、と
いうことではないかな。






CVJM

西城秀樹さんが亡くなりましたね…。私は圧倒的に野口五郎が好きで、新御三家のランキングはゴロウ、ヒロミ、
ヒデキの順番だったので、同年代の同僚からのラインメッセージで訃報を知らされた時は、正直それほど大きな
ショック、というものは受けませんでした。その同僚からはさらに

「中学生の時にクラスのみんなでYMCAの振りをして歌ったりしたので、青春の1ページが消えたような寂しさ
を感じています」

というメッセージが届きました。YMCA...。あったな、そんな曲が…。

確かにあの振りのことは覚えています。でもみんなで振りをして歌を歌った思い出とか、私にはないどころか、
あの歌はどうも好きじゃなかった気が…。西城秀樹の代表曲の一つでもある「ヤングマン」。なんで私には
思い入れがないんだろう。この歌がヒットした頃、私が好きだった野口五郎はすでに落ち目になりかけていた
から、秀樹のことが憎かった、とか?

いや、憎いとかじゃなく、私はそもそも彼のあの情熱いっぱいの歌いっぷりが苦手でした。郷ひろみのヘラヘラ
も好きじゃなくて、クールだけどコミカルな五郎がやっぱり一番好きでした。確かに当時、五郎の「真夏の夜の
夢」はちっともヒットせず、ベストテン入りしていたのはいつも「ヤングマン」。確かに五郎ファンとしては面白く
はなかったけど、それだけ?

秀樹に関するニュースをインターネットで拾い読みしつつ、You Tubeで昔の歌を見てみると、やっぱり「熱い」。
でも実は歌がすごく上手な人だったんだってことに改めて気づきました。でもいったいどうして、日本中が
盛り上がった大ヒット曲「ヤングマン」を、私は受けつけなかったんだろう…。

あれこれ考えて、ようやく思い出しました。それは父親の一言でした。

私の父親は、名台詞「うちは耶蘇じゃねぇ」と言って、私たちが子供の頃、絶対にクリスマスプレゼントを
買ってくれなかった人でした。「ヤングマン」という歌についても、「YMCAってのはヤングマンズ・クリスチャン・
アソシエーションの略なんだ。クリスチャンでもないくせに、バカじゃねぇか」と言い放っていたのでした。

確かに意味がわかりませんよね。「素晴らしいY.M.C.A」って。

それで私は、みんなと一緒になってY、M、C、A、なんてやる気が起こらなかったのでした。歌っていたご本人
は何も気にならなかったのでしょうかね?そういえば、Wham!の「ケアレス・ウィスパー」のカバーも歌って
いましたが、タイトルは何故か「抱きしめてジルバ」。オリジナルを作詞作曲し、歌っていたジョージ・マイケル
が、「僕はジルバを作った覚えはないけど」って苦笑いしていたのを思い出します。ジルバっていうのは
いわゆるアメリカで流行ったスウィングダンスの一種のことらしいし、ジョージ・マイケルはイギリス人だし(笑)、
リズムとか全然違うし…。

話がそれましたが、結論は、クリスチャンでもないのにキリスト教青年会を絶賛する歌を能天気に歌うことに
私は疑問を持っていたのでした。かえって、どうして日本人の大半が何も考えず、無邪気にY、M、C、Aなんて
盛り上がれたんだろう、と不思議に思ってしまうくらいです。

西城秀樹とYMCAの話をモモ君に話すと、「あ、その曲知ってる。それって変なビレッジピープルとかっていう
ゲイグループが歌ってたんだけど、一体何で、YMCAなんだろうね?かなり気味悪いグループだったよ。」
と言っていました。え?ゲイグループがキリスト教青年会を絶賛?それもなんだか変な話です。

と思ってさらに調べてみたら…。

YMCAとは

「若者(主に男性)のための宿泊施設のことを指すが、ユースホステルのようなドミトリー(相部屋)の部屋も
あるため「ゲイの巣窟」とされ、「Y.M.C.A.」はゲイを指すスラングでもある。この楽曲も、題材をゲイにおいた
「ゲイソング」であり、歌詞の中には様々なキーワードが隠されている。」 Wikipediaより

えー、そういうことだったの?それじゃ、クリスチャンでもないのにキリスト教青年会を絶賛するのよりももっと
ヤバいではありませんか。ちなみにピンクレディーがカバーした同ビレッジピープルの曲「In the Navy」も
同じコンセプトらしく、海軍に入ればいい男に出会えるよ、的な歌らしいです。日本人、ちょっとヤバくね?

ちなみにタイトルのCVJMはドイツ語でChristlicher Verein Junger Menschen、キリスト教青年会のことです。 





Rentner

私の小学校の先生は今年83歳。11年前に亡くなった私の父とほぼ同じ年代です。父の家は裕福では
なかったので、父の兄弟姉妹(合計何人いたのかわかりません…)はみんな義務教育しか受けていません。
中学を出たら働きに出なければならなかったからです。父も中学を卒業した後、炭鉱で働いていたそうです。
兄弟姉妹の中で唯一勉強好きだった父は、夜間高校に通い、4年間かけて卒業しました。その後、何年か
経って上京し、最終的に公務員になりました。父の姉妹たちはみな准看護婦として働いていました。他の
兄弟はいわゆる単純労働者でした。中には結婚詐欺もどきだった人もいたようです(笑)。

私の同年代の友達の中には親に「女だから短大で十分」などと言われて、4年制の大学に進学できなかった
人が何人かいました。それなのに、父の時代に女ながらに大学に行って、学校の先生になれた人って、相当
経済的に恵まれていたんだろうな、と今更ながら想像します。

私が小学生だった頃、その先生は赤いフェアレディZで通勤していました。その頃はなーんとも思いません
でしたが、今思うと、やはり経済的にかなり恵まれていたんだなぁと…。当時、我が家には自家用車なんて
ありませんでした。

大学を卒業してから定年まで教師として働き続けることは大変なことです。23歳から60歳まで、37年間…。
でも37年間働いて、60歳で引退し、その後23年間、年金生活をしているわけです。あっちの温泉のお湯が
いいだの、どこのバラ園が見ごろだの、と日本各地を飛び回ってはFBに写真をアップしています。83歳で
FBを利用している、というのはすごいなと思います。でも、37年間働いて23年間遊んで暮らせるもの、なの
でしょうか?年金制度が破たんするのも当たり前っていうか、そもそも最初から無理がある気がします。逆に
私の父なんて、払った年金のモトもろくに取らずに逝ってしまったわけですよね。

その先生の誕生日に、昔の同級生は「いつまでもお元気で」とか「これからもますます元気に」などという
メッセージを書き込んでいましたが、私は何も書けませんでした。その先生がどうの、ということではなく、
長い生きをするってことはそれだけ社会に負担をかけることだなって考えてしまうからです。高齢になれば、
もちろん身体のあちこちに問題が出てくるので、フルタイムで若い頃と同じように働くのは難しいです。でも
元気なら、あっちこっち旅行だなんだって遊んでばかりではなく、少し社会に貢献するべきではないかしら。

老後は遊んで暮らす、あるいは働かずに好きなことだけして暮らすことを夢見ている人が多いかと思いますが、
果たしてそれで充実感を得られるものなのでしょうか?人や社会のために役に立っていると実感できること
で自分の存在価値を見出せるもの、じゃないのかな?物価が安い南の国に移住してのんびり暮らしたい、
なんて語る人とかいますが、言葉もわからない国に行って、知り合いもいなくて、病気にでもなったらどうする
の?とか思ってしまいます。南の国でのんびり、は普段一生懸命働いて、休暇で一息つくから、いいので
あって、それが日常になったら、退屈だし、スペシャル感もなくなっちゃいます。

私が考える高齢者を大事にする社会とは、高齢者が遊んで暮らせる社会のことではなく、高齢者がいくつに
なっても参加できる社会のことです。年齢や体力や経験に合わせて、いろいろな仕事ができる社会。
ボランティアでもいいけど、きちんとした報酬を得られればそれが生きがいに繋がっていくし、単なる自己
満足にならないためにも報酬はあった方がいいと思います。学校の先生をしていた人なら、例えば学習塾とか
放課後の学童保育などで活躍できるんじゃないかしら。父みたいに手先が器用な人は、子供たちに竹トンボ
とか折り紙なんかを教えられたかも。私だったらずっとヨガを教えていきたい。あと楽器とかを誰でも気軽に
習える場を作るとか、いつかニュースで見た「注文を間違えるレストラン」的なプロジェクトがもっとあって
いいと思います。






Neffe

私には甥が一人います。姉の息子で、18歳。この3月に高校を卒業しました。私立の大学には合格して
いますが、志望校は国公立。その合格発表が今日でした。姉から合否を知らせるラインメッセージが届く夢を
見たところで目が覚め、慌てて起きて携帯電話を探しました。前の晩、どこに置いたか覚えていなかったのと、
寝ぼけていたのとで、見つけるのにもたついてしまいました。携帯電話は机の上にありました。緑のランプが
点灯しているのはメッセージが届いている知らせです。届いていたのはラインメッセージではなく、メール
でした。急いで開くと、姉からではなく、甥っ子本人からのメールでした。

受かった!うれしーー。

メールが送信されたのがドイツ時間の朝4時18分。私がそれを見たのが4時20分。もちろん合否は気には
なっていましたが、自分の息子でもないし、こんな朝早く起きちゃうほど気を揉んでいたわけではありません。
あの夢はなんだったんだろう…。不思議な感じがしました。

私が中高生の頃は、勉強なんか興味がなかったし、何がやりたいか、これといったビジョンなんて全然持って
いませんでした。とりあえず英語はキライじゃないしな、という程度で大学の英文科に進みました。入れる
ならどこでもいい、という感じでした。甥っ子は、というとかなり早い時期に、何を学びたいか、どこで学びたい
かがはっきりわかっていて、その目標に向かって、誰に言われることなく自ら突き進んで、自分の目指していた
大学に合格しました。それだけだってすごいなって思うのに、合格した大学が半端じゃないから、自分の甥
ながら、あっぱれです。1月に日本に行った時に、受験勉強の邪魔をしちゃったから、もしダメだったらどうしよう、
なんて心配していました。なんていったって試験はミズモノですしね。あー、でもよかった、よかった。

写真は甥っ子がまだ4歳くらいの頃、一緒に北海道に行った時のもの。こんなチビだったのに今では身長
180cm超えだもんねー(それでも動物が苦手で、猫が怖いらしい・笑)。
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こちらは本日のカナ猫。4年以上ヨガに通ってくれているMさんの奥さん(日本人)にいただいたミニ猫缶と
ともに。3匹ともなんだか同じ表情してる(笑)。
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