ドイツの生活 Mein Leben in Deutschland

毎日の新しい発見を忘れないように。https://xiromi0303.blog.fc2.com/ に引っ越しました。

Erinnerungen

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私の思い出話
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Vatertag

父親とはずっと仲が悪かった私ですが、どうしても聞いておきたいことがあったので、思いきって
切り出してみました。二人でじっくり話す機会なんて今までほとんどなかった私たちですが、意外と
和やかに話ができたのでびっくりでした。

私が知っておきたかったのは、九州で生まれ育った父が、どうして大阪や東京ではなく、横浜に
移り住んだのか、ということでした。父は中学を出た後、炭鉱で働きながら定時制高校に通って
いました。炭鉱では電気技師として働いていて、石炭を掘っていたのではなかったので一番の
危険に曝されることはなかったようですが、大きな事故がある度にそこは長く働く場所ではない
と思ったそうです。石炭の将来を見据えていたのかもしれません。

高校を卒業した後、父は九州を離れ、広島や大阪でも職探しをしたそうです。最終的には横浜に
腰を据えることになりました。当時、鎌倉のとある作家宅でお母さん(私の祖母)が住み込みの
お手伝いさんをしていた、というのが横浜を選んだ大きな理由だったのかもしれません。あるいは
横浜という異国情緒あふれる街に憧れがあったのかもしれません。そのことについて父ははっきり
言いませんでしたが、そんな思いがなんとなく伝わってきました。

「そういえば東京・青山のヤマザキで働いたこともあったなぁ…。」

父は懐かしそうに言っていました。横浜で働く前は東京にもいたのか…。

もう一つ、私が父から聞いておきたかったことは、私の名前の由来と、その名前に当てる漢字を
選んだ理由です。姉とは年子で、オマケみたいに生まれてきた私は、母によく

「橋の下で拾ったから、ひ・ろ・み。」

とからかわれていました。

拾うじゃあまりにもかわいそうだから、別の漢字にしてあげたのよ。」

母はよくふざけて言っていましたが、その別の漢字を選んだ理由を追求するのをすっかり忘れて
いたというわけです。母は数年前に他界してしまったので、もう聞くことはできません。

だから父から聞いておかなくちゃ。そう思って、言い出そうとしたところで目が覚めました。

「なんだ、夢だったのか…。」

大体、父と私が和やかに会話しているなんておかしいと思った(笑)。それに青山のヤマザキって
いったい何のこと〜?

よくよく考えてみるとおかしいところがいくつかありました。でも妙にリアルで父の顔の表情まで
はっきりわかる夢でした。久しぶりにいい夢だったので、忘れないようにトビに話しました。

それから起きてPCを立ち上げ、Googleを開いたら、ロゴがいつもと違っていることに気が付きました。

その日は父の日でした。
父が倒れたのは今からちょうど4年前、ドイツでワールドカップが開催されていた頃でした。

Pisa

イメージ 1

ピサといえば「ピサの斜塔」が有名ですが、それ以外の見どころやピサについてのこと、例えばピサが
トスカーナにあること、海の近くに位置していて12世紀までは交易地として栄えていたこと、その後
その地位をジェノバに奪われたこと、などは案外知られていないのではないでしょうか(←と完全に
自分の無知を基準にしている…)。

建築や美術、歴史に造詣が深くない私には、ピサは斜塔以外にはハイライトもない感じで、フィレンツェ
やシエナに比べるとなんとなく地味に思えました。その有名な斜塔でさえ、フランスのエッフェル塔や
イギリスのロンドン塔、ドイツのノイシュヴァンシュタイン城、あるいは日本の富士山のようにその国を
代表するイメージとして君臨している、というほどではないように思います。でも日本人なら恐らく
誰でもピサの斜塔を知っています。そもそも人はいったい、いつどこで「ピサの斜塔」のことを知る
のでしょうか?

もし学校で習うとしたら社会の授業でしょうか?それとも理科の時間?記憶を辿ってみても、どちらも
不得意科目だったので思い出せません。なんとなく社会科の資料集に斜塔の写真が載っていたよう
にも思えるのですが、そんな気がするだけかもしれないし…。

私はいつどこでピサの斜塔のことを知ったんだろう?

いろいろ思い出していたら、ガリレオ・ガリレイらしき人物が斜塔から物体を落下させて実験を行って
いるシーンが頭に浮かびました。この記憶はなんともビジュアルで、ひげ面のガリレオが台詞をはいて
いる、というものでした。その他にも彼が手作り風の望遠鏡を覗いている姿や、湯船に浸かったところ
で何かをひらめいている姿(おっと、これはアルキメデスでした)などが思い出されました。どれも
台詞や効果音付きです。そう、これらの記憶は漫画です。恐らく小学館か学研の学習雑誌に載って
いたものだと思われます(懐かしー)。

さらに、当時「シャトウ」という言葉が理解できなくて母親に聞いた記憶も蘇ってきました。私の母も
もちろんピサの斜塔のことは知っていて、「本当に傾いているか、行ってこの目で見てみたいねぇ」
などと言っていたように思います。私が8歳か9歳の頃、のことでしょうか。あの頃は、海外旅行は
「夢」でした…。

母のその夢は数十年後に姉によって叶えられました。親子でイタリア・ツアーに参加し、自由行動の
日に姉が電車でフィレンツェからピサに連れて行ったそうです。オプショナルツアーではなく自力
(というか長女の力)で行ったことを他の参加者に自慢していたとか(笑)。きっと母は斜塔を見て
嬉しそうに「本当に傾いているねぇ」と言っていたに違いありませんw。

4年前、実家の片付けをしていた時、そのイタリア旅行で買ったであろうピサの斜塔の置物が出て
きました。あれ、捨てないでとっておけばよかったな…。

母と行ったことがあるわけでもないのに、やたらと母のことを思い出したピサでした。

Höchst

日本にいた頃、船の会社に勤めていたことがあります。船の名前には地名や人名が
使われることが多く、例えば「Hamburg ○○○○」とか「△△△△ Mazellan」という
ような名前の船がありました。たいていは知名度の高い名前が使われますが、例えば
「○○ Hoorn」のようにちょっと見ただけでは「何?角って?しかも o が一個多いし」
なんて思ってしまうようなものもあります。そんなマイナーな船に「Hoechst ○○○○」
というのがありました。そもそもなんて読んだらいいのかすら、わかりませんでしたが、
同僚がみんな「ヘキスト」と発音していたので、私もそう言っていました。

この Hoechst(あるいHöchst)は いったいどこにある街なんだろうと思っていたの
ですが、なんとドイツに移り住んでから、それがフランクフルトの地区名であることが
わかりました。普通はロンドンとか、トーキョーとか、あるいは首都ではないにしても
ロッテルダムとかアントワープとか、ある程度馴染みのある有名な街の名前が使われる
のに、このヘキストって…。どうやら昔は独立した一つの街だったようですが、今では
フランクフルトの一部です。なんでこの地名が船名に選ばれたのでしょうか…。

この地名の発音は全然「ヘキスト」ではなく、カタカナで書くとしたら「フースト」に近い
感じになります。(英語「high=高い」の最上級highestのドイツ語バージョンです)
マイン川沿いの古い街並みの残る地区ですが、今はトルコ人移民が多く住んでいて、
ちょっとすさんだ感じがします。街には Bolongaropalast と呼ばれる宮殿風の建物が
ありますが、それ以外はこれといって見どころもなさそうな感じです。

こちらがその Bolongaropalast です。タバコ取引で成功したイタリア系商人が建てた
もので、個人が建てたバロック式建物では最大だそうです。
イメージ 1


イメージ 2

いろいろ調べてみると、Hoechstはその昔、化学系の会社と焼き物で有名な街だったことが
わかりました。化学系の会社というのは、その名もヘキスト A.G. といい、その昔「死の商人」と
呼ばれた化学産業トラスト、イーゲーファルベンを構成していた一社です。戦後、解体されて
ヘキスト A.Gは Hoechstの地に再建されました。イーゲーファルベンを構成していた会社には
他にアスピリンで有名なバイエルやフィルムのアグファなどがあります。

さて、焼き物のほうはというと、Hoechstマイセンの次にできたドイツで二番目に古い窯
なんだそうです。ヨーロッパではマイセン、ウィーンに続いて3番目です。とはいっても当初は
磁器もどきしか作れず、何度も倒産を繰り返し、華やかなマイセンの歴史に比べるとなんとも
地味な感じです。現在はホテルやレストラン向けに注文製造をメインにしているようで、知名度
もマイセンの足元にも及びません。でも磁器のコレクターには意外と幻の窯として、レアもの
扱いされているようです。

Hoechstって何?なんて思っていましたが、実はちょっとした歴史のある街でした。

街角にはこんなお店がありました。
イメージ 3

イメージ 4

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Schneemännchen

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この冬、ドイツはたくさん雪が降りました。狐ちゃんはあれ以来姿を現してくれませんが、裏庭
には動物の足跡らしきものがあったので、カナに会いには来てくれていたようです。

そんな狐ちゃんへ、歓迎の意を表して

イメージ 2

雪だるまを作りました〜(ってずいぶん前のことです)。
ドイツらしく、青い目の雪だるまちゃんです。(←って青いガラス玉しかなかっただけw)。

雪だるまなんて作ったのは小学生以来です。「雪だるま式」なんて言い方があるくらいだから、
雪玉を雪の上で転がしていけばどんどん大きくなっていくわけですが、綺麗な球にするのが
なかなか難しかったです…。大人になっちゃった今では、背がでかすぎて上手く雪玉を転がせ
ないんですね。中腰、あるいはしゃがんだままで、雪玉と格闘してしまいました。

雪といえば思い出すのが、今は亡き一徹オヤジのこと。彼は大のスキー好きで、雪が積もった
夜は、近所の小学校の校庭にクロスカントリースキーをしに行くのが趣味でした。かわいそうな
小学生達。次の日の朝、校庭で雪遊びをしようと思っても、すでにスキーで踏み荒らされていた、
というわけです。

近所に住んでいた同級生のMちゃんには「昨日、雨戸閉めている時、変な人見ちゃったー」など
と言われたこともあります。まさかと思ったら、案の定「道路でスキーしているオジさんがいたの
(※)」だとー。もちろん、それが自分の父親だなんて言えず、「うっ、うっそー、何、その人、
変だねー」とか言って誤魔化した私でした(親不孝モノォ〜)。
※雪国では普通かもしれませんが、横浜の住宅街でスキーをしている人を見ることは稀です。

Arcoiris

バブルの時代、川崎にある小さな英会話学校で受付のアルバイトをして
いました。当時の日本では英会話学校が繁盛していて、資格も持たない
ただの英国人、米国人、豪州人が英会話講師としてたくさん働いていました。
その学校にはESLの資格を持った豪州人の講師が一人いて、当時月に
手取り60万円ほど稼いでおりました。

そいつが日本人女性と結婚することになり、結婚式には日豪をはじめ
いろいろな人が来るということで、私は司会の通訳をするように頼まれ
ました。貧乏学生だった私ですが、お祝い事ということでちゃんとご祝儀
も持って披露宴に出席し、頼まれた通り通訳のお手伝いをしました。

後日、そいつから渋谷のバーに飲みに行こうと誘われました。奥さんも来る
ことになっていたのですが、当日具合が悪くなったとかで欠席。司会をした
巨大豪州人男性とそいつと私の三人で行くことになりました。私はてっきり、
通訳のお手伝いをしたお礼だと思っていたのですが、いざ帰ろうという段に
なって、なんと3000円払うように言われました。アルコールに弱い私は、
ビールをたったの一杯しか飲んでいないのに、です。もちろん体がでかい
彼らはがんがん飲んでいました。「私、1杯しか飲んでないけど」と言って
みましたが、「飲むチャンスがあったのに飲まなかったのは君のせいだろ」と
訳のわからないことを言われ、いたいけな貧乏学生の私はビール一杯
3000円も払わされたのでした。

どうしてこう、お金のあるやつに限ってセコイんでしょーか?

さて、ある日、バイトの帰りに川崎駅のホームで電車を待っていたら、謎の
アジア人のグループに電車の乗り場を尋ねられました。彼らは「チガサーキ?
チガサーキ?」と私に聞いてきました。茅ヶ崎行きは東海道線です。私は京浜
東北線に乗ろうとしてたのですが、東海道線でも帰れるので「こっち、こっち」と
アジア人を誘導してあげました。中国人かな、と思ったのに彼らは私にしきりと
「スペインゴ?スペインゴ?」と聞いてきました。なんでスペイン語なわけ?と
混乱していると「ニッケーペルージンデス」と丸暗記フレーズで教えてくれました。

ペルーという国にとても興味を持っていた私は嬉しくなりました。別れ際に
電話番号を交換し、その後彼らと何度か一緒に遊びに行ったりしました。私
たちは片言の日本語と英語とスペイン語でやりとりをしていたわけですが、
彼らが塗装工場で一日12時間、昼夜交代制で働き月に30万円ほど稼いで
いるということがわかりました。会社が借り上げたおんぼろアパートで共同
生活をし、賃金のほとんどを自国へ送金していたようです。

そんな彼らの唯一の楽しみは日曜日に仲間で集まることでした。川崎の
ペルー料理屋アルコイリスはそんな人たちのたまり場になっていました。
食べ終わって帰ろうという頃になると、彼らは必ずちょっとした口喧嘩を
します。「今日こそは俺が払う」とみんなが言い合うのです。楽しい時間を
過ごしたんだからここは俺に払わせてくれ、というのがペルー流のようです。
決して生活は楽ではないと思うのに、そういう彼らが私は大好きでした。
彼らを見て私はますますペルーに行ってみたいと思うようになりました。
(が、結局行き先はメキシコになります。)ラクして倍も稼いでいながら、
会計を不平等な割り勘にする豪州人。なんなんでしょーか。


先日、トルコ人のメーメット一家が、ドイツ語講座で一緒だった何人かを
バーベキューに招待してくれました。すべて彼の方で用意するから手ぶら
で来て、とのことでした。一応おつまみ程度のお菓子を持っては行ったの
ですが、なんと30人分はあるんじゃないか、と思われる量の肉、野菜、
果物、チャイなどありとあらゆるものが準備されていました。集まったのは
合計10人なのに、です。お店だって軌道に乗ったばかりだろうし、準備も
後片付けも大変だろうに…。

そんな彼のおもてなしを受けたら、昔出会った心優しき日系ペルー人の
ことを思い出してしまいました。
イメージ 1
写真:チャイの準備をするメーメットとディルバー

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