ドイツの生活 Mein Leben in Deutschland

毎日の新しい発見を忘れないように。https://xiromi0303.blog.fc2.com/ に引っ越しました。

Erinnerungen

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13 Jahre

たまたま知り合って連絡先を交換して「今度会おうね」なんて言って
おきながら、その後連絡することもなく、そのまま自然消滅してしまう
知り合い...。どんな人にもそうやって自分の交友リストから消し去った
知人が何人か、あるいは何十人かいると思うのですが、皆さんはどうですか。

時は今から13年前。短期アルバイトをした時にたまたま沖縄出身の
大学生の女の子と知り合いになりました。周りはパートのおばさんか
ヤンキーみたいな若い子ばかりだったので、自然と私たちは休み時間を
一緒に過ごすようになりました。アルバイトの最終日にはお互いの
連絡先を交換しました。もしかしたら私は「こっち(横浜)に遊びに
来たらいつでも連絡して。」などと調子のいいことを社交辞令で言った
のかもしれません。でも実のところよく覚えていません。

その後、毎年のように彼女から暑中お見舞いや年賀状が届くように
なりました。最初の数年は私も近況報告を兼ねて返信していたように
思いますが、私自身引越しをすることが多かったし、彼女も住所が
変わったり結婚したりしたようで、数年後には彼女の連絡先は私の
リストから自然に消滅してしまいました。

転居先が不明となると、彼女は実家に手紙や年賀状を送ってきました。
こちらも海外にいたり、仕事が忙しかったりで、返信することもなく
さらに何年かが過ぎました。普通なら2、3年返信がなければリスト
から消し去ると思うのですが、彼女は実家に郵便物を送り続けてきました。
ある手紙にはパウチっ子された彼女の子供の写真が同封されていて、
いかに子育てが大変か、いかに自分の子供がかわいいかが綴られて
いました。そもそもアルバイトでちょっと知り合った人なのに、子供の
写真を送ってこられても...。しかもどういうわけかパウチっ子してあるし...。
(子供好きではないので、親しくない人の子供には興味がない)
この時、私の中で彼女の名前は完全に抹消されました。

その後も何度か引越しをし、最終的にはドイツに移り住むことになった
私ですが、日本にいる父から何度か「沖縄の〇〇さんという人から
電話があったぞ」とか「沖縄の〇〇さんという人から手紙が来てるぞ」と
いう話を聞かされました。もうかれこれ10年くらい返信していないのに、
私の実家に連絡をし続ける彼女。こうなると私も「いまさら感」もあって、
あえて手紙を書こうなんて思えませんでした。そもそも13年前に一ヶ月
ちょっと一緒にバイトしただけなのに、どうして?と逆に気味が悪い
くらいです。抹消してくれていいんだよ、私の名前なんて。

さて、今回一時帰国して、実家の片付けをしたりしているわけですが、
ある時ファックスが届いているのを姉が見つけました。「やだ、これ。
あんたのことみたいよ。」と渡されたファックスを見ると、その沖縄の
彼女からのものでした。「Xirominさんのご家族の方へ」と書かれたその
ファックスには「ドイツに行かれたと伺いましたが(←父が話したらしい)、
どうしてもXirominさんと連絡が取りたい。」とありました。どうして〜、
なんで〜。私は、あなたにとって通りすがりの人間なんだってば〜。

今、彼女と連絡を取ったとしても話すことなんてないし、かといって
もう連絡はしないでください、とも言えないし、どうしたらいいんだろう?
と思いつつも、忙しさにかまけてそのままにしていると、数週間後には
今度は留守電にメッセージが...。「私はXirominさんの友達で十数年前に
アルバイトで一緒だった〇〇と申します。Xirominさんと連絡を取りたくて
お電話させていただきました。」きゃー、出た〜(幽霊じゃないってば)。

やはり連絡しなかった私が悪いのでしょうか...?友達にこの話をすると、
一人は「そこまでするなんて、こりゃぁ彼女の勝ちだよ。あきらめて
連絡してやんな。(←おもしろがってるだろ)」、もう一人は「普通は音信
不通になって2、3年であきらめると思うけど。その人、ちょっと精神的に
おかしいのかもね。どうせ日本にいないんだし実家にももう誰もいないんだったら、
このまま無視すれば?」との意見でした。うーん、どうすればいいんだろう...。
でも今は今後のことで頭がいっぱいでそれどころじゃないんだけどなぁ。

Vaca!

友達の車でメキシコ第二の都市グアダラハラからメキシコシティに
向かっていた時のことです。真夜中のハイウェイを時速150kmくらいの
スピードで走っていました。日本で滅多に車に乗ることがなかった
私はそのスピードにビビッていました(ドイツではかなり普通です)。
友達は、日本ではこんなスピードはなかなか出せない(んですか?)
とかなり興奮していたようでした。

前方にも後方にも車はなく、何もないだだっ広い平原を車はどんどん
走っていきました。目の前に広がるのは果てしない道、のはずだった
のですが、あっと思った瞬間前方に車が見えました。その車が急に
左にハンドルをきったので、衝突を避けるために友達は右にハンドルを
きりました。するとそこには牛が...。

助手席に座っていた私の目の前に牛が降ってきました。その衝撃で
フロントガラスは粉々に割れ、牛の目はうらめしそうに私を見つめ、
その巨体はスローモーションで後方にぶっ飛んでいきました。車は野原の
真ん中でようやく止まりました。しばらく何が起きたかわからずに友達と
私が呆然としていると、前方を走っていた車に乗っていた人たちが
駆け寄ってきました。「大丈夫か、怪我はないか」と言っているようでした。

慌てて自分の身体を見ると血だらけになっていました。でもどこも痛くは
ないし、くらくらしたりもしません。どうやら牛の血を浴びたようでした。
砕けたフロントガラスが身体に当たってところどころ血がにじんでは
いましたが、深い傷はなさそうでした。一番大きいガラス片は私の身体を
支えてくれた友達の手に刺さっていました。あれが私の首にでも刺さって
いたら大変なことになっていたでしょう。

私たちの乗っていた車は動かなくなってしまったので、前方を走っていた
人たちが次の料金所に事故のことを連絡し、救急車と警察を呼んでくれる
ことになりました。私たちは何もない平原のど真ん中で助けを待ちました。
牛は子牛でした。私たちの車にはねられ、ほぼ即死で道路に横たわって
いました。これが大牛だったら横たわっていたのは私たちだったかも
しれません。

どのくらい時間が経ったでしょうか。あたりはまだ真っ暗なのにどこから
ともなく鉈(なた)のようなものを持った男の人が3人現われ、あれよ
あれよという間に死んだ子牛を仰向けにして、お腹をきれいにくり貫いて
いました。道路にはペッチョっとレバーらしき部分だけが残されていました。
え?何ごと?この人たち、どこから来たの?レバーは嫌いなの?
私たちが不思議そうな顔をしていると彼らは「それは君たちにあげるよ、
よかったら持っていきな」と言って、どこへともなく去って行きました。

ようやく救急車と警察の車が到着しました。事情聴取され、応急手当を受け、
パトカーで近くの村まで連れて行ってもらいました。そこからメキシコシティ
行きの2等バスが出ていたので、とりあえず私の家に向かうことになりました。
まだ暗いうちにシティへと向かうバスには乗客だけでなく、鶏も数羽乗って
いました。何故だかみんなが私たちのことをジロジロ見ていました。

朝方、ようやくシティに到着しタクシーで私の家に辿り着きました。家に
ついて明るい光の下で自分の姿を見てみると、なんと浴びていたのは
血だけではありませんでした。上半身になんだか緑色っぽいものがべったり。
よく見ると草のようでもありました。もしかしてこれは牛の「ウ○コ」では...。
これでバスの乗客にジロジロ見られていたわけがわかりました。ぶつかったのが
草食動物だったのが不幸中の幸いです。これが肉食動物だったらきっと
すごい臭いだったでしょうから。「牛は草食。草しか食べない、草しか。」と
自分に言い聞かせ、シャワーを浴びたのでした。

Amor o Trabajo

国際協力事業団(JICA)の青年海外協力隊をご存知の方は
多いと思いますが、似たような制度で日系社会青年ボランティアと
いうのがあります。協力隊との大きな違いは派遣先が中南米の
日系社会に限られるという点です。スペイン語を習得したかった
私はアフリカの奥地やシベリアに派遣されるのを避けるため、
協力隊ではない方の制度に応募しました。

しかし当時、結婚(式が)したい年齢だった私は、派遣が決まって
からもとても悩みました。決心がつかないまま、二ヶ月間の合宿
研修が始まってしまいましたが、誰かが「結婚しよう」と言って
くれればいつでも辞めたい気分でした。合宿に参加したのは約
50名。20代前半から30代半ばの若者達です。私はちょうど
真ん中へんの年齢でした。周りの女子が結婚を意識しないで、中南米へ
行くことへの夢を熱く語っているのが不思議に思えてなりませんでした。

ある日、思い切って同年代の女子に聞いてみることにしました。
「ねぇ、みんなは結婚したいとか思わないの?」

すると彼女達は口を揃えて
「結婚なんかより自分の夢を実現するほうが大事よ。」などと言いました。

私が、実は迷っていると言うと
「Xirominの代わりに選考に落ちた人のことも考えなよ。途中で
辞めるなんてその人たちに申し訳ないと思わないの。」と言われました。

実は私は2回ほど選考に落ちて3度目の受験、4年越しでこのチャンスを
手に入れました。私が落ちた年にだって途中で参加を取り辞めた人は
いたでしょう。その人が辞めると決めた時、落ちた私に対して
申し訳ないと思ったなんて思えません。もちろん辞めれば、JICA
には二度と再び顔向けはできませんが、やっぱり自分の人生ですから
辞めるとなったら自分本位で辞めるでしょう。他人のことなんて
考えてる余裕はありません。

もちろんそんなことは口に出しては言えず、その後も誰も中南米行きを
止めてくれる人は現われなかったので、気がついたら合宿も終わり、
なんだか中途半端な気持ちのまま旅立つことになってしまいました。
そんな私を同期の女子達は非難の目で見ていました。「なんて優柔不断な
ヤツなんだ。」と。

派遣先での任期は3年でした。大変なことばかりで何度も泣いたし
途中で帰りたいと思ったことも一度や二度ではありませんでした。でも
途中で辞めても日本で仕事のあてもないし、「嫌だったらいつでも帰って
来いよ」と言ってくれる人もいなかったので、踏ん張るしかありませんでした。

1年経った頃、同じメキシコに派遣されていた女子の一人がなんと
駐在の商社マンを捕まえ、彼の任期終了とともに一緒に帰国すると
言い出しました。結婚より夢が大事と言っていた女子でした。

1年半経った頃、アルゼンチンに派遣されていた女子の一人が日系人と
結婚し日本で家業を継ぐために帰国する、というニュースが流れてきました。
途中で辞めるなんて選考に落ちた人に申し訳ないと思わないのかと
私に言った女子でした。

そして3年が経ち、無事任期を終了した私は日本に帰国しました。

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