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天同星

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開戦決断、リーダー迷走 19


開戦決定後、ついに決断の重圧をとかれたリーダー達

その表情は不安と同時に安堵の色が浮かんでいる。

第4艦隊司令長官 井上成美の証言。

山本さん、大変なことになりましたねと言うと、(連合艦

隊司令長官山本五十六)は“うん”と言っていました。

一体海軍大臣はこういうことになったって言うことも国家

の大事だと言うことがわかってんでしょうかね。山本さん

はこう言ったですよ。“あれはおめでたい男だからな”っ

て、だから山本さんも“ああ、ここまできたけれどもと言う

ことは考えたんじゃないですか?”

海軍省兵備局長 保科善四郎の証言。

“実は総理大臣2、3人殺されるつもりでやれば戦争は

回避できると思うんですが、それだけの人がいなかった

です。”

陸軍省軍務局長 佐藤賢了の証言。

“独裁的な日本の政治ではなかった。だから戦争回避

できなかったんですよ。戦争に入れた、入るようになっ

たのであると思います。こうした日本人の弱さ、ことに国

家を支配する首脳部、東條さん初め我々の自主独往の

気力が足らなかったことが、この戦争に入った最大の理

由だと私は思いますす。”

見通しのない戦争に国家と人々の命運を委ね、リーダ

ー達は結局、何を守ろうとしたのか、真の勇気は最後ま

で示されることはありませんでした。

このようにして日本は戦争に突入していきました。

この番組では四回にわたって、戦争のたどって検証して

きました。

そこから浮かび上がってきたのは、例えば、戦略を持た

なかった外交あるいは、目的を見失っていた陸軍の組

織、更に大衆に迎合し、軍部の宣伝に明け暮れるよう

になったメディア、或るいは、目の前にたくさん処理しな

ければならない重要な案件があるのに、それを先送りし

たリーダーたち、日本を取り巻く世界の見方が大きく変

わる中でそして是まで考えていた現実が一つ一つ通用

しなくなったと言う中で多くの日本人達がもがきました。

大事なことは多くの人々が、殆どの人々が戦争と言うの

は愚かなものだと気づいていながら、しかし戦争への道

を辿ってしまったと言う事実の重さです。

やあ、あれは一時期の狂気の仕業だと片付けてしまう

訳にはいきません。日本の内外に多くの犠牲者が出ま

した。その多くの犠牲者になった方々のことを思うには

私たちは、今少なくとも何故あの時私たちはあの戦争へ

の道を選んだのかと言うことを考えることをやめる訳に

はいかんのだと思います。


≪完≫


外交敗戦、孤立への道 1
 
巨大組織、陸軍の暴走 1
 
民衆熱狂、動いた国家 1

開戦決断、リーダー迷走 18



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開戦決断、リーダー迷走 18


最初の二年はともかく、その先はどうするのか国家の命

運がかかるこの重大な疑問からリーダー達は目をそむ

けてしまいます。 

海軍省調査課長 高木惣吉の証言。

“開戦やむを得ないというところまできておってですよ、

暗い方にばかり結論づけるとうことは、是は事務当局者

しては許されん事ですよ。腹の中ではですよ、さあね

、是はと思っていてもですよ、こういう場合には勝てる

こういう場合には勝てると言う事をやっぱり探すんです

よ。” 

軍令部作戦部長 福留繁の証言。

“あまり先のことはわからんと、長期戦ですから、国際情

勢も変わってくるだろうし、昨日の敵であったものが味

してくる事もあるかもしらんし、そう言った国際情勢が

りうることだ。” 

昭和16年(1941年)11月5日 開戦まで後33日。

検討の結果、戦争回避の選択は取り上げられませんで

した。一方で開戦の最終決断は下せませんでした。

決断の期限は12月1日、午前零時に先送りされます。

この間にも日米交渉の状況は悪化していきます。

アメリカ政府内では対日強硬派(イッキーズ内務長官、

モーゲンソー財務長官)がいよいよ主導権を握り、ハル

国務長官は熱意を失います。

11月下旬アメリカが改めて提示条件を決めます。所謂

ハル・ノートそれは、即刻、完全撤兵という日本がまさに

飲めなかった、原則論に立ち返ってしまうようなものでし


11月26日早朝、開戦まで後12日。

連合艦隊出撃ハワイ真珠湾に向け、日本の機動部隊

が移動を開始しました。しかし交渉次第では引き返すと

いう留保をここでもなお、残していました。その直後、東

京にハル・ノートが到着。ついに連絡会議は交渉を打ち

切りで一致します。判断を先送りする間に状況が悪化し

選択肢をすべて失った末の決意なき開戦でした。



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開戦決断、リーダー迷走 17

開戦決断、リーダー迷走 19


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開戦決断、リーダー迷走 17



海軍艦政本部総務部長 細谷信三郎は、国策検討会で

“最初の3ヶ年の被害予測は、年間110万トンから80

トンに低下。一方造船の方は年40万トンから80万ト

ンに倍増するものであると見込んでおります。”


嶋田繁太郎 海軍相発言。

“若い者は楽観的過ぎないか、実際はその半分だろう

輸送船腹量の見込みにメンバーの関心が集中した。


海軍省軍務局 中佐柴勝男の発言。

“さっきの検討会で造船の数字が本当に大丈夫か?”


軍令部作戦班長 神重徳の発言。

“軍令部のしかるべきものが出した数字を、信用しても

らっていい。”


このとき開戦後の輸送船腹量を算定したのは土井美二

軍令部中佐でした。

その想定では、南方の鉄資源と造船所の総動員による

計画生産が軌道に乗れば、造船で順調に増えていく。

損害を一定に押さえれば輸送船は十分に維持できると

いうのです。しかしこれは十分な時間と材料も与えられ

ない中で出した数字で、軍の中堅層は、そのことをきち

んと連絡会議に伝えませんでした。


土井美二さんの手記より、土井三郎さんの朗読。

“数日研究し、その結果を神君に示した。その数字は多

くの仮定の本に出したものであるから、仮定の一つでも

崩れると、この数字は狂っていくことを説明し、強く念を

押した。これらの数字が誰に渡され、どのように取り扱

われたかは全然知らない。”

結局連絡会議の検討では、この数字を深く問い直す事

く開戦後の需給は可能だと、楽観論の根拠にされて

った。 

企画院総裁 鈴木貞一の証言。

“海軍は来る奴をひっぱたいてもだ、向こうの講和に入

って、その作戦が可能な限りはできるとこういうその計

算になったんだ”

なし崩しに開戦やむなしの気分が会議を支配しました。

しかし海軍首脳は本当の不安を話していませんでした。

海軍軍令部作戦部長 福留繁の証言。

“永野さん(海軍軍令部永野修身)は、二年は頑張って

それ以上のことは判らんと言うことは、要するに、そのと

きは勝つ見込みが少ないですよと言う言葉の代わりに

私がそういう言葉を言ったんだと、負けると言うような言

葉は使えませんからね。”
 



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開戦決断、リーダー迷走 16

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開戦決断、リーダー迷走 16



軍や企画院から出される数字を元に10日間にわたる

国策の再検討が始まりました。しかし、いまさら再検討

と言ってもすでに議論してきた事でした。

1、欧州戦局の見通し。

2、初期作戦の見通し。

3、ソ連の動向。

4、船舶徴用と損耗の見込み。

5、主要物資の需給見込み。

、金融持久力の判断。

7、独伊の協力の見通し。

8、英米可分か否か。

9、人造石油の可能性等。

10、中国への影響。

戦争は勝つ見込みがない。戦争を避けて譲歩すれば、

組織も国家も打撃を受ける。状況は変わらないどころか

悪化していました。軍では開戦となった場合の準備をス

タートさせていました。400万トンに近い民間の船舶を

徴用し海軍の年間予算を超える額をかけて軍艦の装備

を戦時用に改装する工事を進めていました。膨大な人

と金が動く度に、後戻りが難しくなっていきました。  

再検討には出口が見えなかった交渉中断。

企画院総裁 鈴木貞一は、物資面からの総合判断を報

告した。

“南方の石油施設を確保し、それから利用するとなった

場合、物資面では、当初二年は厳しいものの、三年目

からは良くなると思われます。数字の上では戦争を避け

ても石油は直ぐ枯渇する。一方南方を占領すれば、

がて年に450万トンの石油が入りだし、回復できる。”と

言うのです。

更に南方作戦を引き受けた海軍の軍令部長永野修身

が、緒戦の二年は確算ありとの見解を打ち出しました。

いづれも従来からあった議論ですが、決断の重圧にあ

えいでいたメンバーは惹きつけられていきました。南方

の石油を手に入れたとして、海上輸送力を維持できる

か開戦のネックでした。




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開戦決断、リーダー迷走 15



事態は振り出しに戻った。

豊田外務
相。

“今から考えると我々の9月の決定は軽率だった。”

東條陸軍相。

“いまさらそんなことを言われても困る。我々には重大な

責任があるのですぞ。”


先に戦争回避を言い出せないリーダー達、議論は4時

間にわたった。誰も勇気ある決断を言い出せなかった

対談。その4日後の10月16日。

ニュースが全国をゆるがせました。

第三次近衛内閣は、複雑な、重大なる国際政局対処す

べく鋭意努力を傾けておりましたが、10月16日突如総

辞職を決行、同夜この旨伊藤情報局総裁より発表され

ました。


近衛首相辞表より。

“ついに所信を貫徹して輔弼(ほひつ)の重責を全うする

こと能わ(あたわ)ざるに到る。是、一重に才能なきが致

すところにして、誠に,恐懼(きょうく)に絶えず。”


途中で内閣を投げ出したのは近衛、後を継いだのは対

米強硬論者と認められていた東条英機でした。


昭和16年(1941年)10月18日、東条内閣誕生。


強硬な陸軍を取りまとめてきた東條の首相就任はいよ

いよ開戦内閣誕生かと国民や諸外国に受け止められま

した。

しかし実態は違っていました。



内大臣 木戸幸一の証言。


“東條の推薦は僕の発案だよ。他に人がいなかったん

だ。政治家は何処へ行っちゃったか分からなくなっちゃ

って、だから陛下のご命令を良くできる男と言えば、ま

あ、器がそんなに大きな人でもなし、政治家じゃ無論な

いんだけれども、東條以外には持っていきようがない。”

大臣の木戸から東條に天皇の御意志が伝えられまし

た。

“9月の国策にこだわらず、白紙に戻して検討して欲し

い。”

それは開戦を既定路線とせず、あらゆる可能性をさぐる

事を命ずる異例の意思表示でした。

昭和16年(1941年)10月23日、開戦まで後46日。

東條は(第59回)連絡会議を招集します。

それは、自分たちで戦争回避を決断する最後のチャン

スでした。




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