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戦争の傷がいまだ残る沖縄。。
戦争の傷がいまだ残る 3
心的外傷後ストレス障害(PTSD) 1
この動画はhttp://youtu.be/-LJYOou-fI4で見られます。
桃香苺ミルクo(^-^)o
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沖縄県時代 平成期
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沖縄県時代 平成期 書庫
五、現代沖縄。
昭和20年(1945年)に、沖縄にアメリカ軍が上陸し苛烈な地上戦が行われた。日米両軍及び沖縄住民など、二十万人以上の尊き人命が失われ、昭和20年9月7日に降伏調印を持って沖縄戦は正式に終結。
戦争終結後、アメリカ政府は沖縄を米軍政下に置く。 アメリカ軍は沖縄を東アジア地域における軍事上の要石とし、米軍は軍事力に物を言わせ、銃剣とブルドーザーで沖縄住民の土地を強制接収していった。 1952年(昭和27年)4月28日。日本国との平和条約発効で、沖縄は日本より切り離され、正式にアメリカ軍の管理下に置かれた。
沖縄は4月28日を屈辱の日と呼んだ。
アメリカは米軍の意向に沿った政治を行わせるための命令機関、琉球列島米国民政府を設立し、その下に琉球政府を設置する。
アメリカは沖縄各地に米軍基地、施設を建設。
アメリカ兵による事件、事故も頻発し、住民の死亡も相次いだ。沖縄島民有志は「島ぐるみ闘争」抵抗運動を起こす。また、日本復帰を目指して祖国復帰運動を起こし、1960年(昭和35年)に沖縄県祖国復帰協議会(復帰協)を結成。1972年、昭和47年5月15日。沖縄の施政権がアメリカ合衆国から、日本に返還された。
沖縄の住民は日本復帰と同時に、米軍基地の全面返還を望んだ。しかし、「核抜き・本土並み」という米軍基地を維持したままの返還となった。
昭和48年(1973年)には若夏国体開催。 昭和50年(1975年)には沖縄国際海洋博覧会が開催された、開催に際して皇太子夫妻(当時)が来沖する。 皇太子夫妻が、ひめゆりの塔に献花する為に現地に向かわれている時、テロ事件が発生。更に献花の際にもテロが発生した。 平成になり、テレビなどのマスコミによる沖縄の露出が拡大、全国的な沖縄ブームが起こる。
平成12年、2000年。第26回主要国首脳会議が沖縄で開催。20世紀最後のサミット、日本初の地方開催のサミットが名護市の万国津梁館で開催された。また記念して、紙面に守礼門が描かれている二千円紙幣が発行された。
平成15年(2003年)。 沖縄戦で鉄道が破壊されて以来、初の本格的な鉄道となる沖縄都市モノレールが開業する。 昭和20年(1945年)の沖縄戦終結から、アメリカ軍政下を経て、1972年、昭和47年沖縄施政権が日本に返還、そして新生沖縄県が誕生。現在までを現代沖縄と呼び、区分します。
ここのブログ紫微星では、昭和20年(1945年)の沖縄戦終結から、沖縄施政権が日本に返還された、1972年、昭和47年5月15日までのアメリカ軍政下時代を「琉球政府 米軍統治時代」とします。また、日本復帰より昭和64年(1989年)の昭和天皇の崩御までの昭和期を「沖縄県時代 復帰期」とし、平成元年(1989年)から現在までを「沖縄県時代 平成期」とします。
沖縄の時代区分 7
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戦争の傷がいまだ残る沖縄。。
一般住民を巻き込んで、多くの尊い生命が失われた沖
縄戦が終結して、68年経ちます。しかし、未だに多くの
ご遺体は放置され今も野ざらしのままです。
国対国の戦争、国家が戦争を起こして、犠牲になった
のは無辜の民衆。国の命令に否応なしに戦地に向かっ
た兵士たち。沖縄戦では、忍従生活を強いられてきた、
一般住民、少年少女、妊婦、老人までもが、“御国の為
に”と兵士等と共に戦いそして犠牲になった。
日本は敗戦したものの国家自体が消滅したわけではな
く、それどころか、驚異の復興を遂げ経済大国になり、
世界の羨望の的になりました。
それにもかかわらず日本は、“御国の為に”犠牲になっ
た人々を70年間も野ざらしにし放置したままです。
沖縄のみならず、海外諸国にも多くの軍人、軍属、民間
人のご遺骨が未収集のままです。
いったい誰が、ご遺骨を収集するべきでしょうか?
厚生労働省の収集事業は形ばかり。。
その多くは、一個人や遺族、ボランティア団体、宗教団
体、民間諸団体等で行われています。時として、海外諸
国での収集でトラブルが発生したりしていますが、これ
は厚生労働省のずさんな対応にほかなりません。。
戦争の傷がいまだ残る 1
戦争の傷がいまだ残る 3
心的外傷後ストレス障害(PTSD)http://blogs.yahoo.co.jp/xiuwa3001/19107914.html
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戦争の傷がいまだ残る沖縄。。
今日6月23日は、沖縄における日本軍の組織的戦闘
が終わった日とされて、沖縄県では慰霊の日と定めて、
全戦没者の慰霊と平和と不戦への誓いをする日になっ
ています。
沖縄戦は6月23日以降も熾烈な戦闘が続き、9月7日
に沖縄守備隊が降伏調印し正式に終結するまで続きま
した。(ちなみに日本は9月2日に降伏調印)
24年間で最少量。。
その沖縄戦終結から68年、いまだに大量の不発弾が、
発見処理されないままになっています。
沖縄県内で、平成24年(2012年)度の不発弾処理件
数は、748件でした。
資料がある平成元年(1989年)度以降で最少であった
ことが分かりました。
沖縄県は減少したことについて、『偶然の発見が少なか
ったため。いまだ約2100トンが残っていると推定され
る』と説明しています。
前年度比較で約38%減。件数は同約16%減でした。
現在のペース(年間約700件処理)で、あと少なく
とも80年以上もかかると云う試算まであります。
昭和49年、那覇市で不発弾による死傷事故が発生したことを機に、国、
県および市町村が不発弾処理に当たる方針が決定され。撤去処理費用
は、国と市町村が折半で行ってきたが、平成21年(2009年)糸満市で、不
発弾による爆発事故が発生したことを機に、全額国負担となる。
不発弾の約4割は民間工事で発見、事前調査には50万〜2000万円か
かるとされ、これは国負担ではなく、工事施工者の負担でした。。
平成21年に糸満市で起きた、爆発事故後、国は民間工事で発見された、
不発弾の処理費用の全額負担、磁気探査機の無料貸し出しなどを始めま
したが、探査への直接補助が無く実施率が上がっていないのが現状です。
まだまだ国の対策は充分とは云えないですね。。。
ちょっと古い動画ですが・・
桃香苺ミルクo(^-^)o
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