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空手発祥の地 沖縄空手の本当の強さ
“さむらい”沖縄ではサムレーと言います。
日本では、さむらい=武士で「もののふ」です。言葉を変えれば、武人、武
者、兵、軍人です。ですから、幕府は“本来”は軍事政権なわけです。また
主従制であり世襲制でもあります。
琉球では、ちょっと違います。沖縄のサムレーは日本と同じく支配階層で
ありますが、「ぶし」、「もののふ」とは限りません。
琉球のサムレー=士大夫です。
士大夫は、科挙(コー)に合格した官僚で、武人、軍人である必要はないの
です。役職持っている人の跡取り息子でも、怠け者であったり、また科挙
(コー)=登用試験に合格しなければ、どんどん身分は下がっていきます。
科挙も難関で、めったに役人になれなかったようです。
武術もやはり、日本と琉球では違うと思います。 日本は床の間に刀、「威武の文化」。
沖縄では床の間に三線、「非武の文化」。
琉球は武器を持っていなかったと言うより、簡単に持てなかった、また敢え
て持とうとしなかったというのが実状でしょう。。
どのように表現すれば良いのか私には分かりませんが、日本の武術の精
神性は神道的というか、威武的というか、そういうのが底流にあると思いま
す。
琉球の場合、非神道的であり、あくまでも護身の為というのが底流にある
と思います。
琉球のことわざに、肝苦りという同苦する精神。
とあるようにそれが精神的支柱になっているのだと私は思います。
沖縄の脚本家、金城哲夫が作ったウルトラマンにも、所々にその沖縄の精
神が現れている様に、私は感じます。
桃香苺ミルクo(^-^)o
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琉球の武術、各種格闘技、スポーツ
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琉球鉄砲ヒヤー
種子島より早い伝来、琉球鉄砲ヒヤー
鉄砲の伝来は、一般的には天文12年(1543年)に種子島への鉄砲伝来が
はじまりとされていますが、琉球はそれより少なくとも100年〜150年以
上早かったのです。
琉球に存在していた事を示す最古の記録は、朝鮮王朝実録(李朝実録)に
記され、1450年(景泰元年。日本の宝徳2年)には既に琉球に存在していた
事が分かっています。
また、第一尚氏王統最後の国王となった尚徳王は、成化2年(1466年。
日本の寛正7年)室町幕府に使者を派遣し八代将軍足利義政に謁見。
この時琉球の使者は、鉄砲を射撃して見せて、京の人々を驚かせたという
ことが、京都相国寺の歴代蔭涼軒主の記した公用日記「蔭涼軒日録」に
記されています。このような記録からも既に琉球において鉄砲が存在して
いたことが分かります。中国やアジア各国と貿易をしていた琉球は、火器
を容易に手に入れることが出来たのでしょう。。
中国の三眼銃です。
種子島へ伝来した鉄砲よりも古い形式の鉄砲で、沖縄の言葉では「火矢れ
(ヒヤー)」と呼ばれました。木の柄の先に金属の筒を付け、その中の火薬
に点火するという構造になっていたと考えられています。現在、兵器として
使用されたものは残っていませんが、火矢をモデルにして作られ、祭礼な
どで使用されたと思われるものが県立博物館など沖縄県内に四点現存し
ています。
上空から見た世界遺産の中城(ナカグスク)
城壁の四角い穴。
近年の発掘調査によって、この四角い穴が火矢(ヒヤー)と呼ばれる中国
の銃器を使うためのものだということが、判ってきました。。
種子島鉄砲伝来より、150年以前に琉球に存在したと考えられています。
中城(ナカグスク)城跡からは、中国から伝来したと考えられている「火矢(ヒ
ヤー)」の弾丸と思われる石弾と金属弾が出土しています。
城跡で発掘を担当し、石弾や金属弾を発見した中城村教育委員会文化財
専門員の渡久地真さんは、「調査されていない場所だったので、何か出て
くると思っていたが、まさか火矢の弾とは」と発見したときに驚いたといいま
す。また、沖縄県教育庁文化課の当真嗣一課長は「使用された状況は定
かではないが、当時兵器として火器が存在したことは確か」と話す。
「多くの按司たちがぶつかり合い、小さな島の中で国家が形成されていっ
た。」石弾、金属弾の出土について「まさにその国家形成過程の歴史の動
きを示すもの」と、資料的価値を述べています。
世界遺産の勝連城(かっちんぐすく)
勝連城(かっちんぐすく)でも、鉄砲の弾が出土しています。
鉄の弾、丸く削った石の弾、それから硬く固め丸くした粘土の弾と3種類の
弾があるといいます。
次の動画は中国の三眼銃、射撃の様子。。
桃香苺ミルクo(^-^)o
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琉球の武術。
Ⅰ 空手道。
空手の流派。
沖縄空手道の三大流派と言えば、小林流。剛柔流。
上地流ですが。。琉球の唐手は元々、流派というもの
は存在していませんでした。
近代になってから、唐手が特に盛んな地域名を冠して、
首里手、泊手、那覇手(三地域いずれも那覇市)の三大系統
に分類されました。
本土で言う何々流というような、厳密な意味ではありま
せん。地域的な特徴があったという程度のものです。
同じ首里手使いでも、継承してきた個人や家、師と弟子
にも相違などあったと言われています。
現在の沖縄では、空手の本土化に伴い多くの流派が出
来ました。
その流派のなかでも多くの会派に分かれいます。
そして、会派・道場ごとに様々な型が伝承されていると
ころもあります。
本土でも同じように、多くの流派が出来て分裂していき
ましたが、空手の全国化、組織化は着実に進んでいき
ました。
沖縄の流派も、組織の統一化が図られていきましたが、
しかし、本土の流派と距離を置き、『沖縄空手』として
伝統的な型稽古や鍛錬法を重視しています。
本土空手が『スポーツ』なら、沖縄空手は『伝統武術』
といった感じです。
また、本土の空手会派とは組織形態が異なります。
『沖縄空手』の流派、会派はどちらかというと単独組織。
本土の流派・会派よりも、世界各国に支部道場を数多く
もっています。沖縄空手は、世界的に大きな広がりがあ
るのが特徴です。
前回の動画の続きです。
琉球の武術 一
URL: http://blogs.yahoo.co.jp/xiuwa3001/16954915.html 韓国国技に発展した琉球武術
URL: http://blogs.yahoo.co.jp/xiuwa3001/16966733.html 桃香苺ミルクo(^-^)o
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琉球の武術。
Ⅰ 空手道。
沖縄で古来から手(ティー)と呼ばれる武術がありまし
た。琉球王国が、東南アジア各国と交易して繁栄してい
た頃、中国の拳法などが沖縄にもたらされ、琉球固有
の拳法「手(ティー)」と合わさり吸収、同化します。
さらに日本の武術などの影響も受けて、取捨選択され
洗練されていきました。。。
琉球固有の拳法手(ティー)から、 唐手(トゥーディー、ト
ーディー)唐手(からて)へと変化していきますが、
琉球国が瓦解した(琉球処分Ⅱhttp://blogs.yahoo.co.jp/xiuwa3001/15802365.html)
時に失伝の危機を迎えます。
しかし、琉球士族で唐手の大家、糸洲安恒が唐手の
「近代化」に尽力し、危機的状況を脱します。
唐手は明治から大正期にかけて、日本本土へ伝わって
いきますが、特に昭和になってからは軍国主義の影響
を受け、日本化されていきます。そして名称も空手と
なりました。
沖縄戦の後、米軍統治下に置かれた沖縄で空手を学
ぶ米兵が多くいました。それをきっかけにして、空手が
世界の格闘技“KARATE”へと発展していったのです。。
沖縄発祥の空手も沖縄のチャンプルー文化(他の文化
から良いところを取り入れ、沖縄風にする、沖縄らしく改
造するという文化) の中で融合発展し、現在は空手の
世界大会など、活発に行われています。
動画は、アメリカの番組が琉球の空手を紹介したものです。
琉球の武術 二
桃香苺ミルクo(^-^)o
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