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沖縄の少女轢殺
報道写真家・嬉野京子さんの証言。 1965年に私が沖縄に行ったのは、沖縄で米軍がやっていることを知ら
せるためでした。25歳の時です。米軍占領下の沖縄のことは、本土では
全くわかりませんでした。米軍が統制していたからです。
沖縄が日本でないことをまず思い知らされたのは、飛行機の中でした。
沖縄本島が眼下に見えはじめると、スチュワーデスが「カメラをしまって下
さい」。撮影が禁止されました。一人でも写真を撮るものがいると、フライト
自体が許されないと・・・
嬉野京子さんの証言は、転載禁止記事ですので続きはこちら⇒
お友達の方は⇒⇒少女轢殺 嬉野京子氏の証言
無惨な姿で路上に横たわる少女
日米地位協定を改正しようとしない日本政府、主権回復したと記念式典ま
で行ったはずなのに、いまだにアメリカの属国扱いに甘んじているのは?
何故?
桃香苺ミルクo(^-^)o |
軍事訓練及基地から派生する諸問題
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終わらない戦争
ベトナムダイオキシンデー 第7回ニッポン2017
今でもベトナムで枯れ葉による犠牲児が生まれています。
多くの被害者が苦しんでいます。しかし謝罪も補償もされていません。
1960年代から70年代にかけて米国は沖縄をベトナム戦争の前線基地
にしてしまいました。物資はアメリカ本土の港から「太平洋の要」と呼ばれ
た沖縄に運ばれ、そこから小型客船に積換えられて東南アジアに輸送さ
れました。その中に米国防省があくまでも、沖縄に持ち込まれ、保管され、
使用された事を認めない主要な兵器があります。それは枯葉剤、エージェ
ント・オレンジです。日米両政府とも認めていません。
ベトナム・ダイオキシンデーニッポンとは?
1961年8月10日、アメリカ合衆国はケネディ大統領の命令でベトナムに枯れ葉剤の空中散布が開始しました。ベトナム政府はこの8月10日を「枯れ葉剤被害者支援の日」と制定し、発がん物質ダイオキシンの枯れ葉剤被害者の救済と化学兵器枯れ 葉剤の残虐さを世界に訴えています。日本でもこの呼びかけに応えて2011年から毎年同じ日にベトナム・ダイオキシンデーニッポンの集会を開催してきました。
今年は「沖縄の枯れ葉剤と環境汚染」というテーマで、シンポジウムが行われます。 日時。
2017年8月11日(金曜日。祝日)。
12時30分開場、13時開会、16時30分閉会。
会場・場所。
板橋区立文化会館小ホール 定員300名(先着順)
東京都板橋区大山東町51-1
東武東上線「大山」駅北口から徒歩約3分 都営三田線「板橋区役所前」駅A3出口から徒歩約7分 会費。 前売り2,000円 当日2,200円 (学生1,000円)
申込み振込先
郵便振替 00180-4-292090 宮原千佳子 140-0011 東京都品川区東大井5-18−1 内容。
1、映画 13:10 『枯れ葉剤を浴びた島2:ドラム缶が語る終わらない戦争』 2、シンポジウム 14:20 ☆ジョン・ミッチェルさん ジャーナリスト『追跡・沖縄の枯れ葉剤』)の著者 ☆中村梧郎さん フォト・ジャーナリスト 主催者。
ベトナムダイオキシンデー第7回ニッポン実行委員会。
後援。
駐日ベトナム大使館。
事務局。
170-0005 東京都豊島区南大塚2-17-10 日本ベトナム友好協会内
連絡。
柳洋二 090-7414-3504 Eメール 鈴木芳博 suzuki.y0001@mail.com
沖縄に枯れ葉剤が保管され使用された事実が元米兵や関係者の多くの
証言があり、また枯れ葉によるものと思われる、健康被害や環境汚染、そ
の物的証拠と疑いのある物も存在しているにも関わらずこれを認めようと
しない、日米両政府。
日米政府はこれを認めれば、被害者に補償しなければならなくなる。。
だから認めたくないのでしょう。。もし、万が一にも米国防省が云うように、
本当に無かったとしたとしても、米軍関係から派生している、または疑惑を
もたれるものについては、日本政府は本格的に調査すべきです。
韓国でも同じ問題が起こり、世論の高まりから韓国政府、アメリカ政府は
異例の対応をとり、合同調査を始めました。そして、ついに基地内の地下
水から枯れ葉剤の成分を検出したと発表し、事実上枯れ葉剤が存在して
いたことを認めました。
一方日本政府は・・・・
1973年の日米の合意では日本政府が汚染場所を視察し、水や土壌など
のサンプルを入手できるとされています。
しかし日本政府は、アメリカ軍から「枯れ葉剤の使用を裏付ける記録は見
つかっていない」との回答を得ると、それ以上の追及はしていない。。。
この違いは何でしょう?
もし東京、又は首都圏で保管され使用されたとしたら、沖縄と同じ対応?
韓国が出来て日本が出来ないとは、これぞ取り戻した美しいニッポン国の
正体ですね。。
桃香苺ミルクo(^-^)o
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致死量1億人の猛毒
化学兵器沖縄貯蔵施設
沖縄では、沖縄戦から70年以上、沖縄施政権返還から45年も経ってい
るのに、米軍が何か事件や事故を起こした時に、「そうだったんだ」というこ
とを事後に知らされるっていう状態が、ずっと続いています。
この化学兵器の問題も、沖縄の枯れ葉剤http://blogs.yahoo.co.jp/xiuwa3001/20236732.htmlの
問題も劣化ウラン弾が撃ち込まれたhttp://blogs.yahoo.co.jp/xiuwa3001/20155486.html時も事後
に発覚。最近(今年1月)も、数年前に艦船の医務施設、衣服クリーニング
施設などから出た4万ガロンの雑排水を海(ホワイトビーチ(うるま市))に投
棄していた事も発覚しました。取り決めでは艦船の雑排水は陸地に移して
処理する事になっているにも関わらず、しかも日本側には通報せずに投棄
情報公開請求を通じて入手した米軍の内部文書で判明するという有り様。
そればかりか、米軍基地から逃走したサルhttp://blogs.yahoo.co.jp/xiuwa3001/20067900.htmlの
ようにその真相が未だに未解明になっているものや、また発覚していない
事件、事故も多数あるでしょう。
これが“美しいニッポン”国を“取り戻し”て“主権回復”した姿なんでしょう
ね。。正しく“世界が称賛する”、“凄いニッポン”ですね。。。
この動画では、すべての化学兵器をジョンストン島へ運んだように言っていますが・・・。しかし、実際は違っていたようです。この番組以降にまた新たな証言が出てきています。
1963年(昭和38年)5月。
プロジェクト112が発動してから1年後、沖縄のホワイトビーチに1隻の船が入港しました。船が積んでいたのは、アメリカのエッジウッド基地からの毒ガスの弾頭でした。その量は1万3000トン。1億人分の致死量に当たります。アメリカ軍施政権下にあった沖縄は、停戦したばかりの朝鮮戦争や、激しくなりつつあったベトナム戦争の補給基地として重要な役割を課せられていました。アメリカ軍の嘉手納基地。その奥の森の中に弾薬庫が点在、知花弾薬庫です。 1969年(昭和44年)7月。 この貯蔵庫で沖縄を震撼させる事故が発生。267部隊の兵士が、爆弾をメンテナンスしている最中に操作を誤って爆発して、サリンが漏れ出してしまったのです。それも3000ポンド爆弾のサリンです。 この事故を最初に報じたのはアメリカの新聞でした。
ワシントン発の情報として、沖縄に毒ガスが存在していることが伝わる。
記録と証言から浮かび上がってきた、アメリカ軍の化学兵器開発の実態。
冷戦の中で国家を挙げて進んだもうひとつの軍拡競争。 しかし、リチャード・ニクソン大統領は化学兵器を大量殺戮のために使用しないことを宣言します。製造された数万発の化学兵器は、一度も使われることなく、いま、太平洋の孤島ジョンストン島で眠っています。(と言う事になっているが) 半世紀を経た今、それはいったい私たちに何を残しているのでしょうか?
相互不信から何が生み出されたか?
よく考えるべき事だと思います。
続く
桃香苺ミルクo(^-^)o
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私は沖縄で猛毒を撒いた
沖縄で枯れ葉剤散布。
沖縄タイムスより、元米高官証言「沖縄で枯れ葉剤散布」
平安名純代 米国特約記者
米軍がベトナム戦争での実戦を前提に、1960年から約2年間にわたり、国頭村と東村の米軍北部訓練場内と周辺一帯で猛毒のダイオキシンを含む枯れ葉剤「オレンジ剤」の試験散布を実施していたことが分かった。
当時の枯れ葉剤散布作戦の立案に関わった米陸軍の元高官が沖縄タイムスの取材に対して明らかにした。
米軍は61年から始めたベトナムでの枯れ葉剤作戦の本格展開を前に、沖縄でその効果を試していた。沖縄での枯れ葉剤使用に関する公式記録がないことから、これまで米軍は作戦そのものを否定してきたが、今回の証言はこうした事実の立証につながるものといえそうだ。
米軍が沖縄に枯れ葉剤を貯蔵、散布していた事実は当時作業に携わった元米兵らが証言しているが、散布を裏付ける元当局者の証言は初めて。
沖縄施政権、日本返還40年の証言。。
沖縄に枯れ葉剤が保管され使用された日米政府はこれを認めれば、被害
者に補償しなければならなくなる。。。だから認めないのでしょう。。
もし、万が一にも本当に無かったとしたとしても、米軍関係から派生してい
る、または疑惑をもたれるものについては、政府は本格的に調査すべきで
す。
韓国でも同じ問題が起こり、世論の高まりから韓国政府アメリカ政府は異
例の対応をとり、合同調査を始めました。そして、ついに基地内の地下水
から枯れ葉剤の成分を検出したと発表し、事実上枯れ葉剤が存在してい
たことを認めました。
一方日本政府は・・・・
1973年の日米の合意では日本政府が汚染場所を視察し、水や土壌など
のサンプルを入手できるとされています。
しかし日本政府は、アメリカ軍から「枯れ葉剤の使用を裏付ける記録は見
つかっていない」との回答を得ると、それ以上の追及はしていない。。。
この違いは何でしょう?
やはり沖縄に対する差別?
桃香苺ミルクo(^-^)o |
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沖縄の枯れ葉剤を追跡する
ベトナムダイオキシンデー 第5回ニッポン2015
「沖縄の枯れ葉剤を追跡する」 2015年8月10日(月) 1960年代から70年代にかけて米国は沖縄をベトナム戦争の前線基地にしてしまいました。物資はアメリカ本土の港から「太平洋の要」と呼ばれた沖縄に運ばれ、そこから小型客船に積換えられて東南アジアに輸送されました。
その中に米国防省があくまでも、沖縄に持ち込まれ、保管され、使用された事を認めない主要な兵器があります。
それは枯葉剤、エージェント・オレンジです。
ベトナム・ダイオキシンデーニッポンとは?
1961年8月10日、アメリカ合衆国はケネディ大統領の命令でベトナムに枯れ葉剤の空中散布が開始しました。ベトナム政府はこの8月10日を「枯れ葉剤被害者支援の日」と制定し、発がん物質ダイオキシンの枯れ葉剤被害者の救済と化学併記枯れ葉剤の残虐さを世界に訴えています。日本でもこの呼びかけに応えて2011年から毎年同じ日にベトナム・ダイオキシンデーニッポンの集会を開催してきました。 今年は「沖縄の枯れ葉剤を追跡する」というテーマで、シンポジウムが行われます。。 日時。
2015年8月10日(月) 17時30分開場 18時開会
場所。
品川区きゅりあん 小ホール 定員282名(先着順)
JR京浜東北線・東急大井町線・りんかい線 大井町駅徒歩1分
電話 03−3295−3415 会費。
前売り2,000円 当日2,200円 (学生1,000円)
申込み振込先
郵便振替 00180-4-292090 宮原千佳子 140-0011 東京都品川区東大井5−18−1 内容。
1、映画 18:10 『枯れ葉剤を浴びた島:ベトナムと沖縄・元米軍人の証言』 2、シンポジウム 19:20
☆ジョン・ミッチェルさん ジャーナリスト『追跡・沖縄の枯れ葉剤』)の著者 ☆河村雅美さん 沖縄・生物多様性市民ネットワーク ディレクター ☆中村梧郎さん フォト・ジャーナリスト 主催者
ベトナムダイオキシンデー第5回ニッポン2015実行委員会
後 援
ベトナム大使館
事務局
170-0005 東京都豊島区南大塚2-17-10 日本ベトナム友好協会内
連絡
阿原成光 090-1607-3749 Eメール 鈴木芳博 suzuki.y0001@mail.com
桃香苺ミルクo(^-^)o
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